客と先輩とストーカー店員
鬱度 :★★
青春度:★★★
犯罪度:★★
彼がいつからうちの店を訪れるようになったのか、私がいつから彼を意識し始めるようになったのか、はっきりとは覚えていない。
覚えている限りでは、彼に対して最初に抱いたのは『パチモン男』という物凄く失礼な印象。
何に対してのパチモンかというと、以前勤めていた職場の先輩である。アニメやゲームに造詣の深い人で、仕事の合間に顔を合わせる機会がある時は、彼とオタクなトークを繰り広げていたものだった。
その先輩と件の彼は、思わず二度見してしまったほどよく似ていた。色白で中肉型で黒縁メガネ。背も大体同じくらいで、成年女性の平均身長と大体同じ私より、頭一つ高いくらい。
退職して以来数年も顔を合わせていないその先輩だろうかと声をかけようか迷ったが、店を訪れたその彼はツナギ姿だった。白っぽいクリーム色っぽい、とにかくその色白な肌が映える色の作業員風な服装。職業柄、ワイシャツ姿かスーツ姿しかないはずのあの先輩ではないと、格好を見た時点で判断した。
そして会計をしにレジに持って来た品々のうちの一つを見て、確信した。どうやら彼は喫煙者のようだった。あの先輩は煙草は吸わない。
無駄に驚かせやがって。紛らわしい顔しやがって。にこやかにレジ応対しながらそんな腹黒い文句を心の中で容赦なくぶつけつつ、会計を終えて店を出る彼の背中を恨みがましい目で見送った。
私にあの先輩のことを思い出させたツナギの彼を、私は軽く恨んだ。
先輩と顔を合わせることは、おそらくもうない。連絡先も知らないし、互いの住む場所も互いの職場も、偶然すれ違う可能性なんて期待できないことはわかりきっている。
それなのに、もう一度会いたくなってしまった。先輩とよく似た、ツナギの彼と出会ってしまったせいで。
あの職場に戻りたい。あの頃に戻りたい。
フラれるとわかりきっていた先輩に告白したことを、なかったことに出来たなら。
感傷に浸ろうが悲恋の物語の主人公気分になろうが、そんな私の事情などお構いなしにツナギの彼は今でもうちの店を訪れる。
毎日は来ない。一日も来なかった週もあるかと思えば、一日も欠かさずに来た週もある。仕事上がりであろう日の暮れた時間帯に訪れる彼は、決まってツナギ姿で一人で訪れる。
いつしか私は、彼が買っていくものを観察するようになった。煙草は二日に一箱のペースで買うようだった。途中から電子煙草派になってもペースは変わらないみたいだが、一日一箱近く消費する私も彼のペースを見習いたいものである。
そして彼は必ずカレーパンを買っていった。よほど好きなのだろうか。パン売り場に立ってもカレーパンを見つけると即座に手に取る。毎回同じ物ばかり選ぶので、たまたまパンの発注を担当している私は試しに違う種類のカレーパンも仕入れ、隣に並べたりして彼を観察したが、結局彼はいつもと同じ方を買っていった。客で遊ぶ不届きな店員の私は、そんな彼を『カレーパンの人』と陰で呼んでいる。
ちなみに今は、彼は毎日のように買っていたカレーパンを買わなくなっている。不思議なことに、いつも買っていたカレーパンがメーカー都合で規格が若干変わり、それを一回買ったきり二度と買わなくなったのだ。リニューアル前の方が好みだったのだろうか。よほどこだわりを持って買っていたのかと感心したが、カレーパンの人ではなくなった彼の陰での呼び名に困る私は、こだわるところをはき違えている自覚はある。
退屈な仕事と日常に鬱屈していた私は、妄想小説を書くこととパチスロと煙草くらいしかなかった趣味に、ツナギの彼を観察することも加わっていた。どういった周期で店を訪れるのか。今日は何を買っていくのか。カレーパンの次は、何が彼のブームになるだろうか。
…どう考えても、好きになってしまったのだと思う。
姿を見かけると興奮しきりになって目で追いかけ、常に一人で店に来ることに安堵し、レジでの無理矢理な作り笑顔が自然な笑顔になり、お金や品物を受け渡す時にこっそり左手を盗み見て何もない薬指を確認して安心する。
退勤後は煙草と飲み物くらいしか買わない私は、彼が買っていった物を真似して買う、という遊びを密かに楽しんでいる。ストーカーか、と指摘されようが、私が買った物が誰かの真似をしたものだなんて誰も気付くはずはないのだから、ささやかな楽しみは飽きるまで続けていきたい。
名前も歳も勤め先も自宅も何もわからない、常連と呼べるほど頻繁に来るわけでもないただの買い物客。
ツナギでメガネでカレーパンが好きなその人は、私が憧れていた先輩に似ていただけだと思っていた。