【妄想小説】自己満足の代償
妄想度:★★★★
自己満足度:★★★★★
ハッピーエン度:?
――来た!
「いらっしゃいませー」
落ち着いて、どの客に対してのものと同じトーンを心がけて、私は彼の来店を声だけで出迎える。
ましてや今は、無関係の客に対してのレジ応対中だ。大して愛想のない接客をしていた店員が、後から来た客に対してだけ急にトーンを明るくしようものなら、何事かと訝しんでくることだろう。
それでも私は、応対中の客がこちらに全く興味を示すことなく財布の中を漁っているのをいいことに、滞りなく商品の袋詰めをしながら彼の姿を目で追いかける。
今日は煙草を買わないようだ。真っ先にレジ横の煙草を手に取ってから他に買う物を探しに行く彼は、入店してすぐにドリンクのコーナーへと向かっていった。
ということは、明日もここへ買い物に来る。彼は一日おきに煙草を買っていくから、確実に。明日の楽しみが確定したことに心を弾ませつつ、平静を装って私は応対中の客の会計を済まさせた。
ほどなくして、別の客が私のいるレジの前へやってくる。レンジアップを要する商品を持って来たその客に、マニュアル通りの言葉をかける。
「温めますか?」
「お願いします」
温めんのかよ。心の中で舌打ちしながらそれを微塵も表情に出さないスキルが、私の人生に役立つことなどあるのだろうか。
買い物を済ませるのが比較的早い彼は、案の定温め待ちの客のすぐ後ろに並んだ。会計がとっくに済んでおり、袋と割り箸の準備も済ませ、わずかな時間手の空いた私は当然、彼を誘導する。
「お待ちのお客様どうぞ」
口を開けたレジ袋を脇に寄せながら声をかけてきた私に、不意をつかれたような顔を返しながらも彼は持って来た商品を私に差し出した。
今回は缶コーヒー一本だけか。彼がコーヒーを選ぶのは珍しいような気がする。飲み物に選ぶのは大抵が野菜ジュースで、そうでない時は炭酸系。ごく稀に酒を買っていくこともあるし、その時は柑橘系のチューハイ。
そんな観察報告をする機会などありはしないのだから、私は何食わぬ顔で彼に会計額を告げる。ちょうどそこで電子レンジに呼ばれ、彼が小銭を漁っている間に温めの終わった品を手際よく袋に入れ、横で待っていた客に愛想良く受け渡しを済ませた。効率よく動ける店員だと思ってくれるのは、目の前で財布の中を漁っている彼だけでいい。思うはずもないが。
そうしている間に彼を見ていて、数日ぶりに会えた彼の変化に私は気付いた。色白の顔と腕が、だいぶ日に焼けている。ツナギ姿だけではどんな仕事をしているか可能性を絞りきることは難しいが、外で作業をすることもある仕事をしているのだろうか。休日に外出した可能性もなくはないのだろうが。
色々と想像を巡らせているうちに、彼は小銭を私に手渡してきた。釣り銭を要する額に、私は密かに喜ぶ。ちょうどの額で会計を済ませると、彼はレシートを受け取らない派なのだ。彼との応対時間が長引くのは、素直に嬉しさを覚えてしまう。
だが、釣り銭とレシートを渡してしまえば、用事を済ませた彼はすぐに店から出て行くのだ。心の底からの「ありがとうございました」を彼の背中にかけて見送って、彼との時間はもう終わりだ。
当たり前のことだとわかりきっていながらも、毎度毎度一抹の寂しさを覚えてしまう私だったが、この時ばかりは思わぬ形で彼との時間が長引くきっかけが生まれた。
「――今日は、売り切れちゃったんですか?」
「えっ?」
会計中に世間話をかけてくるタイプではないはずの彼からの問いかけに、私は思わず動揺して声を裏返らせる。
「あ、もしかして…カレーパン、ですか?」
「ええ。無かったんで」
咄嗟に尋ね返した私は、苦笑いで答える彼の反応を見て、しまったと自分の発言を悔いた。カレーパンばかり買っていく客として覚えられていたのかと、明らかにそう言いたげな反応だった。
口にしてしまったものは仕方ない。それに彼から直接真相を聞けるいい機会だ。戸惑う自身をなんとか落ち着かせ、こちらからも苦笑いを返して私は答えた。
「このところあまり売れ行きが良くなかったんで、発注減らしてるんですよ。今日はたまたま売り切れてしまったみたいですね」
「ああ、そうだったんですか」
「前はよく買ってらっしゃいましたもんね」
「覚えてました?」
「よく来てくださっていますから」
言うほど彼は、毎日のように訪れるような客ではない。そこまで頻繁に訪れるわけではない客がよく買っていく物も覚えている優秀な店員、とまで彼に印象づけてもらいたいとは思わないが、まるでストーカーのように買っていった物をチェックされているのかなんて思われるよりは、その方がまだいい。
「好きなんですか?カレーパン」
「まあ、好きっていうか…久しぶりにまた買おうかなーと思ってたから」
「私、パンの発注担当してますので、夕方の便の発注でカレーパンの数増やせますよ。よろしければ、お取り置きも承ることも出来ますし」
固定客を逃がすまいとする商売根性を示されていると受け取ったのだろうか。そこまでしていただかなくても、とでも言いたげに彼は苦い顔で笑ってみせた。
そして次に彼が発した躊躇いがちな一言に、私は耳を疑った。
「その、変なこと聞きますけど……ネットで小説書いてたりします?」
「へ!?」
あまりにも唐突すぎる質問に、私は店中に響き渡るような素っ頓狂な声を上げて彼を凝視した。裏で作業をしている店長以外、店の中に誰もいないのが不幸中の幸いだった。
だが幸いどころではない。あろうことか最もその話題を私に投げかけて欲しくない相手から、あらぬ疑いをかけられている。あらぬは誤りだ。事実を確かめられているのだ。
「始めたのが最近で、自分の体験が基になった長編小説書いてて、たまにする仕事の話でレジやってるって…」
「えと、その……おっしゃってるその小説書いてる作者名、覚えてます?」
「確か……漢字二文字だったかと」
絶望した。同じ絶望繋がりでメガネ繋がりとはいえ、どこぞの先生の如く一刻も早く首を吊りたい。
「まさかなーとは思ってたんですけど、パンの発注担当だって話も同じだし、もしかしたらと思って」
「…小説連載しながら、日常のことをまとめたエッセイも始めたユーザーですよね」
「そうそう。やっぱり本人ですか?」
すでに死刑台のギロチンは重力に従って私の首を落とそうとしているのに、私は抵抗することを諦めきれずにいた。
顔を見ればわかる。彼はすでに確信している。認めるより先に謝罪するべきか。いや、まだ一縷の望みは…。
(…望みなんてない。私が燐紅って名前で創作活動してること以外にも、この人がとっくに気付いてることがある)
ツナギとメガネとカレーパン。そんなふざけたタイトルを付けて始めたエッセイも、彼は読んだのだ。
不思議なほどに自分に当てはまっていくパズルのピースを不思議に思い、最後のピースを埋めるためにこうして私に確かめたのだ。
たまたま売り切れていたカレーパンをもし買えていたら、私がレジでどんな反応をするかを確かめるつもりだったに違いない。その後に更新されるエッセイの続きや活動報告なんかで、ツナギの彼が久しぶりにカレーパン買っていきましたーなんて私が呑気に報告するのを確かめて、やはり自分のことだったと確信を得ようとしていたに違いない。
「あのエッセイに書かれてたのって、もしかして…俺のことかな、なんて」
その一言で何もかも終わったと確信した私は、テーブルに頭を打ち付ける勢いで咄嗟に彼に頭を下げた。
「ごめんなさい!不愉快な思いをさせてしまって、本当にごめんなさい!エッセイも小説もすぐに全部消しますから!全部無かったことにしてください!」
謝って済まされないことだと、わかりきっていた。ストーカーじみた行為さえ、全部晒していたのだから。
思いも寄らぬ形で、彼に全て知られてしまったのだから。
これで彼とはもう終わりなのだ。二度とこの店に来ることなんてないのだ。
初めて交わしたまともな会話が、最後のやりとりになって、それで終わるのだ。
「いや、あの…消さなくていいですよ」
「え…?」
「むしろ、まだ読んでる途中なので。小説の続き、気になるし」
その時の私は、どれほど間抜けな顔で呆然と彼を見上げていたことだろう。何故かはにかみがちに視線をどこかへ向けながら、彼は言葉を続けた。
「…エッセイの方も、面白いです。こんな身近なところに、書いてる本人がいるなんて思いも寄らなかったですけど。どちらも楽しみにさせてもらってるんで、頑張ってください」
まさかの労いの言葉をかけてきた彼に、私はどんな顔をしてどんな言葉を返せば良かったのだろうか。
混乱しすぎて固まったままの私のレジ前から離れ、店を出ようとした彼はおもむろに私を振り返って笑いかけてきた。
「やっぱり、取り置きお願いしてもいいですか?明日必ず買いに来ますから、カレーパン」
それを向けられたこちらもつられて自然と笑んでしまうような彼の笑顔は、やはりあの先輩とよく似ていた。
いや、もう会うことはない先輩と違って、彼とはまた会える。
明日、ツナギでメガネの彼が予告通りここへ訪れたら、今度はこちらから思い切って話しかけよう。
カレーパン、寄せておきましたよ、って。
* * *
エッセイとは何たるかなんて存じていないが故、自由に小説から書き始めてみた。私の中ですでにツナメパンという略称が定着してしまっているこの作品でも、気が向いたらたまに妄想小説を挟んでいこうかなーと企んでいたり。
試作として一気に書き上げた今回の小説、読者の方にはどう捉えていただけただろうか。下書き無しでぶっつけ本番だとどんな内容に仕上がるか試験的に仕上げたので、まだ最初から読み直してはいない。誤字脱字くらいは後から確認するものの、構成や内容に手を加えたりはせずそのままにしておく予定。
ついでに字数と完成までの時間を計測してみた。約3700字で2時間半。400字原稿用紙10枚弱。1枚辺り約15分。元プログラマのタイピング力にかなり助けられているかとは思うが、1枚辺りで計算すると予想外に早く仕上げられるようだ。
だが、今回の計測結果が自分の創作スピードの基準になるとは言えない。最速でどのくらい書けるかの目安にするつもりだ。しかもプロット無しなので、本命小説の参考になるとも限らない。なんとなく自分の能力を推し量ってみたくなっただけなのだ。
どこまでも自己満足なことばかり言ってみたが、そんな自己満足をテーマに据えた今回の短編はもちろん、事実とは異なる妄想である。ツナギの彼が話しかけてくる前までは、今日体験したことをそのまま文章に起こしただけではあるが。
途中にも記した通り、彼が私に話しかけてきたことなどないし、逆も然り。ただの客と店員。彼がカレーパンを好きなのかどうかの真相など明らかになっていない。
もしもツナギの彼がなろう利用者だとしたら。そんなネタを思いついて、筆の向くままに仕上げてみたかったという、果てしない自己満足を得たかった次第である。