第三話ー③
今朝クレアに告白をした人はどうなったのかな。
放課後、わたしはそんなことを考えながら、学園の玄関で棒立ちしていた。
これから向かう先は、裏手の出口。いつも帰り道に使う、人気の少ない場所だ。
1ヶ月ほど利用したその道は、今でも人がいることはない。クレアと一緒に帰宅するために、毎日、裏口で待ち合わせをしているのが日課。
だけど、今朝、あんな情報を入手してしまったために、クレアとうまく接することができるか不安だった。
噂が蔓延してからは、昼食も一緒にとっていない。
クレアが他の女の子と何かあったか、なんて話もしてくれない。
……もしかしたら、このまま気まずくなっちゃって、段々彼女と疎遠になっていっちゃうのかな。
わたしは、後ろ向きな気持ちにしかなれなかった。
だけど、このまま玄関で立ち尽くしていたところで、夜を迎えるだけだ。
わたしはよしっ、て気合いを入れるみたいに声をあげて、校庭へ躍り出た。
校舎から出ると、校門付近がやけに騒がしい。
わたしが首を巡らせてみると、そこには人だかりができていた。どうやら、誰かを取り囲んでいるみたいで、女の子が群れを成している。
アイドルの出現かのように、黄色い歓声が重なり、高い音が周囲に鳴り響く。
「なんの騒ぎだろ?」
わたしはそれが気になって、目立たないようにこっそりと、その輪へ忍び寄る。
自然な形で人だかりに溶け込んだわたしは、つま先立ちになったりして、中心の人物を探ろうとする。けれど、背丈が平均よりも低いわたしには、その影は確認できない。
渦中の人物は何か喋っているようだったけれど、周りの声にかき消されていて、聞き取ることができなかった。
「お願いクレアさま、わたくしと一緒に帰ってください!」
「どうかわたしと!」
クレア。
その単語がわたしの鼓膜を打つと、全身の力が抜けきったような気分になった。
こんなに大量の女の子たちが、クレアを取り巻いているのだ。
その全員、彼女に好意を寄せている。
圧倒的な人気の高さだった。
わかっていたつもりだったのに。
わたしだってクレアと出会う前にも、話題に取り上げていたくらいだもん。
学園内のアイドルみたいな存在だったんだよね。
でも、わたしと一緒にいる時はそんな雰囲気、微塵も感じさせなかったクレア。
だけど、噂が発端となって、クレアは公然と人を引き寄せる口実ができてしまった。
女の子にもモテモテ、っていう現実を、わたしはまざまざと見せつけられていたのだ。
どうやらクレアが移動したらしく、この集団もそれにそって道を開ける。
人の波がぱかっと割れると、ようやくわたしの目にもクレアが入り込んできた。
クレアは困っていた。
その表情には、他のなにかも混ざっているように思えたけど、今のわたしには計りかねる。
「帰りは、1人にさせて欲しいな……」
大きいとは言えないクレアの呟き。
だけど、わたしにははっきり聞こえていた。
たくさんの雑踏にもかかわらず、わたしの耳には彼女の透き通るような言葉しか運ばれてこない。
そしてそれは声だけではなくって、絡み合った視線にも繋がった。
振り向いたクレアと、わたしの目が合ったのだ。
見つめ合ったまま固まるわたしたち。
この場には数多の女の子がいるはずなのに、まるでわたしとクレアしか存在しないような感覚があった。周りの雑音すらもなくなって、別の世界に飛ばされたみたい。
だけど、その空間もすぐに消えてなくなる。より一層、クレアを尊ぶ歓声が大きくなったからだ。
再び雑音まみれになった周囲。
そして、わたしの視線を遮るように現れた女生徒によって、クレアとの世界は完全に遮断された。
クレアの姿が見えなくなった瞬間、わたしの裡に、様々な感情が入り交じる。
気がつけば、その人だかりを背に、1人裏道へと向かっていた。
人の群れから距離を置くと、喧騒も薄れていく。
わたしはようやく冷静になってきた思考を整理していた。
「あそこにいた女の子たち、みんな可愛かったなぁ」
溜息まじりにぼやく。気持ちを前に向けようとは、思うことができなかった。
クレアを囲む女の子たちは、少なからず容姿に自信のある人たちなのだろう。あれほどの人気っぷりを発揮するクレアに、目を引いてもらおうとするならば、それくらいのハードルを乗り越えないと駄目なんだよね、きっと。
……一方でわたしは。
魔法の腕どころか、容姿だって、スタイルだって、あの中では平凡以下だろうね。
またも溜息をつきそうになった。
「クレアはもう、1人じゃない。気持ちを伝えてくれる女の子たちが、いっぱいいてくれるんだもんね。喜んであげるところだよね」
喜んであげたい。
クレアの幸せを願ってあげたい。
頭の中ではそうわかっているのに、寂しい気持ちは拭えない。
汚れてしまった心を雑巾がけしているのに、一向にピカピカにならない。そんな風にすら思えた。
「クレアの傍にいるのは、わたしじゃなくっても……」
そこまで独りごちって、口を止めた。こうしてぼやいたところで、何にも現状が変わらないから。
それに、クレアに好意を寄せる女性たちはみんな、本気の熱い想いを秘めているはずだ。今朝の女の子だって、真剣な表情をしていたし。
むしろ、わたしのほうこそ。
女の子同士だから……っていう理由だけで、クレアを拒もうとした経緯があるし。
気持ちですら、わたしは彼女たちに劣っているんだ。
……クレアは今、何を考えているんだろう。
クレアと話したいよ。
だけどね、あんなに人の視線を引きつけるクレア。しばらくは一緒にいることはできないのかもしれない。
それにしたって、帰り道も1人になってしまうのは予想外だった。
人を振り切れないくらいに、囲まれるようになってしまったクレア。
……これからは、また1人、寮まで帰ることになるのかな。だって、もう前のようには戻れないよ。
黒ずんだ思考に脳内を支配されながら、裏手の出口を通って帰路につく。
別に1人で帰るならば正門から出て、人通りの多い帰り道で良かったはずだ。
だけど、染み付いちゃった日常のせいで、遠回りの裏道を選んでいた。
ううん。誰にも邪魔されず、色々と考え事をしたかっただけなのかもしれない。
1人で通るその道は初めてだった。
舗装のされていない田舎道。周囲には野山しかない、寂寞とした空間。それはわたしに、予想以上の孤独を与えてくれる。
わたしは歩きながら、ふと、わき道へ目をそらした。
夕刻なので、暑さはだいぶ和らいでいる。その道から流れ出てくる夕風が、わたしの気分を落ち着かせた。
導かれるように、狭い道へ向かっていく。
真っ直ぐ寮に帰る気分ではなかったし、夕涼みにもぴったりそうだった。
茂みや木々といった自然の多い田舎道を進んでいくと、平野にぽつん、と屹立する1本の大木を発見する。
風が凪ぐたびに葉が音を奏で、涼しさと心地よさをもたらしてくれた。
わたしはその木の根元まで足を進めて、腰を下ろす。
茜色に染まる世界を眺めていたら、様々なことが思い出されていく。
ここ最近は忙しかったなぁ、って。
特にここ数日間、クレアとのことを噂されるようになってから、人目を気にする毎日だった。そのせいで、心が休まらなかったのかもしれない。
クレアと出会ってから。
一緒に冒険をして、自分の力不足を痛感して。
魔法の勉強にも、より力を入れていた。少しでもクレアに追いつきたかったから、勉強も苦じゃなかった。
自分では気づかずに、あの日から、ノンストップで走り続けていたのかもしれない。
「ふわぁ」
時間までもゆっくりと流れている、この場所はそんな錯覚までさせてくれた。
心にゆとりが生まれてきたわたしは、自然とあくびをする。まだ日没までには余裕があるし、薄暗くなるまではここにいようかな。
そう考え始めていた時、風が一際強く吹いた。
「大きなあくび、見ちゃった」
風が運んできたかのように現れたのは、クレアだった。
余りにも突然の登場によって、わたしは軽く悲鳴をあげる。彼女の銀髪が涼風にさらされ、ゆらゆらと踊っていた。
「ど、どうして、ここに?」
「エリナが1人で帰ってしまうところ、見えたから。それになんとなく、寄り道してるんじゃないかな、って」
「……さすがクレアだね」
「1人で帰ってしまうなんて、ひどいわ」
クレアはそう言ったものの、それが本音ではないというように、優しげな表情だった。どこかわたしのことを気遣っているように映る。
わたしは彼女を前にして、晴れ渡ってきていた心が再び暗雲に覆われ始めていた。
「だってクレアってば。女の子に囲まれてて、楽しそうだったから」
当てつけるように、口走っていた。
わたし、何言ってるんだろ。こんなことを喋りたかったんじゃないのに。
でもね、まるで自分の口が何者かに操られてしまっているのではないか、と思えるほど、勝手に唇が動いてしまっていたのだ。
「ごめんなさい、エリナ。私も、こんなことになるとは思っていなくて。それに……ここまでグイグイ来られるのは、初めてだったから……」
クレアは困り果てているようだった。わたしにそっと近寄ってきて、隣に座ってくる。
傍に彼女がいるだけで、安心感が芽生えてきた。
わたしって、やっぱり、現金な女なんだ。
だって。わかっちゃったんだもん。
今まではいつも隣にいてくれたクレアが、遠くに行ってしまいそうになって、それが不安になっていたんだ。
わたしは、彼女を独占したかったんだ……って。
「でも、心配しないで、エリナ。私はエリナ一筋だから」
「……うん」
一番欲しかった言葉。
クレアの台詞は、わたしのぽっかりと空いていた心に、すとん、って入り込んできた。
わたしは本当に弱いね。
クレアの熱い想いは知っているはずなのに。クレアが他の女の子に騒がれて、告白されて。そんなものを見せつけられただけで、わたしの心は簡単に揺れ動いてしまうのだ。
何もかもが劣等感となって襲いかかってくる。
でも。
クレアがわたし一筋、って言ってくれただけで。その揺らぎは消えてなくなった。
心のつっかえがすべて霧散した気がする。
「わたしのほうこそ、ごめんね。人目を気にしすぎて。1人で帰っちゃって」
やっと素直になれた気がして、自然と謝っていた。
そしてわたしは、クレアの手の甲に、自分の手のひらを重ねる。クレアは黙ってそれを受け入れた。
そのまま無言になって、2人で夏の涼風を全身に浴びる。
「夏はね、この時間が一番好き」
しばらくして、わたしは口を開いていた。
無言の時間が重苦しくなったからじゃなくって。クレアに聞いて欲しい、って思えることが湧き水のようにどんどん溢れてきたからだった。
クレアは黙ったままそれを聞いている。雰囲気で、続きを待っていてくれているんだ、ってわかった。だからわたしは、安心して続きを紡いだ。
「朝の太陽が照らす風景もね、昼の暑苦しいけど明るく見える景色も、夏っぽさがあって好きなんだけど……。やっぱり夕方が好き。クレアと過ごす夏って、どんな風に見えるんだろうね」
何気ないわたしの呟きに、クレアは頬を染めていた。
それは、その言葉の中に、クレアと夏を一緒に過ごしたい、っていうメッセージを含めたものだったから。
「私も……エリナと夏を楽しみたいわ」
クレアの声を聞くたびに、わたしは嬉しいと感じていた。
自分の中で、彼女の存在が日に日に巨大なものになっているんだ、って思い知る。
「私はね、あんなに多くの人に囲まれることがなかったわ。でもそれは……エリナのお陰よ。エリナは人を惹きつける魅力があるから。エリナと過ごしているうちに、私にもその力が芽生えてきてしまったのかも」
「そんなことないよ。クレアが女の子にモテモテなだけだよ」
「そうかしら。でもね、エリナがいなかったら、こうはならなかったと思うの。私はね、あなたのお陰で、変わっていってるんだと思うわ」
わたしはクレアの言葉ではっとなった。
もしかしたら、わたしたちはお互いがお互いに影響しあっているんだ、って。
わたしたちは……もう離れられないくらいに、互いの存在が大きなものになっているんだ。
「もっと、一緒に過ごしたいわ」
「うん……」
わたしは重ねていた手を、握ることへ変えた。指を絡めて、ほどけないように、って念を込めるようにして、しっかりと手を握る。
クレアともっともっと一緒にいたら、この感情はさらに大きなものになるのかな?
そんな想像をしたら、やっぱり、クレアが遠くへ行って欲しくなくって、手を握ってしまっていたのだ。
「もう学校中に、わたしたちのことバレちゃったみたいなもんだね。だからね……わたしも、もう気にしないよ。学校でも、もっと気軽に話そうね」
「エリナがそれでいいなら、私としては大歓迎よ」
そう言ってクレアはにっこり笑った。わたしも久々に思いっきり笑顔を浮かべた気がする。
最近は周りを気にしすぎるあまり、心の底から楽しいと思えることは少なかった。
そしてこんなに心の弱いわたしを、手放そうともしないクレア。
彼女の強さを再認識すると同時に、わたしはもっとクレアのことを想いたい、と感じている。
せめてね、想いの強さだけは対等でいたいんだ、って。
これがわたしに訪れた変化、なのかもしれない。
わたしも、クレアとの出会いによって、確実に変わってきている。
「でもね、一緒に帰る時は、この裏道がいいわ。ずっと2人でここを通ってきたから、この道が好きなの。私たちだけの秘密みたいで。この道を通って帰る……それを、私たちの"いつも"にしたいわ」
「うんっ。わたしも、それ、いいと思うよ。わたしたちだけの、"いつも"。いい感じだね」
わたしはそれを口に出してみて、噛み締めていた。
うん。いくらでも反芻したくなるような、あったかい気分になれるよ。
いつの間にやら、太陽は沈みかけていた。
だけどね、帰りたい、とはまだ思えない。わたしはクレアの肩に頭を預けた。彼女もそれが嫌ではないようで、甘やかな匂いと共に、優しげな空気を与えてくれる。
再び、沈黙が訪れた。
わたしたちは時間を共有していることを楽しむ。互いの心が透けて見えるかのような、自然と訪れる沈黙って、心地よいんだね。
だんだん夜の帳が降りてくる。
わたしは意識が途切れ始めていた……。
自分の口が、リズムのいい呼吸を発していることにすら、気づけない。
夢の世界に落ちる寸前だ。
「初めて見るわ、寝顔なんて……」
クレアが、何か呟いているようだった。
だけど、わたしの脳には届ききらない。
クレアの肩を枕代わりに、無防備になって、眠りへと誘われていく。
静寂な空間。わたしの寝息とは違う音色が鳴り響く。夏の虫たちが奏でる合唱だ。それが子守唄となって、意識をシャットアウトさせる。
きっとお空には、無数の星たちが煌めいているのだろう。
――その背景の中。わたしの唇に、何か柔らかなものが触れた気がした。
それが気の所為だったのか、すでに眠りこけていたわたしは知る由もない。
「ごめんね、眠っているときに。……でも、どうしても、したかったの」
クレアの心地よい囁き。
夏の夕暮れにおける一時だった。