↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

同窓会で「まだ独身なの?」と笑われた私に、隣の彼が「今、口説いているところです」と言いました

作者: 黒咲かぐら
掲載日:2026/10/18

 高校を卒業して十二年。

 桐谷岳が同窓会の幹事を引き受けたと知って、少し驚いた。  

高校時代の彼は、こういう集まりにはあまり関心がなさそうだったから。


『今度、学年全体で集まろうって話になったんだ。倉本さん、桐谷と会場の下見を担当してもらえない?』


 当時のクラス委員から届いたメッセージには、幹事を四人で分担すること、私と桐谷くんには会場の担当を頼みたいことが書かれていた。

 ほかの二人は、連絡と出欠、それから会計を受け持つらしい。


 卒業後に仲のいい友達数人で集まったことはあっても、学年全体の同窓会は初めてだ。

 知らない間に企画が進んでいたことより、桐谷くんが人の集まる行事に関わっていることが意外だった。

 教室の窓際で文庫本を読んでいた男の子。

 当てられると、立ち上がってから一拍おいて答える人。

 私が知っている彼は、そういう桐谷くんだったから。


 頼まれた日程は空いていたし、旅行会社の事務をしているので、会場から届く見積もりを読むことにも抵抗はない。

 できる範囲を確認して、私は引き受けた。


 最初の下見は、同窓会の二か月半前だった。


「倉本さん」


 駅前のホテルのロビーで、名前を呼ばれる。

 顔を上げると、紺のシャツを着た男性が立っていた。

 昔より肩幅が広くなっていて、前髪が短い。

 けれど、私が振り向いた瞬間に少し口元を緩めた、その笑い方には見覚えがあった。


「桐谷くん?」

「うん。久しぶり」

「久しぶり。……大人になったね」


 言ってから、自分だって三十歳なのに何を、と恥ずかしくなる。

 彼は笑った。


「倉本さんも。高校の制服じゃないから、探すのにちょっと時間がかかった」

「十二年前の服で来ると思ってた?」

「そこまでは期待してない」


 久しぶりの会話なのに、思ったより笑えた。


 ホテルの担当者が来ると、桐谷くんは手元のメモを開いた。

 最低保証人数、人数変更の期限、キャンセル条件。

 見積もりをもらったとき、幹事四人で確認した項目だ。

 彼はそれを順番に確かめ、分からないところは曖昧にうなずかずに聞き直した。


 会場を見せてもらったあと、私が受付の場所を相談すると、彼も廊下を見渡した。


「この位置だと、ほかの宴会に来た人と重なりませんか」


 担当者と話しながら、少し離れた壁際に机を置く案に決まる。

 彼が人前でこんなふうに話すところを、私は初めて見た。


 下見が終わって、ロビーに戻る。


「桐谷くん、話すの上手になったね」

「そう?」

「高校のとき、あんまり話してる印象がなかったから」

「家具の店で働いてるんだ。お客さんと話さないわけにいかないから、少しは慣れた」


 なるほど、と納得した私の横で、彼はメモをしまった。


「でも今も、得意じゃない相手はいるよ」

「怖いお客さん?」


 彼は一瞬こちらを見て、それから目をそらした。


「怖いとは限らない」


 その意味を考える前に、私のお腹が鳴った。

 かなり、はっきりと。


「……すみません」

「俺も昼、まだなんだけど」


 駅までの道にある洋食屋で、遅い昼食を取ることになった。

 偶然見つけた店だったのに、ハンバーグはおいしくて、桐谷くんが頼んだオムライスもおいしそうだった。


「その店、何年くらい勤めてるの?」

「七年。最初は倉庫の作業も多かったけど、今は売り場にいるほうが長い」

「家具って、買うときすごく迷うよね。置いたところが想像しにくくて」

「うん。いいと思ったソファが、家だと通れなくなることもあるし」

「それは困る」

「だから、部屋の大きさだけじゃなくて、家で何をするかも聞く。食事をするのか、テレビを見るのか、床に座りたいのか」


 彼は、少し楽しそうに話した。


「前に、店で座ったときはよかったけど、家で使うと落ち着かないって言われたことがあって」

「どうして?」

「その人、本を読むときに脚を横に上げたかったんだって。座面の奥行きが足りなかった」

「ああ。お店だと、買う前からそこまではしないもんね」

「俺も、普通に座ってもらって、それで大丈夫だと思ってた」


 指先でグラスを動かしながら、彼が苦笑する。


「そのあと、どうしたの?」


 桐谷くんが顔を上げた。


「返品の相談?」

「それもだけど。その人、結局、家で落ち着けるソファが見つかったのかなって」


 納品後の交換条件を確認して、上司と一緒に別の品を提案したそうだ。

 今度は店でも、いつもの読書の姿勢で座ってもらった。

 しばらくして、そのお客さんから家で撮った写真が届いたという。


「本が積んであって、猫もいた」

「猫まで気に入ったんだ」

「たぶん。猫のほうが真ん中にいたから」


 二人で笑った。

 売れた数の話ではなく、誰かが家でくつろいでいる話を、彼がうれしそうにする。

 それを聞いているのが、私は好きだった。


 その流れで、住んでいる場所や家族の話になった。

 彼も独身で、今は恋人がいないという。


「倉本さんは?」

「私も。結婚してないし、恋人もいないよ」


 彼がうなずいた。

 何でもない近況のはずなのに、彼に恋人がいないと聞いて、少しほっとしている自分に気づいた。


 食事の会計は、それぞれ自分の分を払った。

 店を出ると、駅までの道が思ったより短かった。


「倉本さんの仕事の話も聞きたかった」

「私の? 地味だよ。予約内容の確認とか、書類とか」

「旅行に行く人には大事でしょ」


 そう言われると、何も話すことがないわけではなかった。

 けれど、改札の前ではもう時間が足りない。


「じゃあ、次に下見に行くときに」

「うん。聞かせて」


 次がある、と分かったことが、妙にうれしかった。


     *


 会場は、四人で見積もりを比較してから決めた。

 私と桐谷くんが担当者とやり取りし、変更があれば幹事のグループに共有する。

 仕事の休憩時間に無理をして返信する必要はなく、確認に時間がかかるときは、いつまでに返すか伝えればよかった。


 二度目にホテルへ行ったのは、参加人数がほぼ固まったころだ。

 料理の内容と、受付から会場への動線をもう一度確認する。

 打ち合わせが終わると、桐谷くんが私を見た。


「今日も、何か食べて帰る?」

「うん」


 今度は、お腹が鳴る前に誘ってもらえた。


 前と同じ洋食屋に入って、私はオムライスを頼んだ。

 彼はメニューを閉じながら笑う。


「前、ずっと見てたもんね」

「見てた?」

「俺が食べるたびに」

「そんなに分かりやすかったんだ……」


 テーブルの上に届いたオムライスは、想像したとおりの味がした。

 私がそれを伝えると、彼は満足そうにうなずいた。


「仕事の話、聞いてもいい?」


 覚えていてくれた。

 それだけで、話し始める前から少しうれしい。


 私は、以前、予約確認の電話でお客さんと一緒に笑ってしまった話をした。

 結婚四十周年の旅行なのに、ご主人が照れて普通の旅行だと言い張り、隣の奥さんが全部説明してくれたのだ。


「お祝いの手配はしたの?」

「希望があるか、聞いた。サプライズは苦手だっておっしゃってたから。結局、二人で記念写真を撮れる場所を調べて、資料に入れたの」

「それはいいね」

「私が現地に行くわけじゃないから、無事に楽しんでもらえたかなって、気になることもあるけど」


 彼はうなずいた。

 仕事が似ているとは思っていなかったのに、その気持ちは分かると言ってくれた。


 食べ終わってからも、お互いに席を立たなかった。

 昔、学校帰りに寄っていた店がもうないこと。

 高校のころは気づかなかった担任の冗談。

 私が最近見た映画の、好きだった場面。


「あれ、俺も見た」

「本当に? 最後、どう思った?」


 そこから、さらに二十分話した。

 彼は私と違う場面が好きだった。

 理由を聞くと、もう一度映画を見たくなった。


 帰宅して届いたメッセージは、幹事のグループではなく、私個人へのものだった。


『今日話してた映画の監督、新作を撮ってるらしい』


 会場も人数も関係のない話題。

 私はリンクを開くより先に、返信の画面を開いた。


『公開されたら見たいね』

『うん。今日の話の続きもしたい』


 それから、用事のない日にも少しずつ連絡を取るようになった。

 私が昼休みに見つけた変な誤変換。

 彼の店に展示されている、座ると立ちたくなくなる椅子。

 返信が遅い日もあったし、何日も話さないこともあった。

 それでも、届けばうれしくて、送りたいことがあれば送れた。


 同窓会の最終確認の日、駅まで歩きながら、彼が言った。


「もう、ホテルに来るのは当日だけだね」

「そうだね。忘れ物しないようにしないと」


 私が指で持ち物を数えると、彼は笑った。

 でも、そのあと少し黙った。


「同窓会が終わったあとも、会えたらいいな」


 駅の雑踏の中で、その言葉だけがはっきり聞こえた。

 私は隣を見た。

 桐谷くんも、こちらを見ていた。


 それは、どういう意味で。


 聞きたいのに、すぐには言えなかった。

 幹事として親しくなったから、これからも友達でいたい。

 そういう意味だってある。

 私が期待しているほうの意味とは、限らない。


「うん。お疲れさま会もしよう」


 口から出たのは、一番断られにくそうな返事だった。

 彼は一瞬だけ目を伏せて、それからうなずいた。


「そうだね」


 改札を通ったあと、振り向く。

 彼はまだ、こちらに手を振っていた。


 うれしかった。

 でも、同じくらいもどかしかった。

 あそこで私が、二人で、と付け足していたら。

 ホームでそんなことを考えている自分に気づいて、携帯を取り出した。


『今日はありがとう。帰り、気をつけてね』


 送ったあとで、やっぱり足りないと思った。

 けれど、彼から返ってきた「倉本さんも」に、笑った顔の小さな絵文字がついていて、それを何度も見てしまった。


     *


 同窓会当日。

 受付の机に名簿を置き、釣り銭を会計担当と確認していると、廊下の向こうから聞き覚えのある声がした。


「七緒?」


 顔を上げる。

 浜野裕貴が、片手を上げて歩いてきた。


「久しぶり。元気?」

「うん。浜野くんも」


 高校を卒業してから、一年ほど付き合った人だ。

 進学先が離れて、会う日の調整がうまくいかなくなった。

 電話をしても話が続かなくなって、最後はお互いに、このまま続けるのは難しいねと話した。

 別れてから、もう十年以上たつ。


 近況を聞いていた友達から、結婚したと教えてもらったことはある。

 今日こうして顔を見ても、胸が痛むことはなかった。

 知っている人が、記憶の中より少し年を取っていた。

 それだけだった。


「幹事なんだ。大変だな」

「四人で分けてるから。それより、受付お願いしていい?」

「あ、そっか」


 名前を確かめ、会費を預かる。

 彼は名札を受け取ると、会場から自分を呼んだ友達のほうへ行った。


 開始時刻になり、受付の列が途切れたところで、机を片づけた。遅れると連絡のあった人には、会計担当が入口で対応することになった。

 私は名簿を鞄にしまって、会場に入る。


 高校の教室と同じ声が、ずっと広い部屋に響いていた。

 髪型が変わった人も、苗字が変わった人もいる。

 昔は話したことのない相手と、住んでいる駅が隣だと分かって盛り上がった。


 桐谷くんは料理台の近くで、友達と話していた。

 目が合うと、空いた椅子を軽く指さす。

 私は皿を持って、その隣に座った。


「食べられた?」

「うん。桐谷くんは?」

「今から。さっき、唐揚げがあるって聞いたから」

「あと二つだったよ」


 彼が真剣な顔で料理台を振り返り、私は笑った。

 こんな小さな会話ができることに、ほっとする。

 今日はずっと忙しくて、彼とゆっくり話せていなかったから。


 唐揚げを一つ確保して彼が戻ったころ、浜野くんが友達二人と一緒に近づいてきた。


「桐谷、全然変わったな。何してんの、今」


 仕事や住んでいる場所の話から、浜野くんの新居の話になった。

 少し前に引っ越したらしい。

 奥さんと家具を選ぶのに苦労した、と彼が言うと、桐谷くんは「大きい買い物だからね」と答えた。


「七緒は?」

「何が?」

「結婚。もうしてる?」

「してないよ」


 私が答えると、彼は少し大きな声で笑った。


「まだ独身なの? いい人紹介してやろうか」


 同じテーブルにいた人たちの会話が、一瞬途切れた。

 私の皿の上では、取り分けたサラダがそのままになっていた。


 十年以上前には、好きだった。

 その事実と、今、この言葉を笑って受け取れるかどうかは、別のことだった。


「紹介は頼んでないよ」


 私はフォークを置いた。


「独身なのを笑うのも、やめてほしい」


 浜野くんの笑顔が止まった。


「いや、冗談だって。そんな真面目に取らなくても」

「私は笑えなかったから」


 大きな声は出さなかった。

 彼を困らせるためでもなかった。

 ただ、ここで私まで笑ったら、嫌だったことが伝わらない。


 隣にいた友達が「その言い方はちょっとな」と浜野くんに言った。

 彼は気まずそうに首の後ろをかく。


「悪かったって。じゃあ桐谷、誰か紹介できない? お前、顔広そうだし」


 まだ紹介の話が続くのか、と私は口を開きかけた。

 その前に、桐谷くんが答えた。


「紹介するつもりはないよ」


 落ち着いた声だった。

 ホテルの担当者に質問していたときと同じくらい、はっきりしていた。


「今、口説いているところです」


 私は、彼を見た。


 桐谷くんもこちらを見ていた。

 さっきまで手にしていた箸は、皿の横に置かれている。

 ふざけて笑ってはいなかった。


「……え?」


 声を出したのは、浜野くんだった。

 私も同じことを言いそうになったけれど、息だけで終わった。


「あ、そういうこと。知らなかったわ」


 浜野くんは私と彼を交互に見た。

 そして、小さく「ごめん」と言った。


「さっきの言い方も、悪かった」

「うん。分かってくれたなら」


 私が返すと、友達の一人が彼の肩をたたいて、別のテーブルへ連れていった。

 誰かが大声で冷やかすことはなかった。

 同じ席にいた女性が、私たちの顔を一度ずつ見て、ほんの少し笑っただけだった。


 音楽と話し声が、また耳に戻ってくる。


 桐谷くんは私のほうへ体を向けた。


「倉本さん、ごめん。今のこと、あとでちゃんと話したい」


 耳が赤かった。

 その赤さを見て、私まで顔が熱くなった。


「……うん。私も」


 彼が小さく息を吐く。

 私はフォークを持ち直したけれど、サラダの味がよく分からなかった。


 口説いているところ。


 そんな言葉を、自分に向けて使う人が隣にいる。

 しかも、ただうれしいだけでは済まない相手が。


 今日だけ急にそう思ったわけじゃない。

 二度目の下見の日、仕事の話を覚えていてくれたときも。

 映画の話で、食べ終わった皿を前にずっと座っていたときも。

 改札の前で、会えたらいいなと言われたときも。


 私が期待するたびに、期待しすぎかもしれないと思っていた、その全部が頭の中に戻ってきた。


     *


 会は予定どおりの時間に終わった。

 桐谷くんと私は忘れ物を見て回り、会計担当はホテルと支払いを済ませた。

 集金の確認と幹事への報告も終わって、担当者にお礼を言う。


 ロビーで、残った二人の幹事と別れた。

 四人の打ち上げの日程は、後日グループで決めることになった。


 桐谷くんと二人になる。

 下見の日と同じロビーなのに、何を話せばいいのか分からなかった。


「少し、歩ける?」


 彼が聞いた。

 私はうなずいた。


 駅前の通りから一本離れると、植え込みの続く歩道に出た。

 夜風が、熱の残っている頬に触れる。

 人の流れが落ち着いたところで、彼が足を止めた。


「さっき、人前で言ってごめん」


 こちらを向いた彼の声は、会場にいたときより小さかった。


「倉本さんの返事を聞いてないのに、あそこで言うことじゃなかった。断りにくくしてたら、本当にごめん」


 私は首を振りかけて、少し考えた。

 びっくりはした。

 何が起きたのか分からなくて、すぐには答えられなかった。

 それまで何度も期待していたからうれしかったけれど、それまで意識していなかった相手だったら、困っていたかもしれない。


「びっくりしたよ」

「うん」

「だから、次に大事なことを言うときは、二人のときがいい」


 彼は私の顔を見て、うなずいた。


「そうする」


 そこまで聞いてから、私は続けた。


「でも、断りにくいからここに来たんじゃないよ」


 彼の指が、鞄の持ち手を握り直した。


「さっきのって……場を収めるためだけじゃないんだよね?」

「違う。助け舟だけのつもりで言ったんじゃない」


 その答えに、肩から少し力が抜けた。


「最初の下見のあと、一緒にご飯を食べて、もっと話したいと思った。店の話を、最後まで聞いてくれたのがうれしかった」


 彼は一度言葉を切った。


「でも、そのときだけじゃない。倉本さんの仕事の話も、映画の話も。俺と違うことを考えてるのを聞くのが楽しいし、何かあったら、これ話したいなって思うようになった」


 私もだよ、とすぐ言いたかった。

 けれど、彼がまだ話そうとしていたので、待った。


「幹事の打ち合わせだと、また会う理由があるだろ。その間に断られて、気まずくさせたらって思って、はっきり言えなかった」

「だから、お疲れさま会?」

「それは、倉本さんが言った」


 そうだった。

 私が口を押さえると、彼は少し笑った。


「でも、俺もそのままにした。同窓会が終わったら、今度こそ二人で誘おうと思ってたんだ。今日、帰る前に」

「……私も、会う理由がなくなるの、寂しかった」


 ようやく言えた。

 胸の中にしまっていた言葉を口にすると、夜風が急に冷たく感じた。


「終わったあとも会いたいって言ってくれたとき、うれしかった。でも、幹事の仲間として言ってるのかなって思って」

「俺も、お疲れさま会って言われて、そういう意味で受け取ったのかなって」


 お互い、同じところで足を止めていた。

 相手に断られない言葉を選んだつもりで、自分の気持ちまで薄くしていたらしい。


「最初から、聞けばよかったね」


 私が言うと、彼は困ったように笑った。


「得意じゃない相手って、倉本さんだったから」

「下見の日の?」

「うん」


 あのときの会話が、今になってつながった。

 私は鞄を抱え直した。


「怖くはないって言ってたよね」

「怖くはない。でも、どう思われるか気になる」


 そんなふうに答えられたら、私だって、うまく話せなくなる。


 彼は息を吸った。


「次はお疲れさま会じゃなくて、デートに誘いたい」


 逃げ道のない、まっすぐな言葉だった。

 今度は、意味を考えなくても分かった。


「私も、そのつもりで誘ってほしかった」


 言ったあと、彼が目を見開いた。

 その顔を見たら、私にも勇気が出た。


「桐谷くんと話してると、時間が足りないって思うの。ホテルの確認が終わるのは助かるのに、帰る時間になると残念で。メッセージが来るのも、楽しみにしてた」


 彼の口元がゆっくり緩む。


「それ、すごくうれしい」

「私も、今、うれしい」


 この会話がしたかった。

 誰かの前で、選ばれたと分かることより。

 自分の言葉を、彼がこんな顔で聞いてくれることが。


「倉本さんが好きです」


 彼は、今度は少し声を震わせた。


「付き合ってください」

「はい。私も、桐谷くんが好きです」


 答えると、彼は一瞬、何も言わなかった。

 それから、よかった、と小さくつぶやいた。

 私も笑った。


 高校のころの彼を、特別に意識したことはなかった。

 今日会場にいた男の子たちと同じ、同級生の一人だった。

 十二年後に再会して、知らなかった仕事の顔や、好きな映画の話し方を知った。

 今、隣にいるこの人を、好きになった。


「来週の日曜、空いてる?」


 彼が聞く。

 私は予定を思い出して、うなずいた。


「午後なら。桐谷くんは、お店、大丈夫?」

「その日は休み。映画を見て、ご飯を食べたい。二人で」

「うん。二人で」


 同じ言葉を返すと、彼はまた笑った。


 駅へ向かって歩き出す。

 さっきより、隣との距離が近い。

 信号待ちで、彼が私を見た。


「手、つないでもいい?」


 私は、鞄を反対の腕に掛け直した。


「いいよ」


 差し出された手に、自分の手を重ねる。

 握り返された指が温かかった。

 信号が青になってからも、私たちは離さなかった。


     *


 帰宅すると、幹事のグループには、無事に終わってよかったとメッセージが届いていた。

 私もお礼を送り、当日の写真を共有する日や、残った確認事項を読んだ。

 そのあと、桐谷くんとの画面を開いた。


『帰ったよ。今日はありがとう』

『俺も今、着いた。こちらこそありがとう』


 今日決まった約束を、もう一度確かめたくなった。


『次に会う日は、幹事の資料、持っていかなくていいんだね』


 送信してから、自分でも笑った。

 彼との外出には、いつも見積もりか名簿が一緒だったから。


 すぐに返信が来た。


『うん。七緒に会うための約束だから』


 名前を見て、携帯を持つ指が止まった。

 駅で別れる直前、名前で呼んでいいかと聞かれて、私も彼を岳くんと呼ぶことにしたのだった。

 それなのに、文字になった名前を見ると、また頬が熱くなる。


『私も、岳くんに会いに行くね』


 返信を送って、鞄から幹事の資料を取り出した。

 机の引き出しにしまう。

 日曜日に持っていく小さな鞄には、財布と携帯とハンカチでいい。


 予定表を開いて、来週の日曜に書き込む。

 会場の下見でも、最終確認でも、お疲れさま会でもない。


 岳くんと、デート。


 その短い文字を見ただけで、早く日曜日になってほしいと思った。


~完~

お読みいただき、ありがとうございました。


見積もりや名簿を持って会っていた二人が、ようやく約束できた初めてのデート。きっと映画のあとも、話は尽きないのだろうと思います。


「面白かった」「二人を応援したい」と思っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。