諦めの言葉は今は飲み込んで
諦めの言葉は今は飲み込んで
歩いてみても
いいんじゃないか? って思うぐらいには
起き上がれた
冬の荒野、誰もいない
油断してたら 餌食になる社会の儀式
歩んだ軌跡すら 泥に埋めたい人たちが多いから
絶望の代わりに唾をはき 後ろを向いてもいいのかもしれないが
ここで諦めたら 何が残る?
そして誰が残る?
諦めの言葉を今は飲み込んで
慰めの言葉を破棄して
戒めてただ戦うだけ
自分の未熟とか、力の無さとか
絶望と隔絶で溢れた世界で
まだ何もできていない僕自身が
これから為す事のできる何かに
全力で挑むこと
時々休むこと、大事な人の顔をしっかり見つめて
それから奴らと取り組む、取っ組み合いの中で
光を射す場所をここから作り上げて
春の花畑で 晴れた空で
遥かな次が 切継ではない舞台へ
歩き続けて。
諦めの言葉を噛み砕いて
なかった事にしてやるから。
弱い自分、弱い僕、弱い俺
脆い内面、反面、般若を飼っている人々、その中の一人は勿論僕で
だから。
諦めの言葉は無しにして
前に進む言葉だけ 空にかざす
今は自分にしか言えないその言葉が
やがては糧を誰かにつなげるバトンにできるように
今、諦めの言葉を飲み込んで
明らかな言葉に魔法を込める
「前へ。前へ。誰かに花を。つなげる種を。そして前へ。時々隣を見て、そして前へ」
これ、去年の12月に書いた詩です。結構、極限状態だったかなぁ。色々翻弄されて。だから今があるんだけど、苦しい時だからより希望をもてる言葉を欲したんだろうなぁ。あれから、まぁ怒涛な感じですが、なんとかなるもんです。うん。