第三話ー②
クレアがいるのは、戦闘科が通う学園の西棟だ。そこは魔法科の生徒も気軽に訪れることができる。だけど、わたしが戦闘科に足を踏み入れたのは今日が初めて。だって、これまでは何の用事もなかったもん。クレアと校内で会う時は、もっと人目のつかない場所ばかりだったから。
魔法科とは違う造りの校舎、それに雰囲気。さらには戦闘科の生徒たちが、物珍しそうな目で見てくるものだから、戸惑いと緊張で感情がぐちゃぐちゃだ。
生徒の出入りに制限はないものの、わざわざ魔法科の人間が戦闘科の校舎を歩くなんて、滅多にないことなのだろう。
だけど、わたしの先をずんずんと進む友達3人は、それを全く感じていないようで、猪突猛進スタイルだ。
「もー、お昼休み、終わっちゃうよ? 何も今、行かなくてもいいじゃない」
「あら、だったらエリナさんだけ戻っていてもいいのよ」
先ほどから、どうにかして彼女たちの進行を阻もうと試みたけど……、てんで意に介されない。
わたしはまたしても反論できずに、黙って彼女たちの後をついていくことになる。
だけどね。このまま昼休みが終わるまでクレアが見つからなかったら。現段階ではお開きになるし、そのままこの話題を忘れてくれれば、助かるのかも。それに賭けることしかできない。……まあ、問題を先延ばしにしているだけなんだけどね。
そんなわたしの願いもむなしく、廊下の先からは一際目立つ女性が現れる。
歩き方ひとつで上品さが窺えるその女生徒は、見間違うことなくクレアその人だ。
戦闘科の生徒たちは、彼女のことを見慣れているはずなのに、誰しもが振り返る。憧憬、羨望、そして好奇といった数多の視線がクレアに送られていた。
当の本人は涼しげな表情で、この暑さすら何とも思っていないように見える。
わたしはタイミングの悪いクレアの登場に、うなだれた。
そんなことはお構いなしに、友達たちは、嬉々としてクレアに駆け寄っていく。
あっという間に3人に取り囲まれたクレアは、一瞬戸惑ったような表情を浮かべる。けれど、わたしを発見すると、にこって極上の笑顔をプレゼントしてくれるのだった。
こんな状況でもなければ、その可愛さに心がゆらゆらとしちゃうのにね。
クレアは何か喋ろうと口を開きかけていたが、わたしの友達がそれを遮る。
「こんにちは、クレアさま」
「……こんにちは」
ついさっきまで、はしゃいでいたクラスメイトたちは、クレアを前にしてしおらしくなっていた。猫をかぶっているだけなのか、彼女たちが言っていた通り、何か威圧的なものを感じているのか、定かではない。だけどクレアは、彼女たちに挨拶をされて、少しだけ不機嫌になったのかな? ってわたしの目には映っていた。
ちょっとだけ表情が動いただけ、なんだけどね。なんだか、それだけでクレアの心がわかっちゃうような気がしたんだ。
「あのっ、いきなりですみませんが……。エリナさんとは、一体どういう関係なんですか!?」
「ちょ、ちょっとちょっと!」
本当にいきなりだったので、わたしは思わず飛び出していた。後ろの方から様子を見ているつもりだったのに断念せざるを得なくなって、慌てて彼女たちの間に割って入る。その行動に、クラスメイトたちは眉をひそめた。
「もう、わたくしたちはクレアさまに聞いているのよ」
わたしは、クレアが何かとんでもないことを口走ってしまわないか、不安になって彼女を見やった。
そのクレアの顔を瞳に映し込んで、わたしはぎょっとする。
クレアの表情は、恍惚としていた。嬉しそうに頬を染めてすらいる。
ちょ、ちょっと、クレア~! その反応はまずいって!
「こ、これは脈ありですね!」
「ええ、間違いないわ」
案の定、友達たちは盛り上がっていた。それらを端っこから傍観していた戦闘科の生徒たちまでも、ひそひそと話し始めている。
わたしの考えうる限り、最悪の展開だ。
「脈あり、ってなんなのよ! もー、おかしなこと言っちゃって」
わたしは必死になってクラスメイトたちに訴えかけたけど、相手にすらされなかった。きっと、そのなりふり構わないわたしの態度が、かえって滑稽なのかもしれない。
クレアはその後、何を聞かれても表情だけで答えていたものだから、クラスメイトたちをより一層、ヒートアップさせる結果になってしまった。
……はっきりと口に出して、否定も何もしなかったクレアを責めることはできないよね。ううん、そもそもクレアを弾劾することはしたくないよ。それに、否定をできなかったのは、わたしだってそうなんだから。
結果的に、この日はそれだけで済んだ。昼休み終了のチャイムに救われたのだ。
他の要因として、クラスメイトたちは素晴らしい戦果をあげたかのように、満足しているみたいだったから。
それから数日が経過して。
わたしは別の問題に頭を抱えていた。
わたしの友達はあれ以降、付きまとってくることはなくなった。クレアとの関係に対して、茶々を入れられることもなかったよ。
だけどね、あれのほうがまだマシだったんだな、って思えるくらい、現状は厳しいものだ。
学校っていう小さな社会には、多種多様な人間が存在する。そんな多数の人間たちの間に飛び交っているのは、噂だった。噂っていうものは厄介で、それが広まる人間が多ければ多いほど、尾ひれがついたりするのだ。
わたしとクレアの仲は、噂によってかなり誇張されていた。
もっとも懸念していた、わたしとクレアの関係。女の子同士なのに、好き合っている。それが学園中に広まっているのだ。
わたしはこれからどう生活すればいいのか、頭痛に悩まされていた。
あと数日間、授業を頑張れば夏の長期休暇に入るのに。うきうきとしていた毎日は急におさらばして、落とし穴にでもひっかかってしまったみたいだ。
憂鬱な表情になりながら、学校に向かう。
朝日はわたしの気持ちなんてなんにも慮ってくれなくて、無情にも燦々と輝いている。
今日も1日、知らない人に顔を見られては、こそこそと噂話をされるのか。って思いながら、とぼとぼと通学路を歩く。
学園の校門へ差し掛かったころ、ひっそりとした囁き声がわたしの耳に届いてきた。
またいつものが始まったかな……なんてげっそりとしながら、その方向へ目を向けてみる。
校庭に植えられた樹木の影、そこが発生源のようだ。
わたしの登校は朝早いので、学園に人影はまばら。だから、周囲はしんと静まり返っており、話し声も容易に聞き取ることができた。
どうせなら、何て話しているのか聞いてやろう、ってわたしは耳を澄ます。
「本気でするつもりなの?」
「もちろんよ」
どうやら、女の子2人による会話のようだ。話の流れはわかんないけど、声色から察するに、真剣な問題らしい。
このまま盗み聞きをしていていいのかな、って戸惑っちゃうけれど、自分に関係していることかもしれない。不安に駆られ、その場に踏みとどまる。幸い、相手方は、わたしの存在に気づいていないようだ。
「例えダメでも、私のこの気持ち、クレアさまに伝えずにはいられないわ」
クレアの名前が出てきたことによって、わたしの身体はぴくりと反応した。
やっぱり今の学園は、その話題で持ちきりらしい。
「クレアさまが女の子とでも大丈夫、って噂が出てから、もう何人も告白しているみたいよ。でもね、みんな撃沈してるって……」
「わかってるわ。それでも、私がクレアさまのことを好きって気持ち、止められるわけがないもの!」
わたしは自分の耳を疑った。
女の子が、クレアに告白する。
そんなこと、今の今まで考えたことすらない。だって、女の子同士なんて、クレアに出会うまでは、知らない世界だったんだもの。
話を聞いた限りでは、すでに何人も告白しているらしい。
だけど、昨日もクレアは何も言っていなかったし、素振りすらなかった。
クレアに想いを伝えるらしい女の子が木陰から出てきて、どこかへと走り去っていった。わたしには終始気づかなかったようである。
わたしはその子の横顔を眺めた。
クレアにはどうしても見劣りしちゃうけれど、それでもかなり美人といえる部類の子だ。
あんな女の子が、クレアに告白をする。
わたしはそのシーンを頭に浮かべたら、なぜだか胸がきつく締め付けられた。
「クレアって……女の子にもモテるんだね……」
驚き混じりに呟いたけれど、冷静に考えてみたら、ありえなくもないよね。
クレアほどの器量ならば、同性に好かれてもなんらおかしくはないし。それに、今走っていった子とのカップル姿ならば、不自然さは1ミリもなくって、素敵な図が出来上がりそう。
「はぁ……」
朝からごちゃごちゃと考え事をしてしまったわたしは、重く感じる足取りで教室へ向かった。