09-2 懐旧寝顔
閉じ切った教室を横目に廊下を独り歩く。
無音の中でコツコツと自分の足音だけが響き渡る。
視認できるほど身近な距離に人がいるのに、深夜の図書館にいるような静寂が俺を包み込む。
(早退するのって、こんなに居心地悪かったっけ……)
保健室に到着しドアをノックするが養護教諭は離籍しているようで返事がない。
莉緒が起きていれば何かしらの反応が返ってきそうなものだが、それらしき気配もない。
「失礼します」
一言声をかけてから引き戸を開ける。
返事の代わりに薬品の独特な匂いが俺を歓迎してくれた。
「……やっぱ慣れんな、この匂い」
正面にはテーブルとイスが2脚、右手側には薬品の入った棚があり、左手前側には体重計などの備品が一か所にまとめられている。
その備品エリアの対面には、パーテーションで区切られたベッドが2台横並びに配置されている。
「りっ……彼我結起きてるか?」
やはり反応は返って来ない。莉緒はまだ夢の中らしい。
両肩にかけたバッグをイスに一旦避難させてから、もう一度声をかける。
「彼我結、開けるぞ? いいな、今から開けるからな?」
保険を何度もかけた上で、俺はパーテーションの端を掴みベッドの様子を窺いながら開ける。
服がはだけていないかとか、色々考えて極力見ないように気を使ってみたが不要だったようだ。
四肢が見えないように綺麗な姿勢で眠っている、その様相はまさに眠り姫。
赤ちゃんのように口を開けてよだれを垂らしているので、若干年齢は低めではありそうだが。
救出時に声をかけた直後に意識を失いその場で倒れた。一時はどうなることかと思ったが、この様子だと問題なさそうだ。
俺が一振りしただけで使い物にならなくなった支給品一本で、あの過酷な環境を生き延びたやつと同一人物とは到底思えない、緩み切っただらしない顔をしている。
「はあーせっかくの美人が台無しだな、こりゃ……はは」
幼少期の頃から変わっていない、実に懐かしい寝顔だ。
それはそうと、女子生徒が寝ているのに離籍するのはやっぱおかしくないか。なんかしらの事案が発生したらどう償う気だったんだよ、マジで――あっいや、そういう意味だと俺が今のところ一番怪しいか。
息を殺してベッドの傍に立って、眠る女子生徒を見下ろしてんだもんな……。
この状況を早急に解決したいとこではあるが、迂闊に手を出すわけにはいかない。
「こんな時に爆弾処理班が居てくれれば……」
莉緒は凄まじいほどに寝起きが悪い。赤ちゃんが夜泣きをするが如く暴れ狂う。とはいっても、これは中等部に上がるまでの記憶なので、もしかしたら治っている可能性もゼロではない。
が、あの寝顔が視界に入るたびに身体が眠り姫を起こすことを拒絶する。
「さて、困ったな。ここまで熟睡しているとなると、下手に起こすこともできないし……しゃーない。自然と起きるまで待つか」
泣かぬなら鳴くまで待とうホトトギスでいくことにした。
ただ待つだけなのはさすがに暇なので、予習復習でもして時間を潰すとしよう。
イスを座り国語に載っている小説に目を通していると、寝言に連動して掛け布団がもぞもぞと動いているのに気が付いた。
どうやらそろそろお目覚めのお時間のようだ。
振り返りテーブルに置かれたデジタル時計を見やる。
モノクロな液晶画面は13:07を表示している。
現時刻から逆算してみると睡眠時間は約1時間といったところか。
それから5分後その時は訪れる。
「うーん……ふあ~、あれ? ここって保健室? えっなんで、あたしこんなとこで寝てんの?」
自ら目を覚ますまで待って正解だった。この反応から判断するに、あの嫌な予感は的中していた。あの無垢な寝顔同様に寝起きの悪さもそのまま引き継いでいるようだ。
俺は教科書を閉じてベッドの端に置くと、手足をググっと伸ばしながら天井を眺める莉緒にティッシュ箱を差し出す。
「よぉーおはよう。とりあえず彼我結。まずはそのよだれを拭け」
「あーあんがと……って、なんであんたがいんのよ!」
莉緒はティッシュを引き抜き口元に拭いて握り潰すように丸め、上体を起こしてからの時間差ツッコミをいれている。
ギャル化してはいるが、根っこの部分は変わらないものなんだな。この謎のハイテンションな言動は間違いなく、俺の知っている彼我結莉緒だ。
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