獄中戦姫と悪役王子
取るに足らない小国のお話。
カツン、カツン、カツン。
石を荒削りして作られた螺旋階段をリズムよく、ゆっくり降りてくる。か細い蝋燭の火に照らされた顔は、見る者の多くが嘆息するほどに整っている。
やがて彼はひらけた場所に降り立った。すぐ目の前には、錆びついた古い鉄格子がはめられた牢屋が存在し、薄暗いその中を覗けば一通りの日用品が完備された一室となっている。
そして、牢屋の片隅に置かれた寝台に、上質そうなシーツに包まった人一人分の塊が横たわっていた。訪問者はその塊に向かって声をかける。
「おい、起きろ」
粗い言い方ではあるものの、端正な顔に相応しく口から発せられる低音の声もまた心地よく耳に響く。
塊は身動ぎ一つもしない。ただただ、健やかな寝息を立てるだけだ。
「スー、スー……」
ガンッ!
少し高い金属音が空間に響き渡った。その音に勢いよく塊は飛び跳ね、ベッドから見事に転げ落ちた。正直言って痛い。
「……クウォンツェ。タヌキ寝入りとはいい度胸だな」
ビクリと体を震わせ、塊こと私―――クウォンツェ=コートブールは、身を起こして鉄格子越しの彼に対して平伏する。
「お、おはようございます、リア様…」
「戦争だ。出てこい」
びくびくとしながらかけた挨拶の言葉は無視され、非情な声が頭上から降ってくる。
手に持っていた鍵束から古びた銀の鍵を選びだし、錠へと入れてカチリと回す。
「―――――戦え」
暗い牢獄の中、歪んだ笑みが見える。私はこの方の浮かべるそれが、あまり好きではなかった。
「…了解いたしました」
しかしながら今は命令を受けている真っ最中なのだ。余計な口出しをすれば、容赦なく罰せられる。痛いのは嫌だ。
「リアード様の御心のままに―――」
私は粛々と、淡々と、主の命令を承る。
リア。彼の名は、リアード=ジオベルタ。私の幼馴染であり、友人であり。
私を使役する主で、私をこの牢獄部屋に閉じ込めている張本人。そして。
私が一方的に愛している人。
私が無謀にも恋している人。
手の届かない、雲の上の王子様。
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若葉色の、穏やかな色彩を放つさらりとした髪が風に遊ばれてユラユラと揺れる。何気なくぼんやりと眺めていれば、いきなり歩を止めて思い切りその背にぶつかった。
「ぶっ」
「情けない声をあげるな。状況を分かっているのか貴様」
「も、申し訳ありません」
強打した鼻を押さえる私を見下ろして、冷やかな口調で言う。反論の余地はない。
今、私が居るのはジオベルタ国の正面の門前。鈍く光る鉄製の鎧や兜などの防具服を身に付けて、眼前に迫る大軍に目を凝らしている。
はためく軍旗に描かれているのは野を駆ける赤の狼。勇猛さを司る獣を背にこちらへ向かってくる敵国の兵に、私は思い切り顔をしかめた。
「お、多い…」
「当たり前だ。兄上たちが焚き付けたからな」
「余計なことを…」
げんなりとした表情を浮かべて斜め前に立つリア様を見やると、その横顔は笑っていた。
「……リア様、その笑い方やめてください…」
「あ?」
彼が笑ったまま、こちらを振り返る。ひどく愉しげなその笑顔は歪んでいて、純粋な笑みには程遠い。嘲笑いと言うやつである。
「…まるで、悪役じゃありませんか。仮にも一国の王子様なのに…」
「ふん、“戦鬼”の貴様に言われたくない」
「…“狂戦の御子”だなんて二つ名、まるっきり悪役じゃないですか」
そうぼやいた私の頭を、リア様は容赦なく叩いた。
「いたっ」
「どこの馬の骨とも知らん輩が付けた名など、無いに等しい。私の名はリアード、ジオベルタ国第三王子リアード=ジオベルタだ」
フンと鼻で笑い、正門へと歩いていく。おそらく城に戻るのだろう。
「後は頼んだぞ、クウォンツェ。終わったら薬茶を淹れてやる」
「……ありがたきしあわせ」
口から出た言葉はもはや棒読みだ。去っていく主の背中をまたぼんやりと見送り、再び大軍に向き合った。あと数十分もすれば国に辿りつくだろう。
「……はぁ」
一つ溜息を吐き、兜の面を下ろして顔を隠す。空の青と雲の白が入り混じった髪は短く、声さえ聞かれなければ私を女だと気付くものはいないだろう。
「私たちのご主人さまはいつも人遣いが荒いね、ヨタ」
傍らで足元の雑草を食んでいた愛馬に声をかけると、機嫌良さげに嘶いた。
「今日も頑張ろう。終わったら、そんな雑草より美味しい飼い葉、たくさん用意してあげるからね」
「ヒヒン!」
より高く鳴いたヨタに満足げに微笑み、私はその背に跨った。そして手綱を強く握って祈りの言葉を短く唱え、後ろの国軍を振り返り声を張り上げる。
「ただいまより進軍致します!皆さまに女神ジオベルタの加護があらんことを!必ず生きて、ご家族のもとへ帰りましょう!」
『ジオベルタに勝利を!“戦姫”に栄光を!』
剣を掲げ力強く応えてくれた兵士たちに頷き、私も大剣を振り上げてヨタの腹を蹴った。
「―――出撃っ!」
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戦が始まった。鉄の匂いが鼻先をかすめ、容易には離れない。大剣にこびりついた血は一体何人分、いや何十人分なのだろう。剣を振るっている間、特に何も考えない。目の前に敵が来たら斬る。その足を止めるために斬り捨てる。動けなくなるように確実に。
何千とあった大軍が、気付けばもう二百人程度に減っている。ジオベルタの兵は優秀だ。そう簡単に死なない。当たり前だ。生きて、家族のもとへ帰るのだから。
「そこの大剣遣い!ジオベルタが誇る“戦鬼”とお見受けする!いざ尋常に勝負!」
目の前に現れた、同じく騎乗した大剣遣いが口上とともに剣を振るってくる。
―――邪魔だなぁ。
無言でその大剣を自分の剣で受け止め、そのまま受け流す。
屈強な大男。持っている大剣が普通のサイズに見えてしまうほどだ。私なんて女である上に平均よりも小柄だから、馬に乗って誤魔化しているというのに。
―――むかつく。
むくむくと湧き上がるのは、自分にない身長を持つ男への嫉妬。嫉妬はそのまま、大剣を握る手に力を込めさせた。
―――義父様が言っていた。時には感情を力にすることも手だと。
すばやく大剣を振り上げ、頭を狙う。やはり口上を述べてきただけのことはあり、受け止められてしまう。
だがしかしだ。
―――ニィッ!
兜の下、口の端が上がるのが分かる。
相手がそのまま受け流すよりも先に、剣を一瞬だけ引いて、強かに柄の部分を打った。案の定、衝撃に痺れたその手は大剣を手放す。
「なっ!?」
驚く声が聞こえた。それもお構いなしに、遠慮なく鎧の隙間を狙って腕を刺し、横へと薙いで馬から引きずり落とした。
「ぐあっ」
呻き声を上げて野に転がった大男を見下し、私はそれだけで満足した。
―――さあ、次。
戦乱に、身を投じていく。
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「―――よくやった。ほら、褒美の薬茶だ。飲むといい」
「…ありがとうございます」
戦いは勝利に終わった。城へと帰還し、疲れた身体を早く休めようとまっすぐ牢獄まであと一歩だった私は、リア様に捕まった。
「…それでは」
差し出された薬茶入りの水筒を恭しく受け取り、私は牢獄へと再び足を進めようとした。
疲れた、とにかく疲れた。早く寝台で横になりたい。
そう考えながら一歩出た足を、後ろから払われてしまう。
「わっ」
とっさに受け身を取り、水筒を抱え込むようにしてなんとか落とすのを防いだ。
立ち上がろうとすると頭を鷲掴みにされた。
「いっ…!」
「そんなに薬茶が好きか?」
まるで刃物を首に突き付けられた気分だ。こわい。
「答えろクウォンツェ。薬茶にこの私が劣ると言うのか?」
「なんでそうなるんですか…リア様が直々に淹れて下さったお茶ですよ?温かいうちに飲んでおきたいと早く退出しようと思っただけです」
お世辞でもなんでもなく、リア様の淹れるお茶は大変美味しい。特に薬茶は戦の後には格別で、私はいつも早く飲みたいがためにそそくさと牢獄に持ち帰る。まあ、今日は流石に疲れたのも理由だけれど。
「いつものことではありませんか」
「…そうか、いつものことか」
どこか不機嫌そうな声。と思った次の瞬間には床に再び投げ出されていた。痛い。
「あ、もしかして」
ふと思いつき、水筒の蓋を取り、薬茶を注いでリア様に差し出した。
「はい、どうぞ」
「あ?」
ガラの悪い声になった。どこの不良ですか貴方は。
「リア様、ご自分でお飲みになったことは?」
「…ない。いつも感覚的に淹れているから、味の確認すらしていない」
「………」
驚愕の事実、判明。
「えっとぉ…テキトーとは思えないほど、とっても美味しいんですよ?飲まなきゃ損です」
「飲んで何か得るわけでもないだろうに」
ああもう、あー言ったらこう言う!リア様ってば本当、屁理屈なお方だなぁ。
「リア様がご自身に休息を与えることで、初めて休息は得られるんですよ?」
「…なるほど、そう来たか」
言われた意味が分からず首を傾げていると、お茶を奪われた。リア様はあっという間に口の中へと流し込まれると、ごくごくと嚥下なさった。うん、実に良い飲みっぷり。お酒じゃないのが少しだけ残念。
「ふむ…侍女たちのものより美味いな」
「でしょう?」
リア様がやっと飲んだお茶を認め、嬉しくて私はつい顔を綻ばせた。
「リア様のお茶は私にはもったいないくらい美味しいのです」
口から漏れ出るこの言葉に、嘘偽りはまったくない。あるのは敬意のような、好意のような、そんな感情だ。
「………」
あれ、リア様がまた不機嫌そう。私、また知らぬところで失態を犯したのだろうか。
「貴様は…本当に欲無しだな」
「リア様ほどではないかと」
その一言の後、肩と背中に衝撃が走った。どうやら後ろへ倒されたらしい。ああ、今日は失敗ばかりだな。
「いっ…!」
「調子に乗るな、クウォンツェ=コートブール」
調子に乗った覚えがないのにこの言葉。理不尽すぎて悲しくなる。でも反論なんてもっての外だから何にも言わない。言えない。
「…そういうところだ、クウォンツェ」
牢獄とはいえ、なぜだかこの部屋には立派な絨毯が敷かれている。だから、むき出しの石の床で頭部を損傷、なんてことはないのだけれど、痛いものは痛い。
痛いのは、頭や身体だけではないしね。
「どういう、ところ、ですか…?」
ああ、痛い痛い。口答えするんじゃなかった。身体のあちこちが痛い。頭、背中、両手、両足。
―――――そして、心。
「貴様は昔からだ。昔からどんなに虐げても一度として泣かない。涙一滴すら落とさない。気に食わん」
どこのガキ大将ですか。
「それともなにか、まさか被虐趣味でもあるのかお前」
…あ、リア様が“お前”って言った。
たったそれだけなのに、状況も忘れて私は笑ってしまった。
「…本当に被虐趣味が?」
私の笑顔を見たリア様が若干引き気味に訊いてくる。反応が痛い。
「ちっ、違いますよ。久しぶりだなと思っただけです」
「久しぶり?」
「ほら、リア様が私のこと“お前”って」
そう言った途端、がばっとリア様が私の上から退いてくれた。
「リア様?」
この隙に起き上がって振り向くと、苦虫を噛み潰したような顔をしたリア様が私を見下していた。
「………」
何やら言いたげな様子だったけれど、結局何も言わないままリア様は牢獄から出て、しっかりと鍵をかけて去って行った。
「???」
首をひねってみるけれど、もともと弱いこの頭で考えたところで何も分からない。仕方なく、水筒の蓋をとって薬茶を一杯飲んでみた。
「うん、美味しい」
笑みがこぼれる。そして、少し顔を赤らめる。
「よ、よく考えたら、かかかか間接キスってやつだよね、これ」
何も考えず口を付けてしまった蓋のふちを見つめて、遅ればせながら恥じらう。
リア様との接吻。考えただけでも沸騰ものだ。地面に穴を開けて縮こまってしまいたい。
「被虐趣味なんかじゃないんですよー…色々こき使われるのはいやだけど、リア様にだったら何されたっていいんです…」
誰もいないことを良い事に、愚痴るようにそう呟いてみる。
「想いを告げないその代わりに、ずっと従僕として」
私をここに置いてください。
たとえ光の届かない牢獄でもいい。
「貴方のくれるものは、どれも優しさでできているから」