(5)
それから数年が経ち、トストリア王都魔法学園に入学する頃には、オフィーリアとの差は如実になっていた。
貴重な聖属性と膨大な器を持つオフィーリアと、平凡な魔力しかないわたし。ただでさえ差があると言うのに、オフィーリアは天才だった。
魔法の才能だけでなく、学業でも、わたしはオフィーリアに勝てなかったのだ。地頭も要領も良いオフィーリアは、わたしとは違って、様々な功績を残していく。成績は常にトップクラスで、諸外国の言語やマナーもすぐにマスターして……父上や母上もそんなオフィーリアを良く褒めていて。
────そう。オフィーリアはどこをとっても完璧な、本当に凄い少女だった。
そうなるとここでも聞こえてくる、「さすがは王太子さまの婚約者だ」という言葉。それがまたわたしを焦らせた。
勿論、オフィーリアが努力していることは分かっていた。それこそ〝王太子の婚約者〟であるせいで、しなければならないことが増え、そのぶん自由が奪われることもあっただろう。でもオフィーリアは泣き言ひとつ言わない。
なんでもないことのように軽々と物事をこなし、いつだって涼しい顔をしているのだ。
凡才のわたしがどんなに頑張ったところで、オフィーリアには勝てないことなど、分かりきっているのに。
羨ましかった。妬ましかった。
そうしている間にも、オフィーリアはめきめきと力を付けていく。様々な者達から慕われていく。わたしは王家始まって以来の劣等生だと、後ろ指をさされているのに。
こんな面白くない転生ってあるか? 劣等感に苛まれるだけで、チートも無双もありはしない。
寧ろオフィーリアとエリオット、比較される対象がすぐ近くに二人もいるせいで、前世よりよっぽどつまらない人生だ。こんなことなら、転生なんてしたくなかった。『僕』はただ、前世の色々なしがらみを捨てて、楽しく生きたかっただけなのに。
そうして時は流れ、わたしが二学年になった頃────わたしはニィナに出会った。
ニィナは山間の田舎町・リネノーゼに住む農民の一人娘だった。友人達と町外れにある森に出掛け、魔物に襲われたことをきっかけに魔法が発動したらしい。
魔力は基本的には貴族にしか宿らないが、例外もある。ニィナの場合もこの例外にあたり、平民の身分で魔力が宿った、非常に珍しい事例だった。
教会が〝鑑定〟を義務づけているのは、貴族籍の子供だけだ。なにぶん〝鑑定〟できる人間は限られているため、高確率で魔力のない平民にまで手が回らないのだ。そのため、ニィナのようにある日突然魔法が発動して、ようやく自らが魔力持ちだと知ることになった平民というのは、アルテニタ王国の長い歴史の中でも何度か確認されている。
魔力持ちだと分かった彼らは、貴族の子供達と同じようにトストリア王都魔法学園で通うことが義務付けられるのだ。そしてそこで魔法を学び、卒業後は魔法省や教会、騎士団など、それぞれの属性を活かした職に就いて、皆王都で働いていると、父上が言っていた。
そのように〝平民の魔力持ち〟自体は、珍しいことではあるもののまったく無いわけでもない────という認識、らしい。だがニィナが騒がせていたのはそちらではなく、属性の方だったのだ。何故ならニィナは光属性だったから。
日本のゲームでも良く出てくるこの光属性だが、唯一回復魔法が使える属性とだけあって、こちらの世界では重宝されている。
医療技術が発展していないこの世界において、回復魔法の使い手は言わば医師のようなもの。つまり、どんな場所にとっても必ず一人は欲しい人材だった。
そしてそれは、父上も同じであり────平民出身の彼女を、王宮専属の治癒士に迎え入れようとしていたのだ。そうすれば民からの支持が厚くなるだろうとの、下心があってのことだった。
かくして父上はわたしに、ニィナを目にかけるようにと言いつけたのである。
いざ話してみると、ニィナは素朴で可愛らしい少女だった。
王族暮らしが板についてきたとは言え、わたしも前世ではごく普通の庶民だったのだ。話が合うのも当然だったのかもしれない。
世間の汚さをしらない純粋なニィナと話していると、心が洗われるような心地良さがあった。わたしは周囲の人間の野心だとか、陰湿さだとかに嫌気がさしていたから────そういう黒いものをまったく感じさせないニィナに、自然と惹かれていったのだ。
「オズワルドさまは十分頑張ってますよ」
その一言で舞い上がってしまったくらい、わたしは他人から評価されることに、そして愛情に飢えていた。
そのあともニィナはいつだって、わたしが欲しい言葉をくれた。
「周りと比べられることも、それに嫉妬しちゃうことも、どっちも同じくらいつらいですよね」
「褒めて貰えないんですか? ならわたしがたくさん褒めてあげますよ! オズワルドさまはえらい!」
「いくらお父さんだからって、陛下の命令を聞くばかりの人生なんておかしいです!」
「あたしにオズワルドさまの本心を教えてください!」
ニィナを好きになるのに、そう時間はかからなかった。ニィナと過ごす日々が増えていくのに反比例して、オフィーリアと関わることは減っていった。
オフィーリアに苦言を呈されたこともあったし、彼女には悪いと思っていた。だがそれでも、わたしはニィナといることを選んだのだ。
ニィナと共に過ごす時だけは王太子という立場であることを忘れ、心穏やかに過ごせたから。
△△△
「あたしの家……きょうだいは多いし貧乏だしで、自分の部屋が無かったんです」
ある日、ニィナはポツリとそんなことを漏らした。
ニィナが家族のことを話す時は、いつだって楽しそうにしていた。だがその時のニィナはほんの少し、寂しそうにしていたのだ。いつもとは違う表情が気になって、でも聞くに聞けなくて。
「自分の部屋が無いのは……確かにつらいかもしれないな」
わたしは無難にそんな相槌を打って、ニィナの次の言葉を待つ。
「あ、きょうだいはみんな、すごく可愛いんですよ。お父さんとお母さんのことも大好きですし!」
そんな雰囲気を察したのか、ニィナは取り繕ったように笑った。だがそのあとにすぐ、「でも」と再び顔を曇らせる。
「あたしにだって一人になりたい時はあるんです。それに、あたしは一番上のお姉ちゃんだから、我慢しなきゃいけないことも多いんですよ。可愛い服やアクセサリーが欲しくても、あたしより幼い妹が同じ物をねだったら、譲ってあげるしかないじゃないですか。だからときどき、お姉ちゃんでいることが嫌になっちゃうって言うか……」
それは初めて聞く、ニィナの弱音だった。こういう時、どうやって慰めるのが正解なのだろう。ニィナがいつもしてくれているみたいに、わたしもニィナが望んでいる言葉をかけてあげたかった。
けれど上手い言葉が見つからず、わたしは「そうか」とだけ呟いて、ニィナの肩を抱いた。
「……あは、オズワルドさまはお優しいですね」
そう言って、ニィナはどこか悲しそうに微笑む。
「だからあたし、勘違いしちゃいそうになるんです。このままずっと、オズワルドさまと一緒にいられるんじゃないかって」
そんなはずないのに、と呟いたニィナの肩は震えていた。 ……あぁそうか、ニィナが望んでいる言葉は。それに気付いたのと同時に愛しい気持ちが溢れ出して。
気が付けばわたしは、ニィナにキスをしていた。
「……キス、しちゃいましたね」
わたしが唇を離すと、ニィナは恥ずかしそうに俯いた。あまりの可愛らしいさに、心の奥が擽られる。
「ニィナ、こっちを向いてくれ」
「嫌です! じゃなくて、ダメです!」
拒否されてしまった。どうしてかと問えば、「今のあたし、すごくだらしない顔をしちゃってると思うのでっ!」と返される。……あぁ、ニィナ。君って子は本当に。
「……ニィナ」
「うぅ……なんですか?」
「わたしと結婚してくれないか」
「えぇ!?」
わたしがそれを告げた瞬間、ニィナは弾かれたようにこちらを向いた。
「やっとこちらを向いてくれた」
「そ、そりゃあ向きますよ! だって、い、今……!」
ぶわっとニィナの顔が朱色に染まる。やっと理解が追いついたらしい。
「確かに華やかな王宮暮らしは憧れますし、オズワルドさまのことも大好きですけどっ!」
それでもまだ混乱しているのか、ニィナは何やら嬉しいことを口走ってくれる。
「でも……でも!」
「でも?」
「オズワルドさまにはオフィーリアさまがいるじゃないですか!」
そうだ、とわたしは心の中で呟いた。わたしには既に婚約者が、オフィーリアという決められた相手がいるのだ。わたしとて、その存在を忘れていたわけではない。しかし、それでも。
「わたしが愛しているのはニィナだけだよ」
わたしはそう囁いた。再びニィナの顔は真っ赤になる。
「オフィーリアは父上が勝手に決めた婚約者だからな……真実の愛じゃないんだ」
「そ、そうなんですか……?」
ニィナが戸惑っているのが見て取れた。親が結婚式相手を決めるというシステムが、彼女には理解できないのだろう。
平民の間では恋愛結婚が常識だと聞いたことがある。だが王族や貴族にとっての結婚は政略的な意味が強く、親が相手を見繕うものなのだ。しかしわたし自身、親に結婚相手を決められてしまうことに懐疑的だった。
王族であろうと貴族であろうと、親が決めた好きでもない相手と結婚するより、本当に好きになった相手と結婚する方が幸せになるのは間違いないだろう。無論、それを良しとする親は早々いないだろうが────幸いにしてわたしは王太子だ。先駆者としては十分過ぎる人材だろう。
「オフィーリアのことはなんとかしてみせよう。それまで少し待たせることにはなるが……」
わたしはそこで言葉を切ると、ニィナを真正面から見据えた。綺麗な緑色の瞳が、同じようにわたしを見つめている。
「もう一度言おう。ニィナ、わたしと結婚して欲しい」
「……、はいっ!」
ぱっと顔を輝かせたニィナが抱きついて来る。わたしはそれを受け止めつつ、幸せを噛み締めていた。