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さて、前世を思い出したものの、今のわたしにできることは特に無い。
十五歳になればトストリア王都魔法学園に通うことができるのだが、それまでわたしは王宮にほぼ缶詰、そして勉強尽くしである。しかもその量が凄まじい。
アルテニタ国の歴史と地理、諸外国の言語、魔法学、算術、剣術、馬術、社交ダンス、テーブルマナーに挨拶のマナー、軍事学、法律学……。その他諸々、数えきれないくらいに沢山の授業があり、毎日休むことなくびっしりとそのカリキュラムが組まれているのだ。
わたしはまだ十二歳だぞ? いくらなんでも詰め込みすぎではないのか?
子供なら子供らしく、もっと遊んでいてもいいんじゃないか?
と、父上に勉強したくない旨をあくまで遠回しに伝えたのだが、あっさりと却下されてしまった。曰く、全て国王になるために必要なものらしい。
そうは言っても、わたしが次期国王であることは既に決定済みだ。今更、こんなにも苦労する必要はないはずである。
将来的にこの国で最も偉い人物になるんだし、もっとこう、気楽に生きられないのだろうか。わたしだって、国税を底上げして贅沢三昧したい、みたいな無茶は言わない。前世の世界には、そうやって革命が起きた国があったことをわたしは知っているから。
身を滅ぼすことに繋がりかねない我が儘に比べたら、勉強したくない程度は可愛いくらいだと思うのだが。
そんな不平はあるものの、やはり現国王である父上には逆らえない。まったく、こういうのは前世じゃ教育虐待とか、モラハラだとか言われているだろうに。
異世界モノというのは総じて、現代日本よりも遅れていることが殆どだったが、やはりこの世界もそうなのか。こういうところは本当にめんどくさいと思う。
……まぁ、いい。どうせいつかはわたしが国王になるのだ。その時まで暫しの我慢、ということだろう。
それに気に入らない講師、例えば無駄に厳しい奴や偉そうにしてくる奴を解雇する権利くらいはわたしにもある。わたしを甘やかし、過剰に評価してくれるような奴ばかり雇えば、勉強の時間もそこまで苦痛ではなくなるだろう。
幸いにして、わたしは第一王子だ。自らの出世のために、或いは高賃金目当てに────その理由は様々あるだろうが、わたしの教育係を務めたい者など、それこそ掃いて捨てるほど居る。わたしに雇われれば奴らの目的は達成できるだろうし、わたしは授業を適当にやり過ごせる。Win-Winの関係というのはこういうのを言うのだろう。
要するに、これはガチャみたいなものだ。〝当たり〟が来るまで講師を雇い、解雇し、また雇いを繰り返せばいい。それくらいなら父上も許してくれるだろう。ふふ、わたしは頭がいい。
さぁ、そうと決まれば早速動き出すとするか。とりあえずは一番厳しい、あのマナー講師を解雇してやろう。
△△△
「あにうえ」
緊張をはらんだ声がわたしを呼ぶ。振り返らなくても誰かは分かる。わたしをそう呼ぶのは一人しかいない。相手をするのは面倒だが、致し方ない。
溜め息まじりに振り返ると、エリオットが立っていた。二つほど歳の離れた、我が弟である。
「あにうえは、これから魔法のお稽古ですか?」
もじもじ。擬音にすればまさにそんな感じだろう。エリオットは照れ臭そうな顔でわたしを見つめている。
「……あぁそうだ」
一方でわたしは素っ気なく頷いた。
当初の作戦通り、緩い授業をする脳足りん講師ばかりを雇ったのだが、魔法学の講師だけは父上の推薦ともあり、そうはいかなかった。
奴は魔法省のエースとだけあって、周囲からの信頼が厚いらしい。勿論、実力があるのだって事実だろう。
しかし、奴は課題ばかりをわたしに押し付けるのだ。それも、今のわたしでは難しいものばかりである。
お陰でせっかく魔法が使える世界に転生したというのに、魔法が嫌いになりそうだった。
「お稽古が終わったら、その……わたしと一緒に遊んでくれませんか?」
これから始まるであろうスパルタ授業を思って憂いでいると、エリオットがそんなことを言い出す。私は即座に首を横へ振った。
「断る」
「そ……そうですか……」
エリオットは残念そうに肩を落とした。それを見て、可哀想なことをしたかな、と思ったのだが、どうもダメなのだ。どうしても、わたしはエリオットに優しく接することができない。
その理由は恐らく、『僕』の記憶を取り戻すよりずっと前から、『わたし』がエリオットを嫌っていたことにあるのだろう。
エリオットはわたしの弟、つまり第二王子だ。
序列的にはわたしが第一位王位継承者であるし、実際に王太子となったのはわたしだった。が、家臣の中にはエリオットを推す者も多いと言う。認めるのは癪だが、エリオットは天才なのだ。
曰く、既に炎と水の二属性魔法が使える。曰く、エリオットが発した提案が国民を助ける政策へと繋がった。曰く、六歳の時にはアルテニタ国法を諳んじることができた。……等々、聞きたくもない噂が耳に入ってくる。
それ故だろうか。母上である王妃はわたしより、エリオットの方を溺愛していた。
エリオットは才能に溢れ、家臣に尊敬され、父上に賞賛されたうえ、母上の愛すらも攫っていくのだ。『わたし』はそれが気に食わなかった。
十歳の弟に嫉妬するなど、前世の『僕』からすればおかしなことだ。だがそんなことよりも、今世の『わたし』として抱く感情の方が大きいのだ。まぁ、当たり前だろう。
今のわたしは転堂 生真ではなく、オズワルド・シリル・フロックハートなのだから。
「わたしは忙しいのだ。お前一人で遊んでくれ」
よって今日も、わたしはエリオットを突き放した。
「……分かりました」
エリオットがとぼとぼと引き返していく。……本当は分かっているのだ。
エリオットがわたしを慕ってくれていることも、そこに邪な考えなどは一切なく、ただわたしと仲良くなりたいだけだということも。
それでもやはり、わたしはエリオットを好きにはなれない。
「────あぁ、イライラする」
わたしはそう呟いて、再び歩き出した。
こんなにも腹立たしいのはきっと、大嫌いな魔法学の授業が差し迫っているせいなのだ。