第四話ー①
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本格的な夏を迎え、学園は長期休業に入った。つい数時間前まで行われていた授業を最後に、学生たちはすでに緩んだ空気を出しつつ、明日からの休みへ浮かれている。
わたしもそんな学生のうちの1人だった。
先週から続いていたクレアとの噂も、堂々としていれば気になることはなかった。
彼女を取り巻く女の子たちも、わたしと一緒にいる時は遠慮してくれているみたい。どうやらクレアも面と向かって、放っておいて欲しい、と宣言したみたいでもある。
それ以来、大きかった噂は収束して――とはいっても、生徒たちの興味を引く内容なので、話題に上ることが多かったけど――こそこそとした噂話はなくなっていた。
わたしは重大な問題の解決により、これからの休みを満喫するだけ。
にこにこと、顔の筋肉がゆるゆるだった。いつもの帰り道を歩きながら、スキップでもしてしまいそうだよ。それは隣を歩くクレアも同じなのか、普段よりも一層、にこやかな笑顔を咲かせている。
学園は夏季休業に入るんだけれど、図書館や実験室は開放されているし、実戦場の訓練だって申請することもできる。だけど、わたしの予定としては、しばらく学校に用事はないかな。だから、しばらくの間は学生生活とさようなら、ってわけ。
もうすっかり慣れ親しんだ学園を後に、わたしとクレアは手を繋ぎながらの帰宅中だ。
授業や学園には慣れたのか、みたいなクレアの他愛もない質問攻めをされたりしていると、もう学生寮の門にまで差し掛かっていた。
楽しい時間っていうのは、あっという間だね。
もうちょっと、クレアと話していたいな。
わたしたちは同じ学生寮の建物に住んでいるけれど、部屋は別々だし。すぐに会いにいける距離でもあるけど……わたしは、クレアとの別れを惜しんでいた。
だけど、その想いはクレアも抱いていたのかな。彼女のほうが先に、歩みを止めていた。
わたしは彼女に向き直ると――そこには、真剣な面持ちのクレアが佇んでいる。
その凛々しさに、胸がドキッとした気がした。だって、クレアは可愛いところも美しいところもあるけれど、格好良いところだってあるんだから。
「あのね。エリナに聞いてもらいたいことがあるの」
「うん?」
今は格好良いモードを発動させているクレアが、慎重に切り出してくるものだから、何か重大な発表でもあるのかな、って生唾をごくりと飲み込む。
クレアは目を伏せがちにして、前髪をいじりつつ、言い出しにくいみたいだ。
わたしはクレアをぼんやりと眺める。彼女の流麗な銀髪はゆるやかに波打っており、夕風が凪ぐと、ゆらゆらと楽しげに動く。相変わらず綺麗だなあ、なんてうっとりとしちゃうよ。
ちょっとの時間が過ぎると、クレアはようやく口を開いてきた。
「寮の部屋……一緒にならない?」
「えええええええっ!?」
クレアお得意の、急なお誘いである。その技を久方ぶりに受けたわたしは、腰が抜ける勢いで絶叫をあげていた。
ぼけっとクレアを見ていた油断もあるけれど、例え身構えていたとしても、同じ結果になっていたことだろう。
だって、だって。一緒に暮らそう、だなんて。余りにも刺激的すぎるよ! それにそれに、こういうのはね、もうちょっと段階的じゃないといけないってば。
「あ、あのねクレア。そもそも、寮の部屋って、一緒にしちゃっていいものなの?」
「あら、エリナは知らないのね。この時期ならば、きちんと申請すればできるはずよ。夏休み中に一緒の部屋になるパートナーって多いみたい。もちろん、男女では駄目みたいだから、女の子同士の特権だけどね」
あのクレアでも、勇気のいる発言だったのかな。彼女は目を不自然に泳がせており、いつの間にやら格好良さは皆無、今は可愛いパターンのクレアだった。
わたしは心臓がドキドキと飛び出しそうなほどだけど、それはもしかしたら、クレアも同じなのかもしれない。
「そ、そうなんだ。知らなかったよ」
なんてことない風に言ったけれど、今一度、クレアの提案を吟味してみる。
すると、ドキドキ、なんてものでは済みそうにないほどの焦慮だか緊張だかが生まれてきた。
最近、クレアとの仲が急速に縮まったとはいっても、いきなり一緒の部屋だなんて。
例えわたしたちが友達だったとしても。共に生活をするには、難しい部分も出てくるだろうし。それは睡眠の時間だったり、ちょっとした習慣の差でギスギスしちゃうこともあるはず。
そしてその相手がクレアだっていうんだから、簡単に承諾できる問題でもないよね。
わたしは、うーん、って唸りながら考え込んでいた。
「すぐに答えを出さなくてもいいから。考えておいてくれると、嬉しいな」
「……わかったよ、しっかり考えて答えを出すからね。すぐに返事できなくって、ごめんね」
「ううん、いいのよ。こっちこそ、急に聞いてしまったから。……それより、明日からの予定は何かあるの?」
クレアはその話はおしまい、って表情を切り替えて、コロコロと笑う。羨ましいくらい、感情の入れ替えがスムーズだよ、クレアって。
わたしもそれに引っ張られて、どうにか、にこって笑ってみる。
「あさってからね、故郷のほうに戻る予定なの。夏休みの前半は、そっちで過ごすつもりだよ。帰省する子って、多いみたいだし」
「……そう、よね」
「クレアは帰らないの?」
「ええ。家族とは特別仲が良いわけでもないし、帰ってこいとも言われていないから。しばらくは、寮で1人ね。ふふ、暇になりそうだわ」
クレアは無理矢理、微笑んでいるように見えた。
彼女との付き合いは、もうそれなりに長くなっているし、本音では寂しいんだな、ってお見通し。
わたしは、家族関連のことを受けて、実戦場でのことを思い出していた。
そういえば、聞こう聞こう、って思って、聞けなかったんだっけ。そのままタイミングを逃しちゃって、クレアの家庭については未だ謎のままだった。それを失念していたことに、反省する。
だけど、今、クレアの口からはっきりと、家族とは仲が良くない、って出たところ。
その彼女を1人置き去りにして、故郷に帰っちゃってもいいのかな……。
ううん、そんなこと、できないよね。
わたしはクレアの傍に移動して、彼女の両手をしっかりと握った。
「良かったら、わたしの実家、一緒に行かない?」
勢いで出た言葉ではなかった。
家族との温かさを知らないクレアに、それを味わって欲しい。そう思ったら、わたしの家に招きたい、ってすぐに閃いたの。
実際のところ、クレアが家族の温もりを知らない、って決まったわけじゃないけど。でもね、家庭のことで翳りを見せるクレアだからこそ、わたしの家族を見てもらいたかった。
「えっと……、私がついていっても、大丈夫なのかしら……? エリナの家の都合だって、あるでしょう?」
クレアは戸惑っているようだった。
今度はわたしが、突然の誘い、ってやつをお返ししたみたい。いつもと逆の立場に、おかしくなってクスクスしちゃう。
「わたしの家のことは全然気にしないで大丈夫だよ。……ただ、すっごいド田舎だからぁ、退屈かもしれないけど……。そんなところでよければ、クレアと一緒に過ごしたいなっ」
「本当にお邪魔ではないのかしら……。私だって、ぜひ、エリナの故郷に行ってみたいわ。だけど、私が1人になっちゃうから、って気遣いだったなら、心配しないで。無理に誘わないでも平気よ」
「あはは、平気だってば。わたしの家、全然そーいうの気にしないし、大丈夫大丈夫。だから、一緒に行こっ?」
「……なら、お邪魔させてもらおうかしら。誘ってくれて、ありがとう、エリナ」
クレアは感動のあまり、瞳が潤っているように見えた。大げさな喜び方に、わたしは呆気にとられてしまう。
だけどね、誘ってみてよかった、って内心ではVサインを作っている。
わたしはクレアの目元を指で拭ってあげる。そして彼女が落ち着いたら、手を握って、学生寮へと戻っていく。わたしがクレアをエスコートしているみたいな形だ。
これでもね、こっちだってテンション上がりっぱなしなんだから。
「なんだか、ワクワクしてきちゃったよ。どんな夏休みになるのかな、って」
「ふふ、私もよ。エリナのお家、今から楽しみだわ」
「あはは、楽しみにされたって、ド田舎に驚くだけだよー。後悔とかしちゃうかもね。それじゃっ、準備とかの連絡は、また後でー」
わたしたちはそこでお別れして、夕飯の食堂で待ち合わせをした。
そして、夜ご飯を食べながら、綿密な計画を立てる。
明日は旅の荷造り。そして、あさっての朝9時に集合。待ち合わせ場所は、寮の門。
楽しい楽しい夏休みの始まりだね。
わたしは胸が高揚しっぱなしで、今夜は中々寝付くことができなかった。
「おはよ~、お待たせっ」
雲ひとつない晴天のもと、わたしは空いている手をぶんぶんと振り回して、クレアへ近づいていった。もう片方の手には、ぎゅうぎゅうに詰まったボストンバッグが握られている。
今日は約束の、故郷へ帰る日。
昨日だって寮内でクレアと話したりしてたけど、お互い荷造りがあったから、そんなに長い時間一緒にいるわけではなかった。だけど、今日からは数日間、共に過ごすのだ。ふふ、楽しみだね、クレアのいるわたしの実家って。
わたしの私服は、ラフな感じのワンピース。自分の家に戻るんだもん、気合いを入れてお洒落を決め込んでもしょうがないよね。
一方でクレアは、相変わらず地味めの服装。いつものようにおみ足を隠すように、スラックスを履いている。クレアのスカート姿も見てみたいんだけどねえ。
でも、今までそんな格好見たこともないし、もしかしたらスカートなんて身につけたことがないのかもしれない。クレアなら、ありえるよね。
そして、彼女の手荷物はわたしと比べると、かなり身軽なものだった。
「クレア、荷物はそれだけでいいの?」
「ええ。エリナこそ、随分持って行くのね。確か、かなりの長旅になるのでしょう?」
「あはは、あれもこれも持って行かないと、不安になっちゃって。長旅だけど、ずっと荷物を持つわけじゃないしね」
わたしはちょっとだけ気恥ずかしくなる。自分だけ入念に準備していたように感じたのだ。
クレアも薄く微笑むと、今度はわたしのバッグに視線を向けた。
「そっち、私が持ってあげるわ。これでも力はあるほうだから」
わたしの返事を待たずして、クレアはバッグをかっさらう。軽々とそれを持ってしまうクレアは、さすが戦闘技術を鍛えているだけはあるなあ、って感心しちゃう。
「ありがとう、クレアは頼りになるね」
わたしたちは幸せそうに笑って、一緒になって寮の門をくぐるのだった。
わたしたちが向かったのは、オディナス学園近辺の街にある駅。到着してすぐに切符を購入して、さっさと列車内へ乗り込む。
予定では、まずは列車に乗って、終着駅までそれで行く。学園のあるこのトールデン地方を列車で抜けて、南西の地にて降り立つ。そこから馬車を借りてさらに南下すると、わたしの故郷であるフレイランド地方に辿り着くのだ。
フレイランド地方は線路が通っていない街がほとんどの、ド田舎だからね。
列車だけで半日、馬車でも半日はかかる行程だよ。わたしだって、こんなにも長い道程を1人で、っていうのは心細い。実家から出てきた際に、すでに味わっているから。その孤独さは身にしみていた。
だけどね、クレアと一緒ならば。長い旅だって、きっと楽しい時間に早変わり。
だから、わたしは列車に入っても元気いっぱいだった。
車内は混雑していた。帰郷目的と思われる大荷物を抱えた人や、どこかに遊びに行くだろうラフな格好の若者でごった返している。
わたしとクレアは、空いている座席が見当たらなかったので、適当な隙間を見つけて立ち止まり、荷物を網棚に置いて、寄り添った。
「夏休みだからかしら、朝だっていうのに人が多いわね」
「でもね、こんなにいっぱい人がいるけど、終着まで乗ってるのは、きっとわたしたちだけだよ」
わたしは冗談めかしてそう言った。
だって、トールデン地方を抜けるだけでも、相当な距離なのだ。そんな辺鄙な地域にまで長旅をする人間なんて、よほどの物好きだろうから。
「終着まで行ったら、今度は馬車に乗るのよね?」
「うん。昨日も言ったけど、だいたい丸1日かかるからねー。クレアが一緒にいてくれて、本当に良かったよ~」
「確かに、1人だったら寂しい旅になりそうね。ふふ、エリナが喜んでくれて、嬉しいわ」
クレアと一緒に揺られる列車は、それだけで居心地満点だった。
……多分、わたしはクレアのことが好き。
好きって思える人とならば、隣り合って立っているだけで、こんなにも楽しいんだね。
わたしはクレアと手を繋ぐ。人目だって気にならないよ。
指を絡めあって、顔を見合わせて、にっこりとする。
「クレアと一緒だと、楽しいけど……。同じくらい、どきどきしちゃうね」
クレアは、ふふっ、て楽しげに笑って、それに応じてくれるのだった。
わたしの言った通り、終着駅までに下車しなかったのは、自分たちだけだった。入れ替わりで乗ってきた人が多かったから、人の密集度はそれほど変化がなかったけれど。
時刻は夕方。朝からはしゃいでいたわたしも、疲労を感じる頃合いだ。
クレアは今朝のように、わたしの荷物を持ってくれていた。だけど、それでは彼女の両手が塞がっちゃうから。わたしはクレアの荷物を奪い取って、彼女の片手を自由にさせてあげた。
そして、それが当たり前であるかのように、わたしたちは手を繋ぐ。
駅のホームから抜け出ると、すぐ横手には馬車が何十台と立ち並ぶ大きな建物が真っ先に目に入る。
「ここからは馬車、よね?」
「うん。うちの方面は、こっちみたいだよ」
わたしはクレアの手を引っ張って、移動する。
馬車は複数を1つのグループとして、規則的に並べられていた。そしてその前には看板と小屋が立ち並んでおり、どの地方行きの場所に乗れるのか、一目瞭然となっている。
線路はここまでなのだから、わたしたちと同様に、この先を進む人たちに用意されたものだ。利用客はそこそこ多いみたいで、繁盛を見せていた。
わたしは自分の故郷が書かれている看板を見つけて、すぐに受け付けを済ませる。
手際良く手配を終わらせて、荷物を馬車の中に詰め込んだ。
「出発まで時間があるみたいだから、何か食べたり、買い物したりしよっか」
「エリナに任せるわ。こういう旅は、初めてだから」
「うん、わかったよ」
わたしたちはレストランなどが並ぶ商店街へ足を向ける。
この駅周辺には、長旅用の様々な店が構えられてあった。今の時期は帰省も相まっているのか、人で埋め尽くされている。
一番の利用客は、冒険者たち。路線すら存在しない地方っていうのは、辺境の田舎か、魔物が蔓延る危険な地域、っていうのが相場だから。そんな場所に出稼ぎへ向かう冒険者用のお店が大半だった。持ち運び可能な飲食物の販売店が多数を占めている。
わたしたちは夕飯を済ませたあと、それらが売られている店内をぶらぶらとしていた。
「飲み物とか買っておいたほうがいいよ。途中、買えるところ、ないから」
「じゃあ、エリナと同じもの、買っておこうかしら」
1度だけとはいえ、この長旅を経験済みのわたしは、クレアに先輩風を吹かせる。こんなことでもなければ、わたしが頼りになるところ、見せられないしね……。
わたしたちは軽めの買い物を終わらせて、馬車のところへ戻った。
すでに陽は落ちている。ここからさらに半日かかるので、到着は朝方かな。
「それじゃあ、お願いしまーす」
わたしは馬車の運転手に挨拶をして、早速車内へ乗り込んだ。
木でできた簡単な小屋のような中は、外から見たよりもだいぶ広くって、小綺麗に掃除されてある。もちろん睡眠をとれるように、毛布などもきちんと用意されていた。
「1日中移動しっぱなしで、疲れちゃうね」
「ふふ、でも、これならば後は身体を休められそうね」
クレアが毛布を敷いてくれたので、わたしは横になりながら大きく息をついた。
それと同時に、馬車が動き出す。
がたんがたん、って小気味のいいリズムで揺れるものだから、わたしはすぐ眠気に襲われた。
瞼が重く感じて、うっすらとしか目が開けられない。
視界の隅には、クレアが映り込んだ。
「おやすみなさい」
クレアは慈愛に満ちた表情でそう言って、わたしの頭を撫でてくれる。
「ごめんね、眠くなっちゃった」
彼女の手つきが夢の世界へと急速に誘ってくるので、わたしの意識はすぐに遠のいていく。
クレアに寝顔を見られているかもしれないけど……そんなことを気にしていられないくらい、熟睡してしまうわたしだった。