第十二話ー②
その日の夜。
わたしとクレアは、学生寮1階の食堂にいた。
学生寮で生活をする生徒たちは、朝夜の昼食をここで摂る。休日は閉まっていることもあるけど、それを除けば大勢の学生たちで埋め尽くされる賑わった場所だ。席数も多い。
わたしたちは、すでに夕飯を済ませたところだった。
「リリナたち、いないみたいだね」
「そのようね」
わたしはキョロキョロと首を巡らせては、嘆くように呻いた。
いつもならば、妹たちもここで食事をしている姿を見かけるのに、今日に限って見当たらない。
自室にもキッチンはあるはずだから、自炊でもしているのかな。
もー、タイミングが悪いんだから。わたしは空になったお皿の上で溜息を吐いた。
「なら、食休みをしたら、部屋に行ってみましょうか。エリナが面倒なら、私だけで行ってもいいわ」
「そんなことないよ、一緒に行こっ」
もともと、リリナの部屋にお邪魔する予定だったしね。ここではその用件を伝えるために、リリナを探していただけだし。
わたしは食器をお盆に乗せて立ち上がりながら、やっぱり何かがおかしいなあ、って気がしていた。
だって、リリナって自炊とか面倒臭がりそうだし。ユーリィもぼんやりとしているから、家事は苦手なイメージが付きまとうかなあ。それはもちろん、わたしの勝手な想像で、実はユーリィが好きな人のためになら腕を振るった料理を御馳走したい、っていう女の子的な部分もあるのかもだけど。
それでもね、毎日出てくる学生寮の食事を、何の変哲もない平日である今日に限って、食べないのは変だよね。手作り料理を振る舞いたいのなら、休日にすればいいし。
「妹さんのこと、なにか心配?」
どうやら、わたしは考え事に向いていないらしい。クレアはまるで、わたしのほっぺたに食べ残しがついているのを見つけたかのように、楽しげに笑っていた。
「心配、っていうか。リリナってそそっかしいし、不安なところは多いよね……」
「ふふ、エリナは良いお姉さんね」
「リリナがダメな妹、ってだけだと思うよ……」
食器をカウンターに預けながら、そこまで気にすることでもないかな、って不安の種も返却するのだった。
自室で食後の休憩をした後、わたしは1人で学生寮をブラブラと散策していた。
クレアはもう少し部屋でくつろぐらしい。小休止の後、1階のロビーで合流して、リリナたちの部屋へ向かう予定だった。
オディナス学園の学生寮は、なかなかの広さを誇る。5階建ての建物に、施設も充実しているのだ。入寮者もそこそこいるはずだけれど、部屋にこもりっきりの人間が多いので、廊下はひっそりとしていることがほとんど。
わたしだってそんな生徒の1人。1年以上この寮で暮らしているのに、どこに何があるか、実はあんまり知らなかったりする。
リリナたちの部屋は1階。なので、その1階を歩き回ってみよっかな、って気まぐれで思い至ったのだ。ちなみに、わたしたちの部屋は3階。
廊下などの外観は、3階と変わらなかった。だけど、1階には食堂やロビーなど、大きめの施設が構えてある。さらには優雅なバルコニーもあった。
わたしはそれを横目で眺めながら、1階の人はここで夕涼みできそうで羨ましいなあ、なんて思っていた。寮の自室にはベランダすらないから。
外は暗闇が支配しており、こんな時間にバルコニーへと出ている人間はいないようで、わたしは視線を廊下に戻した。
「あれっ?」
おかしいな。誰もいなかったはずのバルコニー。だけど、視界の端には、人影があったような気がしたのだ。
再び、首は向けられる。
「見間違い……かな?」
とは言ったものの、1度気になってしまったら、この目で確認したくなるのがわたしの性。バルコニーにも出てみたかったし、ちょうどいいよね。
ガラス戸をそっと開けて、屋外へ踏み出す。夜風がわたしの頬を撫でた。
そこは空間が開けていて、鉢に植えられた観葉植物なども数多く見受けられる。中心には丸テーブルやら椅子やらが何セットか設えられ、憩いの場にはうってつけ。手すりの先には木々の乱立した風景が覗ける。今は夜なので少し不気味だけど……これがお昼だったら、お茶を持って一休みしたくなるね。
ぐるっと見渡してみて、やっぱり誰もいないみたいだった。
わたしは確認を終えて満足、踵を返す。
――その瞬間、横目に2つの人影が映り込んだ。
今度こそ見間違いじゃない。観葉植物の裏に、はっきりと2つの影があったのだ。
きっと、わたしの出現に驚いて、隠れちゃったのかな。見間違いではないことに安堵して、邪魔してはいけないな、と思って見て見ぬ振りをすることにした。
廊下に片足が出たところで、
「ふふふ、何だかいけないことをしてる気分になるね~」
ひそひそとした声が届いてきた。
足がぴたりと止まる。
どう脳内再生しても、リリナの声だった。
……リリナったら、こんなところで何してるのよ!
ってゆーか、隠れるなら、もっと慎重になりなさいよ。声聞こえちゃってるとか、間抜け過ぎるんですけど……。元気を具現化したかのようなあの妹に、隠密行為はいささか高等技術だったようだ。
影は2つあったのだから、もう1つは考えるまでもなくユーリィだろうね。
ちょうど2人に用があったわけだけど、ここで声をかけていいものだろうか、躊躇いが生じている。
だって、何か雰囲気が怪しいし……。2人に水を差すわけにはいかないよね。なんだかこのままでは、わたしのほうがイケナイものを覗いているような、こっちが隠密行為に見えなくもないし……。
声をかけようかな。いやいや、今じゃなくてもいいよ。
わたしの頭の中ではそんな2大勢力が戦争を始めていた。
やっぱり、覗き見しているのを黙ったままではいけない。わたしの真面目な部分が勝利をしたようで、正々堂々たる足取りで彼女たちに向かった。
月光に照らされて、2人がぼんやりと浮かび上がる。
「――――うっ!」
彼女たちを瞳に映した瞬間、声にならない声が喉から出かけた。叫ばなかった自分を褒めてあげたいよ。
しかしながら、視線は外せない。
リリナとユーリィは、月光を背景にキスをしていたのだ。
こんな場所で、なんてことをしているのっ……!?
ここは姉として注意するべき? それとも、2人の愛を邪魔してはダメ?
ど、どうしよう……。
わたしの頭の中では、再び戦争が開始されていた。
動揺で動悸が止まらない。止まらないが、2人の行末を見守ることをやめようとはしない。
暗闇に目が慣れてくると、妹たちの影形が仔細にわかるようになってきたのだ。
リリナの片手はユーリィと握り合っている。そして空いている右手が、ユーリィの胸元へ伸びていった。
(ちょ、ちょっと……! 2人の関係はいったいどこまで進んでいるの!? わたしですらまだなことを、リリナたちはもう……?)
心臓がドキドキとうるさい。まるで、自分とクレアが行為をしているかのように、投影してしまっていた。生唾をごくりと飲み込んで、目をぎらつかせながら、2人の動向に釘付けだ。
リリナの手は、彼女が愛する人の胸をふんだんにまさぐっている。ユーリィってば、おっぱいおっきいもんね。さぞ、揉みごたえがあるでしょうね。
わたしは自分の呼吸音すら他人事のように聞こえていた。
その耳に、別の雑音が届いてくる。どうやら、学生寮の住人が、廊下を通りかかっているようだ。
わたしは我に返って、リリナたちがいる方とは逆の観葉植物に隠れた。
危ない危ない。
ん、待ってよ。
もしもこんな場面を誰かに見つかってしまった場合、怪しいのは覗きをしているわたしになるの? それとも、えっちなことをしているリリナたちになるの?
そんなどうでもいいことを思い浮かべながら、息を潜める。
はぁ。
わたし、何してるんだろ……。
頭が冷やされてきたのか、自分に辟易とし始めていた。
廊下に誰もいなくなったら、部屋に戻ろう。ようやく決心できそうだ。
でもなぁ。リリナたち、いくらなんでも早すぎないかなぁ。
じっと身を固めていると、脳裏によぎるのは2人の行為。
あれをわたしとクレアがするとしたら――。
わゎ、ダメダメ。そんなの考えられない!
わたしの心臓は早鐘を打ち始めた。
だって、クレアとはまだキス止まりの関係だし……。いやそりゃーね、お風呂上がりの下着姿であるクレアはしょっちゅう見ているし、ベッドも一緒だけどさ。
……直接触れ合ったりとかは、まだ。
でもね、結婚を考えているんだから、その先があっても、おかしなことはないよね。なんてふしだらなことを考えてみるけど。
別に、焦る問題じゃないよねっ!? うんうん。
あっという間にストップがかかってしまう。
チキンハートで恋愛経験ゼロでへたれのわたしだった。
そ、それにさ、こういうことって、クレアが先にしてくれそうだよね。そうなったら、拒まなければいいんだよ。
でも、そのクレアも……1年近く一緒に住んでいるのに、手を出してくれないし。わたしって、やっぱり女性としての魅力は欠けているのかな……。
出会ったときのクレアはけっこうスキンシップ多かった気がするのに。ああ、マイナスな思考にしかならないよ! それもこれも、全部リリナのせいだ!
脳内で会議を繰り広げ、わたしは1人熱くなっていた。
その肩に、何かが触れる。
ひんやりとしていた。
「ひゃぁ!」
全くの無警戒だったため、わたしは心臓が口から飛び出たのかと思った。ほんとに。
「しっ。リリナさんに見つかってしまうわよ?」
わたしの口元を手で押さえつけながら、ひっそりと声をかけてきたのは、事件の当人であるユーリィだった。
わたしはまたもや仰天しそうになる。
今の今までリリナとイチャイチャしていたはずなのに、いつの間に……。
「えっと、あ、あのね。その……」
わたしはしどろもどろになって、口からは言い訳すらも出てこなかった。
ユーリィはクスクスと笑っている。
「こんなところで、何をしていたの? お1人でかくれんぼかしらぁ?」
「えっとー……。ご、ごめんなさい!」
問い詰められたわたしには、謝罪の1択しか存在しなかった。
ユーリィはそれが予想通りだったのか、楽しげに目を細めている。
彼女のことだ、もしかしたら、最初からわたしの闖入には気づいていたのかもしれない。そういう性格してそうだよね、ユーリィ。
「あ、そうだ。2人にね、ちょっと用事があって」
「うふふ、それじゃあ後で、でいいかしら。今はリリナさんと……お楽しみだから」
「え。あっ、う、うん。お邪魔してゴメンナサイ」
「リリナさんのお傍、あんまり離れていられないから。もうお行きなさいな」
ユーリィはわたしを庇うように道を開けてくれる。その隙を見計らって、リリナにバレないよう、そっと廊下へ身を躍らせた。
妹をお説教しようか悩んでいたはずなのに、逆に諭されてしまったかのようになって、わたしは心中複雑だった。
なんでこんな目に合わなきゃいけないのよ……。




