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仮面  作者: 道上 萌叶
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 食堂が僅かばかり混んできたように感じる。

 それでも、窓際に座って、外に目を向けている私は本当に食堂が混んできたのか分からない。もしかしたら、さっきまで1人で思考の底に沈んでいて、周りの騒がしさを感じることがなかったからそう思うのかもしれない。

 隣に座る彼は私のことを知っているようだ。だけど私は彼を知らないから、私から話しかけてボロを出すわけにはいかない。


「篠崎さん、今日は1人ですか?」


 残り1個の唐揚げを齧っていると、隣で焼きそばを食べ出した彼が問いかけてきた。


「友人が実行委員会とサークルで忙しいみたいで。さっきまで一緒に回ってたんですけど」


 大学にいる時も、私は1人で行動している。ただ、昼休みは大体河野さんと田辺さんと一緒にいる。だから、彼は昼休みに私を見ることが多いのだろう。


「そうなんですね。俺も少し前まで友達といたんですけど、サークルの当番があるとかで放り出されちゃいました」


 一緒ですね、と笑う彼に、どう反応したらいいのかわからない。

 曖昧に笑みを返す私は、さっきまでの思考が抜けきれていなかった。だから、土曜日のことを忘れていた。


「まあでも、結果オーライでした。篠崎さんに会えたんで。せっかくなんで、これを食べながら乾峨玖の話をしません?」


 そう言って彼が取り出したのは、たこ焼きやら肉巻きおにぎりやら、色んなサークルが出している屋台のご飯だった。


「すごい量、ですね」


 乾峨玖という名前を聞いて、私はようやく土曜日のことを思い出した。

 咄嗟に取り繕ったけれど、心は動揺を隠しきれていない。

 あれほど警戒していたのに、どうして警戒を忘れていた今になって現れるのだろう。初めてコンビニで彼と会ったらしい時も、私は気を抜いていた。どうやら彼は、私が気を抜いた瞬間に現れるらしい。


「屋台メシって、全制覇したくなりません? 気になったものを端から買ってたら、こんなことになっちゃいました。1人じゃ食べきれないんで、よかったら篠崎さんもどうぞ」


「じゃあ、少しだけ」


 唐揚げも食べて、焼き鳥も食べて、その前にはクレープも食べていたから、正直あまりお腹は空いていなかった。だけど何も貰わないのも、遠慮していると思われて面倒だ。

 まだ湯気を上げているたこ焼きに息を吹きかけて冷まし、口に含むとソースの匂いが口いっぱいに広がる。お腹は膨れているのに、トロリとした生地が口に馴染んで、案外くどくないたこ焼きをすんなり受け入れることができた。


「それで乾峨玖なんですけど、この前の新刊もやっぱりすごかったっすよね。途中で事件が解決したかと思ったら、最後の最後に真相が流れ込んできて。途中までもすごい楽しめましたけど、やっぱり最後まで読んで漸く楽しめるというか。トリックはそんなに凝ってないかと思っていたら、ちゃんとキャラの台詞にも意味が込めらてて」


 食べながらだというのに、彼の口は止まらない。

 あのシーンが良かっただの、あの台詞にグッときただの、つらつらと並べ立てている。

 外を眺めながら、時々彼の感想に適当な相槌を打って、たこ焼きを口に運ぶ。

 学祭で、それも大して話したことのない人と本の話をすることになるとは考えていなかった。そもそも、これまで私の側で本が好きという人がいなかったから、学祭でなかったとしてもあり得ない状況だ。


「篠崎さんは、どこら辺から犯人がわかりました?」


「最後までわからなかったですね」


 熱を持って話す彼は、私と話しているようでいて、私とは話していない。

 思ってもいないことを適当に答える私は、彼の存在を煩わしく思っている。

 どうして、彼は他者に共感を得ようとするのだろう。私はどうして、彼と話したくないのだろう。


「篠崎さんも、乾峨玖が好きなんですか?」


「……そうですね」


 ここに来て、初めて私は心からの声を出した。

 なのに、仲間を見つけたと喜ぶ隣の彼のように、私は一切盛り上がることができない。私の中に広がるのは、早くここから逃げたいという気持ちばかり。同じ乾峨玖が好きだと言う彼から、私は逃げたいと思っている。


「っと、すみません。俺、そろそろ行かないと」


 乾峨玖のあれがいい、これがいい、と盛り上がっていた彼は、時計を見て立ち上がった。友達のところに行くのだろうか。それとも、彼も何か仕事があるのだろうか。

 どちらにせよ、私には関係ないことだ。

 彼から解放されるとわかって、気付かれないように息を吐き出す。


「篠崎さん、良ければ連絡先交換しませんか?」


 箸やら空いた容器やらを片付ける彼に、すぐ反応することができなかった。言われていることがわからなかったのではない。どう反応しても、ダメだと思ってしまったからだ。


「連絡先を交換すれば、いつでも乾峨玖の話ができますし」


 乾峨玖好き仲間として、どうでしょう。そう言う彼は、純粋に乾峨玖の話をしたいだけだ。それが、私は嫌だと思った。


「あ、でも無理にとは言いませんよ。個人情報ですし、嫌だと思うのは当然ですから」


「いえ、大丈夫ですよ。連絡先、交換しましょうか」


 でも、それは仮面をかぶっていない私の感情だ。仮面をかぶって彼の前にいる私は、彼を拒絶しない。

 面倒だという気持ちを隠して、私は彼と連絡先を交換する。彼と話すことになってしまった時から、こうなることは決まっていた。私が仮面を被っている間は、逃げることができない。出来ないけど、少しでも私が逃げる道を作る。


「メッセージのやり取りが苦手なので、返信が遅くなるかもしれないです」


「いいですよ。俺も返信が早い方じゃないんで」


 そう言って笑う彼に、私は何も言わずに笑顔だけ返す。


「あ、これいります?」


「いえ。私もお腹いっぱいなので」


 連絡先を交換した彼の問いかけに、私は首を振る。困ったように笑う彼の手には、まだたくさん残っている屋台飯の袋がある。


「そうですか。っと、まずい、急がないと。篠崎さん、よければ映研にも来てください。謎解きゲームをやってるんで」


 そう言い残して立ち去る彼の背中が見えなくなってから、椅子に座ったままの私は体を正面に戻す。

 机の上には、唐揚げの入っていたカップと、焼き鳥の串と、たこ焼きの入っていたプラ容器。それから、私のスマホ。

 時刻は13時半。もうすぐ河野さんのダンスの発表がある。見に行くと約束しているから、移動しなければならない。なのに、体が椅子に根をはって動かない。

 窓の外は、楽しそうな顔の人達が行きかっている。どうにもできない感情を燻ぶらせている私のことは、誰も気に留めない。きっと、私が行かなくても、河野さんにはばれない。

 ピロン、とスマホが可愛らしい音を鳴らして光った。

 ロックを外すと、たった今届いたばかりのメッセージが表示される。

 表示されたメッセージを見て、私は眉が寄りそうになるのを必死にこらえて、短い文章を送る。少しも待たずに、スマホはまた音を鳴らしてメッセージを受信した。

 今度はメッセージアプリを開かずに、気付かなかったフリをしてスマホを伏せて置いてから、こっそり心の中で舌打ちをする。


(嘘つき)


 頬杖をついてぼんやり外を見る私の耳に、楽しそうに笑う人達の声と、楽しげな曲と、明るい呼び声が届いてくる。

 スマホがまた、音を鳴らした。

 スマホを持ち上げて、メッセージを送ってきた人とは違う人に、田辺さんにメッセージを残して椅子から立ち上がる。串や容器をごみ箱に捨てて、スマホをトートバッグに入れてから、私は1人で大学を出て自宅のアパートに帰る。

 バッグの中で何度かスマホが音を出したけど、無視し続けていたら、自宅に着くころには何もならなくなっていた。

 鍵を開けてアパートに入ってから、重くなった溜息を溢す。

 佐野結人。連絡先を好感したことで、彼の名前を知った。

 彼と私は、確かに乾峨久が好きという共通点がある。でも、私と彼では、乾峨久を好きという意味が違う。彼と私は、同じ作家の、違うところを見ている。私達の話が合うことはない。

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