死生観と妄想とツール
鬱度:★×∞
ネタバレ度:★★★
無理矢理な前向き度:★★★★
死を迎えると、自分はどうなってしまうのか。
唐突なネガ発言もいいところだが、私が思い出せる限りで一番古い幼少の記憶というのが、そんな高尚な疑問で眠れない夜を過ごしていたという実に子供らしさを感じさせない過去なのだ。
私は四歳の時に自家中毒を発症していたという話を、小学生の時に聞かされた。幼い私にとって聞き馴染みのないそれはどんな病気だったのか尋ねると、夜中に腹が痛いと騒いだり嘔吐が止まらなくなったりしたので、病院に連れて行ったらそう診断された、と母は答えた。どうやら割と大事だったらしいのだが、小学生ですでにその頃の記憶などろくに覚えてもいなかった私は、夜中に腹が痛くなったこととその原因だけはすぐに思い出せた。
死んじゃうとどうなるんだろう。そんなことを深刻に思い悩んだ夜に腹が痛くなったりしたのは、確かにそれぐらいの歳の頃だったと。
私が趣味で小説を始めたのは、小学校高学年くらいの頃からだ。最初に書いた話は年頃の女子が憧れがちな、素朴な少女がある日運命的な出会いを果たした青年と恋に落ちて一緒に世界を救うといった、ファンタジー色の強い物語だったと記憶している。
無理を言って買ってもらったばかりのパソコンを使って思いつくがまま物書きに興じ、プリントアウトしたものを翌日学校へ持ち込んでクラスの友達に得意げに読ませたりしていたものだった。数ある私の黒歴史の中でも、レベルとしてはまだ可愛い方だ。
早々にその作品を完成させたあと、私は「死」をテーマにした作品を手がけた。その時点でまだ小学生であるにも関わらずだ。さすがに自身の死生観を身近な人間に晒すことに抵抗があった私は、処女作の時のようにそれを見せびらかしたりなどせず、自分のパソコンにデータとして書き溜めておくだけで、完結まで続けられずにその作品は手放していた。
それから創作活動の全盛期を迎えた高校時代、例に漏れず私は腐った。男性同士のあれやこれやを描いたオリジナル小説にのめり込み、二次創作の楽しさを覚え、同じ嗜好を持つ同胞に読ませていた。こればかりは黒歴史の中でもトップクラスのレベルだ。
そんな創作漬けの人生を過ごしてきたと改めて振り返ってみると、どうやら私は20年近くもそんな自己満足を続けているらしい。そんなに長く続けていた割に一向に上達しない自分の文章力が嘆かわしい。最近になってようやくプロットを活用できるようになったくらいで、読み手に正確に伝わる文章力も構成力もしっかりと身に付いているとは到底思わない。成長したいというより、成長出来てたらいいなーという、向上心のない人間なのだから仕方ない。
ともあれ、自分の人生の大半を費やしてきた私が捻り出した創作物には、何らかの形で「死」を連想させる表現やテーマを絡ませることが多かった。
ここで唐突に、現在このエッセイと同時進行で連日投稿を続けている私の小説『涙の魔法 -彼女の終わりと恋の歌-』について、まさかのネタバレをしようかと。具体的に今後の展開について触れるわけではなく、私が読み手に感じて欲しいテーマを先にお伝えしたいだけである。これから投稿する第三章以降を読んでいただくにあたって、事前に知っておいて損のないお話を…出来たらいいなと。とにかくさらりと読み流していただければ。
この記事を投稿する段階で、この小説はちょうど第二章の終わりまで投稿してある。この時点で読み手が把握しているであろう、小説のタイトルの解釈はおそらく以下の通りではないかと。
『涙』『魔法』→?
『彼女』→菜々
『終わり』→ラストシーン(プロローグでの菜々の独白から)
『恋の歌』→キミに伝えたいコト(第一章で菜々が豊島に歌った歌。キミつた)
こんな感じに解釈していただけているのであれば、私としてはかなり満足である。まったくの見当違いな解釈をしていた読み手が大半だとしたら、書き手として自信をなくしかねないのだが。
第二章まで進んでいて主題の解釈をしかねる内容であるどころか、序盤から副題に沿ったものばかり登場してくるというのは、小説としていかがなものなのだろうか。異を唱える意見が過半数を超えたとしても、私は別に誰もが認める作家を目指して小説を書いているわけではないので別に構わない。私にとって創作はストレス解消のために利用しているツールなのだ。否定的な意見の方が多ければ、そうなのかと納得するまでである。
閑話休題。『涙』と『魔法』に関して言うと、第三章からそれらしい表現をちょこちょこ入れてあるので、わからずじまいで終盤を迎えるわけではないことは念頭に置いていただいて差し支えないだろう。ここで取り上げたいのは『彼女』と『終わり』、ひいては『彼女の終わり』についてである。
頑なに一人称を伏せた描写で一貫したが、プロローグ前半が菜々の独白であることはさすがに察していただけたことだろう。後半の男の独白は豊島…と思わせておいて、茂松?実はどちらにも可能性が残されている、ような描写にしたはず。明言は避けるが、菜々に関しては構わないだろう。彼女が言う『あたしの話』とは菜々の過去の話であり、一人きりで過去を振り返りながら彼女はラストシーンを見据えて『目的の場所』へ向かおうとしている。
彼女の終わりとは何か。菜々のラストシーンとは何か。ビルの非常階段を昇りながら目指す彼女の『目的の場所』とはどこなのか。
前述で明かした、私の創作に絡みやすいテーマを踏まえて、想像していただきたい。
ハッピーエンドで終わらない物語はつまらない、という持論を持つ人の考えもわからなくはない。筆者をモデルにした主人公のノンフィクションの話なのだから、少なくともバッドエンドのはずがないと予想されることだろう。だがどの程度の割合で混ぜているか筆者以外に知り得ないフィクション要素が、この小説がハッピーエンドとバッドエンドのどちらをとって終わるかという予想を惑わせる。ハーフフィクションとは実にずるい形式であるとつくづく思う。
余談もいいところだが、ここで前回投稿した妄想小説の話に突然切り替えさせていただく。情けないことに、後書きに記した計測結果の報告に漏れがあったのだ。勢いで小説を書き始めてから一気に仕上げるまで、文字数と所要時間の他に、書き上げながら消費した私の煙草の消費量も報告しておこうとして忘れていた。結果は2時間半で5本。30分に1本である。実に情けない。あまりにもどうでもよすぎて。
今のところ私は、禁煙する気はない。そうする理由がないから。1000円まで値上がりしたらさすがにやめるわー、という周りの風潮に合わせてなんとなくやめてしまうこともあるかもしれないが、電子煙草派が増えつつある風潮に合わせる気が少しも起きない自分は、1000円になっても煙草を吸うだろう。
情緒不安定の傾向が強い私には、ストレスを軽減させるツールが必要だ。創作。妄想。煙草。それらに支えられて、なんとなく生きている。
長生きできなくなるからやめなさいなどと言われようと、ストレス溜めながら細く長く、よりは、ストレスを抱えず太く短く、の方がいい。
ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか予想が付かないのは、人生だって同じだ。