後日談
お久しぶりです。翡翠の星屑、後日談です。本編読了後に読んでいただけたら幸いです。
そこには、初めから誰もいなかったみたいに。あとには地平線だけが残された。
振っていた手を下ろし、ノチェは腰を下ろす。
──いってきます。
あどけない寝顔ばかりしか見られなかったあの子が、幼子のように声を上げて泣いた。泣き止むまでなだめていた大きな手が、彼女の手を引いた。
二人が手を挙げて歩き出すころには、あの子は見たことのない笑顔を浮かべていた。
見送る側になるのは初めてか。いつも見送られるばかりだったから。
いつの間にか目線は近くなり、短かった髪は、くくることができるまで長くなっていた。知らぬ間に過ぎていた年月の大きさを、こんな形で知るなんて。
「行ったのか?」
「とっくに」
後ろからやってきた足音は、視界に入ることなく止まった。
追っていた二人の背中はとうに消えている。なおそこに留まり続けたのは、きっと名残惜しかったからだろう。
「どうせあいつのことだ。人知れず去りたいとか言って、こんな早朝に発ったんだろ? あんたとあの子は、間に合ったのか?」
「もちろん」
「なら、良かったじゃねぇか」
良かった。そうだ。ノチェは二人を会わせ、見送ることができた。結末としてはこれ以上ない出来栄えだ。
ふわ、と頼りないあくびが聞こえた。寝起きのギアは、動きも受け答えも緩慢になる。覚醒しきるまで、しばらく時間を要する。
ノチェは首をそらす。地平線から、空へ。中空にぽっかり浮かぶ太陽と、目が合った。
太陽は、さらに上を目指していく。誰に言われたわけでもなく、何に邪魔されることもない。今は、天頂へと昇る途中。今日もきっと、暑くなるだろう。
「で?」
「なんだ?」
いつまで日向ぼっこをしていいものかと悩むノチェに、ギアはこう尋ねてきた。
「あんたはなんでそんな、わかりやすくいじけてやがるんだ?」
「いじけてなんかいないさ」
「じゃあ、なんでそんな体勢で座ってるんだよ」
「落ち着くんでね」
答えを聞くなり、ギアは大きくため息をついた。
そうとも、ノチェはいじけてなどいない。膝を抱えて座っていただけで、決していじけていたわけではないのだ。
故郷で寂しい思いをさせてしまっていた愛娘。
愛弟子とまでは言えない、弟のような存在。
年を越える期間が、二人とノチェをアルティナの地でめぐり合わせるという、数奇な運命を持ってきた。
彼らが一緒に行動している。リディオルから初めてその情報をもらったときは、さすがのノチェでも二度聞き返してしまったほどだ。誰と誰が、一緒だと。
「巣立つ者たちを見送るのは、少しばかり寂しいな」
遠くにいってしまう。視界から消えてしまうまで。地平線の向こうに沈んでしまうまで。最後まで見ていたかったのは、彼らの姿を焼きつけたかったからかもしれない。
「とかなんとか格好つけて、本当は娘が取られて悔しいんだろ」
的確な回答をもらい、ノチェは口をつぐんだ。
「それもある。やっと会えたのになあ……お父さんって、言ってもらえたのになあ……」
「一回だけだろ。面倒くせぇ奴」
「呼んでもらえたら嬉しいだろう? おまえは、お兄ちゃんって呼ばれたらどう思う?」
「気持ちわりぃ。絶対に呼ばせねぇ。つか、あいつがまず呼ばねぇだろ」
ギアは顔をゆがめて、心底嫌そうなに吐き捨てる。おまえの方はそういうことにしといてやらぁと、さらにぼやいた。
「おら、気が済んだら戻るぞ。事後処理がたんまり残ってる。起きたらあいつにも手伝わせてやらねぇと……」
ギアの弟に同情する。どうやらとばっちりを受けることが確定したようだ。
ノチェは膝を伸ばし、あちこちについた草や土を払い落とす。
小休止は、おしまいだ。
「戻ろう。俺たちの日常へ」
感傷に浸るだけではいけない。留めた足を、再び進めなければ。
きっとまた、目まぐるしい日々が待ち受けているだろうから。