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仮面  作者: 道上 萌叶
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 瞼を持ち上げて、目に飛び込んできたのは淡い緑色。太陽光の下では、白にも見える薄緑のワイシャツに身を包んだ人の顔は、どこか苦しそう。数秒前と変わった所など、次に瞬きするまでの、短い間だけでは認められない。何かの間違いだと思いたくて、もう一度キツく目を閉じて、恐る恐る開いてみるけれど、やはり変わることはない。

 分かっていた。こうなる事など、一月(ひとつき)前から予想できていた。それでも、心のどこかで、「そんなはずはない」と思っていた。思い込もうとしていた。その結果、目の前の彼以上に自分が傷つくことも知っていた。


「聞いてる?」


 目の前に座る人が口を開く。いつもは優し気に垂れ下がっている眉を、キュッと引き寄せて間に皺を刻ませている彼は、私の彼氏。いや、彼氏だった人か。ついさっき別れ話を出してきた人。


「うん、聞いてる。ごめんね、あなたから言わせてしまって」


 視線を彼の顔に戻して、笑顔を作り出す。眉は下げて、首を小さく傾けて申し訳なさを出すことは忘れない。

 目の前の人はやはり、どこか苦しそうな、今にも泣き出してしまいたいような、不安定な表情を浮かべていた。


「いや‥‥‥酷いこと言って、悪い」


 それきり彼は目線を下げてしまった。彼が私と目を逸らし、私と彼を結ぶ最後の細い細い糸は、プツンと音を立てて切れてしまった。


「ううん、大丈夫。本当のことだから」


 この言葉を紡ぐことで、彼が更に心に傷を負う事も分かっていた。分かっていて、敢えて私は喉を震わせて彼に伝える。

 案の定、眼鏡の奥の、普段優しい彼の目は、涙を堪えるようにキツく閉じられている。()()心から私を愛してくれていた。私に別れを告げる瞬間も。


「じゃあ、これでバイバイだね。今まで楽しかった」


 だけど、私は彼の心のうちなど、知らないふりをする。気付いていないフリをする。そして彼がもっと傷つく言葉を紡ぐ。私のことは、嫌な奴だと思って忘れてもらいたい、という願いを込めて。

 彼の反応を確認する前に、私は机の伝票を手にしてカウンターに向かう。そのまま勘定を済ませて、喫茶店を後にする。

 彼は、もう視界に映らなかった。



「さて、と。どうしようかな」


 お店は出たものの、コーヒーをカップに半分しか飲んでいない。時刻は13時半を過ぎた所。朝から何も食べていないから、胃が食べ物を欲している。ここの喫茶店はランチもあるけれど、別れ話がされると予測出来ているのに、ご飯を食べる勇気までは無かった。

 帰ってご飯を作るか、買って帰るか、いっそのことどこかで食べていくか。悩みつつも適当に歩みを進めれば、足は自然と自宅に向かうわけで。


 ガチャリ。


 結局何処にも寄らずに、アパートの鍵を開けて体を滑り入れる。

 手を洗ってから、簡単にできるパスタでいいやと思い至り、鍋で湯を沸かす。冷蔵庫から取り出した、葱と人参としめじとベーコンを適当なサイズに切り分けてから、牛乳と卵の賞味期限が近かったっけ、と冷蔵庫から取り出す。沸騰した鍋にパスタを入れてタイマーをセットする。その間に、切った野菜とベーコンを、バターと一緒にフライパンで炒める。野菜に火が通ってから、牛乳を入れてコンソメパウダーで簡単に味をつけ、溶いた卵を入れて、卵に火が入り切る直前に火を止める。(ゆだ)ったパスタと絡めて器に盛り付ければ、なんちゃってカルボナーラの完成だ。


 1人がけのテーブルにパスタと、水出しの紅茶をセットして、少し遅いお昼ご飯にありつく。

 のんびりパスタを口に運びながら、行儀が悪いと自覚しつつも、スマホを開き、興味のそそられないニュースに目を通していく。政治家の問題発言だの、芸能人の誰かが結婚を発表したのだの、有名アイドルグループのCDが売り上げトップだっただの。

 いつもと変わらない、自分とは関係のない人達のニュース。


 初めは人との会話に合わせるために始めたそれも、文章が好きだから、苦痛に思うことはなく今も続いている。それでも文字にしか興味のない私にとって、人の顔は二の次だから、芸能人の名前と顔など一致していない。一致していなくても、話の流れで何となくわかるから問題はない。短い時間、友達と過ごす分には。



「加菜って、俺のこと好きじゃないよな」


 さっきの喫茶店での彼の言葉が思い出される。思わず唇を噛んでしまって、「いたっ」と声を出してしまう。

 彼のその言葉に傷ついたわけではない。本当のことだし、彼も薄々気付き始めていると思っていたから。


「ごめん。別れよう」


 これにも傷つかなかった。予想できていたのもある。それでも、私はこの言葉()()傷つかなかった。

 確かに彼の事は好きでは無かった。かと言って嫌いでも無かった。優しくて、常に相手の気持ちを慮ってくれる。人間としては出来過ぎているような人物だ。それでも、私は彼個人に興味を持てなかった。

 実際、私が彼に別れ話を切り出された時、「彼と別れるのは嫌だ」なんて、1ミリも思わなかった。いくら取り繕ったところで、私は普通になれないという、自分自身に傷ついた。


 容姿は悪く無い、むしろいい方だと()()()言われる。

 付き合った人と別れる理由は、いつも1つ。


 私は、人を好きになれない。


 相手から寄せられる好意は分かる。好きという気持ちがどんなものかも、なんとなくわかる。

 だけど、私はそれを相手に返す事が出来ない。私は、人に興味を持てない。


 好きの反対は無関心、なんて言葉がある。私は人を好きになったことがない。かといって、誰かを嫌いになったこともない。他者に、興味を持てない。それは恋人でも、家族である身内でも。

 周りの人が、芸能人の誰々がかっこいい、あのアイドルがかわいい、そう言っている感情すべてが分からない。人間はどれも人間ではないか、そう思ってしまう。


 高校の頃、そう思っていた本心は、大学生となった今でも変わらない。それでも、あの時馬鹿正直に言ってしまったことは今でも後悔している。あの時の、同じ部活の子達が、私を哀れなものでも見るような目で見てきたことは、脳裏に焼き付いて離れない。あの瞬間、私はみんなと違うのだと、実感してしまった。


 あの時から、周りの人達に話を合わせるため、こうして興味もない人の情報に目を向けるようにしている。

 かつてのクラスメートたちが好きなアイドルグループの話題についていけるように、興味もないけど音楽を聴き始めた。バイト先の先輩の話に合わせるために、眠くなりそうな目を叱咤しながらドラマを見始めた。(はた)から見れば、私はどこにでもいる普通の女子大生だろう。


 それでも、いくら取り繕っても、交際相手にはばれてしまった。

 人に興味を持てない私は、いくら普通の人の【仮面】で私を隠したところで、相手に興味がないことなど、隠しきれないらしい。


 一月前、元カレから「加菜、俺のこと好き?」と聞かれた時、嫌な予感はしていた。突然の事だったけれど、いつものように「好きだよ」と答えた。それでも、彼の笑顔はいつもよりぎこちなくて、「ああ、ばれてしまった」と、冷汗が止まらなかった。

 その時に、私から別れを告げれば、何かが違ったのだろうか。それでも、「明日は普通に彼のことが好きになっているかもしれない」という思いは捨てられなくて、1か月もずるずる来てしまった。

 その結果、「私は普通ではない」と、自分で自分を思い知らせることになると予測できていたのに。

何だか違うなと思い、主人公を社会人から大学生に変更しました

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