恋の終わりと歌だらけの日々と私のツナメさん
簡潔度:★★
淡白度:★★★★★
発散度:★★★★
思い返すと、自身が離婚を経験した時だって、こんな風に予期せぬタイミングで呆気なく終わりを迎えたのではなかっただろうか。記憶はすでに風化してしまってろくに比較など出来ないが。まあ、今後の私の人生にはどうせ役に立たない経験なのだから、戒めておこうが忘れてしまおうがどうでもいいことだ。
そんなことはさておき、この記事を以て、この「ツナギとメガネとカレーパン」というエッセイに終止符を打つ運びとなった。
ネタがなくなったのか。執筆にとうとう飽きたのか。エッセイも小説もかなりの投稿間隔が開いてしまったことからそんな憶測を抱かれることだろうが、少なくとも創作意欲だけは保っている。創作だけは心の拠り所のひとつなのだ。まだまだ書き表したい物語はたくさんあるし、頭の中でどこまでも妄想を膨らませている。筆が進んでいないだけで、と前置いておくが。
だとすれば何故、このエッセイを打ち切りじみた形で終わらせようとしているのか、という疑問が生まれるのは当然だろう。これを機にエッセイを書くことから完全に身を引くわけではない。一年近く執筆活動から離れていたものの、思いの丈をだらだらと書き連ねることで得られる達成感をまだ忘れていない私は、未だにその感覚にすがりたいと思うことがあるのだ。
だが、もはや通称を挙げることすら懐かしくもあるこのツナメパンでは、もう書かない。むしろ、書けないのだ。その理由に触れるには、ツナメパンに残してきた内容を少しでも知る人からすると、微々たるものではあるが衝撃的な事実を告げないとならない。
ツナメさんはもう、私の勤める店に頻繁に訪れることはない。
あまり彼の事情を事細かに明かすのも倫理的にどうかと思うし、私もそうしたくはない。もったいぶる必要性もないので、簡潔に説明しよう。
転職と、結婚。これまで彼の通勤ルート上にあった私の店には、もう立ち寄る機会がなくなった。それだけのことである。
結婚の報せに対しては、自身でも意外過ぎるほどにまったく気落ちしなかった。以前に何度か名前を挙げたTの口からも、どうやら彼女らしき存在はいそうだという話は仄めかされていたのだ。それがとうとう「ツナメさんが結婚したらしい」という報告に膨らんだところで、拍子抜けしてしまうほど私の胸中は落ち着いていた。
陰ながら憧れていた人ではあるが、嫉妬だとかそういった感覚はまるで湧かない。この報告をもっと早い段階で食らっていたらどう思っていたかに関しては、今となってはもう想像がつかないくらいである。よほど気持ちが冷めてしまったのかと受け取られそうだが、もともと冷めた性分なのだ。
「恋の終わり」などとそれらしいタイトルは打ったものの、失恋の実感はまるでない。彼を話題の中心に据えたエッセイを始めてまで、そのうえ小説のネタにしてまで「ツナメさん」というキャラクターに固執していたというのに。
私が求めているのは、交際相手だとか将来を共にする相手だとか、まともに恋愛を続けていける対象ではないのかもしれない。ただ漠然と想いを寄せていられる人がいてほしい、片想いし続けていたい、そんな意志が最も強く働いているような気がするのだ。
言ってしまえば、ただ厄介なまでの依存体質なだけだ。ただ誰かに依存していたい。むしろ片想いという行為に依存していると言ってもいい。この性質は自身の過去の傷が招いた障害だろうかとごまかしたくもなったが、生来の性分なのだと言い聞かせて自身を戒めている。
いい歳になって何を言っているのだろうかとつくづく自分に呆れる。時折懐かしい顔を見せてくれる同級生や近い世代の友人知人たちの中には、もれなくそんな彼らの小さい頃の姿そのまんまではないかと言いたくなる子供を連れて来店することも当たり前のようになってきた、いい大人だというのに。まるで思春期を迎えたての中学生のようだと自分の恋愛観を顧みたが、ふと自分の同級生の中にはすでに中学に上がる子供を持つ奴もいたなと気付いて、もはや情けないとすら思ってしまう。
清々しいほどに開き直れるようになったのは、歳を重ねることで身についた処世術なのだろうか。ほかにもっと習得しておくべきことはあっただろうが、女としても人間性の点においても、どうしようもなく私は落ちこぼれなのだ。誰かと違っていたっていい。どうせ誰かと同じになろうと努力を試みたところで、同じようになれるほどの器用さは私にはない。
エッセイとはこんなにも字を綴るのに苦労するものだっただろうか。ここまでの文章を繰り返し読み返しているが、まるでまとまりがない。以前のものと比較したところで私の文章など悪文に変わりないが、それでも自分なりにそれらしいと感じる文章を書く能力はもう少しあったと思う。ブランクの影響は自分が覚悟していた以上にひどいようだ。この記事を書き上げるのを機に、どんな形式であれ文字を書く機会をもっと増やすよう心掛けたいと思っている。
とはいえ、前述の通りツナメパンはこの記事を以て締めくくらせていただく。今後の具体的な計画としては、新たなタイトルを設けて別のエッセイを始めようと思っているのだ。言うまでもなく不定期投稿の予定だが、内容の扱いやすさとしてはツナメパンよりも気兼ねなくまとめることができそうだと希望的観測を抱いている。
というのも、あらかたのテーマがすでに決まっているのだ。記事のタイトルにも据えたが「歌だらけの日々」というのがそれに当たる。連載開始に先駆けて少しだけ内容に触れておきたい。散々述べてきたが、未だにエッセイ形式の文章作りは私の心の拠り所となっている。その拠り所に頼らなければならなくほどメンタルが疲弊することなく、心身が人並みに安寧を保てていたことが、投稿の間隔が空いた理由のひとつでもあるのだ。
最低でも週に一回、カラオケに通うこと。その習慣ができてから、私は充実した日々を送るようになった。歌うことが純粋なストレス発散になっているのもあるが、習慣づいたことで楽しみと目標が生まれ、今では生きがいとすら言えるくらいのイベント事として定着している。
そんな歌だらけの日々を送っている私が、カラオケを楽しむ中で感じたこと、カラオケの出来事で詳細に綴って残しておきたくなったことを書く、そんな気楽なエッセイを始めたいと思っているのだ。
気まぐれにヒトカラに行く機会も増えたが、定期的に行うカラオケは二人だ。どんな人物と一緒にカラオケに興じているのか、詳しい話は新たに設ける予定のエッセイで明かすことにしよう。相手の趣味に私が付き合わされているのか、私のわがままに相手を付き合わせているのか、その辺りも併せて。
ひとまず、けじめと呼べるほど大げさなものではないが、不定期なりに長い間続けてきたこのエッセイで綴っておきたかったことをしっかりと記録しておこう。
ツナメさんに対する心残りはこれと言って無いのだが、強いて挙げられる点が一つだけある。このエッセイのキーワードの一つに据えてきた「彼はカレーパンにこだわりがあるのだろうか」という点だ。このとてつもなくどうでもいい疑問を晴らせないまま、常連客として頻繁に訪れることがなくなって聞けずじまいになってしまったことが、どうにももどかしい。まあ、本当にどうでもいい些細なことだ。
私が勝手に「ツナメさん」と呼び慕っていた彼のことは、この先もう気にすることはないだろう。ささやかな思い出の中と、だらだらと書き連ねてきたこのエッセイの中にしまっておくことにして、ツナメパンを締めくくりたい。
この先また、私が「ツナメさん」と呼び慕ってあこがれを抱くような相手に恵まれることなどあるのだろうか。そんな都合のいい展開が舞い込むことなどあるのだろうか。
今、もっとも「私のツナメさん」に近い位置にいるのは、私とカラオケに興じるようになった彼なんだろうなと、他人事のように思っている。