第五話(前編)ー④
室内はユーリィの趣味なのか、アンティーク品に彩られており、洒落た感じのお部屋だった。館全体に同一種のお香を焚いているらしく、やはりここも同じ匂いが充満している。
来客用の部屋ではないみたいで、ベッドやクローゼットまで設えられてあり、生活感に溢れている。例に漏れず明かりには乏しいので、目が慣れるまでは足元に気をつけないとね。
ユーリィは部屋の中央にある丸テーブルへわたしを誘ってきた。
「えっ、きゃっ……」
彼女の傍にまで歩み寄ると……とっさに抱きしめられた。
油断してたこともあってか、わたしは飛び退きそうになる。けれど、ユーリィはがっちりと腕でわたしをホールドしており、さっきよりも濃厚な抱擁を受けることとなった。
きっとユーリィの巨乳は潰れちゃってるんだろうな、ってくらい積極的に胸を押し付けられる。
うう、さっきので諦めてくれた、って思ってたのに、そうじゃなくって、部屋に入ってから続きをしたかっただけなのかも。
彼女に抱きしめられて、おっぱいを押し付けられて、今すぐにでも押し倒されちゃいそう。
そ、それに、ユーリィの柔らかな胸は、きっと下着なんて身につけてないんだ、ってわかっちゃったから。布越しに伝わってくる、ちょっとした突起物がね、擦れてくるんだもの。
わたしは余計に慌てふためいていた。クレアだって、こんなに強引じゃないんだから。初めての経験に、脳みそがショート寸前。
「本当に可愛いわ、エリナさん。好きになってしまいそう」
耳元で艶やかに囁いてくるユーリィ。色気たっぷりの彼女に魅了されてしまいそうだった。
にしてもクレアといい、なんでこれほどまでの美女たちにわたしは言い寄られてしまうのだろう。なんだか不思議な気分だよ。女の子同士なんて、あの日までは思ってもいなかったのに、今では受け入れてしまっている自分がいた。それでもね。わたしが好かれる、っていうのだけは受け止めきれないよ。わたしより可愛い子っていっぱいいるし。
「あのっ、ダメだよ、ユーリィ……」
わたしはやんわりと、それでいて確固たる意志を持って拒否の姿勢を見せた。
ユーリィが好意を向けてくれるのは嫌な気がしないけど……それでも、わたしにはクレアがいるんだから。ずるずると、なし崩し的に、は許されないよ。
「あらあら、女の人同士は嫌なのかしら?」
「そ、そうじゃなくって……」
「あら、そうじゃないのね。なら、イイコト、しちゃいましょう?」
ユーリィが浮かべる魅惑たっぷりの妖艶とした微笑みは、男女関係なしに生唾を飲み込むこと必至。しかも、豊満な胸をこれでもかとグイグイ密着させてくるのだから、生半可な神経では太刀打ちできないよ。
だからわたしは頭を振って、クレアを思い浮かべることで耐え忍ぶ。ありがと、クレア。心の支えって大事なんだね。
「ってゆーか、ユーリィこそ、どうして女のわたしに……」
「ふふ、私は生まれつきそっち側の人だからよ。だから、思う存分楽しみましょうよ」
「でもっ、ダメ! せめて、もっと仲良くなってからじゃないと、絶対にダメなんだから」
わたしは今度こそ、力強く言い放った。
クレアの名を出さなかったのは、気まずかったから、とかじゃなくって。面識がない人のことを引き合いに出してもなあ、って思ったからだった。
意外にも、ユーリィはあっさりと引き下がってくれる。どうやら、聞く耳持たず無理矢理、ってことはしないみたい。
ちょっとだけ貞操の危機を感じ取っていただけに、強引じゃないユーリィは好感度がアップする。
……ってゆーか、女同士で貞操の危機、ってなんなのよ。
「残念。でもね、諦めたわけじゃないわ。ふふ、じっくりと、仲良くなりましょ?」
「あはは……」
わたしは苦笑いを返すことしかできなかった。
でも、大丈夫だよね。だって、ここにいるのは一晩だけだし。
「じゃ、お食事持ってくるから。待っていてね」
「あ。そのことなんだけど……」
すぐにでも部屋から立ち去ろうとしたユーリィを呼び止めると、彼女はわざとらしく首を傾げた。全てを見透かしているかのような視線は、若干居心地が悪い。
「着替えたいの? お洋服、びしょびしょだものね。クローゼットの中にあるもの、勝手に使っていいのよ。それに、着替えを手伝ってあげましょうか?」
「そ、そうじゃなくって」
確かにね、べったりと張り付いてくるシャツは気持ち悪いよ。ましてや盛大に転んじゃって、泥だらけだし。こんな汚れた格好で部屋に入るのも失礼だったかもだけど……。
できればお洋服は借りたいところ。ユーリィと背丈はおんなじくらいだから、サイズが合わないとかの心配はなさそう。
いや。胸のところに不安が残るけど。
でもでも、そうじゃないの。
「お風呂が先のほうがよかったかしらね? バスルームはそっちよ。もちろん、お背中を洗い流してあげるサービスつき」
「それも違くって……。あ、でもお風呂は借りたいかも。背中は自分で洗うけど!」
ユーリィはわたしの反応を楽しんでいるみたい。
わたしが彼女の申し出をことごとく断っているのは……クレアが心配だったから。
だって、クレアは今現在も、きっと山中でわたしのことを探しているはず。それなのに、わたしだけのうのうと食事をとるなんて、できないよ。
「大丈夫、わかっているわ。エリナさんはいい子なのね。ふふ、もうそろそろ、来る頃かしら」
「あ、あの、そのことなんだけど」
「それでも、お風呂は入ったほうがいいわよ。風邪、引いちゃったら、その子も悲しむでしょう。あ、安心して、覗いたりはしないから」
わたしの疑問を無視して、ユーリィはそのまま部屋から退出していった。
ぽつん、と1人残されたわたし。
今のユーリィの言葉は、どう捉えてもクレアのことを示唆していた。それどころか、彼女が悲しむ、とまで言い切って、関係性までも熟知しているようだ。
どうして、そんなことがわかるんだろう。本当に奇妙な女性だよ、ユーリィって。
でもね、やっぱり彼女から悪意は感じられないんだ。
……そりゃー、ちょっとは貞操に危機があったけども。それだって、悪意ではなくって、行き過ぎた好意によるものなんだから。
濡れたままの服を着ていたため、次第に寒気を感じてきたわたしは、お風呂だけでももらっておこうかな、と思ってバスルームへ向かった。
お風呂場の電気はきちんと点くようで、明かりを目一杯あげる。点灯したランプが目に痛いほど、明かりの懐かしさを感じさせてくれた。
やっぱり光があると、人間って落ち着きがでるものだね。
わたしはほっと一息ついていた。
そしてシャワーを浴びながら、頭の中を整理する。考えることはいっぱいあった。
一番気がかりなのはクレアのことなんだけど……いかんせん、ユーリィのインパクトが強烈すぎ。あまりにも謎めいた部分が多すぎるよ。ミステリアスな女性……ってことなら、クレアもそうだったよね。でもクレアとは一緒にいる時間が多かったから、もう色んなことを知っている。
反面、ユーリィは出会ったばっかりだし。彼女とも、一緒に過ごしたら、思いがけない一面も知れるのかなあ?
今ですら興味が尽きないしね。
こんなところで暮らしていて、普段は何してるんだろーとか。ユーリィ以外はここに住んでいないのかな、とか。どうして1人でここにいるのかとかも。
そして、極めつけは紫色の瞳と、その体質について。
他にも、どうして知り得ないようなことを言い当ててくるんだろう、とか。
不思議でいっぱいだよ、ユーリィって。
――わたしはやっぱり、彼女にもお昼は好きになってもらいたかった。
だって、ユーリィが……謎だらけのユーリィが、自らはっきりと口にしてくれた自分のことだったのだから。それに、嫌い、って言葉に乗せていたときのユーリィは、可哀想に思えたから。
そんなことを考えつつ、お風呂からあがる。彼女のクローゼットから着替えを拝借。ユーリィは似たような服しか所持していないのか、わたしもお揃いの白いローブに身を包んだ。
すーすーするけど、ゆったりとしていて着心地が良い。それに、胸の部分で悔しい思いをしなくて済んだ。ローブって便利だね。
ユーリィは部屋から出ていったきり戻ってこない。
雷はかなり遠のいたみたいだけど、耳を澄ませば雷鳴は聞こえてくる。それに加えて、薄暗い館の中だから、1人っきりになると孤独感が押し寄せてきた。
でもね、クレアはまだ外にいるんだよ。情けないことは言ってられないね。
わたしはユーリィを信じて、クレアが早く来てくれることを祈ることしかできなかった。
時間だけが経過していく。室内には時計がないので、正確な時刻は把握できないけれど。ユーリィの館に招いてもらってから、そんなに時間は経っていないように思えた。でも、1人だとやけに時の流れが遅く感じるよ。
わたしはテーブルについたまま、じっとしている。ユーリィはわざわざ食事を作ってくれているのか、帰ってくる気配がない。まさか、幻のように消えちゃった……とかはないよね。
不安に駆られていると、わずかな変化が生じた。
小さな物音と、人の話し声がかすかに聞き取れたのだ。
それはわたしにとって、聞き覚えのある声。居ても立っても居られなかった。
思わず部屋を飛び出していたほどである。
廊下に出るとそれは明確になって、館内に誰かが入っていることを知らせてくれる。わたしは安堵でいっぱいだった。
声の出処であるロビーへ進むと、2つの人影を発見する。
「クレアっ……! よかったぁ」
影の主――クレアに駆け寄って、ようようと声を絞り出す。わたしの口元は緩みきっていた。
だけど、肌を刺すようなピリピリとした空気を感じ取って、わたしはすぐさま萎縮する。
そこにいるのは見紛うことのないクレア本人だったけれど、殺気立った気配でユーリィと対峙しているのだ。それを一身に受けているユーリィは薄笑いをしていて、笑みが能面のように顔に貼り付いている。本心は全く窺えない。
2人は視線をぶつけ合っており、今にも火花が飛び散りそうだ。
わたしには彼女たちが対立する理由がわからなかった。だけど、その均衡を崩したのが、わたし、だったのかもしれない。
声をかけてから数秒遅れて、クレアがゆっくりと顔を向けてきた。
「エリナ……」
クレアはわたしを視界に収めると心底安心したのか、へにゃっとした顔つきになって、空気を柔らかなものへ変えた。先ほどまでの怖い彼女は霧散しており、いつも通りのわたしに優しいクレアに戻っている。
わたしはすぐに彼女へ飛びついた。
「エリナ、無事で良かったわ。離れてしまって、ごめんなさい」
「ううん……クレアは悪くないよ。わたしが手を離しちゃったから。……ごめんね」
再会の喜びに、涙が出そうになっちゃう。
クレアは雨にずっと打たれながら、わたしを探してくれていたのだろう。彼女の体温は冷たい。だから、わたしはクレアにぴっとりとくっついて、人肌の温もりを分け与えてあげるイメージで、抱きしめるのだった。
それを傍観していたユーリィは、彼女特有の、くすくす、っと声をあげて笑う。わたしはそれでユーリィがいるのを思い出して、ぱっとクレアから離れる。
「ま、今日は2人とも泊まっていきなさいな。先ほどの部屋、覚えているでしょう? エリナさん、案内してあげてね」
ユーリィはそれだけ告げると、ロビーの先にある階段へ去っていった。クレアはその後ろ背を不審に見つめている。
「不気味な人ね」
「あはは、気持ちはわかるけど、そういうこと言っちゃダメだよ。全然いい人だったんだから。にしても、クレアは、どうしてここにたどり着いたの?」
わたしはクレアの腕を引っ張って、廊下を歩きながら聞いていた。
ユーリィが不気味……って感想は、わたしも抱いちゃっていたし、まあしょうがないけどね。でも、クレアともども、泊めてくれるっていうんだから、感謝しかないのも事実だよ。
でも、ユーリィが予言した通り、クレアっていうお客さんはほんとに訪れてきたのだ。
「どうして、って聞かれると……困るわね。自分でもわからないの。導かれたようにこの館を見つけて……」
クレアは顎に指先を添えて、返答に困窮しているようだった。
不自然な答えだったけれど、なんだかわたしは納得できる気がしていた。
わたしだって、偶然この館を見つけたんだけど。もしかしたら、必然だったんじゃないのかな、っていわれても頷けるし。
あんまり深く考えないほうがいいのかも。ちょっと怖くなってきちゃうよ。
「……朝になったら、ここを出ていきましょう。ここに関わるのは、なんだか危険な気がするわ」
「うん、そうだね」
不気味なほど静かな廊下では、会話も弾まない。
わたしはクレアに同意しつつも、1つのことを思い出していた。
「そういえば、さっきはユーリィと何を話していたの?」
先ほどのクレアの様子はただごとではなかった。今にも剣を抜きそうなほどだったので、聞かずにはいられない。
「彼女がエリナのことを知っている素振りを見せたから。エリナに何かしたんじゃないのか、って思ったら、自然とああなっていたわ」
クレアは恥ずかしそうに、頬をかきながら答えた。
まさか、それほどわたしのことを案じてくれていたなんて。でも、それもそうかもしれない。
こんな怪しい館に、なんの力も持たないわたしがいる、って知ったなら、クレアじゃなくっても心配しちゃいそうだよね。
わたしも反省しないと。
「ごめんね、クレア。クレアを置いて、勝手に入っちゃって」
「いえ、お互いこうして無事に会えたのだから、良しとしましょう?」
それでこの話は打ち切りとなった。そして、さっき案内された部屋へ戻ってくる。
扉を開けると、わたしは驚愕した。
なんと、室内の様子が変化しているのだ。
テーブルには、すでに食事が用意されてある。
……どういうことなの? だって、わたしがここを離れたときには何にもなかったし。それに、ロビーにいた時間はわずかだよ。一体、いつの間に?
ユーリィ以外の人間がいるようには、とても思えないのだけど……。
かといって、ユーリィ本人がこの食事を用意したのなら、どうやってこの部屋に入ったのだろう。隠し階段とかあるのかなあ……。謎が深まるばかり。
さらには、ベッドの上に、もう一着の着替えが出されてあった。クレアの服もずぶ濡れなので、気を利かせてくれたのだろうか。
でも、やっぱり妙だよね。ロビーにいたクレアの着替えが必要だ、って知ることができるのって、ユーリィしかいないし。
わたしが難しい顔を作っていたので、クレアも何か異常を感じ取ったのか、顔つきが厳しかった。
だけど、わたしは慌ててそれを払拭したくなって、クレアに声をかけた。
「クレア、お風呂入ってきなよ。風邪引いちゃう」
「……そうね、そうしようかしら。1人で待っていられる?」
「待ってられない、って言ったら?」
冗談のつもりで言ったんだけど、クレアは屈託のない笑みを浮かべた後に、わたしの腕を引っ張った。
「じゃ、一緒に入りましょう」
「えっ。さっき入ったばっかりだよ~!」
焦って拒否するけれど、クレアは冗談と受け取ってくれない。
クレアとは一緒の部屋で生活するようになったけど、さすがにお風呂は別々だから……まさか、こんなところで、初めてを!?
いやいや、ダメだってば! 人のお家で一緒にお風呂なんて!
わたしはバスルームまで連行されつつも、どうやって拒否しようか精一杯脳みそをフル回転させるのだった。