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蹂躙の霹靂  作者: 犀川


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3/6

3話

「なぜ、義紀は戦うのか」、時は前日へと遡る。

 

 その日。

 冷たい雨が、瓦礫の街を濡らしていた。

 かつて新宿と呼ばれた場所は、今やただの灰色の荒野に過ぎない。ビルは骨のように折れ曲がり、アスファルトはひび割れ、地面からは時折、硫黄のような臭いを放つ蒸気が吹き出していた。

 十六歳の義紀は、その瓦礫の隙間に潜む影を睨む。

 濡れた髪が額に貼りつき、眼の奥にはぎらついた光を輝かせている。少年のはずの顔には幼さはなく、ただ飢えと怒りに削られた鋭さだけが残っていた。

 目の前で、仲間がひとり、倒れた。

 異星種の監視機械から放たれた赤い光弾が、彼の胸を焼き抜いたのだ。焦げた肉の匂いが雨に溶ける。

 

「クソッ……!」

 

 義紀は声を漏らしたが、悲しみはなかった。

 悲しむ余裕など、とっくに失っていたからだ。

 仲間が死ぬのは日常茶飯、もはや当たり前。昨日まで十人いた部隊が、今日は五人。そして明日には二人か、あるいは義紀ひとりか。

 それが、八年間繰り返されてきた現実。

 抵抗組織〈ヤツガシノミコト〉。

 日本各地に点在する小規模な集団のひとつに過ぎない。武器も食料も乏しく、戦果らしい戦果をあげたこともない。だが義紀は、ここに居続けた。理由はひとつ──敵を殺すためだ。

 拠点に戻ると、湿った空気の中に血と油の臭いが混じっていた。

 崩れかけた地下鉄のホームを改造した隠れ家。錆びた鉄骨と剥がれたタイルに囲まれた薄暗い空間には、疲れ果てた人間たちが寄り添って座っていた。

 

「……戻ったか、義紀」

 

 低く掠れた声が耳に届く。

 組織の古参である男、高吉 志門(たかよし しもん)。左腕を失った彼は、いつも目を細めながら義紀を見ていた。

 

「二人、やられたな」

「ああ」

「……慣れた顔だ」

 

 義紀はそれ以上答えるはずもなく。ただ黙って壁際に腰を下ろし、濡れたジャケットを脱いだ。中からは血に濡れたナイフが現れる。それは敵から奪った唯一の得物であり、義紀にとって家族の仇を刻むための証。

 

「義紀……」

 

 声をかけてきたのは、まだ十五歳の少女、五木 友梨(いつき ゆり)という。煤で黒くなった頬に涙の跡を残したまま、義紀をじっと見ている。

 

「もう……やめようよ。戦っても……誰も帰ってこない」

「帰る場所なんか、最初からない」

 

 義紀は冷たい言葉を投げかける。

 その言葉に、友梨は顔を歪めた。

 

「でも……でも、死んだら……!」

「死んだら、それで終わりだ。それでいい」

 

 彼の声は氷のような返答。

 生き延びることに執着する理由はない。

 あの日から、義紀の生きる理由はひとつしかない。

 

「俺は……あの日を終わらせる。あいつらを殺すまで、俺は死ねない」

 

 ホームの奥に、沈黙が落ちた。

 仲間たちは義紀を見ていたが、誰も言葉を返さなかった。

 その背に漂う狂気が、彼らに“人間ではない”という印象を与えていたからだ。

 いつもお通や状態。

 その(だんま)りとした中、静かに残された雨水の音が鳴り響いていた。


(またかよ、いつも……こうだ)

 

 誰もが疲れ果て、口を閉ざすしかなかった。

 そんな中で、友梨はまだ義紀を見ていた。

 彼女は、義紀にとって数少ない“同年代”の存在。かつて親を失い、組織に拾われた。笑うことを忘れた世界で、唯一泣き顔を隠さない少女というのに。


「……義紀、覚えてる?」

 

 彼女は小さな声で問いかけてきた。

 

「前に……私たちで魚を捕った夜のこと」

 

 義紀の脳裏に、一瞬だけ映像が蘇る。

 腐りかけの川に潜り、石をどけながら必死に小さな魚を捕まえた。焚き火で焼いた時、自身が久しぶりに笑っていた。

 不思議と義紀は答えなかった、いや答える資格がなかった。

 

「……」

「ねぇ、あの時みたいに……生きるために戦っちゃ、ダメなの?」

 

 義紀は視線を伏せた。

 胸の奥で、答えが揺らいだ気がした。だがそれを外に出せば、自分が崩れてしまう。

 

「生きるためじゃない。殺すためだ」

 

 吐き捨てるように言った。

 友梨は唇を噛み、涙をこらえた。

 その様子を、志門は黙って見ていた。

 右手に掴む古びた杖を動かしながら、静かに口を開く。

 

「義紀……お前はあの日から、止まってるんだな」

「止まってなんかいない。前に進んでるだけだ!」

「前? 復讐だけを支えにしてか?」

 

 志門の声は落ち着いていたが、その奥には深い痛みが潜んでいた。

 彼もまた家族を失い、戦い続けてきた一人。

 

「俺も最初はそうだった。奴らを殺すことだけ考えて、八年も生き延びた。だがな……仲間を失って気づいたんだ。『復讐のために生きる』ってのは、死ぬのを先延ばしにしてるだけだ」

「違う」

 

 義紀は即座に否定した。

 

「俺が生きてるのは……殺すためだ。終わらせるためだ」

 

 声が震えた。

 志門はそれ以上聞くことはできなかった。

 

「……義紀」

 

 彼はゆっくりと立ち上がり、少年の肩に手を置いた。

 

「お前は、まだ人間だ。そんな感情に流されてもな、嘘はつけない。復讐に駆られるだけの怪物なら、涙なんか流さねぇ」

 

 義紀は思わず顔を背けた。

 決意したその頬には、冷たい雫が伝っていた。雨ではなかった。

 友梨は泣きそうな顔で義紀を見つめていた。

 

「義紀……生きてほしい。お願いだから」

 

 その言葉が、胸に刺さった。

 義紀の心の奥底で、なにかが揺れ動いた。

 だが──その感情にしがみつくことはできなかった。

 

「……俺は、人間でいるつもりはない」

 

 その言葉を残し、義紀は席を立った。

 背中を見送りながら、友梨は嗚咽(おえつ)をこらえた。志門は目を閉じ、深い皺を刻んだ顔を覆った。

 ホームの暗闇の奥で、少年の影はゆっくりと消えていった。

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読むだけでは足らず、作者の励みになりません。どうか勇気づけると思っての願いを読んだ句です。

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