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短編小説

婚約破棄の成功確率は93%でした

作者: おでこ
掲載日:2026/03/03

本作は、全六幕で構成された異世界恋愛短編小説です。


一気に読んでいただいても、お気に入りの場面で一度閉じて続きを楽しんでいただいても、どちらも大歓迎です。どうか、ご自分のペースでゆっくりお付き合いください。(*‘ω‘ *)/


══════════

第一幕 夜会の端で

══════════


 今夜のシャンデリアは、蝋燭が四十二本だった。


 前回より三本少ない。補充を忘れたのか、あるいは節約なのか——と、そこまで考えたところで、私は自分が今すべきことを思い出した。飲み物を取ること。それから、できるだけ誰とも目を合わせないこと。夜会は苦手だった。嫌いではないけれど、得意でもない。


 「ミア様、また何かお考えで?」


 隣に立っていた令嬢——確か侯爵家の三女だった——が、扇の陰から覗き込むように言った。笑顔だったけれど、目は笑っていなかった。


 「いいえ、何も」


 「そうですか。……お顔が怖いのよ、いつも。笑わないから。婚約者のダリウス様も、さぞかしご苦労されていることでしょう」


 くすくすと笑い声が広がった。令嬢が三人、四人。それぞれが扇で口元を隠して、でも隠しきれていなかった。聞こえていた。全部。


 私は何も言わなかった。言っても仕方がないことは、長い経験から知っていた。


 笑顔を作るのが苦手なのは本当のことだし、顔が怖いというのも——鏡を見るたびに、少しそう思う。ただ笑えないのは怖いからではなくて、何を笑えばいいか分からないだけなのだが、そういう説明をしても通じたためしがなかった。


 「あら、でも伯爵家の次女ですものね。縁談が成立しただけで御の字、とも聞きましたわ」


 別の令嬢の声だった。少し遠くから。


 御の字。その言葉は、父も似たようなことを言っていた。


 半年前、ダリウス・クレイン子爵嫡男との婚約が決まったとき、父は私の肩に手を置いてこう言った。「よかった、ミア。お前の性格では、次の縁談が来るかどうか分からなかったからな」と。怒っていたわけではない。心配していたわけでもない。ただ——正直に思っていることを言っただけ、という表情だった。


 その後に少し間があって、父は付け足した。「お前のことは嫌いではないが……社交界では、もう少し笑顔を作った方がいい。頭がいいのは分かっているが、それだけでは嫁ぎ先は見つからん」と。


 正しいことを言っているのは分かっていた。分かっていたので、何も言わなかった。


 グラスに手をかけたそのとき、会場の奥から大きな足音が近づいてくるのが聞こえた。


 ダリウスだった。


 いつもより表情が固い。後ろに令嬢が数人ついてくる。あの侯爵家三女も混じっていた。


 私はグラスを置いた。


 「ミア・アルベルタ嬢」


 ダリウスが声を張り上げた。夜会の喧騒が、すうっと薄くなった。こういう時、周囲の人間はよく気づく。何か起きる、という予感に。


 「以前より申し上げていたことを、改めて申し上げます。あなたとの婚約は、破棄させていただきたい」


 静まり返った範囲が、じわじわと広がっていく。


 「理由は明白です。あなたは無表情で社交性に欠け、夜会の場においても笑顔ひとつ見せない。そのような方が私の妻として相応しいとは、到底思えない」


 後ろの令嬢たちが声を抑えて囁き合った。「ほら、やっぱり」「最初から無理があったのよ」「あの顔では仕方ないわ」。


 私はその声を全部聞いた。


 そして静かに、目を閉じた。


 私の能力は、こういうときに使う。誰にも言ったことはない——というより、能力を持っている人間自体がこの国では稀で、公言するものでもないということを、幼い頃から母に言い含められていた。だから誰も知らない。父さえも。


 意識を向けると、数字が浮かぶ。


  《婚約破棄に応じる : 成功確率 93%》

  《婚約を継続する  : 成功確率 8 %》


 目を開けた。


 「では、破棄でよろしいかと存じます」


 できるだけ丁寧な声で言った。


 会場がざわついた。今度は明確に。


 「は……」


 ダリウスが固まった。泣くか縋るかを期待していたのかもしれない。そのつもりは一切なかったが、説明する気にもなれなかった。


 「継続する理由がございません。お互いのためにも」


 「お……お互い、とは」


 「婚約者からそのようにお思いならば、続けることに意味がないと思います。書類の手続きは父を通じて。どうかお健やかに」


 一礼して、踵を返した。


 後ろから令嬢たちの声が聞こえた。今度は少し、調子が違っていた。

「え、泣かないの」

「強がっているだけよ」

「でも……なんか、怖くない?」

「そもそも最初からあんな人、選ばなければよかったのに」

「ダリウス様も気の毒ですわよね、ああいう人と婚約させられて」


 怖い。また、その言葉だった。どこへ行っても同じ言葉をもらう。もう少し慣れてもいいはずなのに、慣れなかった。


 私は会場の端を目指して歩いた。人混みを抜けたところで、視線を感じた。


 壁際に一人で立っている男性——第一王子、レオファルト殿下だった。ワインのグラスを持ったまま、こちらをじっと見ていた。


 目が合った。


 私は会釈をして、そのまま歩き続けた。


 屋敷に帰ってから、父はひとこと言った。「……そうか」。それだけだった。

 怒りも落胆も、声には出なかった。その静けさが、逆に少しだけ重かった。



════════════

第二幕 静かに動き出す

════════════


 婚約が解消されたという話は、翌週には社交界に広まっていた。


 次に夜会に出た日、私への扱いが分かりやすく変わっていた。あからさまに距離を取る令嬢がいた。挨拶を流す貴族がいた。扇の陰の笑い声は、以前より少し声量が増えた気がした。


 「ダリウス様があそこまで言ったのよ。無表情で社交性がないって——つまりそういうことでしょう」

 「伯爵家の次女なのに、もう縁談なんて来ないんじゃないかしら」

 「来るとしたら……どんな相手かしらね」

 「ご本人はケロッとしているのが一番怖いわ。感情があるのかしら」


 三人が扇の陰で笑っていた。私から五歩ほど離れた場所で。届かないと思っているのか、気にしていないのか——いずれにせよ、全部聞こえていた。


 感情がないわけではない。ただ——表に出す言葉を探すより先に、別のことを考えてしまう。それが顔に出ないだけだ。出し方が下手なのかもしれない、と自分でも少し思っていた。


 私は何も言わなかった。


 怒っていないわけではない。ただ、怒りを表に出すよりもやることがあった。


 翌朝から、動き始めた。


 領地の収支表を全部見直した。父が長年続けてきた取引先のいくつかに、条件が時代遅れになっているものがあった。


 《ランデル商会との交渉に臨む : 成功確率 91%》


 高い。書簡を送った。


 次に届いた縁談は、父の知人からの紹介だった。父は「まあ……話だけでも聞いてみるか」と言っていたが、私は数字を確認した。


 《縁談を受ける : 成功確率 32%》


 低い。丁重に断った。


 「……お前、本当に分かって断っているのか?」と父が言った。

 「分かっています」と答えたら、しばらく天井を見て、深いため息をついた。

 「お前の頭は信頼しているが……次がいつ来るか分からんぞ」と。


 それはそうかもしれない、と私も思っていた。ただ、成功確率32パーセントの縁談を受けても、結局どちらのためにもならない。


 王宮主催の政策意見会の通知が届いたのは、それから少し後のことだった。


 《意見会に参加する : 成功確率 88%》


 高い。返書を出した。


 ランデル商会との交渉は成立した。改定した契約条件は伯爵家に有利で、担当者に「令嬢がここまで数字をご存知とは」と驚かれた。数字は嘘をつかないので、私は昔から数字が好きだった。


 一月が過ぎた頃、父が言った。


 「……なんとなく、分かってきた」


 「よかったです」


 「気がするだけだが」


 「それで十分です、お父様」


 父はため息をついたが、顔は柔らかかった。諦めているのか、信頼しているのか——私には少し、判別がつかなかった。



═════════════

第三幕 王子と庭のベンチ

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 王宮の意見会は、円卓を囲む形だった。


 貴族や有識者が十数名。それぞれが農政改革の素案を持ち寄る。私は端の席についた。


 最初の一時間は聞いていた。どの案がどの程度の数字に裏打ちされているか、発言の裏にある思惑がどこへ向かっているかを、頭の中で整理しながら。第一王子のレオファルト殿下は上座で静かに聞いていた。


 二時間目に、一度だけ手を挙げた。


 「アルベルタ伯爵家です。第三案の五年後収支予測が楽観的に見えます。昨年の流通コスト上昇率を加味すると、二年目以降に赤字転換する可能性があります。修正案として——」


 終わってから、廊下で声をかけられた。


 「アルベルタ令嬢」


 振り向くと、レオファルト殿下が立っていた。侍従が少し後ろにいたが、他には誰もいなかった。


 「少し話せるか。——中庭のベンチが空いている」


 中庭のベンチには、遅咲きの藤の花がかかっていた。殿下が先に腰を下ろして、隣を示した。私も座った。並んで座ると、やはり背の差があった——殿下がかなり高い。


 「君は計算で動いているのか」


 いきなりだった。私は少し考えた。


 「計算ではなく、確率でございます」


 「何が違う」


 「計算は自分で組み上げるものです。私のは——見えるものなので」


 殿下が眉をひそめた。「能力、ということか」と低い声で言った。


 私は少し間を置いた。この話は、誰にもしていない。能力保持者は稀で、公言するものではないと知っている。ただ——この人は、何か知っている気がした。知っているというより、見えている。夜会のとき、あの視線がそういう目だった。


 「はい。ただ、秘密にしていただけると助かります」


 「もちろんだ」


 一瞬の間もなく言われた。それで、私は続けた。


 「選択の成否が、数字で見えます。自分が関わるものだけ。意識したときだけ。——ただ、幸福かどうかは分かりません。成功するかどうかだけです」


 「なるほど」と殿下は言った。考えているような間があった。「では夜会で婚約破棄に応じたのも」


 「93パーセントでしたので」


 殿下がわずかに目を細めた。笑っているのかもしれなかった。


 「その数字が正しいと、どうして分かる」


 「外れたことがないので。——正確には、90パーセント以上はほぼ必ず当たります」


 「ほぼ、ということは外れることもある」


 「稀に。だから100パーセント以外は絶対ではありません」


 「律儀だな」


 何が律儀なのか少し分からなかったが、悪い意味ではなさそうだったので、私は「ありがとうございます」と言った。


 殿下がまた黙った。今度は長かった。


 横顔を見ると、疲れているように見えた。目の下に薄く影がある。私は少し考えてから——あまり考えずに——言った。


 「眠れておられますか、殿下」


 殿下の動きが、一瞬止まった。


 「……何故」


 「目の下が疲れています」


 また間があった。殿下が前を向いたまま、少し息を吐いた。


 「まあ……色々ある」


 「そうですか」


 私は真っ直ぐ前を向いた。藤の花が風に揺れていた。しばらくそのまま、二人で黙っていた。


 静かな時間だった。何かを言わなければいけない気がしなかったし、殿下も何も言わなかった。ただ座っていた。それが、なんとなく——居心地がよかった。


 しばらくして、殿下がまた口を開いた。


 「今日の発言は、正しかった。第三案の問題点は私も気になっていた」


 「そうでしたか」


 「なぜ発言した。端の席にいたのに」


 「成功確率が高かったので」


 「……能力なしでは、どう判断していた」


 私は少し考えた。


 「多分、発言していなかったと思います」


 殿下が静かに笑った。声には出さなかったが、表情が少しだけほどけた。


 「正直だな」


 「嘘が得意ではないので」


 「知っている」


 知っている——と言った。意見会で会うのは今日が初めてのはずなのに、と思いながら、私は黙っていた。


 帰り際のことだった。


 殿下がほんの少しだけ、前に身を傾けていた。藤の花を見ているのか、ただ疲れているのか——よく分からなかった。でも、目の下の影は最初より少し濃く見えた。


 私は何も考えずに、殿下の頭に手を置いた。ぽんと、なでなでした。


 「よく頑張っておられます」


 静寂が落ちた。


 後ろに控えていた侍従が、全員、息を止めた気配がした。


 殿下がゆっくり頭を持ち上げた。耳まで赤かった。


 「……っ、アルベルタ令嬢」


 「あ」


 手を引いた。


 「申し訳ありません。つい」


 「……つい、とは何だ」


 「その……疲れていそうだったので」


 殿下が何か言いかけて、止めた。赤い顔のまま、一度大きく息を吸った。


 「次も来い。会議の招待状を出す」


 「ありがとうございます」


 「それと——」


 一瞬の間があった。


 「……覚えていろ」


 それだけ言って、殿下はさっさと立ち上がった。侍従の一人が「殿下、お顔が……」と言いかけ、「黙れ」と即座に遮られていた。


 廊下を歩きながら、私はふと能力を確認しようとした。


 《殿下とまた話す : ……》


 数字が、出なかった。


 初めてのことだった。


 《次の会議に参加する : 86%》——これは出る。でも殿下が関わる選択だけ、数字を返さない。


 「覚えていろ」というのは、何を覚えていればいいのだろう。謝罪のことか、それとも別の何かか——考えながら歩いていたが、答えは出なかった。


 屋敷への帰り道、いつもより少しだけ、足が遅かった。



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第四幕 社交界の逆転

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 次の夜会で、私は少し不思議な経験をした。


 会場に入ったとき、いつものように令嬢たちの扇の陰の声が聞こえた。


 「あら、アルベルタの令嬢。まだ夜会に来るのね」

 「婚約破棄されてから、図々しいわよね。縁談も来ないでしょうに」

 「あの顔では……ねえ」


 くすくすと笑い声。私は何も言わなかった。いつものことだった。


 ただ今夜は——その少し後で、少し違うことが起きた。


 「アルベルタ令嬢」


 振り向くと、レオファルト殿下が立っていた。夜会会場で、人前で、私に声をかけていた。


 「先日の意見会の発言が参考になった。少し話せるか」


 周囲が、静まった。


 先ほどまでくすくすと笑っていた令嬢たちが、扇を止めて見ていた。


 私は一礼した。


 「はい、殿下」


 殿下はごく自然な様子で、私の隣に並んだ。他の誰でもなく、私の隣に。


 話の内容は農政の細かい数字についてだった。私は知っていることを答えた。殿下は頷いた。それだけのことだったが——その間、ずっと令嬢たちの視線が刺さっていた。今度は笑い声がしなかった。


 会話が終わって殿下が去り際、小声で言った。


 「来週も会議がある」


 「はい」


 「今度は遠慮なく発言してくれ」


 それだけ言って、殿下は人混みの中へ戻った。


 私はグラスを手に取った。


 背後でひそひそ声が聞こえた。さっきとは、全く違うトーンで。


 「……殿下、アルベルタの令嬢とお話しされていた?」

 「意見会、って——王宮の?」

 「あの方、そういうことをされているの……?」


 私は表情を変えなかった。変えようとしたが、どんな顔をすればいいか少し分からなかった。


  ☆


 それから三ヶ月で、状況は静かに変わっていった。


 王宮の意見会に出るたびに、提出した数字がいくつか採用された。殿下が会議の場で私の名を挙げることが、二度あった。三度目は公開の政策発表の場だった。


 社交界の声が、じわじわと変わっていく。


 「アルベルタの令嬢、王宮の会議に出ているのですって」

 「殿下と直接お話しになるとか……」

 「ダリウス様、あの方を手放されたのよね。もったいない……ではないかしら」


 扇の向く方向が、変わっていた。


 私はそれに気づいていたが、特に何もしなかった。数字が高い選択を続けているだけだった。結果がついてきているなら、それでよかった。


 その夜会で、ダリウスを見かけた。


 以前は令嬢の輪の中心にいることが多かった彼が、その日は壁際で数人と話していた。話し相手の顔つきが、どこか愛想笑いに見えた。会場を見渡していた目が、私のいる方向と交わって——すぐ逸れた。


 私は特に何もしなかった。見ただけだった。



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第五幕 2パーセントの返答

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 ある夜会で、ダリウスが近づいてきた。


 四ヶ月ぶりだった。顔色が優れなかった。それだけでなく——あの夜、彼の後ろに並んでいた令嬢たちが、今夜は誰もそばにいなかった。一人で、会場の端をやや俯きがちに歩いていた。


 後から聞いた話では、クレイン子爵家はここ数ヶ月で社交界での立ち位置が少し変わっていたらしい。特別に大きな失態があったわけではない。ただ——王宮との繋がりが薄い派閥に肩入れしたまま時間が経ち、会議での発言機会も減り、声をかけてくる令嬢も自然と少なくなっていた。


 社交界とは、そういう場所だ。満ち引きがある。


 私が王宮の会議で名前を呼ばれるようになったのと、ちょうど入れ替わりのように。


 「アルベルタ嬢」


 「クレイン様」


 静かに向き直った。


 「少し……話せないか」


 「どのような用件でしょうか」


 ダリウスは周囲を確認してから声を落とした。


 「やり直せないかと思って。あの夜は……言いすぎた部分もあったと思っている。最近、君が王宮でご活躍とも聞いた。改めて……」


 私は目を閉じた。


  《復縁する : 成功確率 2 %》

  《拒絶する : 成功確率 95%》


 目を開けた。


 「申し訳ありません」


 「え」


 「確率が低すぎます。2パーセントでは応じられません」


 真剣な顔で、真剣に言った。


 ダリウスが顔色を変えた。


 「2……パーセント? それは、何の」


 「私の判断の根拠です。詳細は申し上げられませんが——2パーセントは実質的に不可能を意味します」


 「しかし、君が今王宮で評価されているのも分かっている。クレイン家としても——」


 「クレイン家のためにお役に立てる可能性の話でしたら」


 私は一度言葉を区切った。


 「それはつまり、あの夜と評価の軸が変わったということですよね。あの夜は社交性がないと仰った。今は王宮での実績が欲しいとおっしゃっている。——私自身についての評価は、どちらが本当でしょうか」


 ダリウスが黙った。


 一瞬だけ、彼の表情に何かが走った。後悔というより——自分が言ったことと今自分がしていることの矛盾を、初めて自分で認識したような、そういう顔だった。


 周囲の貴族が、この会話に気づいていた。夜会の喧騒がわずかに薄くなっていた。


 あの夜扇で笑っていた令嬢の一人が、今は扇を下ろして、じっとこちらを見ていた。


 「私は嘘をつくのが得意ではありませんし、曖昧なことを申し上げるのも苦手です。ですので正直に申し上げます。復縁はいたしません。——あの夜のことを、覚えていますので」


 「あの夜……」


 「社交性がなく、妻として相応しくないとおっしゃいました。周囲の方々も聞いておられました」


 ダリウスの顔が、今度は別の意味で赤くなった。


 「それは……その場の流れで……」


 「婚約を破棄されたのは、クレイン様のご判断です。流れではございません」


 グラスを手に取った。


 「どうかお健やかに。——ご縁がなかったということで」


 それだけ言って、私は別の場所へ歩いた。


 後ろで笑い声がした。複数の令嬢の声だった。


 あの夜「御の字ですわよね」と言っていた、あの声と同じ高さで。


 ただし今夜は——笑いの向く先が、全く別の方向だった。


 私は振り返らなかった。



═══════════

最終幕 確率の外側で

═══════════


 春になった頃、レオファルト殿下から呼び出しがあった。


 王宮の奥庭だった。中庭のベンチとは別の、もう少し静かな場所。花が咲き始めていて、昼間でも少し涼しかった。


 殿下は先に来ていた。


 「来てくれた」


 「お呼びいただきましたので」


 「座ってくれ」


 並んでベンチに腰を下ろした。春の光が葉の間から差し込んで、地面に模様を作っていた。


 「先に報告しておく。農政改革案の第一段階が先週施行された。君の修正数値がベースになっている」


 「存じています。新聞で読みました」


 「……新聞で読んだのか」


 「はい。正確に報道されていたので、よかったと思いました」


 殿下が少しだけ表情を動かした。笑っているのかもしれなかった。


 短い沈黙があった。庭で風が吹いて、花が揺れた。


 「提案がある」


 殿下が言った。


 「私の婚約者候補として、名前を挙げたいと思っている」


 少し待った。続きがないので、それが全部らしかった。


 「……殿下」


 「なんだ」


 「確認してもよいですか」


 「どうぞ」


 目を閉じた。意識を向ける。


 《承諾する : ……》


 出なかった。


 殿下に関わる選択は、最初からずっと、数字を返してこない。《断る : ……》も試した。どちらも、出ない。


 目を開けると、殿下がこちらを見ていた。


 「……出なかったか」


 「分かるのですか」


 「顔に出ていた」


 また顔の話だった。私は自分の顔についていつも少し困る。


 「前から気になっていた」と殿下が続けた。「夜会の夜から、ずっと」


 「夜会?」


 「婚約破棄の夜。君が93パーセントで応じたとき——他の令嬢なら泣くか怒るかする場面で、君は数字を確認して、それで決めた。まったく揺れなかった」


 「揺れても仕方ないので」


 「そういうところだ」


 「……はい?」


 「そういうところが——面白い」


 面白い。夜会の夜に殿下が侍従に言った言葉と、同じだった。聞こえていなかったけれど、それと同じ声の質だった気がした。


 「殿下は……なぜ」


 「最初は純粋に興味だったと思う」と殿下は少し考えながら言った。「能力を持つ人間は稀だ。しかも夜会の場で、その数字を根拠にして動いていた。観察したかった」


 「今は」


 少し間があった。


 「今は——」


 殿下が言葉を止めた。前を向いていたが、横顔が少し違う表情をしていた。探しているような。


 「君といると、何も考えなくていい気がするんだ」


 「それは……どういう意味ですか」


 「会議では全部を計算して話す。夜会では全部を演じる。ただ——君と話すとき、その必要がない」


 「それは……能力の話ではなく」


 「そうだ」


 殿下がこちらを向いた。


 「数字が出ない理由を、私なりに考えた。君の能力は成功か失敗かを示す。成功の定義が立てられないとき、数字は出ない——つまり、どちらが最善か君自身が判断できていない」


 「……はい、おそらく」


 「未来は確率で決めるものではない」


 静かな声だった。


 「君の能力は君を助けるものだ。でも——君の意志ではない。自分で決めていい」


 私は殿下を見た。


 この人はずっとそうだった。夜会の夜から、会議の場から、中庭のベンチから——何かを見ている目をしていた。私を見ている目。能力を見ているのではなく、数字を見ているのでもなく、私を。


 「殿下が……私を好いてくださっているのは、能力があるからですか」


 「違う」と、即答だった。


 「では、なぜ」


 殿下がまた少し考えた。


 「蝋燭を数えているところも。縁談を2パーセントで断るところも。私の疲れに気づいて、確認もなく頭に触れてくるところも——」


 「あれは本当に申し訳なかったと思っています」


 「謝らなくていい」


 殿下が小さく笑った。本当に笑った声だった。


 「何というか……君は、嘘がない。計算もない。あるのは確率だけで、でもその確率すら私には通じない。——それが、新鮮なんだ」


 私は少しの間、春の庭を見ていた。


 能力のことを「変だ」と言われたことは何度もあった。「怖い」と言われたことも。「計算高い」と言われたことも。全部聞こえていた。全部覚えていた。


 でも今、殿下は——新鮮、と言った。


 嘘のない人だということは、もう分かっていた。だからこの言葉が本当のことだということも。


 「……では」


 ゆっくり息を吸った。


 「確率ではなく」


 「うん」


 「私の意思で」


 殿下が静かに待っていた。


 「——承諾いたします」


 庭の花が、また揺れた。


 レオファルト殿下が、かすかにほころんだ。


 「ありがとう」


 私は今度こそ、笑えた気がした。


 殿下の目が少し丸くなったので、おそらく笑えていた。


 「一つ聞いてもいいですか」


 「なんだ」


 「今の私の顔は、どんな顔でしたか」


 殿下が少しの間だけ私を見て、それから言った。


 「いい顔だ。——ちゃんと笑っている」


 私は満足した。


 そのとき、殿下がふいに手を伸ばした。


 私の頭に、軽く触れた。ぽんと。


 「……っ」


 今度は私が固まる番だった。


 「殿下、今のは」


 「覚えていろと言った」


 「……あれは、そういう意味でしたか」


 「そういう意味だ」


 殿下は涼しい顔をしていた。さっきまでほころんでいた表情が、もう落ち着いていた。でも耳が、ほんの少し赤かった気がした。


 「……不意打ちはよくないと思います」


 「君が先にしたことだ」


 反論できなかった。


 笑顔の作り方が分からないと思っていた。作るものではなかったのかもしれない、と今は少し思う。


 数字が出なかった理由が、ようやく分かった気がする。


 成功か失敗か分からなかったのではない。


 ——これは、そういう話ではなかったのだ。



ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!


「婚約破棄の成功確率は93%でした」、いかがでしたか?


スカッとした!と少しでも思っていただけたなら、

評価(下の方にある☆☆☆☆☆)や感想で教えていただけると、本当に飛び上がって喜びます。


また他の作品でも、お会いできることを楽しみにしております^^

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― 新着の感想 ―
最後がいいですね〜〜!! 成功とか失敗ではない話…そうですよね、これからの2人の関係はそういう確率の問題ではないのだなぁ…と思うとなんかほっこりします。幸あれ!
いいお話でした 最後の一文が味わい深いです そう、成功とか失敗とか、そういう話ではないんですよね
主人公がとても可愛いと思いました。 王子とうまくいくといいなあ。
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