(6)
最近、ニィナの様子がおかしい。
どこか上の空で、元気がないように見える。どうしたのかと訊ねてみると「なんでもないです」とはぐらかされるのだ。だがその表情は明らかに強ばっていて、何かあったのは明白だった。
ニィナは大丈夫だと言うが、やはり心配してしまう。大きなお世話だろうかと思いつつ、わたしは取り巻き……いや失敬、友人達に頼み込み、ニィナの身の回りを調べさせた。すると、ニィナが嫌がらせを受けているとの報告が挙がってきたのである。これはさすがにいただけない。
それとなしにニィナに話を振ってみると、ニィナはわぁっと泣き出してしまった。どうやら嫌がらせの件は真実らしい。
わたしは知らなかったのだが、平民である彼女が学園内にいることに対し、嫌味のようなことを言ってくる連中自体は、入学当初には既に居たそうだ。
それが最近になって、嫌味を遥かに超えた嘲笑の言葉に変わった挙句、教科書が破かれていたり、私物を隠されたり、すれ違いざまに飲み物をかけられたりと、明確な悪意を感じる出来事が増えたのだと言う。
「心当たりはあるのか?」
ニィナを慰めながらもそう質問すると、途端にニィナは言い淀んだ。いいづらいことなのだろうか。
「わたしはニィナの味方だ」
安心させるように、わたしはわたしのより一回りほど小さなニィナの手を握る。ニィナは薄く笑ったあと、消え入りそうな声で呟いた。
「あたしって……やっぱりオフィーリアさまに嫌われてるんでしょうか?」
「オフィーリアに?」
身近な者の名前が挙がったことに驚いて聞き返す。何故そこでオフィーリアの名がと思案し、わたしは一つの結論に至った。
「まさか……その嫌がらせはオフィーリアの仕業なのか!?」
「……」
ニィナは答えなかった。ただ、唇をきゅっと噛み締めるその表情が答えを物語っていた。
「そうか……何故オフィーリアはそのようなことを」
「オフィーリアさまは多分、怒ってるんです。あたしが平民の分際で、オズワルドさまの寵愛を受けているから……。オフィーリアさまが受けるはずだったのに、あたしが奪っちゃったから……」
ニィナはそうやって自分を卑下する。しかし、それなら責められるべきは婚約者がいながらもニィナを愛してしまったわたしであって、愛を受けるニィナではないはずだ。
まぁ確かに、『女は浮気した男ではなく、浮気相手の女を恨む』みたいな話は前世で聞いたことがあったが……つまりそういうことなのか? 全てにおいて完璧なあのオフィーリアが、嫉妬に駆られてニィナに嫌がらせをしたと?
オフィーリアでも嫉妬なんてするんだな、と少し安心してしまった。しかし、だからと言って人を傷付けていいわけではないのだ。
正直に言えば、そこまで嫉妬してくれるのはわたしとしても嫌な気はしない。だか、それとこれとは話が別である。オフィーリアの仕業だと言うのなら、なんとかしてやめさせなければ。
……いや、待てよ? これはもしかして、チャンスではないか?
オフィーリアとの婚約話は父上が持ってきたものだ。いくら王太子が嫌だとごねたところで、国王陛下の命令はそう簡単は覆らないだろう。が、オフィーリア側を有責にすればどうだ?
本来は守るべき平民を、オフィーリアは虐めているのだ。そのような者が未来の国母に相応しいはずがない。それを理由にすれば、オフィーリアに全て責任を負わせる形で婚約破棄に持ち込めるのではないか?
希少な聖属性持ちとして崇められていようと、そのような悪しき存在は父上だって許さないだろう。……ふむ、我ながらなかなかにいい案ではないか。
しかし、これはオフィーリアにはバレないよう、迅速かつ内密に動いた方がいい。
頭の切れるオフィーリアのことだ。わたしが情報収集をしていることに気付けば、「何も喋るな」と周囲に箝口令を敷く可能性が出てくる。公爵家の権力を持ってすれば、その程度の恐喝・根回しは容易いだろう。そうなる前に、なんとしてでも情報を集めなければ。
「必ず助けるから、安心して欲しい」
そうニィナに告げると、彼女は照れたようにはにかんだ。
「嬉しいです、オズワルドさま」
わたしの胸にその身を委ね、小さく震えながら泣くニィナを見て、愛しいこの子のことを守りきってみせると強く誓ったのだった。
△△△
取り急ぎ調べてみると、オフィーリアの悪行は次から次へと出てきた。
その内の一つは、オフィーリアを含めた令嬢達がニィナを取り囲み、なじっていたというものだった。
目撃者はニィナの友人を名乗る男子生徒。彼によると、オフィーリア達は寄って集ってニィナの態度や品性が悪いと指摘し、「平民のくせに烏滸がましい」「殿方と仲良くするな」と責め立てていたらしい。
人数的にあまりにも分が悪そうであったため、ニィナの助太刀に入ったのだが、オフィーリアに「あぁ、あなたはこの方の〝友人〟でいらっしゃいましたか」とやたら含みのある言い方をされ、挙句に「わたくし達はただ、婚約者が居る殿方と密会するのはよろしくないと、この方にお教えしただけですわ」と流されてしまった、と彼は言う。
また反論しようと口を開いたところ、オフィーリアの取り巻きの一人が「単なる〝友人〟のあなたにはまったく関係ありませんの」などと言って押し返されてしまったため、それ以上のことは分からないようだった。
彼もオフィーリア達の言動はよっぽど腹に据えかねたらしく、もしオフィーリア達を罰するのであれば是非とも協力させてくれと息巻いていた。
他にも、定期的に開催している茶会にニィナだけを誘わなかっただとか、「オズワルドさまには近付くな」と言っただとか、ニィナの名前を一切呼ばないだとか、悪い噂ばかりがどんどんと流れてくる。
公爵家の令嬢らしくお淑やかに微笑んでいたあの姿は、ただの猫被りだっただろう。美しく気高く、いつなる時も完璧な才女だと思っていたオフィーリアの本性は、心が醜く意地悪だった。つまり、ヒロインではなかったのだ。
ならばわたしのヒロインはもう、ニィナしかいない。
嫌がらせの話を聞いて以来、なるべくニィナと共にいるようにしているのだが、性別はおろか学年が違うため、常に一緒に居られるわけではない。特に令嬢同士の集まりには、男のわたしは参加できないのだ。
オフィーリアはこうしたわたしが居ない僅かな時間に、ニィナを虐めているようだった。
「オフィーリアさまにオズワルドさまとのお時間を奪ってしまってすみませんって謝ったんですけど、あら自覚がおありでしたの、って鼻で笑われました……!」
「あたしとオズワルドさまと一緒に歩いているところをオフィーリアさまが見たらしくて……、あたし達のことをはしたないって言ったんです!」
「ことあるごとにあたしの立ち振る舞いがなってない、このままではあなたが恥をかくだけよ、って圧力をかけてくるんです! それってあたしが恥ずかしい人間って意味ですよね? うぅ、酷いです……」
「オフィーリアさまって、あなたの態度には皆様苦言を呈されてますのよ、みたいに、まるで周りの人達がそう言ってたような言い方をするんです! あたしが嫌いならそんな遠回しにしないで、はっきりそう言ってくれればいいのに……」
オフィーリアに嫌味を言われては、ニィナはわたしの傍でしくしくと泣くのだ。わたしは額に青筋が浮かぶのを感じていた。
勿論、その大半はオフィーリアに対する怒りだったが、ここまであからさま嫌がらせがあったのに、今までこれっぽっちも気付いていなかった自分自身の不甲斐なさも混じっていた。
わたしがもっと早くに異変に気付いていれば、ニィナが悲しい思いをすることもなかっただろうに。……いや、今更嘆いたところで状況が良くなるわけではないのだ。とにかく今は証拠を集めを徹底するとして、その後はどうしようか。
オフィーリアの悪事が揉み消されることなく、大勢の人間に知らしめるためには。
そこまで考えて、一つ思い当たることがあった。夜会である。
トストリア王都魔法学園では学期末になると、全生徒が集まる、大規模な夜会が開かれるのだ。とは言っても、そこはあくまでも学園イベント。夜会とは名ばかりの立食パーティーのようなものだ。
社交界のようにしっかりとしたマナーもなければ、教師や親の干渉もない。前世で言うなら学園祭が一番近いかもしれないと思えるくらい、非常にラフなパーティーである。そんな気楽な夜会なのだ、会場に集まるのはトストリア王都魔法学園の生徒と、パーティーを取り仕切りる者達、そして警備兵くらいになる。つまり。
ほんの少し騒ぎを起こしたとしても、収拾まで時間がかかるということだ。
加えて全生徒が参加するだけあって、当日はかなりの人数が会場内に集まっているだろう。そこでオフィーリアの悪行を晒しあげるのだ。
傍聴人はトストリア王都魔法学園の生徒全員である。言い訳を述べれば述べるほど、その場にいる者達……いや、生徒は親に話すだろうし、そうなれば社交界全体に醜態を晒すことになるわけだ。さすがのオフィーリアも言い逃れできまい。
そうなった時、きっとその醜態は父上や母上の元に届く。そうしたら再びわたしの出番だ。「身分で差別し、虐めをするような卑しい者が、わたしの婚約者でいいわけがない」も進言するのである。そして進言が通った暁には、新たな婚約者にニィナを推薦するのだ。
元々父上は民の好感度を上げるために、ニィナが王宮専属の治癒士になることを望んでいたくらいなのだ。驚きはしても、すんなりとニィナを迎え入れてくれるだろう。
そうして夜会に向けて準備を進めていた矢先、事件が起こった。
ニィナのドレスが汚されたのである。
夜会で糾弾しようとしていることが漏れたのだろうか。いや、秘密裏に動いていたのでそれは無いはずだ。恐らくだがドレスさえ無ければ、ニィナは今回の夜会に出席できないだろうと踏んだ結果だろう。ニィナを除け者にしようという魂胆が見えて腹が立つ。
実際、平民のニィナはドレスを一着しか持ち合わせていなかったのだ。
「入学のお祝いにって、両親が頑張って買ってくれたドレスだったのに……!」
悲しそうに言うニィナを哀れに思ったわたしは、ドレスをプレゼントすることにした。王族御用達の職人に連絡を取り、早急にドレスを作らせる。
仕上がったのはわたしの瞳と同じ、深い青色をしたドレスだった。ついでに王家の紋様である薔薇の刺繍も施して貰ってある。これを見ればどんな馬鹿でも、王族が、それもわたしが贈ったドレスだとすぐに分かるだろう。無論、これにはわたしの心が既にニィナにあるという、周囲へのアピールも含まれている。
誰かにドレスを贈ったのは初めてだったので、正直不安だったのだが、ニィナに着て貰ったところ、思った以上に似合っていて嬉しくなる。その言葉を聞いたニィナは、「へぇ……オズワルドさま、ドレスを贈るの初めてなんだぁ……! そうなんだぁ……!」と、それはそれは嬉しそうに笑っていた。可愛いものである。
さて、無事にドレスも贈れたとなれば、あとはオフィーリアを糾弾するだけだ。いつだって涼しい顔をしていたオフィーリアの表情を屈辱に染めることができると、少し楽しみにしているわたしがいた。
そして、運命の日がやって来た。