1.春の訪れ
桜並木を通り過ぎて、空けた先。
沢山の生徒でごった返した校門を通り抜け、郁兎は今日も変わらず『羽多岐学園』に登校してきた。
いや、変わったことは一つだけある。
冬田郁兎の学園が、今日一つ上に上がり、二年生になる。
「おい」
クラス分けを確認しようと、生徒が群がる電子掲示板を、遠くから飛び上がったりしながらどのクラスになったか胸を躍らせていると、背後から声をかけられた。
よく知っているその声に、郁兎は振り返る。
三人の男子生徒がいた。
一見しただけでもチャラいとわかるその容姿に、郁兎は一瞬表情を消す。
「おはよーっす」
「おれらは別にてめえと挨拶をしたいんじゃねーよ。ツラ貸せ」
「へい」
三人の内、頭をリーゼントにして、白銀のネックレスをつけた長身の男子の背中を無表情で眺めながら、郁兎は歩きだす。
連れて来られたのは、人混みから離れた校舎裏。桜の木の幹に、胸倉を掴まれた郁兎はへらへらとした顔で、目の前の男子を見返していた。
「てめえ、まだ性懲りもなく学校にきてんだな」
「そりゃあ、生徒だからな」
「はんっ、笑わせる。てめえなんて魔ナシ、使い物にならねぇに決まってんだろ」
「それでも、俺はお前よりも頭いいぜ」
いししと笑ってやると、男子は不機嫌さを隠すことなく舌打ちをして、空いている手で、郁兎の鳩尾を一発。
溜まったものが込み上げる嫌な味を飲み下し、郁兎はそれでも笑ってやった。
こんな奴に、弱味をみせるのは癪だ。
「はは、俺に体術で負けるやつが、なにほざいてんだよ」
男子生徒の名前は忘れたから、リーゼントと仮名しよう。リーゼントは、体術の成績が学年の十位以内に入る郁兎より、はるか格下の二十から三十の間をいったり来たりしている生徒だ。体術だけで言えば、リーゼントに郁兎が負けるとは思えなかった。三対一なのは分が悪いが。
自慢のリーゼントをへし折ってやろうかな、と郁兎は表で考えながら、腹の内で静かに闘志を漲らせる。
こんな野郎に構っている時間なんて、郁兎にはない。
郁兎の目的を果たすのに、この目の前の男子生徒は邪魔だった。相手も郁兎のことを邪魔に思っているのだろう。去年から何かにつけてちょっかいをかけられているので、嫌でも敵意は感じている。それを笑って許しているうちに、早くどこかに行ってほしかった。
無言で、リーゼントが鳩尾にもう一発。次は膝だった。込みあがって戻っていた液が、再び口に溢れてくる。すっぱい酸味に嫌な顔をして、郁兎は垂れたそれを袖で拭った。クリーニングしたばかりだというのに、汚れてしまったじゃないか。
ああ、と郁兎はため息をつく。
だから、笑っているうちに、早く済ませてくれればいいものを。
腹の内で、燻っていた怒りに、火が点りかけている。
「おいッ! もう一度言ってみろ、魔ナシ! てめえなんて、おれらが魔力を使ったらな、一発でこの世からおさらばできるんだぜ! 試してやろうか!」
こいつ正気か、と郁兎は笑った。
怒りで我を失っているからか、このリーゼントは人を殺す宣言をしたのだ。それを、黙って聞いていられるほど、郁兎は大人ではない。まだ十六歳のガキだ。
息を整えると、右腕に力を溜める。
魔ナシの郁兎にとって、頼りになるのはこれだけだった。
マナも魔力も持たない郁兎は、あの日から欠かすことなく行ってきた日々の鍛錬により、いまある力を手に入れた。
怒りを込めた、拳を。
「七尾せんせーい。こっちでーす」
妙に間延びした気のない声がその場に響いた。
「七尾先生」という言葉に反応して、三人の男子生徒が顔をみるみる青白くなっていった。この学園でも怖いと評判の先生だからだろう。これが温厚な老人の白鷺先生だったら嘗めにかかるに違いない。声の主を確認することなく、リーゼントたちは声が聞こえてきた方とは反対に走り去っていく。
行き場のなくなった拳を降ろし、郁兎は近寄ってきた人物に胡乱気な目を向けた。
「遅いぞ」
「そうかな。結構ベストタイミングだと思ったんだけど」
黒髪で平均的な身長の男子生徒だ。長い前髪の下から、陰気臭い細い目が覗いている。特徴的なのは、耳にあてている小さな緑のヘッドフォン。それを外すことなく男子生徒は、郁兎の頭からつま先まで眺めると、うんと頷いた。
「怪我が無いようで何よりだよ」
「抜かせ。お前、最初から見てただろ。悪趣味なやつだな」
「遠くからでも聴こえていたからね。けど、駆けつけたのはついさっき」
「あっけらかんと嘘言うな」
「嘘じゃないんだけどさ」
くすっと笑うと、男子生徒は踵を返して喧騒に向かう。
「おい」
「あ、そうだ郁兎。君と僕、同じクラスだって。寮で部屋も同じだし、なんだか嫌な運命を感じるよね」
「一年の時もそうだっただろ」
「最初はね? でも、すぐにクラスは分かれたじゃん」
「……そうだったな」
「寮ももともと別だったけど、なぜか郁兎と同じ部屋にさせられちゃったし」
「相方がいなくなったからしゃーねぇだろ」
「そうだね。じゃあ、またあとで」
今度こそ、男子生徒は校舎裏からでると、喧騒の中に消えて行った。
どこか遠くを見るような目で、郁兎はその背中を眺めていたが、予鈴を告げるチャイムで我に返り、いなくなった男子生徒の背中を追いかけるように走り出した。
クラス分けを確認してから、郁兎は自分の教室に向かう。
「三組か。今年はあるんだな」
一年生の時、三組というクラスは存在しなかった。