小生、名を渡部永一。小説家だ。が、…漢字の多すぎる奇異な文体の所為か全く売れない日々。
私の戦後日本の歴史改変を主題にした小説は現代の市場では見向きもされない。
「振り仮名と漢字こそが日本語を日本語たらしめる所以なのだ」
そう意気込む何時ぞやの理想も今や儚く霧散。
全く現実は何と残酷なのだろうか。或る日、終に貯金が底を尽きた。其れからは早かった。
懸命な執筆作業も空しく生活費の当ても無いままに辿り着いた先は退去届。目の前が真暗になる。嗚呼本当に終りなのだと。
一か八か、自身の集大成たる、新たなルビの理論に基づく原稿と荷物を抱えて行くは、大小様々な出版社。幾つか取り上げよう。
老舗出版社では、編集長と名乗る初老の男が原稿を一瞥して鼻で笑う。
「君、此れは一体何だね。漢字にルビを是でもかと振ってあるじゃないかはは。第一、ルビなんか振らんでも読者は何も困らんのだよ。それに、此れでは丸で子供向け絵本じゃないかね。文学を志す者が、こんな低俗な真似をするとはねぇ……とても内では扱えんよ。」
次の新興出版社では、若手の編集者が原稿をパラパラ捲り、露骨に顔を顰める。
「いやはや、読みにくくて困るよォ。こんなにふりがな振ったら、読者はバカにされたと思うんじゃないか? それに此の原稿、漢字塗れで古臭くてとても今どき売れないよ。君、戦前生まれかね?」
最後の小さな版元では、担当者が溜め息を吐き乍ら原稿を突き返す。
「戦後政策の歴史改変物に総ルビ、ね……率直に言うが、世の中はもう振り仮名なんて時代にそぐわない物と見做しているんだよ。加えて、君の経歴。内はこんな売れない作家を入れる余裕は無いんだ。……悪いが他を当ってくれ。」
反論空しく帰路に就く。もう帰る場所は無いというのに。
度重なる冷笑と軽蔑は私の心を音を立て乍ら折った。もういい……振り仮名を許容してくれぬ世界で生きる価値など無い。そう何度も頭の中で反芻する内に、近くに見えたビルの屋上へと足は自然と向かっていた。
其れは突然だった。飛び降りる為に上っている階段の途中。視界が歪む。耳鳴りが響き、足元がふらつく。
人の死ぬ瞬間は何とあっけないのだろう。私は気付けば意識を失い、身体の感覚も亦た薄れていった…
「う……ん…?」
激しい体の痛みを意に介さず、辺りを見渡せば唖然。
「何という事だ」思わずそう呟く。
其処には元居た現代の面影の無い荒れた街並み。
肩を叩かれ振り向けば正面に見えるは眼の青き長身の米兵の姿。
「Here you go, buddy. Take this ration.」
急な英語にたじろぐも、
「Th…thank you.」
そう言って御辞儀すると彼らは去っていく。
悟る。此処は――1945年、終戦直後の東京。
私は知っている。
戦後の言語改革、当用漢字表の制定や現代仮名遣いへの移行を。
そして何より――山本有三の主張に因る、公用文から振り仮名が実質排除された悲劇的現状を。
このままでは現代日本語は表記法の揺れや欧米借用語の氾濫等に由り、永遠に中途半端なものであり続けて了う。
「併し此れは好機だ…」
私は先貰った食料を片手に背筋を伸ばす。売れない小説家とは言え、歴史改変物を書いてきた事に拠る歴史的な背景知識と現代生れ故の豊富な知識、振り仮名――ルビへの並々ならぬ思いと現代で全く相手にされなかったルビの新たな在り方を携え、私は征く。
現代化、欧米化の荒波に耐えつつも、誰もが日本語をスラスラ読める革命の実現の為。
さあ、当面の目標――山本有三、ルビを日本から消した張本人、を歴史の表舞台から排除する為の計略を巡らそう。
……だが其の前に先ずこの戦後日本で生き延びねば。そして志を同じくする者を探さねばならぬ。
振り仮名廃止に懐疑を抱き、当用漢字に拠る制限に異を唱えた者達が、この時代に確かに存在している筈だ。
見て下さりどうも有難う御座います。思い付きの勢いで書いたものでありますから、
反応次第ではありますが今暫くの間続編を出す予定はありません。