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酔った一言から始まる恋

作者: 憂姫

金曜日の夜の空気は、どこかほっとする匂いがした。


 上司の機嫌取りも、急な資料作りも、顧客からの理不尽な連絡も全部終わって、ようやく解放された。

 時刻は20時。街灯がぽつりぽつりと灯り、住宅街に静かなオレンジ色を落としている。


 


「今日も疲れたな……」


 


 そう独り言を漏らしながら、俺――**佐伯悠(30)**は、借りている二階建てアパートの階段を上った。

 仕事帰りの足取りは重い。

 早く風呂に入って、適当にご飯を食べて、布団に倒れ込みたい。

 そんなことを考えながら、いつものように“202号室”の前に近づく。


 


 ――その時だった。


 


「……え?」


 


 俺の部屋の前に、女の子が座り込んでいた。


 いや、“座り込んでいる”という表現が正しいのかどうかも怪しい。

 まるでずっと誰かを待っていたみたいに、小さな背中を丸め、スマホを握ったまま俯いている。


 


 制服姿。

 白いカーディガン。

 膝には大きな紺色のバッグ。

 肩まで伸ばした艶のある黒髪。

 どこからどう見ても――女子高生だ。


 


(おいおいおいおい……なんだこれ。俺の家の前だよな?)


 


 見間違いではない。

 目の前にいる。


 しかも、可愛い。


 しっかりした睫毛に、白い肌。

 中学ではなく完全に高校生の雰囲気で、そしてなにより制服が眩しい。

 しかし、なぜこんな時間に、俺の部屋の前で……?


 


 俺があまりの異様さに声を出せずにいると、女の子がゆっくりと顔を上げた。

 そして――ぱあっと花が咲くみたいに笑った。


 


「あっ……! 佐伯さん!」


 


 俺の名前を知っている!?


 


「え、ちょっ……え? え?」


「やっと来てくれたぁ〜……! ずっと待ってたんですよ?」


 


 まるで恋人を待ち続けていたかのような口ぶりである。

 しかし、そんな関係性は欠片もない。

 無いはずだ。

 たぶん。

 いや、絶対に。


 


「え、えっと……君は……?」


「ひよりです! SNSでいつも話してた、ひよりです!」


 


 ひより?

 SNSの……ひより……?


 その名前だけで、脳内にふわりと記憶が蘇った。


 


(あの、妙に距離感が近くて、やたら明るくて、相談してくる子……?

 でも、まさか……リアルで?)


 


 女子高生のひよりは、俺が混乱しているのもお構いなしに笑顔を向けてくる。


 


「会いに来ましたっ! だって――」


 胸の前で両手を握りしめて、少し頬を赤く染め。


 


「“うち来る?”って言ってくれたじゃないですか!」


 


 ――言ってない。

 いや、言ったのか?

 俺は酒を飲むと、少し気が大きくなる悪癖がある。


 


「え……え? 俺、そんなこと言った……?」


「言いました! ちゃんとスクショあります!」


 


 ひよりはスマホを操作し、俺に画面を見せてくる。


 そこには――確かに俺のアカウントから送られたメッセージがあった。


 


『もう無理なら来るか? うち来てもいいし』


 


「……これは……」


「本当に来ちゃいました♡」


 


 にっこり。


 笑顔が強すぎる。

 破壊力が高すぎる。


 


「いやいやいやいや、軽く言っただけで、本当に来られても困るんだけど!」


「えー!? 来ていいって言ったのに!」


「いや、言った俺も悪いけど……住所どうやって……?」


「SNSの写真の背景から場所わかりました!」


「おいそれ怖いよ!? なんで推理力そんなに高いの!?」


 


 ひよりは胸を張り、どこか得意げだ。


 


「だって、佐伯さんの写真、影の向きとか電柱の形とか特徴的で……分析すればわかりますよ?」


「それ普通の女子高生が言う台詞じゃないからな!?」


 


 俺のツッコミにもひよりは全く動じない。


 


「でも……来たかったんです。佐伯さん、優しくて。話してると落ち着くし、会ってみたいなって……」


 


 その一言が、仕事で疲れ切った心に思いがけず触れてくる。


 ズルい。

 こんなの、好意を向けられてると言われているようなものだ。


 


「と、とにかく。立ってると疲れるだろ? 一回、中入る?」


「入ります! やったー!!」


「即答かよ!?」


ひよりを部屋に招き入れた瞬間、俺は改めて“やばい状況”を自覚した。


 


 ――女子高生が、俺のワンルームにいる。


 


 狭い玄関でパンプスを脱ぐひよりの姿を見て、思わず喉が鳴った。

 制服のスカート、白いカーディガン、肩まで揺れる黒髪。

 仕事帰りの30歳サラリーマンには刺激が強すぎる。


 


「おじゃましまーす……♪」


「いや、そんな軽いテンションで……」


「だって、嬉しいんですよ? 佐伯さんの部屋に入れるなんて!」


 


 天真爛漫という言葉があるが、目の前の少女はその象徴だ。

 俺は必死に平常心を保ちながら、バッグの置き場所を示した。


 


「そこらへんに置いてくれていいから……。とりあえず、座って?」


「はーい。あ、靴下脱いでいいですか?」


「……どうぞ」


 


 制服姿の女子高生が靴下を脱ぐ光景だけで、アラサー男子には破壊力がある。

 この状況、いろんな意味で危険だ。


 


(なんで俺の部屋にいるんだ……いや、誘ったのは俺か……?)


 


 ソファにちょこんと座ったひよりが、ニコッと笑った。


 


「ねぇ、佐伯さん」


「ん?」


「ほんとに覚えてないんですか? あのメッセージ」


「……いや、正直に言うと……覚えてない」


「えへへ……やっぱり酔ってたんですね」


 


 ひよりはスマホを操作し、ログを開いて見せてくる。


 


『元気なさそうだな、むりするなよ』

『家きてもいいし、むしろ来い?』

『さびしいなら来るか? うち来てもいいし』


 


 そこには、常識では考えられないほど気軽に「来い」連発している俺の文字が並んでいた。


 


「……俺、酔うとこんなキャラなのか……?」


「優しいキャラですよ? だって、私の話ずっと聞いてくれて……」


「いや、でも未成年相手に“来るか”はやばいだろ……」


「いいじゃないですかぁ。来て欲しかったんですよ?」


 


 ひよりはクッションを抱きしめ、わずかに頬を染めながらこっちを見上げる。


 


「佐伯さんは、私が相談するとすぐ返してくれるし、ちゃんと聞いてくれるし……会えたら絶対楽しいだろうなって、ずっと思ってました」


 


 そんなことを真正面から言われたら、30歳の疲れた心は簡単に揺さぶられてしまう。


 


「あ、でもですね……」


 ひよりは急に得意げな顔になった。


「『行っていい?』って聞いたら、佐伯さん“いいぞー”って返事してましたよ?」


「まじか……俺……」


「スクショありますっ!」


 


 彼女は再びスマホを見せてくる。

 そこには、明らかに酔ってテンションが上がった俺の返事。


 


『いーよ きちゃいなー』(誤字多め)


「…………」


「ふふっ、かわいいですよ?」


「可愛いって言われても……俺、三十……」


「三十だから可愛いんですよ? なんか……ギャップというか……」


 


 ひよりはくすくすと笑いながら、俺の方へ体を向ける。


 


「でも、ほんとに来ていいのかなってずっと悩んだんです」


「いや、悩んで帰るという選択肢もあったろ……」


「だって……佐伯さんに会いたかったんです」


 


 その一言が、ストレートに胸へ飛び込んでくる。


 この子は嘘をつかない。

 好意も、期待も、そのままの言葉でぶつけてくる。


 年齢差なんてものを意識するより先に、心が温かくなる。


 


(……困る。こんなの、意識しないほうがおかしい)


 


「それで……帰り遅れちゃって……終電逃しちゃって……」


「それは……まぁ俺が悪いのか……?」


「半分くらい佐伯さんのせいです♡」


「なにその甘え方……」


 


 ひよりは笑いながら、足をぱたぱた揺らす。


 


「とにかく、今日は……泊めてくださいっ!」


「いや、急にそんな……!」


「ソファで寝ます! ぜったい迷惑かけないから!」


 


 目をきらきらさせながらお願いしてくる。

 抵抗しようにも、ひよりの顔が近くて集中できない。

 距離が近い。

 甘い香りがする。


 


「……一晩だけだぞ?」


「はーい♡」


 


 即答である。

 そして満面の笑み。

 本気で嬉しそうで、俺の胸がほんの少しドキッとする。


 


「じゃあ、あの……ひより。ちょっとは落ち着け」


「落ち着いてますよ〜?」


「いや、絶対落ち着いてないだろ、そのテンション……」


 


 ひよりはふわりと微笑んだ。


 


「じゃあ、これからよろしくお願いしますね。――佐伯さん♡」


 


 その呼び方が妙に甘くて、俺は耳まで熱くなる。



俺と女子高生・ひよりの“同居(仮)”が始まった。


 もちろん、本格的な同居なんてあり得ない。

 ただの一泊。

 それでも、狭いワンルームで男女が一晩を共にするというだけで、緊張感は十分すぎるほどある。


 


「佐伯さん、飲み物ありますか?」


「お、おう……。麦茶なら……」


「じゃあそれくださいっ」


 


 キッチンへ向かう俺の背中を、ひよりが椅子に座って目で追ってくる。

 その視線がくすぐったくて、なんだか落ち着かない。


 


(なんでこんなことになってんだ俺……)


 


 麦茶をコップに入れて戻ると、ひよりは足をソファの上で抱えて座っていた。

 制服スカートから伸びる白い足。

 無邪気に揺らすつま先。


 その光景を見て、俺は理性を総動員した。


 


「はい。麦茶」


「ありがとうございます。あっつい……おいし〜」


「まだ冷たいけどな……」


「佐伯さんち、落ち着きますね」


「落ち着いてもらうのはいいけど……俺は落ち着かないんだが」


「なんでですか?」


 


 ひよりは首をかしげる。

 その仕草があまりに可愛くて、心臓が一度大きく跳ねた。


 


「いや……理由は…………色々だよ」


「ふふっ、もしかして緊張してます?」


「……少しな」


「じゃあ、もっとリラックスしましょ? はい、深呼吸!」


 


 ひよりは両手を広げて、俺に向かって呼吸をリードしようとしてくる。


 


「吸って〜……吐いて〜……」


「いや、俺は子供か」


「えー、付き合ってくださいよ〜」


 


 しかたなくひよりに合わせて深呼吸をすると、彼女は嬉しそうに笑った。


 


「はい、佐伯さんちょっとリラックスした!」


「……なんでわかるんだよ」


「わかりますよ。いつもSNSで話してる時より柔らかい顔してますもん」


 


 そんなこと、言われ慣れていない。


 ひよりは、俺の反応をひとつひとつ楽しんでいるようだった。


 


「そうだ。ひより、寝る場所どうする?」


「ソファで寝ますっ! 全然平気です」


「狭いだろ、これ……」


「狭くても佐伯さんの近くがいいです」


「なんでそんな可愛いこと言うの……?」


「え、可愛いって言いました? 録音しとけばよかった〜♡」


「……っ」


 


 ひよりのテンションは明るくて温かい。

 暗い雰囲気なんて一切なくて、ずっと笑っていられる。

 こんなにも自然に人の懐に入れる子なんて、今まで会ったことがない。


 


(……やばい。ひよりと会ってると、こっちの心が緩む)


 


 仕事で固くなった心が、ぽかぽかと温まっていく感覚。


 


 しばらく雑談をしていると、ひよりは自分のバッグから、折り畳んだ制服のジャケットを取り出し、膝の上に置いた。


 


「ここ……来てよかったなぁ」


「そんな簡単に言うなよ。もっと警戒心持て。危ないぞ、普通」


「だって、佐伯さんは絶対危ないことしないってわかってるから」


 


 即答だった。


 


 俺の胸が一瞬だけチクッとする。

 “危ないことしない”と信じられていることが、なんだか切なくて、でも嬉しかった。


 


「佐伯さんは、優しい人です。SNSで相談したときも、誰より親身になってくれたし……今日会ってみても、想像どおりの人で……」


 


 ひよりの声が少しだけ柔らかくなる。


 


「……もっと、知りたいなって思っちゃいました」


 


 そんなことを言われて平気でいられる男はいない。


 


 その瞬間。


 狭いワンルームの空気が、少しだけ甘くなった気がした。


 


「――ひより」


「はい?」


「……ありがとな」


 


 気づいたら、そんな言葉を口にしていた。


 


 ひよりは少し驚いたように目を丸くし、それからゆっくりと笑った。


 


「……私のほうこそ、ありがとうです」


 


 沈黙。

 けれど重くも気まずくもない、柔らかい沈黙。


 どちらからともなく、視線がふっと絡む。


 


(……まずい。ドキッとした)


 


 ひよりは頬を少し染め、視線をそらしながら言った。


 


「……佐伯さんの家、あったかいですね」


「お前のテンションに部屋が負けてんだよ」


「えへへ……嬉しい」


 


 その笑顔を見た瞬間、“守らなきゃ”という気持ちと同時に“惹かれてしまう”という感情が静かに芽生えた。



翌朝。


 目を覚ました瞬間、昨日の出来事が一気に脳内へ流れ込んできた。


 


(俺の部屋に……女子高生……泊まった……)


 


 とはいえ、ひよりはソファで寝て、俺はベッド。

 健全に決まっている。

 それでも“同じ部屋で朝をむかえる”という事実の破壊力は大きい。


 


 ゆっくり身体を起こしてリビングを見ると――


 


「……すぅ……」


 


 ひよりは丸まった姿勢で、ブランケットに包まれて眠っていた。


 寝顔が……可愛い。

 昨日のハイテンションが嘘のように、静かで、穏やかで、年相応の無防備さがあった。


 


(いや……これ見て胸がドキッとするのはやばいだろ……)


 


 しかし誰も見ていないし、声に出さなければセーフだと心の中で勝手に結論づける。


 


 その時だった。


 


「………ふぁ……あ……」


 


 ひよりが目をこすりながら顔を上げ、そして俺と目が合った。


 


「……あっ……おはようございます……」


「お、おはよう」


 


 寝起きの声が柔らかい。

 髪も少し乱れていて、その姿が妙に女の子らしくて、俺は視線を外した。


 


「昨日はありがとうございましたっ。めちゃくちゃよく眠れました」


「そ、そうか。ならよかった……」


「佐伯さんの部屋、なんか落ち着くんですよね〜。空気が好きです」


「空気……?」


「はい。なんか、優しい匂いがします」


「……匂い褒められたの生まれて初めてなんだが……」


 


 俺が困惑すると、ひよりはくすっと笑って立ち上がった。


 


「じゃあ、お礼に……今日どこか一緒に行きませんか?」


「どこかって……」


「相談したいこともあるし、お礼もしたいし……それに……昨日は会えたばっかりで、あんまり話せなかったじゃないですか」


「いや、けっこう話しただろってくらい話したぞ」


「えへへ。でも足りないです」


 


 “会えるだけで嬉しい”という気持ちがストレートに伝わってくる。

 そんな目で見られたら断れるわけがない。


 


「……じゃあ、軽くご飯でも食べに行くか?」


「行きます!!」


 


 即答。

 しかも目がキラキラしている。


 


「そのテンションはなんなんだ……?」


「嬉しいからですよ! 佐伯さんと外で会うなんて……ほとんどデートじゃないですか!」


「で、デート……?」


「違うんですか?」


 


 無邪気な顔を向けてくる。

 そこで不意に胸が跳ねた。


 違う、と言えばいいのに。

 言わなきゃいけないのに。

 言えなかった。


 


「……まぁ、そう聞こえなくもないが……」


「やったぁぁ〜!!」


 


 ひよりは飛び上がって喜び、

 俺は顔を覆いたくなるほどの恥ずかしさに襲われた。


 



 


 着替えて外へ出ると、昼前の爽やかな風が吹いていた。


 ひよりは制服から私服へ着替えてきており、

 白いブラウスに淡いベージュのスカートというシンプルな格好。


 


「えっ……めっちゃ似合うな」


「あっ……ほんとですか!?」


 


 一瞬で顔を真っ赤にし、スカートの裾を握って照れている。

 そんな反応を見ると、こっちまでくすぐったくなる。


 


「佐伯さんって褒めるの上手ですね。ずるいです」


「いや、普通に思ったことを言っただけだ」


「それがずるいって言ってるんですよぉ」


 


 頬をぷくっと膨らませるのも可愛い。

 俺は何度目かわからないため息をついた。


 


「ところで、相談ってなんだ?」


「あとでお話しします。ちゃんと話したくて……二人でご飯食べてから、ゆっくりでいいですか?」


「ああ。わかった」


 


 歩きながら話すひよりは、昨日よりも距離が近い。

 肩が触れそうなほどの距離で並んで歩き、気がつくと周りの視線が少し気になる。


 


(いや……どう見てもデートだろ……これ……)


 


 心臓がじわじわ熱くなるのを感じながら、

 ひよりが笑った。


 


「ねぇ、佐伯さん」


「ん?」


「昨日のこと、後悔してません?」


「え?」


「……私に“来るか”って言ったこと」


 


 ひよりは少しだけ不安そうに俺を見上げる。


 


「だって、迷惑だったかなって……でも……私はすごく嬉しかったから……」


 


 その手が、そっと俺の袖をつまんだ。


 


「また会えて、ほんとによかったです」



 その表情があまりにも純粋で、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。



「……後悔なんて、してないよ」


 


 言った瞬間、ひよりの顔が花みたいに明るくなった。


 


「――よかった!」


 


 その笑顔は、昨日よりもっと近くて、もっと眩しかった。


 


 こうして俺たちの“なんとなくデート”は、自然と始まった。



昼下がり。


 ひよりと一緒に入ったファミレスは、学生や家族連れで適度に賑やかだった。

 午後の柔らかい光が差し込み、テーブルに置いた二人分のランチが温かく湯気を上げている。


 


「いただきまーす!」


 


 ひよりはスプーンを手に、とても嬉しそうに頬をゆるませた。

 虫歯になるんじゃないかと思うほど甘い笑顔だ。


 


(こうやって普通に食事してるだけなのに……なんでこんなにデート感強いんだ?)


 


 俺は落ち着かない心を無理やり押し込みながら、ゆっくり食べ始めた。


 


「ねぇ佐伯さん」


「ん?」


「なんか見てませんでした? さっきから」


「み、見てないぞ」


「嘘です。絶対見てます。今も見てます」


「いやいやいや……」


「照れてるのかわい〜」


 


 ひよりはにやにや笑いながらストローをくわえる。

 俺は顔をそむけるしかなかった。


 


「そういえば……学校の子とかに見られたら、まずいんじゃないか?」


「え? なんでです?」


「……いや、大人の男と一緒にいるって、色々言われるだろ」


「いいんです。だって佐伯さん、私の“好きな人”ですし」


「!?!?」


 


 ファミレスのざわめきが一瞬止まったように感じた。


 


(さらっと何言ってんだこの子は……!?)


 


 俺が固まっていると、ひよりは頬杖をつきながら、楽しそうに覗き込んでくる。


 


「SNSでもずっと言ってましたよね? “好きだなぁこの子”って」


「あれは……人間として、相談相手として……!」


「えへへ〜、そんな苦しい言い訳してるとこも好きですよ?」


「好き好き言いすぎだろ……」


 


 一度言い出すと止まらないのがひよりだ。


 


「でも本当に好きなんです。年上で、落ち着いてて、優しくて……話してると安心するし、会ったらもっと……」


 


 そこまで言って、ひよりは恥ずかしそうに指先でグラスをなぞる。


 


「好きが増えちゃったんです」


 


 その声は、からかいではなく、本物の気持ちそのものだった。


 俺の胸にストンと落ちてくる。


 


(やばい……普通に……可愛い……)


 


 俺は視線を落とし、食べかけのオムライスをいじりながら言った。


 


「……そんな簡単に言うなよ。軽く聞こえる」


「軽くないですよ。重めに言いましょうか?」


「いや、やめてくれ」


「じゃあ……」


 


 ひよりは両手をテーブルに置き、まっすぐ俺を見つめた。


 


「好きです。最初にSNSで話した時からずっと。昨日会って、もっと好きになりました」


 


 周囲の喧騒と、ひよりの声だけがやけに鮮明に聞こえる。


 


 俺は深呼吸して、精一杯の理性を保ちながら答えた。


 


「……ありがとな」


 


 ひよりは少し驚いて、それから嬉しそうに目を細めた。


 


「……そんな優しい言い方ずるい……。もう……ほんと……もっと好きになっちゃう……」


 


 テーブルの下で、ひよりの足がそっと俺の足に触れた。

 偶然かと思ったが、ひよりは照れた笑顔のまま足を動かさない。


 


(……完全にわざとだこれ)


 


 俺が何も言わないでいると、ひよりはさらに近づいてきて、小声で囁いた。


 


「ねぇ佐伯さん」


「……な、なんだ」


「私の好意……バレバレですか?」


「バレバレだ」


「よかった♡」


 


 そう言って笑うひよりは、“気持ちを隠す”という言葉を知らないような、まっすぐな瞳だった。


 


 食事を終えて店を出る頃には、ひよりとの距離は昨日よりもずっと近く、まるで恋人みたいに歩幅を合わせて並んで歩いた。


 


 その帰り道。


 ひよりは突然立ち止まり、くるっと俺の方を向いた。


 


「ねぇ、一つだけいいですか?」


「なんだ?」


 


 ひよりは両手を胸の前でぎゅっと握り、恥ずかしそうな笑みを浮かべて言った。


 


「……佐伯さん、私のこと……どう思ってますか?」


 


 真正面から向けられた好意。

 逃げ場のない問いかけ。


 胸の奥が熱くなる。


 

その問いは、まっすぐで逃げ場がなくて、ちょっとだけ怖いくらい真剣だった。


 ファミレスを出て、駅へ続く道。

 夕方の柔らかい光がひよりの横顔を照らしている。


 人通りはあるのに、ひよりの声だけがはっきり耳に残る。


 


「……どうって……」


 


 答えたいのに、喉がつまる。

 30歳の男が女子高生の好意を前にして、簡単に答えてはいけないような気がした。

 でも、嘘をつくのも違う。


 


 そんな俺の沈黙を、ひよりはじっと待っていた。

 逃げ道をふさぐんじゃなくて、優しく待っている感じだ。


 


(……この子は本当に……優しい)


 


「……嫌いだったら、一緒にご飯なんて行かないよ」


「……それは……そうですね」


「SNSでずっと話してた頃から……正直、楽しかったし、癒されたし……」


 


 ひよりの肩が小さく震えた。


 


「……だから、その……嫌いじゃない。どっちかって言うと……」


 


 そこで言葉が止まる。

 ひよりは息を呑み、期待に目を揺らす。


 


「……好き寄り、だ……」


 


 言葉にした瞬間、ひよりの瞳が大きく見開かれ、次の瞬間、ぱあっと頬が赤く染まった。


 


「えっ……えっ……?」


「……そんな顔するなよ……こっちが恥ずかしい」


「す、好き寄り……!? 寄ってるんですか!? えっ……!」


「寄ってる。だいぶ」


「だいぶ!!?」


 


 ひよりはその場でくるっとターンしそうな勢いで両手を頬に当てた。


 


「む、無理……嬉しすぎて……倒れる……」


「倒れないでくれ……怖いから」


「でも……ほんとにほんとに……言ってくれた……」


 


 ひよりは震える指先で、俺の袖をつまんだ。


 


「……ちょっとだけでいいので……“好き”って言ってください」


「おまえなぁ……」


「だって、さっき“好き寄り”って……“寄り”いらないです……」


「欲張るなって」


「欲張ります! だって……ずっと言いたかったんですから……」


 


 泣きそうなほど嬉しそうな目。

 そんなの見たら、反則だ。


 


「……ひより」


「はい……っ」


「……好き、だよ」


「っっっ!!?」


 


 ひよりの顔が真っ赤になり、両手で顔を覆いながら、足踏みするようにその場でもじもじした。


 


「ムリ……ムリ……ムリ……っ」


「落ち着けって……」


「ムリです!! 佐伯さんが……思ってた以上に破壊力あって……!」


 


 しばらく暴走していたひよりは、突然ぴたりと動きを止めた。


 


 そっと俺の腕に触れ、小さな声で言う。


 


「……ねぇ、手……つないでもいいですか?」


 


 俺の心臓が強く跳ねた。


 


(ここまで素直に好意を向けられて……拒めるか?)


 


 答えは、ひよりの瞳を見た瞬間に決まっていた。


 


「……いいよ。帰り道ぐらいなら」


「ほんとに……?」


「ほんと」


 


 そっと、ひよりの指先が俺の指に触れ、遠慮がちに絡んでくる。


 


 手が触れた瞬間――


 


「……あったかい……」


 


 ひよりは恥ずかしそうに微笑んだ。


 それだけで、俺の胸がじんわりと熱くなる。


 


 人混みの中、手を繋いで歩く男女。

 二人が並んで歩幅を合わせるたび、恋人っぽさが増していく。


 


(やばい……想像以上に“好き寄り”じゃ済まされなくなってきた)


 


 帰り道、ひよりはずっと嬉しそうで、何度もこちらを見るたびに微笑んだ。


 


「……佐伯さん」


「ん?」


「言ってくれて、ほんとに……ありがとう」


 


 めいっぱいの想いを込めた笑顔。


 


 その横顔を見て、俺はもう気づいていた。


 


(……この気持ち、もう“寄り”じゃないのかもしれない)


 


 優しい夕焼けが落ちる中、俺たちは手をつないだまま、ゆっくり家へ向かって歩き続けた。



ーーー


ひよりと手をつないだあの日から、数日が経った。


 SNSのやり取りは前より増え、やわらかい恋人未満の距離感が、自然と俺たちの間に流れていた。


 


 ――そんなある日の夜。


 


 仕事で少し遅くなった帰り道、ぽつぽつと雨が降り始めた。

 街灯の光が地面に反射し、雨粒が白く揺れる。


 


「うわ……傘持ってくればよかった……」


 


 濡れながら階段を上がり、202号室の前へ向かう。


 


 すると。


 


「……さ、さえきさん……!」


「!? ひより!? なんでここに!?」


 


 玄関前に、びしょ濡れのひよりが立っていた。


 制服スカートは雨で貼りつき、髪からは滴が落ちる。

 身体は小さく震えていて、目元が少し赤い。


 


「……雨、降ってきちゃって……傘……忘れちゃって……」


「お、お前……この格好で……!」


「ごめんなさい……どうしても……佐伯さんに……会いたくて……」


 


 その言葉に、胸が一気に締めつけられた。


 


「と、とにかく入れ! 風邪ひくだろ!」


「……うん……」


 



 


 部屋に入ったひよりは、濡れた髪が頬に張り付き、肩を少し震わせていた。


 


「タオル! ほら!」


「ありがとう……ございます……」


 


 必死にタオルで髪を拭く姿は、弱っているせいか普段よりずっと小さく見えた。


 


「制服、このままだとまずい……。着替えどうする?」


「……あ、あの……」


「?」


「佐伯さんのシャツ……借りてもいいですか……?」


 


 その言葉に、俺は思わず固まった。


 


「お、おれの!? いや、それは……!」


「他に着るものなくて……ごめんなさい……!」


「いや、嫌とかじゃなくて……!」


「じゃあ……いいですか……?」


 


 濡れた瞳で見上げられると、断れるわけがなかった。


 


「……わかった。適当に乾いたの持ってくる」


「うん……」


 



 


 シャツを貸して、ひよりが脱衣所へ入っていく。


 カーテン越しに、水滴の落ちる音が聞こえた。


 


(やばい……。色々意識してしまう……)


 


 落ち着け。

 年齢差。

 状況。


 色々考えるべきなのは分かっている。

 でも――


 


「……佐伯さん」


「わっ!? ひより!」


 


 振り返ると、着替え終わったひよりが立っていた。


 俺のシャツは彼女には少し大きく、袖が手の先まで隠れてしまっている。


 スカートは乾いた部分だけそのまま履き直したらしいが……上半身のゆるいシャツが彼女の華奢さを強調していた。


 


「……に、似合いますか……?」


 


 恥ずかしそうに袖を握る。

 頬が赤い。

 視線は俺にだけ向いている。


 


「……やば……」


「え?」


「いや、似合いすぎてるって意味だ……!」


「ほ、本当に!?」


「本当。似合ってる。すごく」


 


 ひよりは胸の前で両手をぎゅっと握りしめ、照れくさそうに笑った。


 


「……よかった……」


 


 静かに、嬉しさがにじむ声だった。


 



 


「さっき……ひより、会いたかったって言ってたよな」


「うん……」


「何かあったのか?」


「ううん……」


 ひよりは首を振って、ぽつりと呟く。


 


「ただ……佐伯さんに会いたいって思って……気づいたらここに来てました……」


 


 素直すぎるその言葉に、心臓がひとつ跳ねた。


 


「ばか……風邪ひくって……」


「……ひくかもしれないです」


「なんでそんな嬉しそうなんだよ」


「だって……佐伯さんに“ばか”って言われるの、なんか好きです」


「意味わからん……」


「好きな人に言われたら嬉しいんです!」


 


 胸を刺すような甘い言葉の連発に、俺の理性はギリギリのところで踏ん張るしかない。


 


「……ほら、ソファ座れ。体拭けよ」


「うん……」


 


 ひよりは素直に従い、タオルで髪を拭きながら言った。


 


「ねぇ佐伯さん」


「ん?」


「今日……泊まってもいいですか?」


「!!?」


 


「雨、強くて……帰れそうにないし……それに……もっと一緒にいたい……」


 


 見上げてくる瞳が、あまりにも真剣で、あまりにも甘かった。


 


 俺は深く息を吸い、そして――


 


「……一晩だけな」


「っ……ありがとう……!」


 


 ひよりはぱぁっと笑って、ソファの上で毛布を抱え込む。


 


 その笑顔を見て、俺の胸はまたひとつ熱くなった。


 


(……どうしてこんなに惹かれるんだ)


 


 考えても答えは出なかった。


 ただ、ひよりの存在が心を軽くすることだけは間違いない。


 


 ワンルームの部屋にふたりの呼吸だけが微かに響いている。


 


「……ふぅ」


 


 ソファに座ったひよりは、俺のシャツ姿のまま毛布を抱き込んでいた。


 袖が長くて手が隠れてしまっているその姿が、とんでもなく“守りたくなる可愛さ”だった。


 


(やばい……。視界に入るだけで心臓が忙しい)


 


 そんな俺の様子を見て、ひよりはゆっくりと笑う。


 


「佐伯さん、さっきから目そらしてばっかりです」


「……そらさなきゃまずいだろ、この状況」


「どうして?」


「どうしてって……お前……」


 


 ひよりは首をかしげる。

 その仕草がまた反則級に可愛い。


 


「恥ずかしいんですか?」


「いや……まぁ……恥ずかしいというか……」


「照れてるのかわいいです」


「お前が一番人を照れさせてる自覚持ってくれ」


 


 ひよりは嬉しそうに毛布をぎゅっと抱きしめ、少しだけ俺に近づいた。


 


「……今日、来てよかった」


 


 静かに、真剣に、胸の奥に落ちる声で言う。


 


「佐伯さんと話すとね……なんか、心が軽くなるんです。学校の友達にも言えないこと言えちゃうし……笑ってくれるだけで嬉しいし……」


 


 目を細めるその表情に、胸が締めつけられた。


 


「……ひより」


「ん?」


「俺もだよ。お前が来ると……なんか、疲れが全部飛ぶ」


 


 ひよりの瞳が揺れた。

 嬉しさに、少し驚きも混じって。


 


「……ほんとに?」


「ああ」


「……好きって、言ってくれますか?」


「またかよ……」


「言われたいんです……。昨日からずっと……佐伯さんの声で聞きたいって思って……」


 


 ひよりは毛布を抱いたまま、そっと膝を寄せてくる。


 距離が近い。

 息が当たりそうなほど近い。


 


(こんな可愛い距離感……反則だろ)


 


 俺は深呼吸を一つして、静かに言った。


 


「……好きだよ。ひより」


 


 目の前で、ひよりの表情がとろけるように緩んだ。


 


「っ……好き……。好き……っ……」


 


 俺の胸元に額を押しつけるように近づいてくる。


 


「そんなふうに言われたら……もっと欲しくなっちゃう……もっと近くにいたい……」


「お、おい……」


 


 ひよりは顔をあげ、ゆっくりと俺の肩に頭を預けてきた。


 少し震えているのは、嬉しさか、照れか、あるいは――



「……手、つなぎたいです」


 ぽつりと落ちる小さな声。


 


 俺が何も言わずに手を出すと、ひよりはゆっくり、その温かい指で握り返した。


 


 そのまましばらく、ふたりで手を繋いだまま黙っていた。


 沈黙なのに、会話よりもずっと気持ちが通じてしまう沈黙。


 


 


 しかし――

 安心しすぎたせいか、ひよりはふっと力を緩めてしまった。


 


「……あのね、佐伯さん……もっと……くっつきたい……」


「……っ」


「ダメ、ですか……?」


 


 拒否したら傷つけてしまう。

 でも、受け入れすぎると距離が一気に恋人レベルを越えてしまう。


 


 そこで俺は、

 ひよりの手をぎゅっと握り直して言った。


 


「……気持ちは嬉しいよ。でも……今日はここまでな」


「……ここまで……?」


「ああ。手、つないで……話して……それで十分だよ」


 


 ひよりはしばらく黙った。


 拒否されたのが悲しくて沈んでいるのではなく、俺がちゃんと“線を引いてくれた”ことを受け止めているようだった。


 


 そして、ぱっと表情が明るくなる。


 


「……優しい」


「いや、これは優しさとかじゃなくてだな」


「優しいです。だって……私の気持ち、ちゃんと受け止めてくれて……でも、大事にしてくれてる」


 


 ひよりは微笑んで、そっと俺の肩に寄りかかった。


 


「こんなに好きな人、初めて」


 


 雨の音。

 ひよりの呼吸。

 俺の鼓動。


 全部がひとつの空間で混じり合う。


 


(……やっぱりもう“好き寄り”なんて言えないな)


 


 ひよりの体温が伝わるたび、俺の心はさらに深い場所へ落ちていった。


 


 すれ違いなんて、実はどこにもなくて。


 ただ、好き同士が少しずつ距離を詰めているだけ。



雨の夜を越え、翌朝。


 


 カーテン越しのやわらかな光が部屋に差し込む。

 ひよりはソファで毛布にくるまったまま寝ており、

 少しだけ見える寝顔は昨日よりずっと穏やかだった。


 


(……可愛いな、ほんと)


 


 昨夜の“近さ”を思い出して、胸があたたかくなる。


 手を繋ぎ、肩に寄りかかられ、好きだと何度も言われ――


 俺も心の底から返した。


 


(ひよりの気持ち……しっかり受け止めなきゃな)


 


 そう思いながら、朝食代わりのパンをかじっていると、


 


「……ん……」


 


 ひよりがゆっくり目を開けた。


 


「……あ、おはようございます……」


「おはよう。ちゃんと寝れたか?」


「めっちゃ寝れました……。佐伯さんのシャツ……あったかかった……」


「そ、それは……よかった……」


 


 起き抜けのひよりは、昨日よりさらに距離が近かった。

 毛布を抱えたまま、とことこと俺の方へ歩いてくる。


 


「ねぇ佐伯さん……」


「ん?」


「昨日のこと……夢じゃないですよね?」


 


 真剣な目。

 そして、少し不安が混じっている。


 


「……夢じゃないよ」


「……っ」


 


 ひよりの手がぎゅっと胸元を握る。


 


「ほんとに……好きって言ってくれたんですよね……?」


「ああ」


「……昨日の……全部……?」


「ああ。全部本当だ」


 


 言葉を失ったように、ひよりは俺を見つめた。


 涙がにじむほどの笑顔。

 喜びなのか、安心なのか、その両方なのか。


 


「……良かった……っ」


 


 ふわっと軽い音をたてて、ひよりは俺に抱きついてきた。


 


「わっ!? ひ、ひより!」


「ごめんなさい……でも……嬉しくて……嬉しくて……抱きつかないと無理で……」


 


 腕の中で震えるひよりを受け止めながら、俺の胸もぐっと熱くなる。


 


「……ひより」


 


 ゆっくり肩に手を置き、彼女の顔を見つめると、驚いたように目が大きく開いた。


 


「昨日言ったこと……本当だよ。お前といると、心が軽くなる。笑えるし……あったかい気持ちになる」


「……うん……」


「好きって気持ちも……嘘偽りなく、本物だ」


 


 ひよりは唇を噛みしめ、声を震わせながら言った。


 


「……佐伯さん……ほんとに……私で、いいんですか?」


「お前がいい」


 


 ひよりの瞳から、大きな涙が一粒落ちた。


 


「……ずっと……ずっと……言ってほしかった……」


 


 涙を指で拭うと、ひよりは恥ずかしそうに笑った。


 


「……あのね……」


「ん?」


「昨日、言えなかったこと……言ってもいいですか?」


「言え」


 


 ひよりは深呼吸して、俺の目を真っ直ぐに捉えた。


 


「佐伯さんのこと……最初から……“男の人として”好きでした」


 


 胸がズキッと震える。

 ストレートすぎて、逃げ道がない。


 


「SNSで話してるときも……会いたいって思って……会ったらもっと……好きになって……」


 


 顔がどんどん赤くなっていくひより。


 


「……昨日、手つないだ時……このまま……離れたくないって思った……」


「……ひより……」


「もっと近くにいたい……。もっと話したい……。もっと好きになって欲しい……」


 


 その想いがあまりにも真っ直ぐで、胸が熱くなるのを止められなかった。


 


「……俺も同じだよ。ひより」


「……え?」


「ひよりと話すと……俺も離れたくなくなる」


 


 ひよりの頬がまた赤くなる。


 


「そんなこと……言われたら……」


「ん?」


「佐伯さんのこと……止められないくらい好きになっちゃう……」


「……好きになれよ」


 


 ひよりは一瞬、息を呑んだあと――


 


「……なります」


 


 涙で潤んだ目のまま、もう一度俺に抱きついてきた。


 


 彼女の体温が胸に伝わる。

 腕の中で呼吸が震えているのが分かる。


 


(……守りたいとか、そんな言葉じゃ足りないな)


 


 ひよりの全てを、大事にしたいと思った。


 



 


 しばらく抱きしめ合ったあと、ひよりは照れくさそうに顔を離し、小さな声で言った。


 


「……佐伯さん」


「ん?」


「次会う時……ちゃんと“デート”したいです」


 


 胸にストレートに刺さるお願い。


 


「……ああ。行くか。デート」


「……ほんとに?」


「ほんとに」


 


 その瞬間、ひよりの笑顔はこれまで見た中で一番きらきらしていた。


 


「――大好きです!」


 


 その告白に、俺は笑うしかなかった。


 


「俺もだよ。ひより」


 


 雨の日から生まれた距離はもう戻らず、ふたりの気持ちは“恋人”に限りなく近づいていた。


 


ひよりが帰ってから数日後。


 その間もSNSではずっと会話が続き――

 他愛のない話から、次会う日のプランまで、自然と毎日話すようになった。


 


『土曜日、デート行こ?』


『行く!!どこでもいい!!佐伯さんとなら!!』


 


 ひよりの返信は、いつも“好き”が溢れている。

 読んでいるだけで胸が熱くなるほどだった。


 


(……ついにデートか)


 


 恥ずかしさと緊張と、少しの期待。

 そんな感情が入り混じりながら、土曜日を迎えた。


 



 


 待ち合わせ場所は小さな駅前の広場。

 土曜の昼前で、学生や家族連れが行き交う中――


 


「さ、佐伯さん……!」


 


 ひよりが駆け寄ってきた。


 制服ではなく、淡いレンゲ色のニットに白いスカート。

 肩のあたりで揺れる黒髪が光に透けて、目が奪われるほど綺麗だった。


 


「……めちゃくちゃ似合ってるな」


「っ……! そんな……いきなり……!」


 


 ひよりの耳まで真っ赤になった。


 


「今日のために選んだんです。好きな人に、かわいいって思ってもらいたくて……」


 


 そんなこと言われたら、30歳の男は確実に倒れる。


 


「……じゃあ行くか」


「行きましょう!」


 


 並んで歩く。

 自然に、ひよりの手が俺の手を探してきた。


 


「つなぎたい……ですか?」


「……お前がつなぎたいなら」


「つなぎたいです!」


 


 温かい指先が、俺の手をぎゅっと握る。


 


(……完全にデートだな)


 



 


 最初に入ったのは少しお洒落なカフェだった。


 窓際に座り、ソフトクリームを前にしたひよりは、

 嬉しそうに足をぱたぱた揺らしている。


 


「こういうお店……来たことなかったです」


「友達とは行かないのか?」


「行かないです。でも……佐伯さんとなら来たいって思いました」


 


 恥ずかしそうに笑うひより。


 今この瞬間、ひよりが“俺との時間を大事にしている”のが、痛いほど伝わってくる。


 


「ねぇ、佐伯さん」


「ん?」


「今日の私……どうですか?」


 


 その聞き方は反則だ。


 


「……可愛いよ。どう見ても、デートする相手として最高だ」


 


 ひよりの目が、とろけるみたいに細くなった。


 


「……よかった……。今日を……ずっと楽しみにしてたんです」


 


 言葉の意味が重くて甘い。


 



 


 午後はショッピングモールへ。

 映画館のポスターを見てひよりがはしゃいだり、

 雑貨屋で同じキーホルダーを「お揃いにしませんか?」と提案されたり。


 


「佐伯さん! これ! これ可愛い!!」


「そんなに走るな、こけるぞ」


「だって見せたくて!」


「わかったから……ゆっくりでいい……」


 


 腕を掴んで引っ張ってくるひよりは、笑顔ばかりで、一日ずっと楽しそうだった。


 


 俺も……楽しかった。


 



 


 夕方。

 ひよりは駅前のベンチに座り、俺の方を向いた。


 


「今日……ほんとに楽しかったです」


「俺もだよ」


「えへへ……。なんか……夢みたいです。だって、SNSで“この人優しいなぁ”って思ってた相手と、こうやって手つないで歩いて……デートして……」


 


 ひよりは膝の上で両手を握りしめた。


 


「……ねぇ、佐伯さん」


「ん?」


 


 ひよりは大きく深呼吸して、まっすぐ俺を見る。


 


「好きです。ほんとに……ずっと。会う前から、会ってからはもっと……今日でさらに……すごく好きになりました」


 


 涙が滲むほど真っ直ぐな瞳。

 心臓が熱くなる。


 


「……俺もだ。ひより」


 


 ひよりが息を呑んだ。


 


「俺の方こそ……会ってからずっと、お前の一生懸命さにやられてる。嬉しい時の笑顔も、照れた時の顔も……どんどん好きになってる」


「……っ……」


 


 ひよりの手を取り、そっと握る。


 


「好きだよ。ひより」


 


 ひよりは、泣きそうになりながら笑った。


 


「……私と……ちゃんと恋人になってくれますか?」


 


 その質問は、今までで一番甘くて、真剣で、胸に刺さるものだった。


 


「……ああ。よろしくな、ひより」


「っ……! っ……!!」


 


 ひよりは両手で顔を覆い、嬉しさと照れでぐしゃぐしゃになった顔のまま俺に飛びついた。


 


「佐伯さん……大好き……大好き……!!」


「……はいはい、聞こえてるって」


「嬉しい……っ、ほんとに……っ」


 


 雨の日に出会って、偶然のように近づいた距離は――


 ついに、ふたりの正式な“恋”へと変わった。


 



 


 帰り道。

 ひよりは俺の手をぎゅっと握り、


 


「これから、いっぱいデートしてくださいね?いっぱい好きって言わせてくださいね?」


 


 そう笑うその顔は、過去最高に幸せそうだった。


 


 そして俺も――

 その笑顔を守りたいと思った。


 


 これから先、年齢差のことも、周りの目もあるだろう。

 でも、それを全部ひっくるめても。


 


(……ひよりの隣にいたい)


 


 そんな気持ちで胸が満たされた。


 


 夜の風が優しく吹く中、恋人になったばかりの俺たちは、手をつないだまま家へ向かって歩いた。


 

こんな世界線に生まれたかった(´;ω;`)

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