In the rain
中腹の山小屋を出て2日が過ぎた。
レディンとリムはロナルティンの八合目に位置する岩場に身を隠していた。
壁の様に聳える崖と張出した大岩の天板により、先ほどから降り出した雨は二人を濡らす事は無かった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
リムは毛布に包まり黙ってじっとしている。
標高が高いために気温が低く、吐く息が白く染まるほどではないものの、防寒対策をしていない二人には十分辛い寒さであった。
その中レディンは防具を外し、剣の手入れを念入りに行っていた。
リムは黙々と作業をするレディン見つめ口を開いた。
「ライディンの森から・・・色々有りましたね・・・・・・」
「ああ、色々あった・・・」
声をかけられて一度手を休め、一瞬何かを考えてからレディンは答えた。
「初めはレディンさんに対して緊張しちゃって、まともに話す事も出来なかった・・・」
「こちらも緊張した。なにせ女性とこれだけ永い時を同じくする事など今まで無かったのだから。」
レディンは再び作業を進めながら、ただ苦笑していた。
それからリムはずっと途切れる事無く話し続けた。
この数日間で苦楽を共に分かち合った事。
リリスとして世間から隔離していた間の世界の情勢。
レディンのこれまでの活躍。
クロノスやアプリコットとの出会い。
その殆どがレディンより聞き出した事ばかりだった。
それはレディンが意図的にしていた事。
リムが自分から辛い過去の話を思い出し、語り始めなくても良いよう、レディン側から質問など決してしなかった。
そのような裏があったとはいえ、自分の話しにいちいち一喜一憂するリムを嬉しく思ったレディンは、彼女が楽しめるならばと、当初の思惑など、どうでも良くなっていった。
「本当にこの数日間は楽しかった・・・まるで夢を見ているよう・・・」
リムはかみ締めるように呟くと毛布に顔を埋めた。
それきり続いていた会話が途切れてしまった。
いつしか雨は本降りとなっており、会話が無くなれば激しい雨音だけが世界を支配する。
「ねぇレディンさん・・・」
暫くの沈黙の後、リムが声をかける。
「いざとなったら、一人で逃げてくださいね。貴方一人なら・・・逃げ切る事も可能なんでしょう?」
その声に力はない。常々リムが胸に秘めていた思い。
自分が足手まといであるが為にうまく逃げる事が出来ていない事がこの数日間レディンをずっと見ていたから感じ取れてしまった。
そして2日前に辿り着いた小屋からの突然の逃避。
寝ていた自分を抱えて走っていたレディンには、ライディンの森でティシフォネと二人で抱え上げられた時のような力強さは薄れているように思われた。
さらに事情を聞いた時、ロナルティンに潜伏している事がミネルヴァに発覚したかも知れないと言われたのだ。
今まで逃亡生活が永かったリムには既に追手が直ぐそこまで迫っている事がなんとなく判っていた。
今回の追手はギルドや近隣の村民ではなく、国の軍隊が相手なのだ。
より迅速に、より効果的に追い詰められているのだ。
ただ、今の台詞を言ったが最後レディンとの関係が終わってしまう。
散々迷惑をかけたくない、巻き込みたくないなどと言っておきながら、この数日間のレディンとの生活が楽しくて仕方が無かった。
出来る事ならずっと続けていたいと想い焦がれるようになりつつあった。
だから、リムにはこのタイミングで言っておく必要があった。
今が独りに戻る最後のチャンスなのだ。
「駄目だ。それは出来ない。
今君を残して一人逃げるのなら、今までしてきた事はすべて無駄になってしまう。」
その言葉にリムは一瞬笑みを浮かべて、そして泣き出しそうになった。
それはまるで打ち合わせをし、用意された答えを言われたようだったから。
レディンなら必ずそう言うだろうという確信。
そしてその答えが期待通りだった嬉しさ。
だが、その後に襲うのは今感じた嬉しさを大きく上回る哀しさ。
「このままじゃ、いずれ捕まってレディンさんも殺されるんですよ!
私なら・・・きっと暫くすれば蘇る事も出来るんです。
でも、貴方は人間だもの・・・死んだらそれまでなんですよ!!」
雨音に負けないほどの激昂。
リリスとしての永きにわたる時間の中で幾度となく経験してきた死という現象。
しかし、慣れる事など出来はしなかった。
人間の暗部をまざまざと見せ付けられ、夢も希望も打ち砕かれ、
心臓の鼓動が、脳の機能が停止するまで繰り返される人間が禁忌とする行為の数々。
あんな残酷で無慈悲な思いをレディンがするのかと考えるだけで耐えられなくなる。
いつしか思いは涙となって零れ落ちていた。
「君だって人間なんだ、これからは君が殺される事を前提に生活する必要は無い。
もちろん死ぬつもりは無い。生きて生きて生き延びる。
君と出会えた事だけに満足するつもりは無いんだ。」
作業の手を止め、振り向いたレディンは優しく微笑む。
「でも・・・でもぉ・・・・・・」
レディンはリムを抱き締めた。
「あ・・・」
戸惑い離れようとするリムの頭を抱き寄せ肩越しに言葉を紡ぐ。
「大丈夫。俺は死にはしないよ。そして絶対に君を殺させはしない。」
優しく何度も頭を撫でながら、謳うように気持ちを込めて囁きかける。
「好きです・・・・・・レディンさんが大好きなんです・・・・・・
大好きな貴方が私のせいで死んでしまうなんて・・・そんなの・・・耐えられません・・・・・・」
リムは涙を流しながらレディンに精一杯しがみついた。
リリスとなって数百年の永きにわたり求めていた者が腕の中にいる充実感。
もう永遠に手に入れる事は無いと思っていた人の温もりと安心感。
初めて味わって実感する人を好きになる幸福感。
自ら求め、求められ、必要とされる満足感。
リムの全身が津波の様に押し寄せる感動に打ち震える。
そんなリムの身体を優しく抱き締めるレディン。
気温が低く冷えた身体がお互いの体温を分け合うのを感じる。
「温かい・・・温かいです・・・この温もりを失いたくありません・・・・・・」
手に入れてしまった故の喪失への不安が、幾ら自分で拭い去ろうとも湧き上がり続ける。
「死なない。絶対死なないから・・・。
信じて欲しい・・・生きる事に絶望しないでほしい。」
とても優しい声色。
そこには恐怖も不安も絶望も一切含まれていない。
「はい・・・・はい・・・・・・・・・信じます・・・貴方を信じます・・・・・・」
レディンの言葉を、声を聞くだけで心の暗雲が晴れてゆく。
太陽の日の光を浴びるようにぽかぽかと胸の奥が温かくなる。
涙は今だ流れているものの、もうリムの顔に悲しみの色は無く、幸せに顔を綻ばせていた。
しかし彼らは知らない。
激しさを増す雨音が二人を取り囲みつつある存在の気配をかき消していることを。




