(7)
「オフェーリア・イースデイル!」
名前を呼ぶと、美しいあの子が振り返った。だが見た目に反して心は醜いことを、その醜さでわたしが愛した女性を傷付けたことを、わたしは知っている。だから。
「貴様の目に余る悪行の数々を許すわけにはいかない!」
わたしはかつて好きだった女性を、この手で断罪するのだ。
「よって今日、この時をもち、オズワルド・シリル・フロックハートは貴様との婚約破棄を宣言する!」
沢山の子息達が集まるこの夜会で、オフィーリアの化けの皮を剥がしてやる。
────そう思っていたのに。
オフィーリアは真っ向から、ニィナの話を否定したのだった。
たとえばニィナがオフィーリアに名前を呼んで貰えないと泣いていた件。これはニィナが挨拶をしていなかっただけだと言うのだ。
この世界における初対面の挨拶は、目上の者に声を掛けられた時にようやくできるものだとされている。つまり、声を掛けられない限りは挨拶などしてはいけないのだ。実に面倒臭い仕来りだが、それはこの際置いておこう。問題はオフィーリアの主張である。
何やら口上を垂れていたが、簡潔にまとめると「ニィナに声を掛けられたところ、この挨拶をされなかった。だからそもそも名前を知らない」ということらしい。
それに加え、「これだから貴族は」だとか「身分や権力なんかに屈しない」だとか、ニィナが暴言を吐いたとまで言ったのだ。心優しいニィナがそのようなことをするはずないだろうに、まったく忌々しい。
他にも、令嬢が集う茶会にニィナを招待しなかったのは、品もない無礼な者を自宅へ招きたくなかったから────わたしに近付くなとも言ったのは、婚約者がいるのに二人きりで過ごすなどあってはならないことだから────そうやって平然と返すのだ。
あまりにも言葉巧みに話すので、的を射ているように聞こえてくるのがまた癪に障る。これではオフィーリア側につく者も出てくるだろう。さて、どうしたものか。
考えあぐねていると、今度はニィナが何人もの令息と逢い引きしていると宣ったではないか。そんなことは初耳だったが故に焦ったが、よくよく聞いてみれば全員、ただの仲がいい友人だという。
「それにあたしが愛しているのはただ一人……オズワルドさまだけですから!」
まぁそのお陰でニィナの言葉が聞けたから、この件に関しては良しとしようか。だが、オフィーリアの悪行はまだまだある。ニィナのドレスを汚した件だ。
今回はわたしがドレスを贈ったことでなんとかなったが、それが間に合わければニィナはこの夜会には参加ができなかったのだ。それに元々のドレスだって、ニィナの両親が身銭を切ってプレゼントした、彼女にとっては宝物とも言えるほど大切なものである。そんな大切なドレスに手を付けるなど、許されてはならないことだ。
何故ドレスを汚したのかと問い詰めれば、どうしてそんなことをしなければならないのかと、オフィーリアは涼しい顔で答えた。あくまでも真意をはぐらかすつもりか。聞いて呆れる。
そのあとは「あなたと違ってドレスの持ち合わせなど沢山あるし、いつも周りの令嬢が気を遣ってくれるから、わたくしは好きな時に好きなドレスを着ることができる」と金持ちマウントが始まったかと思えば、「あなたがどんなドレスを着ようがわたくしには影響がないし、そもそも興味もない。なのに何故わざわざあなたのドレスを汚す必要があるのか?」という屁理屈に着地した。……そんなもの、ちっとも答えになっていないじゃないか。
反論しようと口を開きかけたわたしの耳に、クスクスと嘲笑するような声が聞こえてくる。……なるほど、よく分かったよ。これがニィナの言っていた平民差別なのだな。
わたしは今世でこそ王族だが、前世はごく普通の学生だったのだ。考え方が平民寄りであるのは自覚していたが、ここまで周囲の貴族令息、貴族令嬢と差があるとは思わなかった。
これは貴族の間で意識改革が必要だろう。この夜会が終わり、オフィーリアを断罪できた暁には、父上に相談するとしよう。
やがて話は進み、ニィナがバルコニーから突き落とされそうになったという、新たな事件が明かされた。わたしも聞いていなかった話だが、それはもう、嫌がらせの域を超えている! ただの殺人未遂ではないか!
慌てて本当なのかと問えば、「ごめんなさい」とニィナは眉を下げた。
「心配かけたくなくて、言えなかったの」
なんと言うことだ。怖い思いをしたというのに、ニィナはこんなにもわたしを気遣ってくれる。なんて優しい子なのだろう。それに比べてオフィーリアは。
「それで? それはいつのことですの?」
わたしがニィナに寄り添うのが気に入らないのか、つまらなそうに口を尖らせて訊ねてくる。
「魔法省から特別講師の先生がいらした日です!」
ニィナはそんなオフィーリアの態度に負けず、堂々とした声でそう告げた。
「あたしをバルコニーに呼び出して、『少し先生に褒められたからと言って調子に乗るな』って、突き落とそうとしたじゃないですか!」
その途端、オフィーリアの口元がゆるり、と弧を描いた。
「わたくし、その日は学園はおろか、王都にすらおりませんの」
隣でニィナが息を呑んだのが分かった。
続けてオフィーリアは、その日は叔父君であるクリフトン辺境伯の屋敷にいたと主張した。父君、母君、兄君と共にクリフトン辺境伯の誕生パーティーに出席していたらしい。
クリフトン辺境伯はアルテニタ国でも最西端、隣国との境目に領地を構える辺境伯だ。王都とは距離があるため、いくら早馬を飛ばしたとしても移動には一日、少なくとも半日はかかるだろう。だが、オフィーリアであれば。
「ねぇ、その場にいない人間がどうやってあなたを突き落すと言うのか、無知なわたくしに教えてくださる?」
「貴様は魔力だけは膨大にあるからな。転移魔法を使ったのであろう?」
勝ち誇ったように笑うオフィーリアに、わたしはそう言ってやった。オフィーリアの顔が固まる。
……ふん、図星か? 今度はわたしが笑う番だった。
転移魔法はどの属性にも属さない、無属性魔法に分類される。無属性魔法は本来、どんな属性の者でも使うことができるのだ。
そうは言っても転移魔法ともなると、その難易度は最上級である。一度発動するだけでとてつもない量の魔力を必要とするが故に、転移魔法が使える魔力持ちなんてのは、アルテニタ国中を探してもほんのひと握りだろう。
だが、腹立たしいことにオフィーリアには膨大な魔力量が備わっている。わたしの推測では、それこそ転移魔法が使える程度にはあるはずなのだ。
そうともなれば、辺境伯の領地にいて、誕生パーティーに出席していたというアリバイは、あってもないようなものだ。
「確かにわたくしの魔力ならば、わたくし一人分くらいの転移魔法も……或いは可能かもしれませんけれど」
意外にも、オフィーリアはそう言ってみせた。また屁理屈を述べると思っていたぶん、拍子抜けだ。だが、認めると言うのなら話が早い。
「やはり貴様は────」
「そうですか……わたくしが誕生祭の参列という大切な務めを放棄してまで嫌がらせに精を出していた、と。オズワルドさまはそう仰るのですね」
それはあまりにも冷たい声色だった。
思わずぎょっとしてたじろぐと、声色と同じくらいに冷ややかな瞳で、オフィーリアはわたしを見据えていた。
「呆れて物も言えないのですが、一応お聞きしますと、動機はなんだと仰るの?」
冷たい声色のまま、オフィーリアが質問を投げかける。それに関しては察しはついているが……この場で言っていいのか、オフィーリア。
お前が嫉妬深く醜い女だと、貴族社会全体に公表するようなものだぞ? そうすれば新たな婚約ができにくくなる……いや、そのためにわたしはこの断罪劇を始めたのだったな。いいだろう、望み通り、答えてやる。
「大方、わたしの愛を受けるニィナへの嫉妬であろう?」
王太子の婚約者という立場、それから己の強すぎる魔力に酔いしれた結果、弱き者を虐め抜いたような者を、わたしが愛するわけがないだろう。そんなことも分からないような者に、王妃殿下などという大役が務まるはずがない。
「オフィーリアさま! あなたの愛するオズワルドさまを奪ってしまった、あたしの罪は認めます!」
よほどオフィーリアが怖いのか震えながら、それでも力強く、ニィナは声を上げた。その瞳には綺麗な涙が浮かんでいた。
わたしに愛されたことを罪だと言う健気な姿に、わたしまで泣きそうになってしまう。そんなことはないと言う代わりに、わたしはニィナの肩を強く抱いた。
「でも、だからって殺そうとするなんてあんまりです! そんなことをしても、オズワルドさまの愛は手に入らないんですよ! あなたもあなたの罪を素直に認めてください!」
オフィーリアは俯いている。二人がかりでここまで言われれば、さすがに負けを認めざるを得ないだろう。さぁ、さっさと婚約破棄を認めさせてしまおう。
そしてまっさらになったら、ニィナにプロポーズするのだ。そうすれば、ニィナはわたしの新たな婚約者となり、王宮で王妃教育を受けることだってできる。
今回の目的はオフィーリアを断罪し、皆の前で婚約破棄をするだけだったが、彼女は未来の王妃殿下に対し、殺人未遂を行っているのだ。ただでは済まないだろう。
だが、一度は婚約者だった身だ。わたしにも情くらいはある。助命嘆願すれば恐らく、処刑まではされないだろう。だから。
「ふふふ……あはははははは! 面白いことを仰るのね!」
オフィーリアが笑い転げるのは予想外だった。
「どうやら勘違いをなさっているようなので単刀直入に申し上げますが」
固まるわたし達の前で、おかしくてたまらないといった表情を浮かべたオフィーリアは。
「わたくしはオズワルドさまからの寵愛を欲したことはございませんし、そもそもオズワルドさまをお慕いしてなどおりませんわ」
────そんな爆弾発言を投下した。