第七話ー①
7
それは、普段通りの学園だったはず。
クレアへ告白の返事をした後のわたしは、心のモヤモヤから解き放たれたのだ。
それからの学園生活というものは、わたしを阻むものなんてなんにもなくって、授業を集中して受けることができた。
毎日が手応えバッチリ。きっと、成績はあがっているはず。
今日も心身ともに満たされた1日が終わる。
放課後、紅く彩られていく校庭の樹木に視線を向けながら、充足した息をついているところだった。
クレアとは学科が別なので、授業が終わる時間には微妙に差異がある。だから、昇降口にて彼女を待っているところ。大切な人の到来を待ちぼうけするのは、苦でもなんでもないんだね。わたしはクレアのことを思い馳せているだけで、いつまでもここに立っていられる気がしていた。
だけど。
日常っていうものは、あっけなく崩れていくんだな、って知るはめになる。
わたしの視界にノイズのように映ったモノが、普通、をあっさりと破壊したのだ。
いつもの光景に、"いつもとは違う何か"、が現れただけで、それはもう日常ではないのである。
ただし、それは凶兆ではなかった。
「ど、どうして……?」
茫洋とした声を発することしかできなかった。
わたしはしっかりと意識を保って、校門に目を向ける。そこには、違和感たっぷりの存在があったのだ。
紫色の傘を差した、白のローブに包まれた人間。
夏休みのあの晩に出会った、不気味さを湛えていた女性。
そこにいたのは、ユーリィだった。
学園と、ユーリィ。
あまりにも不釣り合いな組み合わせだと思った。
失礼な話、ユーリィはあの館、もしくはその周辺にしか存在していないのではないか、って考えているくらいだったのだ。
しかし、わたしの眼前には、ウェーブの金髪をなびかせている絶世の美女が確かに佇んでいる。
心が大きく揺さぶられた気がした。
ついさっきまで、校門には誰もいなかったのに。降って湧いたように現れたユーリィが、幻覚かとも思った。
だけど、ぽつぽつと点在する他の生徒たちも、奇食の目でユーリィを捉えている。奇妙な出で立ちなので、視線を集める理由は充分。中には歩みを止めて、ユーリィの顔を覗いては、溜息を漏らす子もいた。
それが裏付けとなって、ユーリィの存在を確立させる。夢うつつのような出来事だ。
わたしの視線に気がついたユーリィは、悠然と振り向く。そこに浮かべているのは、艶めかしい大人の色香むんむんのユーリィ。ではなかった。
ちょっとだけ悪戯めいた、子どもっぽさを残している可愛いユーリィだ。
どうして彼女がここにいるのか。
疑問はひとまず置いておいて。わたしは駆けていた。
ユーリィは傘をくるくると回しながら、わたしを迎えてくれる。
青と紫の瞳は、待ち人を見つけた喜びに輝いているように見えた。まるで、ついさっき、わたしがクレアを待っていたときのような。
……ちょっと自意識過剰かな?
「ユーリィっ。ど、どうして、こんなところにいるのっ!?」
わたしは挨拶も忘れて問いただしていた。ユーリィはそんなわたしを楽しげに一瞥すると、くすり、と艶やかに唇の端を吊り上げる。
あ、これ、えっちな感じのユーリィだ。
「今度は私が会いに行く、って言ったでしょう?」
「そ、それはそうだけど……。どうして学校なんかに?」
「ふふ、学生手帳を拝見させてもらったときにね、この学園の場所を覚えていたのよ。ここでなら、エリナさんに会えると思って」
「そうだったんだ」
なんだか、けっこういじらしいところもあるね、ユーリィって。
わたしは自分の家を彼女に伝えていなかったのもあるし、学園にまで来てくれた、ってところが、健気なように感じたのだ。
「それにね、エリナさんがくれたこの傘、とっても良くって。こうやって太陽の出ている間にも、お外を歩けるようになったから、ね」
わたしがプレゼントした傘が大いに役立っているようで、どこか安心していた。
ユーリィの持つ紫色の瞳は、特殊な体質らしい。その目を通して映る視界は、全てが紫に見えるらしいのだ。
それが不憫に感じたわたしは、彼女のことを想って、魔道具を施した傘を考案したのである。
傘布からは紫色の光がカーテンのように垂れており、傘を差した人間は紫の光源に包まれるのだ。
ユーリィが突然会いに来てくれたのは驚いたけれど、ひとまずは再会を喜ぶところだよね。
それは彼女も一緒だったのか、すすすーっと音もなくわたしににじり寄ってきた。
わたしが声をあげる間もなしに、ひしっ、と抱擁されてしまう。
相合い傘の中で逢瀬する恋人みたいになってしまった。
そして、とーぜんといわんばかりに、彼女のとてつもなく巨大な胸を押し付けられている。
……ユーリィってば、外出するのにも下着をつけていないのか、なんともリアルな質感を伴ったおっぱいを、これでもか、とぐにゅんぐにゅん密着させてきていた。
こ、この攻撃、まずいんだってば。
わたしにはクレアがいるのに。
思考を根こそぎ奪われるかのような、ユーリィのおっぱい攻撃は、とてつもない破壊力を持ってしてわたしに襲いかかってくるのだ。
そして、それを見た周囲の学生たちに、ひそひそ、とした話をされてしまう。
わたしってば、クレアと恋仲で有名になっちゃっているのに……。
それなのに、ユーリィのような超絶美人と抱き合っちゃって、浮気なのかなんなのか、噂でもされないか心配だよ!
わたしはどうにかこうにか、ユーリィを押しのけた。
その際に、彼女はしょんぼりとするような表情を垣間見せる。
……なんだか、ユーリィって、わたしに好意を持ってくれているみたいで、申し訳なくなっちゃう。
「あら、エリナ」
すると、凛とした鈴の音のような声が届いてきた。とっても聞き慣れているものだ。
わたしはびくっと肩をすくめた後に、慌てて振り返る。
そこには予想通り、クレアが駆け寄ってくる姿が目に映った。……うぅ、後ろめたさが心の底にちょこんと頭を覗かせる。
だ、だって。ユーリィと抱き合っていた所、見られていないかな、って不安になったのだ。
もちろん浮気心なんて一切ないし、クレア一筋だよ、って心から言えるけれど。変な誤解が生まれたら最悪だし、おっぱいを押し付けられていたのは事実だし……。
「……そちらの方は」
クレアはわたしの横に視線を滑らせると、少しだけ眉間に皺を寄せた。
うっ。
すごい嫌な空気なんですけど。
それを受けたユーリィも笑みを形作るけど、どことなく無表情に見える、能面のような顔になっていた。
うわー。
美女同士の睨み合いって、迫力すごすぎ。
あの夜も確か、ロビーでやりあっていたっけ……。
もしかして、ユーリィに抱きすくめられているところ、見られていたのかな。
ううん、それ抜きにしても、わたしとユーリィの距離感って近かったし。それに、クレアってば、ユーリィのことあんまり良く想っていないみたいだから。
クレアは頭を振ると、睨むような目つきから、取り繕うような微笑に変えた。どこかよそよそしいな、とは思うけれど、形だけでも友好を結ぼうという気概には安堵する。
「この前は泊めて頂いた上に、エリナを助けてくれてありがとうございました」
クレアはユーリィの全身を、上から下までしげしげと眺めている。何かに身構えているかのような、隙を見せないクレアだ。口調に刺々しさはないものの、どこか感情に欠ける。
それでも、敵対心を無理矢理抑え込んでいるみたいで、わたしを慮ってくれているのだろう。
だって、わたしがユーリィのことを友達として好き、っていうのは理解してもらえているはずだから。
でも、やっぱり、クレアは不安いっぱいみたい。
わたしはそんな彼女を偲んで、クレアの傍らにぴっとりと寄り添って、そっと指先に触れる。
ユーリィはその行動をしっかりとオッドアイの双眸に映していたのか、彼女は妖しげな笑みを浮かべた。
なんだか、嫉妬のような、羨むような、嘆いているような、複数の感情をごちゃまぜにして隠しているのか、複雑な表情だ。
にしても、この2人、どう扱えばいいんだろ……。
どう考えても、水と油だよね。わたしとしては、彼女たちに分かり合って欲しいところではあるけれど……。
うーん、と唸りながらも、自分を奮い立たせた。
だって、わたしが2人の仲を持つしかないよね。
「ところで、ユーリィはわたしに何か用でもあったの?」
「そうねぇ。エリナさんと、お茶でもしたいな、と思って。エリナさんのお部屋にも興味があるし」
ユーリィは、ふふ、って意味深に微笑む。彼女の左目である紫色の眼が艶やかに煌めく。何やらえっちなお誘いでもしてきようものなら、クレアが剣を抜いてしまいそうだ。
ユーリィはセクシーさを維持しつつ、流し目でも送るかのようにクレアを見やった。
「もちろん、そこで目を光らせているナイトさんのお許しがあれば、だけど」
挑発するような言い草に、気が気じゃなくなりそうだ。
もう、どうしてそんなに喧嘩腰なのよ2人とも。これはもう、徹底的に和解をしてもらわないとね。
わたしは逆境に強いのか、なぜだか使命感を背負ったような気になった。
クレアの袖を掴んで、彼女に目で訴えかける。クレアは、ふう、と諦念したように嘆息した。その後、いつものように、わたしを安心させるために、にっこり、と笑ってくれる。
「エリナさえよければ、部屋に行きましょうか」
「じゃ、部屋、行こっか。お茶菓子とか、何もなかった気がするけど……」
「ふふ、ありがとう」
ユーリィは一点、無邪気にコロコロと笑う。
しっかし、クレアもユーリィも、なかなかにメンタルが強いよねえ……。
犬猿の仲、ともとれそうな2人の美女。
ちょっぴり気まずい、緊張に孕んだ放課後のひとときが始まるのだった。




