同窓会で「まだ独身なの?」と笑われた私に、隣の彼が「今、口説いているところです」と言いました
高校を卒業して十二年。
桐谷岳が同窓会の幹事を引き受けたと知って、少し驚いた。
高校時代の彼は、こういう集まりにはあまり関心がなさそうだったから。
『今度、学年全体で集まろうって話になったんだ。倉本さん、桐谷と会場の下見を担当してもらえない?』
当時のクラス委員から届いたメッセージには、幹事を四人で分担すること、私と桐谷くんには会場の担当を頼みたいことが書かれていた。
ほかの二人は、連絡と出欠、それから会計を受け持つらしい。
卒業後に仲のいい友達数人で集まったことはあっても、学年全体の同窓会は初めてだ。
知らない間に企画が進んでいたことより、桐谷くんが人の集まる行事に関わっていることが意外だった。
教室の窓際で文庫本を読んでいた男の子。
当てられると、立ち上がってから一拍おいて答える人。
私が知っている彼は、そういう桐谷くんだったから。
頼まれた日程は空いていたし、旅行会社の事務をしているので、会場から届く見積もりを読むことにも抵抗はない。
できる範囲を確認して、私は引き受けた。
最初の下見は、同窓会の二か月半前だった。
「倉本さん」
駅前のホテルのロビーで、名前を呼ばれる。
顔を上げると、紺のシャツを着た男性が立っていた。
昔より肩幅が広くなっていて、前髪が短い。
けれど、私が振り向いた瞬間に少し口元を緩めた、その笑い方には見覚えがあった。
「桐谷くん?」
「うん。久しぶり」
「久しぶり。……大人になったね」
言ってから、自分だって三十歳なのに何を、と恥ずかしくなる。
彼は笑った。
「倉本さんも。高校の制服じゃないから、探すのにちょっと時間がかかった」
「十二年前の服で来ると思ってた?」
「そこまでは期待してない」
久しぶりの会話なのに、思ったより笑えた。
ホテルの担当者が来ると、桐谷くんは手元のメモを開いた。
最低保証人数、人数変更の期限、キャンセル条件。
見積もりをもらったとき、幹事四人で確認した項目だ。
彼はそれを順番に確かめ、分からないところは曖昧にうなずかずに聞き直した。
会場を見せてもらったあと、私が受付の場所を相談すると、彼も廊下を見渡した。
「この位置だと、ほかの宴会に来た人と重なりませんか」
担当者と話しながら、少し離れた壁際に机を置く案に決まる。
彼が人前でこんなふうに話すところを、私は初めて見た。
下見が終わって、ロビーに戻る。
「桐谷くん、話すの上手になったね」
「そう?」
「高校のとき、あんまり話してる印象がなかったから」
「家具の店で働いてるんだ。お客さんと話さないわけにいかないから、少しは慣れた」
なるほど、と納得した私の横で、彼はメモをしまった。
「でも今も、得意じゃない相手はいるよ」
「怖いお客さん?」
彼は一瞬こちらを見て、それから目をそらした。
「怖いとは限らない」
その意味を考える前に、私のお腹が鳴った。
かなり、はっきりと。
「……すみません」
「俺も昼、まだなんだけど」
駅までの道にある洋食屋で、遅い昼食を取ることになった。
偶然見つけた店だったのに、ハンバーグはおいしくて、桐谷くんが頼んだオムライスもおいしそうだった。
「その店、何年くらい勤めてるの?」
「七年。最初は倉庫の作業も多かったけど、今は売り場にいるほうが長い」
「家具って、買うときすごく迷うよね。置いたところが想像しにくくて」
「うん。いいと思ったソファが、家だと通れなくなることもあるし」
「それは困る」
「だから、部屋の大きさだけじゃなくて、家で何をするかも聞く。食事をするのか、テレビを見るのか、床に座りたいのか」
彼は、少し楽しそうに話した。
「前に、店で座ったときはよかったけど、家で使うと落ち着かないって言われたことがあって」
「どうして?」
「その人、本を読むときに脚を横に上げたかったんだって。座面の奥行きが足りなかった」
「ああ。お店だと、買う前からそこまではしないもんね」
「俺も、普通に座ってもらって、それで大丈夫だと思ってた」
指先でグラスを動かしながら、彼が苦笑する。
「そのあと、どうしたの?」
桐谷くんが顔を上げた。
「返品の相談?」
「それもだけど。その人、結局、家で落ち着けるソファが見つかったのかなって」
納品後の交換条件を確認して、上司と一緒に別の品を提案したそうだ。
今度は店でも、いつもの読書の姿勢で座ってもらった。
しばらくして、そのお客さんから家で撮った写真が届いたという。
「本が積んであって、猫もいた」
「猫まで気に入ったんだ」
「たぶん。猫のほうが真ん中にいたから」
二人で笑った。
売れた数の話ではなく、誰かが家でくつろいでいる話を、彼がうれしそうにする。
それを聞いているのが、私は好きだった。
その流れで、住んでいる場所や家族の話になった。
彼も独身で、今は恋人がいないという。
「倉本さんは?」
「私も。結婚してないし、恋人もいないよ」
彼がうなずいた。
何でもない近況のはずなのに、彼に恋人がいないと聞いて、少しほっとしている自分に気づいた。
食事の会計は、それぞれ自分の分を払った。
店を出ると、駅までの道が思ったより短かった。
「倉本さんの仕事の話も聞きたかった」
「私の? 地味だよ。予約内容の確認とか、書類とか」
「旅行に行く人には大事でしょ」
そう言われると、何も話すことがないわけではなかった。
けれど、改札の前ではもう時間が足りない。
「じゃあ、次に下見に行くときに」
「うん。聞かせて」
次がある、と分かったことが、妙にうれしかった。
*
会場は、四人で見積もりを比較してから決めた。
私と桐谷くんが担当者とやり取りし、変更があれば幹事のグループに共有する。
仕事の休憩時間に無理をして返信する必要はなく、確認に時間がかかるときは、いつまでに返すか伝えればよかった。
二度目にホテルへ行ったのは、参加人数がほぼ固まったころだ。
料理の内容と、受付から会場への動線をもう一度確認する。
打ち合わせが終わると、桐谷くんが私を見た。
「今日も、何か食べて帰る?」
「うん」
今度は、お腹が鳴る前に誘ってもらえた。
前と同じ洋食屋に入って、私はオムライスを頼んだ。
彼はメニューを閉じながら笑う。
「前、ずっと見てたもんね」
「見てた?」
「俺が食べるたびに」
「そんなに分かりやすかったんだ……」
テーブルの上に届いたオムライスは、想像したとおりの味がした。
私がそれを伝えると、彼は満足そうにうなずいた。
「仕事の話、聞いてもいい?」
覚えていてくれた。
それだけで、話し始める前から少しうれしい。
私は、以前、予約確認の電話でお客さんと一緒に笑ってしまった話をした。
結婚四十周年の旅行なのに、ご主人が照れて普通の旅行だと言い張り、隣の奥さんが全部説明してくれたのだ。
「お祝いの手配はしたの?」
「希望があるか、聞いた。サプライズは苦手だっておっしゃってたから。結局、二人で記念写真を撮れる場所を調べて、資料に入れたの」
「それはいいね」
「私が現地に行くわけじゃないから、無事に楽しんでもらえたかなって、気になることもあるけど」
彼はうなずいた。
仕事が似ているとは思っていなかったのに、その気持ちは分かると言ってくれた。
食べ終わってからも、お互いに席を立たなかった。
昔、学校帰りに寄っていた店がもうないこと。
高校のころは気づかなかった担任の冗談。
私が最近見た映画の、好きだった場面。
「あれ、俺も見た」
「本当に? 最後、どう思った?」
そこから、さらに二十分話した。
彼は私と違う場面が好きだった。
理由を聞くと、もう一度映画を見たくなった。
帰宅して届いたメッセージは、幹事のグループではなく、私個人へのものだった。
『今日話してた映画の監督、新作を撮ってるらしい』
会場も人数も関係のない話題。
私はリンクを開くより先に、返信の画面を開いた。
『公開されたら見たいね』
『うん。今日の話の続きもしたい』
それから、用事のない日にも少しずつ連絡を取るようになった。
私が昼休みに見つけた変な誤変換。
彼の店に展示されている、座ると立ちたくなくなる椅子。
返信が遅い日もあったし、何日も話さないこともあった。
それでも、届けばうれしくて、送りたいことがあれば送れた。
同窓会の最終確認の日、駅まで歩きながら、彼が言った。
「もう、ホテルに来るのは当日だけだね」
「そうだね。忘れ物しないようにしないと」
私が指で持ち物を数えると、彼は笑った。
でも、そのあと少し黙った。
「同窓会が終わったあとも、会えたらいいな」
駅の雑踏の中で、その言葉だけがはっきり聞こえた。
私は隣を見た。
桐谷くんも、こちらを見ていた。
それは、どういう意味で。
聞きたいのに、すぐには言えなかった。
幹事として親しくなったから、これからも友達でいたい。
そういう意味だってある。
私が期待しているほうの意味とは、限らない。
「うん。お疲れさま会もしよう」
口から出たのは、一番断られにくそうな返事だった。
彼は一瞬だけ目を伏せて、それからうなずいた。
「そうだね」
改札を通ったあと、振り向く。
彼はまだ、こちらに手を振っていた。
うれしかった。
でも、同じくらいもどかしかった。
あそこで私が、二人で、と付け足していたら。
ホームでそんなことを考えている自分に気づいて、携帯を取り出した。
『今日はありがとう。帰り、気をつけてね』
送ったあとで、やっぱり足りないと思った。
けれど、彼から返ってきた「倉本さんも」に、笑った顔の小さな絵文字がついていて、それを何度も見てしまった。
*
同窓会当日。
受付の机に名簿を置き、釣り銭を会計担当と確認していると、廊下の向こうから聞き覚えのある声がした。
「七緒?」
顔を上げる。
浜野裕貴が、片手を上げて歩いてきた。
「久しぶり。元気?」
「うん。浜野くんも」
高校を卒業してから、一年ほど付き合った人だ。
進学先が離れて、会う日の調整がうまくいかなくなった。
電話をしても話が続かなくなって、最後はお互いに、このまま続けるのは難しいねと話した。
別れてから、もう十年以上たつ。
近況を聞いていた友達から、結婚したと教えてもらったことはある。
今日こうして顔を見ても、胸が痛むことはなかった。
知っている人が、記憶の中より少し年を取っていた。
それだけだった。
「幹事なんだ。大変だな」
「四人で分けてるから。それより、受付お願いしていい?」
「あ、そっか」
名前を確かめ、会費を預かる。
彼は名札を受け取ると、会場から自分を呼んだ友達のほうへ行った。
開始時刻になり、受付の列が途切れたところで、机を片づけた。遅れると連絡のあった人には、会計担当が入口で対応することになった。
私は名簿を鞄にしまって、会場に入る。
高校の教室と同じ声が、ずっと広い部屋に響いていた。
髪型が変わった人も、苗字が変わった人もいる。
昔は話したことのない相手と、住んでいる駅が隣だと分かって盛り上がった。
桐谷くんは料理台の近くで、友達と話していた。
目が合うと、空いた椅子を軽く指さす。
私は皿を持って、その隣に座った。
「食べられた?」
「うん。桐谷くんは?」
「今から。さっき、唐揚げがあるって聞いたから」
「あと二つだったよ」
彼が真剣な顔で料理台を振り返り、私は笑った。
こんな小さな会話ができることに、ほっとする。
今日はずっと忙しくて、彼とゆっくり話せていなかったから。
唐揚げを一つ確保して彼が戻ったころ、浜野くんが友達二人と一緒に近づいてきた。
「桐谷、全然変わったな。何してんの、今」
仕事や住んでいる場所の話から、浜野くんの新居の話になった。
少し前に引っ越したらしい。
奥さんと家具を選ぶのに苦労した、と彼が言うと、桐谷くんは「大きい買い物だからね」と答えた。
「七緒は?」
「何が?」
「結婚。もうしてる?」
「してないよ」
私が答えると、彼は少し大きな声で笑った。
「まだ独身なの? いい人紹介してやろうか」
同じテーブルにいた人たちの会話が、一瞬途切れた。
私の皿の上では、取り分けたサラダがそのままになっていた。
十年以上前には、好きだった。
その事実と、今、この言葉を笑って受け取れるかどうかは、別のことだった。
「紹介は頼んでないよ」
私はフォークを置いた。
「独身なのを笑うのも、やめてほしい」
浜野くんの笑顔が止まった。
「いや、冗談だって。そんな真面目に取らなくても」
「私は笑えなかったから」
大きな声は出さなかった。
彼を困らせるためでもなかった。
ただ、ここで私まで笑ったら、嫌だったことが伝わらない。
隣にいた友達が「その言い方はちょっとな」と浜野くんに言った。
彼は気まずそうに首の後ろをかく。
「悪かったって。じゃあ桐谷、誰か紹介できない? お前、顔広そうだし」
まだ紹介の話が続くのか、と私は口を開きかけた。
その前に、桐谷くんが答えた。
「紹介するつもりはないよ」
落ち着いた声だった。
ホテルの担当者に質問していたときと同じくらい、はっきりしていた。
「今、口説いているところです」
私は、彼を見た。
桐谷くんもこちらを見ていた。
さっきまで手にしていた箸は、皿の横に置かれている。
ふざけて笑ってはいなかった。
「……え?」
声を出したのは、浜野くんだった。
私も同じことを言いそうになったけれど、息だけで終わった。
「あ、そういうこと。知らなかったわ」
浜野くんは私と彼を交互に見た。
そして、小さく「ごめん」と言った。
「さっきの言い方も、悪かった」
「うん。分かってくれたなら」
私が返すと、友達の一人が彼の肩をたたいて、別のテーブルへ連れていった。
誰かが大声で冷やかすことはなかった。
同じ席にいた女性が、私たちの顔を一度ずつ見て、ほんの少し笑っただけだった。
音楽と話し声が、また耳に戻ってくる。
桐谷くんは私のほうへ体を向けた。
「倉本さん、ごめん。今のこと、あとでちゃんと話したい」
耳が赤かった。
その赤さを見て、私まで顔が熱くなった。
「……うん。私も」
彼が小さく息を吐く。
私はフォークを持ち直したけれど、サラダの味がよく分からなかった。
口説いているところ。
そんな言葉を、自分に向けて使う人が隣にいる。
しかも、ただうれしいだけでは済まない相手が。
今日だけ急にそう思ったわけじゃない。
二度目の下見の日、仕事の話を覚えていてくれたときも。
映画の話で、食べ終わった皿を前にずっと座っていたときも。
改札の前で、会えたらいいなと言われたときも。
私が期待するたびに、期待しすぎかもしれないと思っていた、その全部が頭の中に戻ってきた。
*
会は予定どおりの時間に終わった。
桐谷くんと私は忘れ物を見て回り、会計担当はホテルと支払いを済ませた。
集金の確認と幹事への報告も終わって、担当者にお礼を言う。
ロビーで、残った二人の幹事と別れた。
四人の打ち上げの日程は、後日グループで決めることになった。
桐谷くんと二人になる。
下見の日と同じロビーなのに、何を話せばいいのか分からなかった。
「少し、歩ける?」
彼が聞いた。
私はうなずいた。
駅前の通りから一本離れると、植え込みの続く歩道に出た。
夜風が、熱の残っている頬に触れる。
人の流れが落ち着いたところで、彼が足を止めた。
「さっき、人前で言ってごめん」
こちらを向いた彼の声は、会場にいたときより小さかった。
「倉本さんの返事を聞いてないのに、あそこで言うことじゃなかった。断りにくくしてたら、本当にごめん」
私は首を振りかけて、少し考えた。
びっくりはした。
何が起きたのか分からなくて、すぐには答えられなかった。
それまで何度も期待していたからうれしかったけれど、それまで意識していなかった相手だったら、困っていたかもしれない。
「びっくりしたよ」
「うん」
「だから、次に大事なことを言うときは、二人のときがいい」
彼は私の顔を見て、うなずいた。
「そうする」
そこまで聞いてから、私は続けた。
「でも、断りにくいからここに来たんじゃないよ」
彼の指が、鞄の持ち手を握り直した。
「さっきのって……場を収めるためだけじゃないんだよね?」
「違う。助け舟だけのつもりで言ったんじゃない」
その答えに、肩から少し力が抜けた。
「最初の下見のあと、一緒にご飯を食べて、もっと話したいと思った。店の話を、最後まで聞いてくれたのがうれしかった」
彼は一度言葉を切った。
「でも、そのときだけじゃない。倉本さんの仕事の話も、映画の話も。俺と違うことを考えてるのを聞くのが楽しいし、何かあったら、これ話したいなって思うようになった」
私もだよ、とすぐ言いたかった。
けれど、彼がまだ話そうとしていたので、待った。
「幹事の打ち合わせだと、また会う理由があるだろ。その間に断られて、気まずくさせたらって思って、はっきり言えなかった」
「だから、お疲れさま会?」
「それは、倉本さんが言った」
そうだった。
私が口を押さえると、彼は少し笑った。
「でも、俺もそのままにした。同窓会が終わったら、今度こそ二人で誘おうと思ってたんだ。今日、帰る前に」
「……私も、会う理由がなくなるの、寂しかった」
ようやく言えた。
胸の中にしまっていた言葉を口にすると、夜風が急に冷たく感じた。
「終わったあとも会いたいって言ってくれたとき、うれしかった。でも、幹事の仲間として言ってるのかなって思って」
「俺も、お疲れさま会って言われて、そういう意味で受け取ったのかなって」
お互い、同じところで足を止めていた。
相手に断られない言葉を選んだつもりで、自分の気持ちまで薄くしていたらしい。
「最初から、聞けばよかったね」
私が言うと、彼は困ったように笑った。
「得意じゃない相手って、倉本さんだったから」
「下見の日の?」
「うん」
あのときの会話が、今になってつながった。
私は鞄を抱え直した。
「怖くはないって言ってたよね」
「怖くはない。でも、どう思われるか気になる」
そんなふうに答えられたら、私だって、うまく話せなくなる。
彼は息を吸った。
「次はお疲れさま会じゃなくて、デートに誘いたい」
逃げ道のない、まっすぐな言葉だった。
今度は、意味を考えなくても分かった。
「私も、そのつもりで誘ってほしかった」
言ったあと、彼が目を見開いた。
その顔を見たら、私にも勇気が出た。
「桐谷くんと話してると、時間が足りないって思うの。ホテルの確認が終わるのは助かるのに、帰る時間になると残念で。メッセージが来るのも、楽しみにしてた」
彼の口元がゆっくり緩む。
「それ、すごくうれしい」
「私も、今、うれしい」
この会話がしたかった。
誰かの前で、選ばれたと分かることより。
自分の言葉を、彼がこんな顔で聞いてくれることが。
「倉本さんが好きです」
彼は、今度は少し声を震わせた。
「付き合ってください」
「はい。私も、桐谷くんが好きです」
答えると、彼は一瞬、何も言わなかった。
それから、よかった、と小さくつぶやいた。
私も笑った。
高校のころの彼を、特別に意識したことはなかった。
今日会場にいた男の子たちと同じ、同級生の一人だった。
十二年後に再会して、知らなかった仕事の顔や、好きな映画の話し方を知った。
今、隣にいるこの人を、好きになった。
「来週の日曜、空いてる?」
彼が聞く。
私は予定を思い出して、うなずいた。
「午後なら。桐谷くんは、お店、大丈夫?」
「その日は休み。映画を見て、ご飯を食べたい。二人で」
「うん。二人で」
同じ言葉を返すと、彼はまた笑った。
駅へ向かって歩き出す。
さっきより、隣との距離が近い。
信号待ちで、彼が私を見た。
「手、つないでもいい?」
私は、鞄を反対の腕に掛け直した。
「いいよ」
差し出された手に、自分の手を重ねる。
握り返された指が温かかった。
信号が青になってからも、私たちは離さなかった。
*
帰宅すると、幹事のグループには、無事に終わってよかったとメッセージが届いていた。
私もお礼を送り、当日の写真を共有する日や、残った確認事項を読んだ。
そのあと、桐谷くんとの画面を開いた。
『帰ったよ。今日はありがとう』
『俺も今、着いた。こちらこそありがとう』
今日決まった約束を、もう一度確かめたくなった。
『次に会う日は、幹事の資料、持っていかなくていいんだね』
送信してから、自分でも笑った。
彼との外出には、いつも見積もりか名簿が一緒だったから。
すぐに返信が来た。
『うん。七緒に会うための約束だから』
名前を見て、携帯を持つ指が止まった。
駅で別れる直前、名前で呼んでいいかと聞かれて、私も彼を岳くんと呼ぶことにしたのだった。
それなのに、文字になった名前を見ると、また頬が熱くなる。
『私も、岳くんに会いに行くね』
返信を送って、鞄から幹事の資料を取り出した。
机の引き出しにしまう。
日曜日に持っていく小さな鞄には、財布と携帯とハンカチでいい。
予定表を開いて、来週の日曜に書き込む。
会場の下見でも、最終確認でも、お疲れさま会でもない。
岳くんと、デート。
その短い文字を見ただけで、早く日曜日になってほしいと思った。
~完~
お読みいただき、ありがとうございました。
見積もりや名簿を持って会っていた二人が、ようやく約束できた初めてのデート。きっと映画のあとも、話は尽きないのだろうと思います。
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