(4)
彼女と会うのは二度目だった。
あの日以来、どうしても無気力になりがちだったわたしの目の前に、〝鑑定〟の場で聖属性の魔力持ちとして目立っていたあの子が立っていた。
「お初にお目にかかります、殿下。わたくし、イースデイル公爵が娘、オフィーリアと申し上げます」
父上に促され、あの子がわたしに挨拶をしてくれる。どうして彼女がここにいるのだろう。
「お前の婚約者だ」
戸惑うわたしを見て、父上がそんなことを言う。は? 婚約者?
「お前ももうすぐ十三歳になるからな。婚約者も必要であろう?」
魔法学園に通う前に見繕わなくてはと思ってな、と父上はさも当然のように告げた。王族である以上、恋愛結婚は望めないだろうとは思っていたものの……こうも突然決められるものだとは予想していなかった。しかも、その相手があの聖属性の少女だなんて。
いやいやいや、普通に嬉しいが!?
もしや、ようやくわたしの『物語』はチート系や無双系ではなく、ラブコメだということか!?
「……そうでしたか」
心の中で暴れ回る『僕』を抑えつつ、『わたし』はなるべく格好良く見えるように微笑んでみせる。わたしはわたし自身が美少年だと知っているからな。とんだ自己陶酔者だと言われそうだが、使える武器は使っていかないと。
「わたしはオズワルド。オズワルド・シリル・フロックハートだ。よろしく頼む、オフィーリア嬢」
しかしわたしの武器が効かなかったのか、オフィーリア嬢は「オフィーリアでよろしいですわ、殿下」とお手本のような営業スマイルを浮かべてみせた。むぅ、なかなか手強いな……だかそんなことでへこたれるわたしではないぞ。
両家両親の「あとは当人達同士でお話したら?」というありきたりな気遣いによって彼女と中庭を歩くことになったので、そこでも格好付けることを忘れない。
「素敵な薔薇園ですわね」
「庭師達にオフィーリアが褒めてくれたと伝えておこう。……しかしオフィーリアと並ぶと、いくら美しい薔薇も見劣りしてしまうな」
「まぁ! 殿下ったらお上手ですわね」
「そちらに段差があるぞ。……お手をどうぞ、プリンセス」
「ふふ、ありがとうございます」
……効いてるのか、これ?
歯の浮くような台詞やキザな仕草を並べてみたものの、オフィーリアは慣れているのか、どうにも流されている気がする。まぁいいか。婚約したとは言え、正式に結婚するまではまだまだ時間がある。
その間にゆっくりと親睦を深めていけたらと思う。オフィーリアがヒロインならば、主人公のわたしに惚れるのは時間の問題だろうしな。
オフィーリアが帰ったあと、父上から直々に話をされた。彼女をわたしの婚約者にあてがった理由についてだった。
わたしにとってはどうでもいいことだが、そもそも公爵と王族とでは決定的に身分が違う。ましてや王太子ともなれば他国の姫君を妃に迎えるのが常識であり、自国の公爵家から娶るなど、前代未聞にも程があるらしい。
だが、膨大かつ希少な魔力を抱えているオフィーリアをどうしても国の中枢に置いておきたい父上達は、彼女に〝王太子の婚約者〟という立場を与えることにしたのだ。そうすることで、オフィーリアを引き込もうする輩を退けようとしたのである。
また、将来的にアルテニタ国の王妃になることが約束されたことで、オフィーリアが諸外国へと渡る可能性もほぼゼロになった。オフィーリアほどの貴重な人材を周囲は放ってはおかないだろうし、国外へ渡して戦力にでもされたら適わないと、父上なりに計算した結果だそうである。
そうなれば早いうちに話を進めたかったのも納得だ。打算的な婚約だが、いかにも父上が考えそうなことだな、というのが感想だった。
しかしまぁ、何はともあれ、オフィーリアがわたしの婚約者になったことは間違いない。あんなにも可愛い婚約者とラブコメできるなら、チートや無双は諦めてもいいかなぁとわたしは思わず笑みを零した。
────が、オフィーリアの優秀さは、わたしの予想を遥かに凌ぐものだったのだ。
突然だが、この世界には魔物が存在している。
数百年前、なんの前触れもなく現れた魔物達は、時にそれぞれの厄介な特性によって、また時には人や家畜を襲い食らって────今も尚我々の生活を脅かし続けているのだ。
また、魔物に関してはあまり研究が進んでおらず、どうやら瘴気と呼ばれる澱みから生まれていること、アルテニタ国の北にある〝澱みの森〟が怪しいことくらいしか分かっていない。
その理由は簡単だ。まず第一に、瘴気の発生が非常に気まぐれであることが挙げられる。いつどこで発生し、どれほどで消えるのか、まったく予測できないのだ。ただ前触れは一応あるようで、瘴気が発生しそうだとの情報が出ると、すぐさま騎士団を向かわせて魔物の出現に備えるという、なんとも効率の悪い方法をとっているらしい。
第二の理由は、人が瘴気がにあたり続けていると体調を崩すからである。怪しいとされる〝澱みの森〟付近は常に濃い瘴気で溢れていて、故に長時間の調査が難しいようだ。研究が遅れているのも仕方がないだろう。
魔物退治で無双してみたいと思っていた時期もあったが、わたしの魔力の云々以前に、なかなか面倒臭そうだと思う。さて、何故魔物の話が出たかと言うと。
「オフィーリア! 大丈夫か!?」
オフィーリアがその魔物に襲われ、怪我をしたとの一報が入ったからである。慌ててイースデイル公爵に向かったわたしが見たものは────。
「ご足労をおかけ致しまして申し訳ありません、オズワルドさま。ですがわたくしはこの通り、元気ですの」
ピンピンしているオフィーリアだった。
「怪我と言うのは……」
「ただのかすり傷ですわ」
ほら、とオフィーリアは服の袖を捲る。その腕には包帯が巻かれていたが、オフィーリアによれば「これだって大袈裟ですのよ」とのことだ。
しかしまぁ、公爵家の令嬢が怪我をしたともなれば大騒ぎにもなるだろう。それこそ、物理的に首を切られる人物が出てきてもなんらおかしくはない。例えそれが回復魔法すらいらないような、小さなかすり傷だったとしても、だ。
「大きな怪我でないのなら良かったが……何があったのだ?」
ホッと胸を撫で下ろしながらも訊ねると、「お父さまが領地の視察に行くと仰るので同行したのですが」とオフィーリアは困ったような顔をした。
「その道中で、メロミンドが馬車を襲ってきまして……わたくしが咄嗟に放った魔法で撃退したのです」
「は!? メロミンド!?」
思わず大声を出してしまった。
メロミンドとは、大きな角と鉤爪が特徴的な二足歩行の魔物である。その見た目は筋肉隆々で、大きな個体になると身長は2メートルをゆうに超える、らしい。
縄張りを侵食されるのを嫌い、鋭い鉤爪で切り裂こう突進してくる────そんな恐ろしい魔物だと聞いた。無論、王宮からほぼ出ずに引きこもりをしているわたしは、図鑑でその姿を拝んだだけで、実物は見たことが無い。だが、剣術の見学にと騎士団を訪れた際、王都の外れでメロミンドに襲われ、大怪我をした騎士が運ばれて来たのを目撃したことはあった。
胸から腹に掛けて鉤爪で切り裂かれ、流れ出る血で真っ赤に染まったその人物を見て、わたしの方が卒倒したのを覚えている。
すぐに仲間が駆け付けたこと、回復魔法が間に合ったこと、それから受けた傷が急所から外れていたこと────様々な幸運が重なったお陰で彼は助かったのだが、話を聞いてみるとメロミンドの突進によって剣が吹き飛ばされ、その衝撃で腕は骨折し、続け様にやってきた鉤爪の攻撃を避け切ることができなかったそうなのだ。
そのように鍛え抜いた成人男性でさえ圧倒されるメロミンドを、オフィーリアはたった一人で、しかも十三歳にして倒してしまったことになる。……凄すぎる。わたしにはそのような芸当、到底できないだろう。
もしかしてこの『物語』のタイトルは、『わたしの婚約者が強すぎる』とかなのだろうか。まぁ主人公よりもヒロインが強い話はいくらでもあったし、ありえないことでもない……と思う。
「このかすり傷はメロミンドの襲撃によって馬車が揺れた際、窓枠に掠ってしまっただけですの」
しかもメロミンドと直接関係の無い怪我だった。と言うことは、無傷でメロミンドを撃退したことになる。本当によく無事だったな。さすがは膨大な魔力を持つ聖属性、と言うべきなのだろうか。羨ましいな、と思う。わたしにも優れた魔力があれば良かったのに。
そう思ってしまった自分がなんだか居た堪れなくて、「オフィーリアもゆっくり休みたいだろうから」とそれらしい理由をつけて、わたしは早々にオフィーリアの元を後にした。
オフィーリアが一人で魔物を倒したという噂は、瞬く間に広まった。するとわたしに出会う度、大人達は口々に言うのだ。
「さすがは殿下の婚約者さまですな!」
「なんでも、殿下の婚約者殿は希代の魔力持ちだとか。是非ともお会いしたいものです!」
「オフィーリア嬢がいらっしゃれば、我が国も安泰ですね」
「いやぁ、殿下は素晴らしい婚約者をお持ちでいらっしゃる!」
「美しくで聡明で、尚且つ才能まであるとは! 凄いですね、殿下の婚約者さまは!」
そういった声を聞いていると、最近なりを潜めていた感情が蘇るのだ。
やめてくれ。オフィーリアばかりを褒めないでくれ。わたしは、オフィーリアまで嫌いになりたくない。
そう願っているのに、周囲の人間はわたしではなく、オフィーリアばかりを賞賛する。中にはわたしを通じてオフィーリアに繋がりを持とうとする者、探りを入れる者までいる始末である。そのたびに、あぁ王族のわたしよりもオフィーリアの方が価値が高いのだな、と苦しくなるのだ。
父上や母上はそんなわたしに努力が足りないと言う。そんなことはわたしが一番分かっている。努力を嫌い、楽な方へ楽な方へと逃げてきたのは他でもないわたしだ。
だが努力したところで魔力があがるわけではない、頭が良くなるわけでもない。結局わたしのような者は、オフィーリアのような才能がある者にも、エリオットのような秀才にも、何ひとつ勝つことなどできないのだ。
周囲の声はそうやって確実に、わたしの中に仄暗い影を落としていた。