第十三話ー②
ほどなくして、わたしたち4人は鬼霊山の麓へ辿り着いた。
遠目から見てはひっそりと、それでいて闇の気配を感じる山だったけれど、麓は少しの賑わいを見せていた。
管理所である小屋の周りには、荷を積んだ行商人が商売に励んでいる。そして、何組かの冒険者が鎧に身を包んだり、剣や斧を手入れしていたり、準備を整えていた。稼ぎも良好である鬼霊山には、日々、人々が訪れるらしい。
そして、管理所の先には、坑道のような入り口があった。
鬼霊山を登るには、2つのルートが存在する。この坑道から進入していくルートと、崖のような道を歩いていくルートだ。
どちらを進んでも、いずれは合流するんだけど。崖道のほうは魔物の危険にさらされることの多い、非正規ルートである。そちらを選ぶような輩は稀有であり、せいぜいが管理所の目を盗んでまで登ろうとする一般人くらい。
わたしたちは迷わず坑道を選択、許可をもらったところだった。
学園の推薦状の力は絶大で、わたしたちのような4人の少女パーティでも、あっさりと先に進むことを許されたのである。
そして、管理所を後目に、鬼霊山に足を踏み入れた。
坑道の入り口に到着すると、否が応でも緊張感が漲ってくる。
中から漂ってくるのはカビのような嫌な匂い。魔物の気配が入り混じった、じめっとした空気によるものだった。
……実戦経験なんて、せいぜい初級程度のわたしですら、魔物の存在が感覚でわかってしまうほどである。
「お姉ちゃん、怖気づいたの?」
リリナはいつもの調子と変わらず、からかってくるように言ってきた。
妹は一丁前にプロテクターのような軽鎧を身に着け、戦士っぽさを醸し出している。
「まったく、リリナったら。あんたはも少し、緊張感を持ちなさいよ」
命を落とす危険だって、充分にある。クレアとユーリィがいくら強いといっても、どんな事故が起きるかわからないのだ。当然、わたしにだって言えることではあるけど。
しかしながら、リリナはそんなこと思慮の範疇外らしい。
「ふっふっふ。実はこれでもね、ユーリィちゃんと色んな所に行って、実戦経験は豊富なのだよ!」
「い、いつの間に……!?」
「リリナさんは、安心して私に身を預けてね」
ユーリィが艷やかに微笑みつつ、話に入ってくる。
ちなみにユーリィは、例の傘を携帯していないためか、左目はガーゼで隠れてあった。
彼女たちは、わたしの知らないところで冒険に出ていたらしい。羨ましいような、リリナに追い抜かれていそうで悔しいような。複雑。
「何を隠そう、ユーリィちゃんはとーっても強いから、わたしがすることは、なんにもないんだけどねっ!」
「偉そうに言うことでもないと思うけど……」
とはいえ、わたしもクレアに守られる身である。妹のことを糾弾することはできない。
それに、実戦経験は去年以来、していないし。それだけで比較するならば、妹よりも劣っていることになる。
にしても、久々に魔物との戦闘だ。きちんと動けるかな……。
勉強の方は頑張った甲斐があって、色々な魔法を使えるようにはなったけれど。それが実戦でどこまで通用するのか、試しておきたかったなあ、とは思う。
下手したら、リリナのほうが応用力に長けているかもしれない。肝っ玉も強いし。
あれこれ考えていたわたしの頭をくしゃっと撫でたのは、クレアだった。
「気負わずに行きましょう」
「う、うん」
見上げたクレアの顔は荘厳で、わたしはとても大きくて強固なものに庇護されているんだ、って気になった。クレアの手つきは、少し触れただけでも安心感でいっぱいになる。彼女と一緒なら、何も案ずることはないんだ。燻っていた不安は、いつの間にかどこかにいなくなっていた。
かくして、わたしたちパーティは鬼霊山攻略に挑むこととなったのだ。
「わっ、でたぁ!」
獣よりも大きな叫びをあげたのは、リリナ。
妹のやかましい声は、薄暗い坑道に反響する。
と同時に、わたしたちに立ちはだかるようにして、岩の陰からのっそりと5つの巨影が現れた。
鬼、と呼ばれる魔物だ。2メートルを越す体躯は、筋肉の鎧に覆われている。頭部はごつごつとしており、1本の角が天に向かって競り出ていた。ギョロギョロとした紅の瞳は、わたしたちを敵として認識したようだ。
……今まで出会ってきた魔物とは一線を画する強敵。
「ようやく。退屈していたところよ」
ユーリィは鬼たちの出現に臆さず、しなやかな動きで前へと進み出る。一歩遅れで、クレアも彼女に続いた。
「ユーリィさんは後衛よ。前は私に任せてくれていいわ」
クレアは鬼から視線を外さず、静かに言い放った。それに応じるのは、不敵な笑みを浮かべるユーリィ。
「私を普通の魔法使いと同じ扱い、しないで欲しいわぁ」
ユーリィは足音すら立てずに、クレアの隣へ並んだ。その立ち位置は、近接戦闘顔負けの、突出したもの。白のローブをたなびかせて、手ぶらなユーリィは丸腰で鬼と対峙している。
落ち着き払った2人とは裏腹に、わたしはそんなことを冷静に観察している状況ではなかった。
「え、えっと、えっと」
慌てた手つきで、ウェストポーチから小柄な宝石のような魔道具を取り出す。
……で、次はどうすればいいんだっけ?
わたしは何の魔法を唱えればいいのか、咄嗟には思い浮かばなかった。
「わわわ、どうしようどうしよう!」
隣で喚いているのはリリナだ。妹は細身の剣を抜いてこそいるものの、屈強な鬼たちを目にして、前線に立つことができないようだ。
わたしたち姉妹は2人揃って、おろおろと足踏みをしている。
お遊戯会のような後衛組に対して、前衛組からはピリピリとした空気が発せられていた。
「前は私で大丈夫だから」
クレアは下がろうとしないユーリィに、忠告のように声をかける。その手には、抜身となった長剣が握られていた。天井の穴から流れ込む陽の光に、刀身がギラギラと輝いている。
「つれないわねぇ」
ユーリィはわたしたちの騒ぎ声すら愉しんでいるのか、くつくつと笑いながら鬼たちへさらに踏み出す。クレアの言葉など、耳から通り抜けていってしまっているかのようだ。
鬼とて、黙って見ているわけではなかった。おもむろに向かってくるユーリィへ、2匹の鬼が打って出る。
それを見兼ねてか、クレアも滑るように前進した。
鬼の大木のような腕が、頭上から叩きつけられる。
クレアは反射的に、ユーリィを引っ張ってでも回避させようとしたけれど、その腕が空振っていた。
「心配しなさんな。私に攻撃は当たらないから」
声は、クレアの頭上からだった。彼女がはっと顔を上げると、驚きの光景に目を丸くする。
ユーリィは、彼女目掛けて攻撃を放った鬼の肩で、優雅に座っていたのだ。それはまるで、噴水付きの庭でティータイムを嗜むお嬢様の貫禄である。
瞬間移動。半妖であるユーリィの特権だ。
「ユーリィさん、頼りになるわ。では、さっさと片付けてしまいましょうか」
「ええ。と、言いたいところだけど」
クレアが鬼へ剣を構えると、ユーリィの姿が空気に溶け込むようにして消失した。
「わー、どうしようどうしよう!」
そんなやり取りなんて別世界の出来事かのように、わたしたち姉妹はパニック状態を維持していた。
「お姉ちゃん~! わたし、前出たほうがいいかな!? でも、でも、わたしが前に行っても邪魔なだけだよね? どうしようどうしよう!」
「リリナ~! わたし、何の魔法使えたっけ? 何も思い出せないよっ、どうしよう!」
強敵の出現によって、極度の緊張が発生してしまい、頭の中が空っぽだった。姉妹して。
そこに、やれやれ、と息を吐いて、わたしの肩に手で触れてくる人物がいた。
「エリナさん。中級教科書127ページよ」
ユーリィが、そっと耳元で囁いてくれる。
「127ページ……あっ!」
その一言で。
わたしは視界がさーっと開けたような気がして、脳みそが覚醒したみたいに、大海原を俯瞰的に見ているような気分だった。
教科書は、穴が開くほど読んだ。ページ数を言われれば、さっと思い出せるほどに。
わたしは心のなかでユーリィに感謝しながら、魔法の詠唱に入った。
「リリナさんは……そうねぇ。私の応援でも、していてね」
「う、うん! ユーリィちゃん、ふぁいとー!」
ユーリィは満足げに頷くと、再び姿をくらませて、鬼たちの眼前に湧いて出た。
その寸劇のような時間で、鬼の1匹はクレアによって切り伏せられている。
「さて、さっくり終わらせましょう」
「2人のお世話、助かったわ」
ユーリィとクレアは目線で合図をして、鬼の群れへと躍り出た。
「……ふー」
わたしは額から伝う汗を腕で拭いながら、息をついた。
5匹の鬼は瞬く間に屠られ、殺気に満ちた気配は去っている。
「エリナ。ちゃんとできたわね」
クレアは剣を鞘に収めると、満面の笑みを浮かべてわたしのもとへ走り寄ってきた。
5匹いた鬼の内4匹は、クレアとユーリィによって撃退された。
しかし、最後の1匹はどうにかこうにか間に合ったわたしの魔法によって、鬼を撃破したのだ。
これほどの強敵でも、わたしの魔法で倒せるほど、力が身についていた。もちろんそれは、2人が敵を引きつけていてくれたからであって、全部が全部わたしの実力、ってわけではないけれど……。
それでも、勉強は無駄ではなかったんだ。
それを自分のことのように喜んでいるクレアにも、こそばゆくなる。
「さ、最初、慌てちゃったけど……」
思い返すと、恥ずかしい。ベッドに潜り込んで、枕に顔を埋めて足をバタバタさせたいくらいには。
でもでも、次からはどうにかできるだろう、って自信がついたのもまた、事実。後ろを振り返っている場合じゃないよね。
「エリナ、きちんと成長しているわ。偉いわね」
クレアはよしよし、とわたしの頭を撫でてくれる。
「ふにゃぁ」
やっぱり、この手つきには懐柔されちゃうよね。わたしはクレアに抗うことができなくて、こんな場所だというのに、気の抜けた声をあげてしまっていた。
「…………」
その隣では。
リリナがこの世の終わりみたいな顔で落胆している。
「ユーリィちゃんの応援しか、することがない……」
「そう気を落としなさんな、リリナさん。私はそれで力がもらえるから、重要な役目なのよ」
ユーリィが頑張ってリリナのフォローをしている。
うーん、やっぱり、改めて思うけれど。リリナとユーリィって、同い年には見えないよね……。




