Concealment
ダライガー山脈の北に位置する農作物の良く育つ平野の、ほぼ中央に聳え立つ世界最高峰ロナルティン。
麓には森林があり、小さな村もあるが、標高が上がるにつれ岩肌が目立ち、頂上付近には万年雪が積もっている。
この山はとても古くから神聖視されている風潮もあり、近隣の村人は儀式や祭事の時でしか立ち入ろうとしない。
この一般人を退ける険しき山を訪れる者は極限られている。
純粋に山登りを志す登山家。
その険しさゆえ特別な環境下で育つ希少動植物を求める探求者。
己を鍛え上げるための訓練場とする修行者。
そして、世捨て人となり仙人のごとく人を避けて生活を求める者や、止むを得なく追われる立場になった者達である。
そんなロナルティンには簡易的なものから本格的なものまで幾つか休息所が点在している。
登山者の上り下りの休みどころであり、探求者の拠点ともなるため、今も必要と思われる場所には年月と人手を掛けてでもそのような建物が建てられ続けている。
一般的な登山道からは少し外れた上級登山経験者が数日をかけて辿り着く場所にその休息所はあった。
ここは休息所といっても丸太を組んだ雨風をしのぐだけの小屋であった。
中央に通路を設けそれを挟むように一段上がった造りの板の間が左右にあり、
真中の囲炉裏を囲むと大人が4人も寝転べば一杯になってしまうそんな狭いつくりの部屋の一つにレディンとリムは居た。
「すぅ・・・すぅ・・・」
「・・・・・・」
穏やかな寝息とパチパチと囲炉裏の薪が爆ぜる音が支配する。
つい先刻ここに辿り着いた二人は疲労した身体を休めていた。
リリスとはいえ、体力的にはなんら一般人と変わらないリムは、中腹といえこの険しい山道をろくな休憩や睡眠も取らずに連日歩き続けた疲労が一気に襲ってきたのだ。
レディンに促されるまま身体を横にすると直ぐに寝息が聞こえてきたのだった。
「ここに辿り着くまでに十日を有したか・・・」
火の番をするレディンは険しい表情で呟く。
ライディンからずっとリムに合わせての逃亡スピードは、寝る間も惜しんだとはいえ、決して速いものではなかった。
レディン自身リムと直接出会う数日前から殆ど寝ずに身辺の警護に当たっていたのだ。
幾ら彼が魔族と対等に渡り合える超人的な身体能力を持つとしても、十日もの間、まともな休息を取っていないのは肉体的にも精神的にも流石に辛い。
万全の常態ならば、リム程度の少女を担いでこの場所へ来る事もそう難しいことではなかったはず。
しかし、ライディンでの連戦に継ぐ連戦、その相手はどれも気の抜けない真剣勝負の繰り返しだった。
今の彼は疲労が蓄積され、身体的能力に支障をきたしはじめている。
その力は一般的戦士となんら変わりなかった。
「追手は直ぐにでも此処にくるだろう・・・」
レディンは囲炉裏に照らし出された安らかに眠るリムの顔を眺める。
行動を共にするようになって十日。
初めは二人で居る事に警戒心を持たれ、不安げな顔で距離を取っていた彼女が、今では手の届く距離で安らかな寝顔を見せてくれる事を素直に嬉しいと思った。
「くっ・・・!」
そのとき、脳裏に閃光の様にあの光景が浮かび上がる。
目頭が熱くなるのを苦悶の表情で耐え抜く。
目を閉じるだけであの夜のことが鮮明に思い出される。
それはライディンの森で身を潜めていた時、彼女が就寝時に取った行動と、寝言の内容だった。
リムは寝る時自分の身が隠れそうな木の洞を探してそこで眠ったのだ。
自分達が多少信用に値する存在だったとしても手放しで安心が出来ないという事なのだろう。
レディンはそれを見守るように目の届く周囲で仮眠に着いていた。
だが、しばらくするとリムのうなされる声で目を覚ました。
そのうなされ方は尋常ではなかった。
両肩を抱き、身を縮め震わし、カチカチと歯を鳴らしながら特定の言葉を吐きつづける。
『イタイ』『ツライ』『ゴメンナサイ』『ユルシテ』『タスケテ』『コロサナイデ』
レディンはその光景を見るや、瞬時に彼女の悪夢を理解し、その場で嘔吐した。
余りにも無慈悲で残酷、そして最も醜悪で汚濁したイメージで気分が悪くなった為である。
リリスに対して常に胸中に渦巻いていた想念。
何故、彼女が傷つかなければならないのか?
何故、彼女が苦しまなければならないのか?
何故、彼女が汚されなければならないのか?
何故、彼女が殺されなければならないのか?
想像し、憤怒していた想念が、現実味を帯び、確信としてレディンを襲う。
目の前が白く染まる。声無き咆哮、これ以上無い激情。
限界を超えた怒りの感情に、自己防衛の為に脳がブレーカーを落とした。
幾ら目を見開き、肺の隅々から空気を吐き出しても、目前には白い世界が広がり、声帯は振動することを許さない。
心配したクロノス達に気が着いたのは随分後のことだった。
「・・・・・・」
レディンは静かに目を開ける。
嫌悪感が拭えない。
人間全部がそうではないと頭では理解しているが、感情がそれに伴わない。
自分が彼女に此処まで酷い仕打ちをした人間と同じ種族だと思うだけで自ら首を切り落としたくなる。
だが、その罪を死ぬことで誤魔化すことは出来ない。
自分一人が死ぬことでは解決も贖罪にもならない。
だから彼女を護る。
これ以上の惨劇を繰り返させないために。
この一途なまでの想いが、疲弊し、先の見えない生活でも、決して諦めない今の彼を突き動かしている原動力に他ならない。
再度湧き上がる決意を胸に囲炉裏に薪をくべる。
そんな想いを象徴するかのように炎は一際明るく勢いを増した。




