天災令嬢、研究のために領地を立て直す
その少女は心の底から全力で物事に打ち込んだことはなかった。
どんなことでも、少し練習すればできるようになるため、何をやっても退屈だった。
そんな彼女の近くにいるとどうしても比べられる。だから、彼女はいつも一人でいた。
ある日、初めて「両親」に呼び出された。僅かな期待を胸に少女は呼び出しに応じた。
――絶望のどん底に叩き落とされるとも知らずに――
「親の言うことを聞けないのか!?この親不孝者!」
「役立たず!お前なんか生まれてこなきゃよかったのに!」
そんな罵声さえ、彼女にとっては遠い場所から響いてくる雑音のようだった。
彼女はとうの昔に壊れていた。周囲の環境がそうさせたのか、はたまた別の理由があるのか、それは誰にもわからない。
ほんの僅かでも彼女は「両親」に期待していた。その「期待」が粉々に砕かれ、彼女はさらに壊れた。さらに歪んだ。
もう元の状態には戻れない。それでも、彼女は期待する。期待を止めたら壊れてしまうから。
***
(そういえば私、前世は引きニートだったんだっけ。)
シェラル・スティウム侯爵令嬢は三歳の誕生日を迎えた日の朝、前世の記憶を思い出していた。現在、彼女は北向きの小さな窓があるだけの、薄暗く狭い部屋の中にいる。
部屋の中にある家具は、先程まで眠っていたベッドのみ。それも、よく言えば歴史を感じられる、悪く言えば今にも壊れそうな代物で、侯爵令嬢には到底相応しくないものだった。
(…一応、私って侯爵令嬢だよね?ここ、本当に侯爵邸にある侯爵令嬢の私室?前世で引きこもってたワンルームアパートの方がよっぽど綺麗で広いんだけど。貴人牢ももう少しマシなんじゃない?)
前世の彼女は、ただ、自らの好奇心を満たすために生きていた。興味の赴くままにゲームや小説、漫画などの娯楽に勤しみ、一生使わないであろう専門的な知識なども脳に取り込んでいた。
当然、定職には就いていなかったため、趣味に充てる資金がなくなると毎回頭を抱えていた。
外に出たくない、と。
散々悩み、苦悩し、試行錯誤した結果、シェラルは趣味の延長で生まれたものが売れることに気づいた。
自分にとってはそこまで価値を感じられないものでも金になると知った。
すると、彼女は趣味の延長で作成したゲームアプリなどを公開することで収益を得るようになった。
ゲームは特に、若者達の間で話題になった。「製作者不明」ということもあり、好奇心で購入する者も後を絶たなかった。しかも、その完成度は趣味のレベルではなかったのだ。
そのようなことも相まって、ゲーム配信などでも頻繁に取り上げられ、新作が出ると競うように購入された。
よって、前世で彼女はお金に困ることなく、その生涯を終えた。
(記憶が二十代の後半あたりで終わってる……ということは、老衰はないな。死因ってなんだ?)
前世では、眠くなれば寝て、空腹で動けなくなれば食べる、という生活を彼女は送っていた。三日ほど寝食を忘れるのは日常茶飯時で、酷いときには一週間以上も忘れていた。
(死因についての心当たりが多すぎる…。)
餓死、睡眠不足、実験、その他諸々――。
(ま、いっか。もう終わったことだしね。)
結論が出るのはとても早かった。シェラルは前世の自分の死因についての興味をたった数秒で失った。
「そんなことよりも今はこの世界で何をするかのほうが重要……」
前世の死因を「そんなこと」で片付けたシェラルは今まさに体験している「異世界転生」という現象に意識を向けた。
(この世界には魔法がある………!)
シェラルにとって、魔法とは未知の力である。それが存在する世界に来て、彼女がすることはただ一つ。
思い至ったら即行動、善は急げとばかりに彼女は今にも壊れそうなベッドから飛び降りた。
そして、到底三歳児とは思えぬ機敏な動きで部屋を飛び出した。
(魔法…!何もない空間から火とか水とかを出すやつ…!それが、現実に!)
足音を消し、気配をできるだけ希薄にし、「人間」がいない廊下を選んで移動している。シェラル自身は、その行動を自覚していない。
それらは普通の子供ではあり得ない身のこなしだが、体に染みついているシェラルにはわからない。そもそも興味がない。
彼女の瞳には星のような光が宿っている。その瞳だけは何の汚れも穢れも知らない純粋な子供のものだ。
好奇心旺盛で気になったら猪突猛進、天真爛漫な子供を絵に描いたようでもある。
もし、異世界転生をした者がシェラルのような特殊な人物ではなく、普通の人間だったと仮定しよう。
その場合、多くの者は小説や漫画など、想像の産物に過ぎない、それこそフィクションの世界の出来事に直面できたことに狂喜乱舞するなり、家族に会えない寂しさに支配されるなりするだろう。
しかし、シェラルの意識はただ一点のみに注がれている。「魔法」という一点のみに。
彼女はその他に意識を向けるという発想を持ち合わせていない。その他のものに意識を割くことを本能的に避けている。
侯爵令嬢であるシェラルの私室はあまりにも粗末だった。
日当たりの悪い狭い部屋。
いつ壊れても不思議ではないベッド。
薄いマットレスに薄い布団。
着替えは平民が着るようなワンピースが二着のみ。それも、何年も前の時代遅れのものだ。
侯爵令嬢についているはずの使用人の姿すらも見えない。
彼女はそれらに気づいていないわけではない。興味を示さずに頭の片隅に追いやっているだけだ。
―――彼女にとってはそれが普通のことなのである。
(もうここに住みたい……!)
シェラルが図書室の重厚な扉を開けるとすぐに本棚が視界を埋めた。その本棚には無数の本が収められている。
さすがは侯爵家と言うべきか、スティウム家の図書室にはこの世界では平民には手が出ないほど高価な本が大量に所蔵されていた。二階の吹き抜けの天井まで本棚が並ぶ光景は圧巻の一言に尽きる。革装丁の背表紙から、ジャンルごとに分けられていると一目で分かる。
(魔法についての本は……あった!)
「『初級魔術理論』……?魔法じゃないの?」
シェラルは首を傾げながら本棚から取り出した魔術書を読み始めた。
(魔法と魔術の違いは、空気中の魔素及び体内の魔力に直接干渉するか否か……)
「要するに、人間は魔素や魔力に直接干渉して動かせないから術式を介して『魔術』という形で現象を起こす。一方、物理的な体を持たない精神生命体は直接干渉できるから術式が不要。よって、『魔法』と。」
シェラルは魔術書を大人顔負けの速度で読み進めていく。
前世で本を読むうちに自然と身につけた速読能力のおかげである。
それだけではなく、シェラルが前世、ジャンル関係なく吸収した様々な知識が魔術を理解することに大いに役立っているのだ。
それから、シェラルは満ち足りた生活を送っていた。朝と昼は図書室でひたすら魔術書に耽り、夜に学んだことを実践する、という生活だ。
当然のように睡眠と食事は最低限である。大人でもこんな生活を続けたら過労で倒れる。
しかし、シェラルは疲弊するどころか、魔術を知るほど、 理解するほど、水を得た魚のように没頭していった。
シェラルが前世の記憶を思い出してからおよそ一ヶ月が経った。その間、誰にも邪魔されることなく魔術について学べた彼女は充実した日々に満足感すら覚えていた。
「魔術書……これで最後か。」
そう、彼女は侯爵邸の図書室にある魔術書を全て読破したのだ。四桁は優に超える魔術書を、だ。
内容を理解し、実際に行使することは無理でも、大人であれば読むことだけなら可能かもしれない。しかし、シェラルは内容も全て理解し、魔術書の魔術も全て行使できるようになっていた。
転生してからは魔術書しか読んでいないシェラルは知らないが、この世界では十歳になってから魔術を学び始めることが一般的だ。親から習う者もいれば、魔術専門の教育機関で学ぶ者もいる。魔術は平民貴族関係なく学べるが、三歳児に魔術を理解させるなど、逆立ちをしても不可能だと誰もが思う。
しかし、シェラルは前世の記憶や経験をフル活用することでその偉業を成し遂げたのだ。
そんなシェラルは現在、魔術の詠唱について頭を抱えている。
「やっぱり効率悪いな…詠唱をもう少し短くしたい…」
例えば、火球を生み出し、対象に当てる場合、魔術師は火球の大きさや形、温度などを決め、術式に編み込まなければならない。さらに、対象との距離を基に、速度や角度まで組み込む必要がある。また、周囲の環境によっても微調整をしなければならない。
魔術師は詠唱をしている間は無防備になる。ある程度慣れれば短くすることもできる。それが短縮詠唱である。普通に詠唱した場合、短縮詠唱の倍以上の時間がかかってしまう。そのため、短縮詠唱ができるというのは魔術師の中ではかなり優れている部類である。しかし、シェラルは一切納得していない。
「こんなに長ったらしく詠唱してたら剣士に心臓を一突きされる………ゲームならコマンド入力ですぐ発動するのに……………あーッ!」
シェラルはブツブツと独り言を呟いている途中、いきなり顔を上げ、声を上げた。その表情はさながら、天啓を得た信徒のようである。
「魔術は術式とイメージ………術式は全部脳内で組み立ててる。あくまで詠唱はイメージの補助装置に過ぎない……コマンド入力の要領でいけるか………?暴発する恐れは……」
シェラルの思考はどんどん加速していく。それと比例するように、シェラルの目はキラキラと輝いていく。
「詠唱、なくてもいいんじゃね?」
思考の末にシェラルは魔術の発動に詠唱は必要ない、という結論にたどり着いた。
瞬時に脳内で術式を組み立て、無詠唱で魔術を発動させる。
「《水鏡》」
すると、次の瞬間には彼女の目の前に水でできた鏡が現れた。
鏡には銀髪に赤い瞳の幼女―シェラルが映っていた。
「やった、成功……!」
シェラルはほんの僅かに口角を上げた。
無詠唱という考えに至ってから僅か数分でシェラルはそれを実現させたのだ。
シェラルは現在三歳である。前世を含めても三十歳に届くかどうか、といった年齢だ。
短縮詠唱とは、優秀な生徒であれば学園在学中に習得することもある技術だ。学園を卒業後も、教科書を読み込み、鍛錬を怠らなければ数年ほどで習得できる者も少なくない。しかし、無詠唱となれば話は別だ。学園を卒業し、実践経験を経てようやく行使できるようになる代物である。それを、彼女は魔術を学び始めて僅か一ヶ月で習得した。無詠唱を着想からまたたく間に形にしてしまったのだ。
(前世で暇潰しにやってたゲームのおかげでイメージはしやすい……絶対にこっちのほうがいいじゃん。)
シェラルは年相応の無邪気さで無詠唱が成功したことを純粋に喜んでいる。
――しかし、シェラルはまだ気づいていない。
彼女はこの一ヶ月、一度も図書室から出ていない。
それにも関わらず―――屋敷の使用人は誰一人としてシェラルのもとを訪ねてこなかった。今世の両親さえも。
シェラルは魔術の探求を邪魔されないから全然オッケー、程度にしか思っていない。彼女にとっては食事や睡眠、他者からの関心などよりも好奇心を満たすことのほうが何倍も大切なのである。
シェラルは自分が侯爵令嬢であることも忘れ、ただの子供のようにはしゃいでいる。静かな図書室の中にはシェラルの楽しげな笑い声だけが響いていた。
無詠唱魔術への興奮がある程度収まると、シェラルは図書室の探検を始めた。
魔術書以外にも図鑑や教本などが充実している。
「流石は侯爵家……」
図鑑の棚で足を止め、一冊引っ張り出す。
「魔物図鑑……」
魔物は身近な生き物である。
そんな一文が目次の前にあった。
「身近……この近くにもいるかな?」
シェラルは覚えたての感知魔術を発動した。
屋敷全体に薄く、魔力を広げていく。情報量の多さに舌を巻きながら屋敷内の生物の生命反応を探る。
(おぉ……!消費魔力増やせば建物の構造もわかる……)
知識として知っていても、実際に使わなければわからないことは沢山ある。シェラルは新たな発見に心を踊らせながら脳内に流れ込んでくる情報に意識を向ける。
(ん?これ、明らかにおかしいよね?)
シェラルは入り口がない不自然な空間を見つけた。
正確には、入り口に何らかの仕掛けを施された部屋である。
「隠し部屋か……?これは行くしかないよな。」
シェラルは久しぶりに図書室の外に出た。隠し部屋を見つけて気分が高揚していたのか、わざわざ身体強化の魔術を施してから廊下を駆けて行く。
辿り着いたのは、両親の私室だった。魔力感知によって、中に人がいないことは確認済みなため、躊躇いなく中へと入った。
両親の私室は贅が尽くされたいかにも貴族らしい、豪奢で悪趣味な部屋だった。ただ、己の財力を見せつけるためだけにその部屋は作られていた。彼らの性格がよく表れている。
もしかしたら、シェラルの両親にはそんな意図すらなく、美的センスが非常に独特なだけ、という可能性もある。シェラルはその辺りに興味を示さずにまっすぐ、仕掛けが施されている本棚の前まで行った。
(本棚……定型的すぎる。今時、クソゲーでももう少し捻ったギミック出すぞ?)
シェラルは前世で散々プレイしたゲームを思い出しながら、本棚を調べる。何冊か本を取り出すと、本棚の奥の壁に微かに、魔力を感じた。
シェラルは眼に魔力を流す。その状態で本棚を視ると、そこには魔術式が刻まれていた。
(ビンゴ…にしても、つまんねぇ……円形にして魔力を節約する以外は確か……魔術を教えてる学園の初等科だっけか?そこで習うような基本術式……)
シェラルは魔術式を一瞬で読み解き、その式に魔力を流しながら特定の本を取り出し、戻す、という作業をする。
何度かそれを繰り返すと、本棚から「カチャリ」という音が聞こえた。シェラルが本棚を奥へと押すと、狭い通路が現れた。
(……こんなに単純な仕掛けなら隠しているのは子供の遊び程度の物か。)
こうして、シェラルは不正の証拠が山積みになった隠し部屋へと入って行った。
この後、自分の想像を遥かに超えるレベルで両親が愚かだったと知ることになるとは欠片も思わずに。
「………うん、どうやら私は疲れているみたいだな。きっとそうに違いない。」
両親の私室にある隠し部屋には脱税、横領、他国への情報漏洩など、国家反逆罪で一族諸共処刑されても文句を言えないレベルの証拠が揃っていた。
「見間違い……きっと、見間違い……最近まともに寝てなかったから……ついでにまともに食べてなかったから……そのせいで、健全な書類が国家転覆を隠す気すらない、お粗末すぎていっそのこと哀れな書類に見えているだけ…」
シェラルは現実逃避の言葉を呟きながらもう一度、暗号化された文章が綴られた書類に視線を向けた。
(見間違いじゃない……まずさぁ、隠し部屋に隠すなよ。んなもん、好奇心旺盛な子供が興味を示さないわけないだろうが。)
もし、ここにシェラルの心の声を聞いた者がいたら、間違いなくこうツッコんでいる。「普通の子供はそもそも隠し部屋を見つけない」と。
「ふざけんな。」
両親の犯罪が現実のことだと受け入れたシェラルの感想はそれだった。
(これがバレたら一族諸共処刑コース……奇跡的に私だけ見逃されたとしても平民落ちは確定………)
シェラルは両親が犯罪に手を染めていたことについて即座に受け入れた。そして、別のことへと思考が移っていく。
(平民になったら魔術の研究ができなくなる……!アイツラはマジで一回死んだ方がいい。それが私のためであり、ひいては世のためだ。魔術の研究ができなくなったらマッドサイエンティストになって国から追い出される未来しか想像できねぇよ……?私。)
魔術の研究を今後も続けるにはどうすればいいか、という思考にシェラルは陥った。彼女にとって「好奇心を満たす環境」は両親の生死よりも大切なことなのである。
「国にとって、私が死ぬことが最大の不利益だと思わせればいいんだ……」
その結論を導き出したシェラルは幽鬼のようにゆらりと顔を上げる。
隠し部屋の扉を閉じ、両親の私室から駆け足で執務室へ向かっていく。
執務室の質素な扉の前に着くと、シェラルは一度、足を止めた。部屋の中に人の気配があったからだ。
「スゥー…ハー…」
(大丈夫。中にいる人は殺気立ってない。少なくとも、中に入った瞬間に私を殴ってくるような人間じゃないはずだから……)
シェラルは呼吸を整え、コンコンコン、とノックをし、返事を待たずに中に入った。
執務室内の光景はある意味で圧巻だった。床は足の踏み場もないほど書類で埋め尽くされ、地層のように天井付近までそれらが積み上がっている。ほんの一瞬「よく倒れないな」と、シェラルが現実逃避を選んだほどである。
「お嬢様……?」
執務室の机にはスティウム侯爵家の家令である、白髪に淡い水色の瞳をした初老の男性、ギルバートがいた。彼はどう考えてもこの場に不釣り合いな幼い令嬢の登場に困惑を隠せず、ポカンと口を開けたまま硬直した。
シェラルはギルバートの様子に構うことなく、近くに積まれていた書類数枚を手に取り、目を走らせた。
(この予算の申請書、似たようなのが二枚ある。片方には再提出印があるから少なくとも一度は差し戻されてるはず。だけど、少し言葉を変えただけで内容はほぼ一緒………相手するだけ無駄だな。)
「可及的速やかに処理しなきゃいけない書類は?」
「それはこちらに……」
ギルバートは幼い令嬢から漂う妙な貫禄に押されるように執務用の机の書類を指し示した。
「じゃ、私がそれを片付けるから。貴方は先に書類整理をお願い。」
「お嬢様……?ここは貴女のような方が来るところでは……」
途中で口をつぐんだ。机の上にある羽ペンをシェラルがそこら辺の文官よりも速く、正確に走らせ始めたからだ。
「お嬢様?どこでそれを「今はさっさと動いて。」」
シェラルはギルバートの言葉を遮り、優先度の高い書類から片付けていく。
ギルバートはそれ以上の詮索を諦め、部屋を埋めている書類の整理を始める。
(ギルバートの権限で処理できないものがかなり溜まっているな。私が生まれる前からあいつらはまともに執務をしていなかったのか?)
シェラルは、領地に関する書類から現在の領地の状態を把握していく。
キリのいいところまで片付けたところで、シェラルは手を止め、ペンを置いた。そして、いつの間にかシェラルの横に立っていたギルバートに問う。
「あの人達が領地の運営に全く手を付けなくなったのはいつごろから?」
「お嬢様が生まれる以前から、あの方達はあまり執務をなさるような方ではありませんでした。完全に手を付けなくなったのは、お嬢様がお生まれになる二年ほど前かと。」
「次、うちの使用人は犯罪に加担している者が大半だけど、それは使用人の総入れ替えのときに雇った奴ら?」
「はい。先代様の時代から勤めていた者は私以外には皆、解雇されました。」
「最後、スティウム侯爵家の現当主とその夫人は領民から搾取しているだけで何も還元していない。これに間違いは?」
スティウム侯爵家の現当主はシェラルの今世の父親、夫人は今世の母親だ。公の場でない今はわざわざそう言う必要はない。ギルバートはシェラルの言葉から彼女が全て知っていると察した。
「何一つ、偽りはございません」
何かを堪えるように目を閉じてから、ギルバートは答えた。シェラルはそれを聞いてから再び書類に視線を落とす。
(家令は嘘をついてない……書類の改竄が五年前から止まってる…改竄すらしてないのか。)
スティウム侯爵夫妻は一応、領地運営の書類の改竄もしていた。しかし、完全に執務に手を付けなくなった年である、シェラルが生まれる二年前、つまるところ五年前からはそれすらなくなっていた。
(この屋敷でまともに動いてるのは家令だけか。)
「ねぇ、なんでこのことを告発しなかったの?」
シェラルは書類から目を離さずに問うた。五年以上もギルバートはほぼ一人で書類を片付けていたのだ。寝る暇もなかったのか、目の下に濃い隈がある。しかし、いくら書類に忙殺されていたとはいえ、どこにも告発していないのはおかしい。シェラルはギルバートの動きを注視している。少しでも誤魔化そうとしたら彼女はギルバートも切り捨てるのだろう。
「私のような老骨をわざわざ新たに雇う家などそうそうありません。妻を養うためにも職を失うわけにはいかないのです。」
「ふぇ!?」
シェラルは「妻」という言葉を聞いて目を見開き、ギルバートの左手へ視線を向ける。それは年相応の表情だった。
(家令、結婚してたのか!?左手の薬指についてる指輪は結婚指輪か?てかこの世界には結婚したら指輪を贈る文化的なのあるのか…?)
「………その指輪って結婚指輪?」
「はい。そうでございます。」
「子供は?」
「娘が一人……」
ギルバートはシェラルの反応に面食らいながらも、訊かれたことに答える。
(子供、いるんだ……)
シェラルの瞳が一瞬、昏い色を宿した。しかし、すぐに感情のない瞳に戻った。
「わかった。これからは私が領地の運営をする。あの二人はもうだめだから。」
シェラルは話を本題へと戻した。
ギルバートは、何か言いたげな視線をシェラルに向けた。しかし、口を開くことなどせずに、 深く頭を垂れた。
「お嬢様のご両親の暴走を止められなかったこと、深く謝罪申し上げます。」
シェラルは一瞬、キョトンと首を傾げた。ギルバートが何に謝罪しているのか分からなかったからだ。
(ご両親……?あぁ、スティウム侯爵夫妻のことか。)
シェラルの中では「両親」ではなく、「スティウム侯爵夫妻」という他人のような認識だった。
「謝罪は必要ない。私にとってあの二人は親じゃないから。まともに顔を合わせたこともないしね。」
シェラルはそれだけ言って書類の処理を再開した。
(ギルバートは有能。だけど、家令としての権限しか持たない。領主にしか処理できないものが五年分はある……。私は一応、侯爵家の嫡女だからギリギリ領主代行という言い訳ができるな。)
「明日、領地の視察に行くことってできる?」
「それは可能ですが……書類を片付けなくていいのですか?」
執務室は領地運営に関する書類で埋まっている。辛うじて執務机から扉までの通路ができているだけだ。
「領民からの嘆願書がかなり多いから。実際に見たほうが早い。それに、もしこの嘆願書が虚偽申告だったら……ただでさえ少ない領地運営の資金がもっと減る。」
(マジで、あの二人なにしてんだよ。領地運営の資金にまで手を出すとか終わってんな。)
スティウム侯爵夫妻は領民から税金を搾れるだけ搾り、何も還元していなかった。集めた税金で高価な装飾品や美術品を買っているだけである。
「虚偽申告、ですか。怪しいものでもありましたか?」
「いや。どれも事実だとは思う。領民もだけど領内の街の管理をしてる代官も困窮してるだろうし。だけど、書類だけだとどうしても齟齬が出ることがあるから。」
シェラルは最もらしい理由を言った。
「承知致しました。明日の視察の準備をしておきます。」
「待って。」
ギルバートは彼女の理由に納得し、一礼して準備をするために執務室を退出しようとした。しかし、シェラルに呼び止められたことで足を止め、シェラルに向き直った。
「貴方の得意な属性は?それと、どの程度使えるの?」
「得意な属性は水です。しかし、一応全属性の魔術を扱えます。」
この短時間でシェラルの特性をある程度理解したのか、ギルバートは何の脈絡もなく尋ねられた質問にもすぐに答えた。
(マジか。)
シェラルの表情は僅かに明るくなる。
魔術には火、水、風、土、氷、雷、植物、光、闇、無属性の十の属性がある。多くの場合、自分の得意属性を中心に二、三属性ほどを鍛える。なぜなら、得意属性以外だと、習得にかなりの時間を要するからだ。
シェラルは得意属性など気にせずに魔術書を読み、魔力切れを起こして気絶するまで魔術を使っていた。そのおかげか、全ての属性をある程度使えるようになっていた。
シェラルはまだ魔術を学び始めて一ヶ月である。どうしても独学には限界があった。それを理解していた彼女はよく理解していた。
(よし。魔術の講師獲得。これで実技面も問題なし。)
シェラルは良い拾い物ができたことに表では無表情のままだが、内心では狂喜している。
「お嬢様…?どうされましたか?」
シェラルはギルバートの言葉に逸れていた思考を戻した。
「なら、空間転移は使える?」
「はい。一度行ったことがある場所であれば。」
空間転移とは闇属性の魔術の応用だ。得意属性ではない闇属性でそれほどまでできるとは流石のシェラルも予想していなかったのか、僅かに目を見開いた。
「そう。なら、今夜中に明日視察する場所を決めるから。明日の朝、視察するとこの代官邸にそれを送って。」
ギルバートは理由を尋ねようとしたが、シェラルに話す気がないと察し、一礼してから執務室を退室していった。
「ふぅ……」
ギルバートがいなくなると、シェラルは背もたれに寄りかかった。前世の頃から、シェラルは近くに他人がいると無意識に身体が強張る癖があった。
「家令にはあぁ言ったけど……代官やその部下がただでさえ少ない資金を横領してる可能性もあるんだよな。その場合……代官から提出されてる嘆願書よりも領民の生活が困窮してると考えたほうがいいな。」
そう呟くシェラルの視線は書類の上に落ちていた。しかし、その意識は全く違う別のところへ向いているようだった。
(人間は自分のためなら平気で嘘をつく。)
「………期待しないでおくか。」
最後にそう呟くと、シェラルは再び書類と格闘し始めた。
✽✽✽
視察によってわかったことは、スティウム侯爵家の現当主は無能だということだった。
領民は重い税に苦しみ、寝る間を惜しんで働く代官も過労で倒れかけている始末だった。
✽✽✽
「貴方はスティウム侯爵領を見てどう思った?」
視察から帰って来た日の夜中、執務室で書類を片付けていたシェラルはギルバートに問いかけた。
「とても酷い有様でした。先代の領主様……クロード様に顔向けできません。」
率直な感想だ。
だからこそ、本心からのものだとわかる。
(先代領主……確かその人が死んでから今の領主になったんだよね。正直どうでもいいけど――もう少し生きててほしかったな。)
クロード前侯爵は高齢のため、シェラルが生まれる前に亡くなった。
(今の侯爵……息子に継がせる気がなかったから死ぬまで侯爵やってたんだろうし。はぁ……)
内心では愚痴をこぼしつつも、シェラルが何をするかは決まっている。
(魔術の研究環境を保つためなら領地の一つや二つ、立て直してやるよ。)
――魔術の研究を邪魔させない――
その決意を胸にシェラルは再び手を動かし始めた。
✽✽✽
(クロード様、大変申し訳ございません。)
ギルバートは書類の整理をしながらあの世へと旅立った己の主に謝罪をする。傭兵として生きていた自分を拾い、前を向かせてくれた恩人に。
「ギル、儂が死んだらいずれ生まれてくる孫を頼む。」
ギル、クロードはギルバートをそう呼んだ。
「主従を結べとまでは言わないが、儂の馬鹿息子に殺されないように面倒を見てやってくれ……大変だったら使用人を止めても構わぬ。」
それがクロードの遺言だ。
ギルバートはそれを片時も忘れず、侯爵家に留まった。
膨大な書類に忙殺され、自らの不甲斐なさに呆れながらもクロードの孫の誕生を待ち続けた。
生まれた赤子は銀髪だった。クロードと同じ髪色だ。
瞳はルビーのような赤。これもクロードと同じ色である。
(クロード様、お孫様は貴方を超える傑物でした。)
今夜も今は亡き主に誓う。
――貴方の孫を守り抜く、と。
✽✽✽
(なんで当主夫妻は執務室に来ない……!?正気か?)
家令の心境など露知らず。
シェラルは悪態をつきながら書類を捌いていく。
――魔術の研究をするために。
今年の冬頃に連載版を出す予定です。
作者の気分やこの作品の評価によっては早まる可能性もあります。
追記
長編投稿始めました↓URL
https://ncode.syosetu.com/n3992mm/




