Human suffering
「やっぱり此処にいたな。」
「何度か戻ってきているようですね。」
焚き火の跡を確認しながら呟く。
クロノスとアプリコットは然したる障害も無く森の中央に辿り着いていた。
「ああ、此処は拠点にしやすく、ほれ、外への案内板もある。」
そういって一本の木を指し示す。
アプリコットの視線の先には”北西ダライガー山脈”と書かれた苔塗れの板が掛けられていた。
「なるほど。こういう事ですか。」
「ああ、便利なもんだろ?普通の奴らは此処まで入り込んでこないからな。
この場所を知っている奴はそういないだろう。」
ライディンの広大で鬱蒼と茂る木々に阻まれた深部には、偶然か確固たる確信がなければ辿り着くことは出来ないだろう。
「それでは・・・森の外を包囲しているミネルヴァ軍もこの場所を知らないのですね?」
「んあ?ミネルヴァだって?」
ここでその名前が出ることに訝しがるクロノス。
「ええ、暫く前から東側より包囲陣を展開中です。その数およそ十万・・・」
「師団級の数じゃねえか!?」
「風の精霊が言うにはレディンを捕まえに来たそうです。そして、そのレディンはこちらに向かっています。」
「そ、そうなのか!?」
「間も無くあちらから来るでしょう。」
そう指差した方向を二人で見つめる。
「確かに、これだけ近づけば俺でも気配を察知できる・・・が、しかしオマケがいるようだ。」
「オマケですか?」
アプリコットが首を傾げる。
「ああ、レディンの他に二人分の気配が一緒に移動してきやがる。
弱弱しい気配なんだが、子供か女か、どっちも俺の知らない気配だ・・・。」
「とにかく、レディンが到着するまで暫く待ちましょう。」
「そうだな。」
暫く後、草木を乱暴に掻き分ける音が遠くから近づいてくる。
そこに二人は視線を投げかけると丁度二人を肩に抱えたレディンが現れた。
「クロノス?アプリコット!?」
レディンは二人を見つけると少し距離をおいて足を止めた。
「なんだ?俺達が此処に居る事を察知しないほど慌ててたのか?
お前らしくないな。まあ、ミネルヴァの大軍に追われてるんならしかたねーか。」
けらけらと子供の様に笑う。
レディンは苦笑いを浮かべるも、直ぐに自分の立場を思い出したのか険しい顔に戻る。
そしてティシフォネを地面に置くと、リリスを両手で優しく下ろした。
「何処に運ばれるかと思っておとなしくしてりゃ随分と扱いが違うじゃないか、此処で会ったがってヤツだ、さっきの借りを返させてもらうとするかね!」
リリスに向かっている為、無防備な背中に襲い掛かる。
レディンは慌てず左足を軸に半円回転する事でティシフォネをかわし、延髄に手刀を叩き込んだ。
ティシフォネはぎゅぅと呻きながらその場で昏倒した。
「あらら、乱暴な勇者さまだなー。でもまあ、さっきの台詞を聞くところ、お前の苦手な種類の女ではありそうだな。」
そうは言いながらも別段責めているわけではない口調であった。
「レディン、彼女は・・・誰なのですか?」
アプリコットがレディンのそばに居る少女から目を片時も離さずに質問する。
「・・・・・・」
黙りこむレディン。それを言うか否か迷っているように見える。
「私はリリス。この世界で、そう呼ばれるモノです。」
レディンが口を開くそのまえに少女は自ら名乗りを挙げた。
「あんたが!?」
クロノスは少女の顔に視線が縫い付けられたように離せなかった。
「な・・・あ・・・?」
脳裏に浮かぶは2年前。
あのジーグ村入り口で見つけ、そしてレディンとともに埋葬した。
戦慄が身体を走りぬける。
あの時、確かに見た顔であった。
あの生首とまったく同じ顔をした少女が目の前にいる。
リリスと名乗られたことの衝撃よりも、そこにいるはずの無いモノとの対面に先ほどから体の自由が利かない。
「クロノス・・・彼女がそうなんだ。」
レディンの声で呪縛から解き放たれるように体の自由を取り戻す。
しかし、身体は脱力し、その場で膝をついてしまう。
「クロノス、どうかしましたか?」
アプリコットがクロノスへ駆け寄る。
「な、何でもねぇ・・・そうか、あんたがリリスか・・・」
あまり力の入らない膝に手を置き、地面に押し込むかのように腕の力で立ち上がる。
「・・・」
リリスと名乗る少女は微動だにせずクロノス達を見つめる。
「そうか・・・本物の・・・本当にいたんだな。
間違いや他人の空似で悲劇が繰り返されているだけじゃないんだな。」
クロノスが伏せ目がちに自嘲する。
「ええ、大抵が聞き伝わる事を本物とは認識できません。
こうして目の前にした事で現実の物として認識するのです。」
アプリコットは優しくクロノスに語り掛ける。
そんなクロノスをレディンは悲痛な気持ちで見ていた。
「貴方達はリリスである私を、どうする気なんですか?」
そこへ凛とした声が上げられた。
「どうもしませんよ。」
「え?」
当然どこかへ連行する、この場で嬲り者にする等の言葉が来るものと思っていた。
しかし、返答は意外過ぎるものであり、意表をつかれたリリスは目を丸くする。
「少し、我々とお話をしませんか?」
見ている者が気を抜かれるような満点の笑顔で答えるアプリコットであった。
昏倒したティシフォネを適当な場所へ運び、近場の木根に腰掛けるレディン。
どうしていいか戸惑いながらもレディンから2m程離れた場所にリリスが座る。
そんな二人と向かい合う様にクロノスとアプリコットが座した。
「それでは、暫くの間、お話にお付き合い下さい。と言いましてもこちらの話を聞いているだけでも結構です。
自己紹介がまだでしたね、私はアプリコット。
隣に座っているのはクロノス。
私達二人は貴女の隣に居るレディンを探して此処へ訪れました。
だから貴女をどうこうするつもりはありません。と、述べても貴女は信用して下さらないでしょうね。」
所詮人間の言うことですから・・・とにこやかに笑う。
「俺達がレディンを探していたのは、2年前のある日から何の連絡も無く、コイツが俺達の前から姿を消しちまったからだ。」
クロノスはアプリコットに続けて語り始めた。
「2年前、俺とレディンと他二人でバルディオスのジーグ村の依頼でドラゴンを退治しに行った。その時、村の周辺ではリリスらしい奴が目撃され始めていた。」
リリスの体がピクリと反応した。
「その時の俺達はリリスなんていうお伽話を真剣に取り留めてなかった。
勘違いか見間違い、他人の空似なんかで悲劇が起こっているんだと解釈してた。
だから、村人が山狩りなど行おうが、居なかった、勘違いだったで終わるんだと思っていた。」
苦々しい表情で続けるクロノス。
「だけど、実際悲劇は起きていたんだ。
俺とレディンは他の二人と別れ、拠点の街へ向う途中の酒場でリリス処刑の噂を聞いてジーグ村へ引き返した。
そして村人達に処刑された後、村の入り口で晒された少女の亡骸を見た。」
クロノスはリリスを見て、レディンへ視線を移す。
「俺達は憤慨し、村に無断で亡骸を持ち去って埋葬した。
俺もあの時は村人全員を罵倒し、殴り倒してやりたいくらい気が立っていた。
だがな、あの時のお前は俺以上の激しい怒りと深い悲しみに充ちていたからな。
そんなお前を観てなかったら俺も冷静ではいられなかった。
お前は人間が大好きだったからな。
だから人間が同じ人間を惨たらしく不条理に殺す事に失望感を抱いた・・・
そしてお前はそれから暫くして姿を消した・・・。
その理由は、自分でリリスを見つけ、それを狙う者たちから護る為だったんだな。」
全員の視線がレディンに集まる。
レディンは目を閉じ俯いていた。
その沈黙が全てと言わんばかりに。
「なぜ・・・」
小さな声で問いかけが聞こえた。
「なぜ、リリスである私なんかを!?」
二度目は大きな声で。
リリスは立ち上がり、レディンへと感情をぶつける。
「君は人間じゃないか・・・」
レディンが顔を上げリリスを見据える。
「っ!!」
息を呑むリリス。
「クロノスが言ったとおり、あの時から人間に失望しはじめたんだ。
今まで人間は弱く脆い生物だと思って来た。
だから、魔族とも対等に戦えるこの力を、世の人の為に使うと邁進してきた・・・
だが、その護っていた人間の本性は、どれだけ理不尽で利己的で残虐性に富んだものだったか!
人間を、それも君のような少女を、誰が書いたか知りもしない手配書一枚でどれだけ殺戮してきた事か!
書物などでリリスの事を調べていく内に自分の中の失望感が絶望感へと変わるのにそう時間はかからなかったよ・・・」
「だから私は人間じゃ・・・」
「君は人間だ!」
否定を唱えるリリスの言葉が終える前にレディンが声を被せて打ち消す。
「こんな・・・」
何かを抑えるように拳を握り締め、身体を震わせている。
「こんなに何度殺されても、暫くすれば元通りに蘇る人間がいますか?
世界中に手配書が出回り、見つかれば酷い暴力を受け、助けや命乞いも聞き入れて貰えず、弄り殺される私のどこが人間なんですか!!」
心の内を曝け出す叫びだった。
自分の意識を無視し、勝手に涙が頬を伝うほどの悲痛な激情。
その場の全員が押し黙る。
たとえこの場でどんな言葉を掛けたとしても、過去がどうであろうと、今現在この世界で彼女はリリスなのだ。
「わたっ・・わたし・・・だって・・・普通に・・・うぅ・・・」
心で納得出来ない、認めたくない事実。
どうしても変わらない現実。
今まで独りで堪えて来た感情は堰を切ったように溢れ出す。
「やれやれ、甘えた嬢ちゃんだねぇ・・・」
女性の声と共にパシンと頬を叩く音が響く。
「・・・え?」
リリスは驚いてきょとんとしている。
いつのまにか目を覚ましていたティシフォネがリリスに平手打ちをしたのだ。
レディンもクロノス達もリリスの独白に同情し、ティシフォネが此処まで近づいている事に気がつかなかった。
「甘えてんじゃねぇ!!」
リリスの両肩を掴んだティシフォネが怒声を放つ。
「あんたが、これまでどれだけ酷い仕打ちを受けてきたのか、そんなの誰も解かりゃしねぇさ。
だからって自分は人間じゃない?
犯され殺される人生は人間じゃないだって?!この大馬鹿野郎っ!!
俺だって、こいつらだってギルドの依頼だったからって言い訳並べても、他人を何人も殺してきたりしてんだ!
殺したから殺されたから人間じゃなくなるのか?
そうじゃねぇだろ!
自分で勝手に諦めて、人間捨てた時が本当に人間じゃなくなるって事じゃねぇのか!!」
リリスの肩を掴む手に力が入る。
「生きてる内は何度だってやり直せる機会がゴロゴロころがってんだ。
年とらない、死んでも生き返るなんて身体があるんならそれこそ希望だらけじゃねーか!!」
「希望・・・だらけ?」
涙に濡れる瞳はティシフォネを直視する。
「ああ、今は辛く苦しいだろうが、この先ずっとこのままじゃねーだろう?
考えてみろよ!今居る奴らはあと100年もしないうちに殆ど死んじまうんだ。
人間なんて少しずつ変化していく・・・此処に居る勇者さまがいい例じゃねーか。
何百年か前と比較してみ?すこしは状況が変わってんじゃねーのか?
だったら希望が持てるだろ?もしかしたらって思えてくるだろ?」
いつしかティシフォネは優しく諭すような口調になっていた。
実際リリスを追い求める人間の趣旨は徐々に変化していた。
リリスが神より定められた当初はそれこそ血眼になって探し出し殺戮されていた。
それは飢饉や疫病により自分の命、家族の命が掛かっている為だから。
だが、近年は動物を狩猟するかのような遊びの面が強くなっていた。
世界中に手配書が回っている状況下で、思いもかけず人とすれ違ってしまった時も、リリスだと気がつかずに通り過ぎられる事も無かったわけではない。
これは昔なら考えられないことだった。怪しきは罰せよという風潮だったことも要因なのだろう。
だとすればリリスを取り巻く環境が緩和されていると言えなくも無い。
言葉は乱暴であるが、ティシフォネの言うことは的を得ていた。
「っ・・・・・・ぁぁ・・・」
だが、それよりもこれほど暖かい言葉をかけられる事のほうが彼女にとっては衝撃だった。
ティシフォネの言うそれは、己がまだ人間であると認めて貰う事に他ならない。
「ひっ・・・ぅ・・・・・・うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
とうとうその場に泣き崩れてしまう。
こんな自分を心配する人が居る。自分が孤独でない事の喜びが全身をかけめぐる。
数百年抑え、殺し続けてきた想いがあふれ出てくる。
「やれやれ・・・泣く子となんとかにゃあ勝てないねぇ・・・」
ティシフォネはうずくまるリリスを優しく抱きしめながら優しく背中を叩いてやる。
それはまるで泣き愚図る赤ん坊をあやす母親のようであった。
「なんか、あの女に助けられた・・・のかな。」
「ええ、女性とは強いものですよ。」
クロノスとアプリコットが安堵の表情を浮かべる。
そしてレディンも心底嬉しそうにリリスとティシフィネを見守っていた。




