表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/50

第五話(前編)ー③

 その奇妙なモノ、に気がついたわたしは、自然と足を止めていた。

 こんな山奥には不釣り合いなモノだったのだ。わたしは視界の(すみ)(とら)えていた"それ"へとぎこちくなく振り向く。


 うん、やっぱり見間違いじゃない。

 木々(きぎ)の合間から見えたモノの正体とは、古めかしい館だった。暗い山中に、はっきりと映り込むそれは、かなり気味が悪い。


 最初はね、こんな山間に不自然なものがあるもんだなあ、って楽観視していた。けれど、徐々(じょじょ)に恐怖が芽生(めば)えてくる。だけどね、興味だって同じくらい生まれていた。

 

 こんな場所に住んでいる人は誰なんだろう、っていう単純な疑問が、わたしを突き動かすのだ。もちろん、廃墟の可能性は高いけれど、わたしは何故(なぜ)だかその館に()かれていた。

 それにね、クレアがもしもこの館を発見したなら、きっと彼女だって同じようにするだろう。離れ離れになったわたしたちにとっては、目立つ場所に向かうのは自然の道理だから。森の中を彷徨(さまよ)うよりは、はるかにマシだろうしね。


 館を目指して進むと、開けた場所へたどり着く。建物の周りに木々はなく、かなり広々とした庭のような空間が存在している。そして、そこから奥は切り立った崖になっており、山の(はし)に位置しているみたい。

 崖を(のぞ)いてみると、随分(ずいぶん)下山したはずなのに、まだまだ上方にいることがわかった。


 そして、館の外観(がいかん)は長年の風雨にさらされてか、かなりの年月が経っているんだな、って一目で伝えてくる。しかし、それでも元の造りがしっかりとしているのか、崩れそうな雰囲気はいささかもない。

 閉め切られた窓からは明かりの(たぐい)が一切うかがえなかった。

 

 やっぱり、誰も住んでいないのかな。

 遠くに(きら)めく稲光が館の全貌(ぜんぼう)を映すと、背筋がぞくっとするような不気味さがあった。

 わたしは館の入り口と思われる巨大な扉の前に立ってみる。人の気配はしない。


「大昔にできたものなのかな? さすがに、こんな場所では生活できないよね……」


 興味深げに扉の周りをじろじろと眺めてみる。

 おそらくだけど、長年放置されていたにもかかわらず、野生の生物や魔物が巣食っている気配もない。館内となればまた別なのかもだけど、中へ入るのは(はばか)られた。

 扉の前ならば雨が入り込んでくることもないし、しばらくはここで雨宿りさせてもらおうかな。クレアが来てくれたら、すぐにわかるだろうし。

 そう決め込んで、扉に背を向けようとした瞬間。


「こんな悪天候の夜に、人間のお客さんとは珍しいわね」 


 美しいメロディのような声が吹きかけられた。


 わたしの耳朶(じだ)を打ったのは、確かな人間の声だった。とてつもないほど(なま)めかしいような、女性の声。だったはずなのに、わたしは身を凍らせて、体が動かなくなるほどの恐ろしさを体験していた。


 だって、だって。人がいるなんて、思いもしなかったから。

 だけど、どうにか首を巡らせて、声の主を確認するために全力を出した。多分、女の人の声だったため、多少は危機感が薄れていたのだろう。


 わたしの背後に立っていたのは、とびっきりの美女だった。

 普段からクレアを見ていて、目が()えているはずのわたしですら、息を()んでしまうほどの美人さん。


 目の前の彼女は、月を連想させるような妖艶(ようえん)さがにじみ出ていた。セミロングの金髪は(ゆる)やかなウェーブになっており、瑞々(みずみず)しい赤色の唇が()を描いている。(ととの)った顔立ちからは年齢を予測させることができないけれど、わたしより歳上なのは間違いないかな。


 クレアと比べてみても見劣(みおと)りしないし、それにジャンルの違う美人なのは明白。クレアがクールで格好良い美女ならば、この人は(つや)やかで、より女性的な大人の女、って感じ。


 彼女の服装は、こんなに暑い夏だというのに白のローブを着込んでおり、素肌のほとんどを隠している。

 さらには、服装に湿(しめ)っぽさは微塵(みじん)もなくて、雨の降り注ぐ外から来たのではないならば、一体どこから姿を現したのか、不気味な女の人だ。

 

 そんな彼女は、寒気がするような艶やかな笑みを浮かべながら、わたしのことをじっと見つめている。

 思わず目を()らしてしまったくらい、美人すぎるよ。だって、こんな女の人に見つめられ続けていたら、なんだかドキドキとしてしまいそうだから。

 おかしいよね、今会ったばかりの人なのに。


「あ、あの、ごめんなさい。こんなところにお屋敷があったから、気になっちゃって。すぐに出ていきますから」


 わたしは足早に立ち去ろうとする。だって、きっと、この家の人だよね?

 勝手に敷地内に入ってしまったのだから、わたしはぺこりと頭を下げて足を前に突き出す。

 彼女は笑みを崩さず、くすくす、って忍び笑いを漏らしていた。

 何かおかしなことでも言っちゃったかな? なんだか、ちょっとだけ気味の悪い子だな、って思っちゃう。


「うふふ、可愛らしい子ね。でもね、出ていかないでもいいのよ。この雷雨、また激しくなるから」


 わたしはびくっとして立ち止まる。

 頭上を見上げると、雨は弱まったままだし、彼女の言葉を信じていいものかどうか判断できない。でもね、下山しようとして、また激しい雷雨に見舞われたら悲惨(ひさん)だよね。

 わたしが思い悩んでいると、彼女は続けて口を開いた。


「今夜はうちで過ごしたらいかが?」


 彼女はそれが自然な表情だというように、笑みを作ったまま(すす)めてくる。

 うーん……どうしよう。

 わたしが即答できなかったのは、見ず知らずの人の家に泊めてもらう、ってこともあるけれど。この女の人を信用しちゃっていいのかなあ、って直感的に思ったから。

 それに、クレアはまだ山の中で1人だろうし……。


「お誘いはありがたいのですが……」


 わたしが言いよどむと、彼女は目つきを細めた。真剣な面持(おもも)ちになった眼前の美女は、鋭利(えいり)な刃物のような双眸(そうぼう)でわたしを見つめる。

 ゾワゾワと全身に寒気がして、今すぐにでも立ち去りたい気にさせられた。


「今夜は……もう1人、お客さんが来そうね」


「え……?」


 ふと出た彼女の独白(どくはく)は、なんのことなのかさっぱりわからない。

 もう1人っていったら、クレアのことがぱっと思いつくけれど……。この人がクレアのことを知るわけないだろうし、一体なんなの、この女の人。

 彼女に対して、疑念しか湧き出てこない。どうにも、関わってはならないような、怪しい人物にしか思えないよ。


「そんなに怖い顔しなさんな、エリナさん」


「……?」


 再び、蠱惑的(こわくてき)な唇を笑みに形作る美女。

 わたしは口を半開きにして、違和感の(ぬぐ)えないなにかにムズムズする。

 しばらくして、あ、わたし名乗ってない、って気づくのだった。お馬鹿にもほどがあるね、わたしって……。


「うふふ。私の名前はユーリィよ」


 美女――ユーリィは、楽しげに名乗ると、館の入り口である巨大な扉を開けた。

 中からは独特な匂いが風に乗って流れてくる。館内は薄暗くて、ここからはどんな景観(けいかん)をしているのか覗くことはできない。


「どうするの? お食事もあるのよ」


 言われてみて、自分はお腹がすいている、ってことを思い出した。だって、お夕飯なんて食べている場合じゃなかったしね……。

 食事、って単語に、お腹の虫が反応しそうだよ。 

 だけど、(えさ)で釣られる前に、状況を整理することに決めた。


 ユーリィは確かに、とっても怪しさ全開。でもね、悪意は感じないんだよね。むしろ、好意でわたしを誘っているふうに見えなくもない。

 それがなんでか、って問われると、はっきりと言えないのだけれど……。もし、何か悪巧(わるだく)みをしているのだとしたら、丁寧(ていねい)に自己紹介をするかなあ? 


 それに、彼女の言葉を信用するなら、もう1人のお客さん……きっとクレアが、ここに来る。

 そして何よりもね、こんな不自然な場所に住んでいるユーリィっていう女性に、興味をくすぐられるのだ。


「じゃ、じゃあ……ちょっとだけ、お邪魔します」


 決してご飯に釣られただとか、ユーリィが美人さんだから、って理由だけじゃないよ。うん。


「いらっしゃいな」


 わたしの(よこしま)な考えなんてつゆ知らず、ユーリィは館内に潜り込むと、手招きした。

 遠慮がちに、彼女の住まいへと足を踏み入れる。


 館の内部は明かりがほとんど(とも)されておらず、視界がかなり悪い。

 それに、お(こう)でも()いているのか、甘ったるい香りが充満していた。広々としたロビーには、絵画や壺といった芸術品が、そこかしこに点在している。とてつもなく豪奢(ごうしゃ)なお屋敷だね。


「あの。そういえば、どうしてわたしの名前、知ってたんですか?」


 わたしは意を決して問いただす。……モヤモヤとしたものはハッキリさせておかないと、居心地(いごこち)が悪くなっちゃいそうだしね。

 玄関の扉を丁寧に閉めていたユーリィは、あぁ、と思い出したように頷くと、またも忍び笑いをした。


「これよ、これ」


 彼女は(ふところ)をまさぐって、1つの手帳を取り出す。なんだか、とーっても見覚えがあるんですけど。


「落ちていたわよ。大事な物なのでしょ? お返しするわ」


 ユーリィはにこやかに、わたしへそれを返却してくれた。手元に戻ってきたモノをまじまじと見つめる。

 うん。わたしの学生手帳で間違いなかった。


「い、いつの間に落としたんだろ……。ありがとうございます」


「そんなにかしこまらなくても、いいのよ。お部屋用意してあげるから、こっちにいらっしゃいな」


 ユーリィは右手側にある長い廊下へ、するするっとした足取りで向かっていく。

 とっても広い館内は薄暗さも相まって、ユーリィを見失ったら迷子にでもなってしまいそうだ。わたしは慌てて彼女の後を追った。


 いくら歩を進めても、(まぶ)しさとは無縁(むえん)が続いている。廊下内に灯されてある光源は明かりを最小限に(しぼ)られていて、窓から時折覗かせてくる稲光のほうがチカチカするくらいだ。


「あの、どうしてこんなに暗くしているの?」


 気になったなら、聞かずにはいられない。わたしは、おそるおそる尋ねていた。

 ユーリィはぴたりと足を止める。

 何かまずいことでも聞いちゃったかな……。


 彼女はくるっ、てわたしに向き直ってきて、ずいっと近寄ってくる。

 わたしとユーリィの鼻がくっつきそうなほど、至近距離。


 突然の急接近に、心臓がドキンと高鳴った。

 だって、だって、ユーリィってば色っぽいんだもん。こんなにセクシーなユーリィが顔を寄せてくるのだから、キスされちゃうのかと思ったよ。それに、クレアと同レベルの美人さんだしね。わたしってば、美少女に弱いのかな……。


「きゅ、急にどしたの、ユーリィ」


 ユーリィは、じーっとわたしの目を見据(みす)えている。彼女は一向に目を逸らそうとせずに、わたしに何かを訴えかけているかのように、微動(びどう)だにしない。

 彼女の瞳に吸い込まれてしまいそうになりながらも、見つめ返していると、あることに気がついた。


 ユーリィの瞳は、それぞれ色が違っているのだ。薄暗くって今まではわかんなかったけど、わずかに光源のある屋内で、さらにここまで近寄ってもらえて、ようやく視認できた。

 彼女の右目は深い青色をしていて、左目はとっても珍しい紫の瞳だった。両の目とも深淵(しんえん)の光を発していそうで、その甘美(かんび)さに吐息が漏れちゃいそう。


「綺麗な目……」


「綺麗、ね。うふふ、()めてくれて、ありがとう」


 ユーリィはその言葉とは違い、欠片(かけら)も嬉しくなさそうに言った。


「この目のせいなのよ」


「へ?」


 何気なくそう語るユーリィは、どこか寂しげに見えた。抱きしめてあげたくなるような、物哀(ものかな)しげな少女のように思える。


「私の体……というより、この目、特殊な体質みたいでね。明るいものは、この左目で見ることができないのよ。左目に映る全てのものが紫色に見えちゃって、鬱陶しいの。夜だったり、暗かったりすると、あんまり気にならないのよね。だから暗くしているの、ごめんなさいね」


 自身のことを他人事のように告白するユーリィは、そこで言葉を止める。

 息の吹きかかる距離にいるユーリィを見据えながら、わたしは信じられない気持ちでいっぱいだった。

 だって、そんな体質、聞いたこともないし。

 でもね、ユーリィは嘘をついているようにも見えない。それに、ぎゅってしてあげたくなっちゃうくらい、庇護(ひご)欲をそそられる。だから、彼女はその体質で苦労しているんだろうな、って感じ取れた。


「だからね、私はこの目と、お昼がね、大嫌いなの」


 ユーリィの言葉は、その部分だけ強い感情が込められていた。嫌悪に満ちた台詞は、憎しみすら見え隠れしている。

 わたしはそれが悲しくって、しんみりとしてしまう。


「……大変なんだね、ユーリィって」


「ふふ、心配してくれるのね。やっぱりとっても可愛い子ね、エリナさんって」


 ユーリィはさらにわたしへ身体を寄せてくる。

 わわ、ほんとに唇が触れちゃいそう。

 そ、それに。ユーリィのお胸が、ぐにゅ、ってわたしのそれに押し付けられてきた。

 ……すごく柔らかで、ずっしりとした質感。クレアよりも立派なモノをお持ちのようで。

 ゆったりとしたローブのせいでスタイルがわかんなかったから、その衝撃は計り知れない。


 おっきな胸をわざとらしく、ぐにゅぐにゅって擦りつけてくるものだから、変な気分になってきてしまう。どことなく、ユーリィの吐息も荒くなってきているような……。執拗(しつよう)なユーリィのおっぱい攻撃に、なんにも考えられなくなってしまいそうだった。


 で、でも、ダメだってば! わたしには……クレアがいるんだから!

 わたしは慌ててユーリィをそっと引き剥がした。彼女は残念そうにしていたけれど、逆らうつもりはないようだ。


「気にかけてくれて、ありがとう。でも、この生活にはもう慣れっこだから。気にしないで」


 ユーリィは気楽にそう言って、前方を指差した。

 そこには小綺麗な扉があって、どうやらここが案内先らしい。彼女が先立って入室していくので、わたしはホッとした。

 あのままユーリィがわたしを誘惑してきていたら、どうなっていたか、わかったものじゃないよ。

 決して、わたしの心が浮ついている、ってわけじゃないからね。

 ユーリィが美人すぎるのがいけないんだ。

 わたしは自分の気持ちに(ふた)をして、彼女に(なら)って室内へ続いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ