2.二年三組
「ここが二年三組、か」
教室の扉を、郁兎は迷うことなく開ける。
前方の扉を音を立てて開けたため、数人の視線が郁兎に向き、一部の者を覗き視線はすぐに逸らされた。新学期、新しいクラスメイトは、新しいクラスに馴染むために必死なのだ。一人の目立ちたがりのために、時間を割いている余裕はない。ない、のだが。郁兎は、一年生の中でも目立つ存在だった。
一つは、魔ナシということ。人には、『魔力』と呼ばれる固有の能力が備わっている。属性ごとに内容は異なるが、それは人類すべてが持っているものだった。もちろん郁兎にも魔力はある。だけど、郁兎の『魔力』は顕現することなく眠っていた。魔力鑑定士曰く、郁兎の能力は炎を発現することができるらしいのだが、それが現れたためしはない。いや、入学試験の際、『魔力』のテストをするために、魔法で無理やり『魔力』を溢れさせられて一瞬意識を失ったのを覚えているが、彼はそれを自分の目で見たことはなかった。炎は、未だ溢れることなく眠っている。
彼は所謂、能力なしだ。魔力を持たない彼は、一部の人間から憐れみの目で見られることがあった。
だけど郁兎はそんなことでは負けない、強い意志がある。
一年前のあの日。あの瞬間。
目の前で、親友が、クラスメイトが、見るも無残に殺されるのを見てきたのだ。
脳裏の裏をいつでもちらつくそれを振り払うことなく闘志に変えて、郁兎は強くなると決めていた。あのバケモノを殺す力を手に入れるために。
視線に含まれるもう一つの理由は、忘れたくもないそんな無残な過去のこと。それも憐れみの視線に込められているのかもしれない。
郁兎を珍しそうに眺めていた視線が逸らされるが、一つの視線だけまだ郁兎をニヤニヤと見つめていた。
それを見返して、郁兎は「うへぇ」と顔を顰めた。
「あらあら、郁兎。なんて顔をしているのかしら。久しぶりの再会だというのに、つれないわね」
神橋静春。
長い黒髪を腰ほどまで伸ばした彼女は、姿勢正しく椅子に座っていた。その姿は、郁兎とは別の意味で目立っていた。存在感のある彼女は、それに相応しい美貌を持っている。通り過ぎていく人が思わず足を止めて振り返るような美貌を台無しにするようにニヤニヤと笑顔を浮かべている様は、どこか奇妙だ。
自分席を確認してから、静春の傍に行く。
「なんだよ、お前も同じクラスなのかよ」
「あら、本当につれないこと言うわね。これでも、私は喜んでいるのよ。また、また悠菜と同じクラスになれたのだから」
ふふんと笑う静春の隣の席から、ふんわりとした雰囲気の少女が顔を出した。
小柄で、色素の薄い金糸のような髪を軽くウェーブさせた少女は、くりくりとした茶色い瞳で郁兎を見上げると、おどおどと、見ているこちらがやきもきさせられる挙動で口を開いた。
「あ、あの。郁兎、おはようございます」
「おはよう」
白鳥悠菜のことを、郁兎は正直よくわかっていない。
彼女は、特別才に恵まれた『魔力』を持っているのだが、それに似合わない自身のなさと、時たま見せる意志の強い瞳が印象的なだけで、他はさっぱりだ。それから知っていることといえば、『魔力』のせいで体が弱く、よく学校を休むことだろう。『魔力』を取り戻してからは休む回数は減っているみたいだが、一年前のあの日、入学してから間もない間に風邪をこじらせて二週間も入院していたのを、郁兎は知っている。だから、彼女は助かった。
「同じクラスになれて、嬉しいです」
ふんわりと、周りの人を思わず和ませるような笑みで悠菜が笑うのだが、郁兎は歯切れ悪く、「そうだな」と返すだけだった。
彼女の前だと、いつも笑うように心がけている自分を忘れそうになる。
「夏樹もつれないわね。どうして私たちのところに来てくれないのかしら。久しぶりの三組の再会なのに」
意地悪く笑い、静春が視線を向けた先にいたのは、長い前髪で顔を覆った陰気臭い男子生徒だった。郁兎が三人組に絡まれている際、助けに入ってきた生徒である。
伊納夏樹は、小さい緑のヘッドフォンで耳を覆っているのにも関わらず、静春の声に反応してこちらを見た気がした。小さな挙動だったが、確かに瞳はこちらを向いた気がする。長い前髪が邪魔で、確実なことはわからないが。
「でも、何だか不思議だな。二年生になって、四人とも集まるなんて」
「あら、一人忘れているわよ」
「……ああ、あいつか。いや、あいつは、無理だろ」
「そうね。奈央ちゃんは少し難しいから。けど、五人集まったら、どうにかなりそうな気がするのだけど、郁兎はどう思うかしら?」
「どうって、別に。どちらにしても、俺たちはいま違うチームだしな」
「そうだったわね」
「そういえばお前のチームって全員女なんだっけ? それで大丈夫なのかよ。モンスターに勝てんのか?」
「あら、私を誰だと思っているの」
胸を張り、自信満々に静春は微笑む。
その笑みを見て、郁兎は思わず顔を引き攣らせた。
――そうだった。この女、体術で学年一、それから実技では学年二位という成績の、とんでも超人だった。それに、チームの成績は、学年で二位だ。一位には副会長のチームがいるのだが、それでも十分の成績だった。下位の方をうろちょろしている郁兎のチームには到底勝てない高見に彼女はいる。
家系によるものか、それとも自身の鍛錬の積み重ねによるものか。おそらく両方を兼ね備えている神橋静春というこの女子は、強い。郁兎よりも。学年でも指折り数えるほど。
それから静春のチームには悠菜もいる。彼女の能力は回復に特化しているため、それも合わさり彼女たちのチームは現役のハンターに匹敵するほどの実力を誇っている。
嫉妬の気持ちが湧き出てくるが、それを飲み下し、郁兎は不敵に笑った。
「すぐに俺のチームが、お前を追い抜かしてやるぜ!」
「あら、それは楽しみね」
うふふ、と静春が笑った。その瞳には、確かに彼の顔が映っていた。
「じゃあ、予鈴なるし、席戻るわ。これからよろしくな」
「ええ。これから一年、楽しくなりそうね」
「よ、よろしくお願いします!」
悠菜の頭を、愛おしそうに静春が撫でた。
それを横目で見ながら、郁兎は自分の席に座る。
まさか二年生になって、去年唐突に無くなった一年三組の仲間と同じクラスになれるとは思っていなかった。一人だけ別のクラスになってしまったが、これも何かの巡り合わせだろうか。
郁兎は拳を握りしめる。
今年こそ『魔力』を発現させて、【連戦隊】に参加する。
目指すは、春の【連戦隊】。
チームメイトの中には笑うやつもいるが、郁兎は絶対に参加してみせると、心に決めていた。
バケモノを殺すのに、どうしても力が必要なのだ。
● ● ●
いつからなのか、正確な年代はわかっていない。
ある日。突如として、『ダンジョン』と呼ばれる未知の地下迷宮が世界中の至るところに現れた。
それと時を同じくして、人に未知なる能力が宿った。人間それぞれが違う固有の能力を芽生えさせ、世界は混乱の渦に巻き込まれることになる。
『それ』は、人に力を与えると共に、人の心を蝕み、体に身に余る能力は人の心を容易く破壊した。たとえば、幼い子供。子供に『それ』は強大すぎて、『それ』に取り込まれて心を失くして気が狂ってしまう子供や、『それ』により身を滅ぼし死んでしまう子供が増えてしまった。大人も例外ではない。ただ、子供の犠牲が多かったというだけのこと。
いつしか『それ』は、悪魔の力だと云われ恐れられるようになった。
ある時、『それ』により『天使の羽』を生やした人物が『世界』で宣言する。
「その力を恐れることなかれ。『それ』は、私たちの希望の光なのです」
彼女は、『それ』を『天使の魔法の力』だと謳った。
人々は光輝く四枚に羽を持つ彼女を天使と信仰し、神の使者である彼女の言葉の赴くままに、子供の持つ『天使の魔法の力』、曰く『魔力』を封印することに決定した。封印する『魔力』を持つ者は『封魔師』と呼ばれた。
『ダンジョン』がどういうところなのか、探求心を駆られた研究者や冒険家、闘争心に駆られた『ハンター』が『ダンジョン』に挑んだ。
『ダンジョン』には、種類豊富な『モンスター』が巣くっている。
『モンスター』を解剖し、未知の生物の謎を解明しようとする者。
『モンスター』を倒し、迷宮を攻略して謎を解明しようとする者。
『モンスター』を殺し、ただただ人よりも優れた力を求める者。
幾多の思いから、人々は『ダンジョン』に潜り、命を散らすものも後を絶たなかった。
曰く、『ダンジョン』は最高五層からなっている。
曰く、『ダンジョン』に巣くう『モンスター』はダンジョンの周りに自然に発生している結界により、外界に出てくることができない。
曰く、『ダンジョン』、それはこことは違う異世界にある。
曰く、『ダンジョン』に巣くう『モンスター』は倒しても倒しても、一日もすれば再生して復活する。そしてそれをまた倒すことにより、我々は力を得るのだ。
曰く、『ダンジョン』の最下層には、『天使』からの授かりモノがある。それを持ち帰り、私たちは富を築くのだ。
「哀れだ」といったのは誰だったのか。
人は、自分の都合の良い言葉しか受け取れない生き物だ。だから彼らにその言葉は届かなかった。
いつしか『ダンジョン』は、そこに巣くう『モンスター』の力によりレベル付けがされた。
最大レベルは無限大。
最低レベルは、ゼロ。
日本に、そのレベルゼロのダンジョンは存在する。否、存在した。
【はじまりのダンジョン】と呼ばれていたそこは、ある日を境に逆転したのだ。
曰く、【無敵のダンジョン】――――と。
『羽多岐学園』。
『魔力』に打ち勝ったもののみ通うことが許された、学園で起こった悲劇の事件。
入学後、初の実習でモンスターがいないとされる【はじまりのダンジョン】に、その年の「一年三組」が挑んだ時のこと
バケモノが現れた。
バケモノは「一年三組」の生徒、四十人中三十六人を食べ、教師を食べ、生き残った生徒の心に恐怖と絶望と怒りを刻みつけた。
生き残った生徒四人と、病欠で欠席していた一人の生徒は、それでも『ダンジョン』に挑む。
それぞれの思いを抱え、バラバラの気持ちを一つにして、彼らが望むモノに向かい。
――――たとえ、――を失ったとしても。