3話
「なぜ、義紀は戦うのか」、時は前日へと遡る。
その日。
冷たい雨が、瓦礫の街を濡らしていた。
かつて新宿と呼ばれた場所は、今やただの灰色の荒野に過ぎない。ビルは骨のように折れ曲がり、アスファルトはひび割れ、地面からは時折、硫黄のような臭いを放つ蒸気が吹き出していた。
十六歳の義紀は、その瓦礫の隙間に潜む影を睨む。
濡れた髪が額に貼りつき、眼の奥にはぎらついた光を輝かせている。少年のはずの顔には幼さはなく、ただ飢えと怒りに削られた鋭さだけが残っていた。
目の前で、仲間がひとり、倒れた。
異星種の監視機械から放たれた赤い光弾が、彼の胸を焼き抜いたのだ。焦げた肉の匂いが雨に溶ける。
「クソッ……!」
義紀は声を漏らしたが、悲しみはなかった。
悲しむ余裕など、とっくに失っていたからだ。
仲間が死ぬのは日常茶飯、もはや当たり前。昨日まで十人いた部隊が、今日は五人。そして明日には二人か、あるいは義紀ひとりか。
それが、八年間繰り返されてきた現実。
抵抗組織〈ヤツガシノミコト〉。
日本各地に点在する小規模な集団のひとつに過ぎない。武器も食料も乏しく、戦果らしい戦果をあげたこともない。だが義紀は、ここに居続けた。理由はひとつ──敵を殺すためだ。
拠点に戻ると、湿った空気の中に血と油の臭いが混じっていた。
崩れかけた地下鉄のホームを改造した隠れ家。錆びた鉄骨と剥がれたタイルに囲まれた薄暗い空間には、疲れ果てた人間たちが寄り添って座っていた。
「……戻ったか、義紀」
低く掠れた声が耳に届く。
組織の古参である男、高吉 志門。左腕を失った彼は、いつも目を細めながら義紀を見ていた。
「二人、やられたな」
「ああ」
「……慣れた顔だ」
義紀はそれ以上答えるはずもなく。ただ黙って壁際に腰を下ろし、濡れたジャケットを脱いだ。中からは血に濡れたナイフが現れる。それは敵から奪った唯一の得物であり、義紀にとって家族の仇を刻むための証。
「義紀……」
声をかけてきたのは、まだ十五歳の少女、五木 友梨という。煤で黒くなった頬に涙の跡を残したまま、義紀をじっと見ている。
「もう……やめようよ。戦っても……誰も帰ってこない」
「帰る場所なんか、最初からない」
義紀は冷たい言葉を投げかける。
その言葉に、友梨は顔を歪めた。
「でも……でも、死んだら……!」
「死んだら、それで終わりだ。それでいい」
彼の声は氷のような返答。
生き延びることに執着する理由はない。
あの日から、義紀の生きる理由はひとつしかない。
「俺は……あの日を終わらせる。あいつらを殺すまで、俺は死ねない」
ホームの奥に、沈黙が落ちた。
仲間たちは義紀を見ていたが、誰も言葉を返さなかった。
その背に漂う狂気が、彼らに“人間ではない”という印象を与えていたからだ。
いつもお通や状態。
その黙りとした中、静かに残された雨水の音が鳴り響いていた。
(またかよ、いつも……こうだ)
誰もが疲れ果て、口を閉ざすしかなかった。
そんな中で、友梨はまだ義紀を見ていた。
彼女は、義紀にとって数少ない“同年代”の存在。かつて親を失い、組織に拾われた。笑うことを忘れた世界で、唯一泣き顔を隠さない少女というのに。
「……義紀、覚えてる?」
彼女は小さな声で問いかけてきた。
「前に……私たちで魚を捕った夜のこと」
義紀の脳裏に、一瞬だけ映像が蘇る。
腐りかけの川に潜り、石をどけながら必死に小さな魚を捕まえた。焚き火で焼いた時、自身が久しぶりに笑っていた。
不思議と義紀は答えなかった、いや答える資格がなかった。
「……」
「ねぇ、あの時みたいに……生きるために戦っちゃ、ダメなの?」
義紀は視線を伏せた。
胸の奥で、答えが揺らいだ気がした。だがそれを外に出せば、自分が崩れてしまう。
「生きるためじゃない。殺すためだ」
吐き捨てるように言った。
友梨は唇を噛み、涙をこらえた。
その様子を、志門は黙って見ていた。
右手に掴む古びた杖を動かしながら、静かに口を開く。
「義紀……お前はあの日から、止まってるんだな」
「止まってなんかいない。前に進んでるだけだ!」
「前? 復讐だけを支えにしてか?」
志門の声は落ち着いていたが、その奥には深い痛みが潜んでいた。
彼もまた家族を失い、戦い続けてきた一人。
「俺も最初はそうだった。奴らを殺すことだけ考えて、八年も生き延びた。だがな……仲間を失って気づいたんだ。『復讐のために生きる』ってのは、死ぬのを先延ばしにしてるだけだ」
「違う」
義紀は即座に否定した。
「俺が生きてるのは……殺すためだ。終わらせるためだ」
声が震えた。
志門はそれ以上聞くことはできなかった。
「……義紀」
彼はゆっくりと立ち上がり、少年の肩に手を置いた。
「お前は、まだ人間だ。そんな感情に流されてもな、嘘はつけない。復讐に駆られるだけの怪物なら、涙なんか流さねぇ」
義紀は思わず顔を背けた。
決意したその頬には、冷たい雫が伝っていた。雨ではなかった。
友梨は泣きそうな顔で義紀を見つめていた。
「義紀……生きてほしい。お願いだから」
その言葉が、胸に刺さった。
義紀の心の奥底で、なにかが揺れ動いた。
だが──その感情にしがみつくことはできなかった。
「……俺は、人間でいるつもりはない」
その言葉を残し、義紀は席を立った。
背中を見送りながら、友梨は嗚咽をこらえた。志門は目を閉じ、深い皺を刻んだ顔を覆った。
ホームの暗闇の奥で、少年の影はゆっくりと消えていった。
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