魔女の子は運命に抗う
拙い文章ですが読んでいただけると嬉しいです。
東京某所。路地裏。天気は雨。
俺は1人、壁に背をもたれる形で地面に座っていた。
俺の身体は既に疲弊しきっていた。
雨なのに傘を持っていない。三日間ろくに食事も無し。
唯一の救いは雨に濡れたおかげで風呂に入る手間が省けた事だろうか……入る風呂も金も無いけど。
雨の音に負けない腹の音が鳴った。思わず項垂れるが、どうしようもない。
「くっそ……腹減った……」
「君、大丈夫?」
俺が顔を上げると、開いた傘をこちらに差し出しながら傘を持っていない左手を自分の左ひざに置き、屈みこんで俺の顔を覗き込む美しい女性がいた。
「顔色悪いみたいだけど……」
「あはは……俺は大丈夫ですよ……」
そうは言ったが、再度鳴った大きな腹の音が俺の言葉を否定した。
「そこにあるラーメン屋さん。おいしいんだって。」
「そうですか……」
「行かないの?」
「俺、金ないんで――――」
「じゃあ私が奢るよ。」
「いや、いいですよ。見ず知らずの人間に声をかけてくれただけで十分です。」
「見ず知らずの人間……ね……」
彼女は俺の顔に自分の顔を近づけた。
「え、ちょっと……」
「ごめんね。」
彼女はそう言って、濡れて目にかかっていた俺の前髪を横にどかした。
「やっぱり……」
「やっぱり?」
髪を手でどかしたまま、彼女は話を続ける。
「始累心海」
「……!?どうしてその名前を……!」
彼女は笑顔で、いや、どこか俺を試しているように口角を上げてから立ち上がり、俺から一歩離れた。
「知りたいならまずは食事よ。私もちょうどお腹が空いているの。話はそれから。」
彼女は俺に手を差し伸べた。
俺はその手を掴んで立ち上がり、近くのラーメン屋に入った。
そのラーメン屋は全席個室で少し珍しいと感じたが、俺にとってそんな感想はすぐに脳から消え去った。ラーメン屋に入った瞬間の匂い。これが俺の食欲を搔き立てた。
3日ぶりのちゃんとした食事。それもラーメン。他人の金。
最高だ。
「私は醤油ラーメンで。君は?」
「俺は味噌ラーメンでお願いします。」
ラーメンが卓上に運ばれた瞬間、俺の理性はほとんどどこかへ飛んで行ってしまっていた。
ガツガツと食べ進め、あっという間に一杯を食べ終えた。
「美味かった……」
「それは良かった。少し待っていてね。」
彼女は左手で自分の髪を左耳にかけてラーメンを食べる。
思わずドキッとしてしまった。
考えてみればこの状況はおかしい。
目の前にいるこの美女。一体この人が誰なのか、どうして俺の母さんの名前を知っているのか……
分からない事ばかりだが、今は満腹感と目の前の美女による目の保養で頭がいっぱいだ。
10分ほど経って彼女も食べ終えた。
「ごちそうさまでした。それじゃあ本題に入ろうか。始累心海。君のお母さんの名前で間違いないよね?」
「そうです。」
「君のお母さんが殺された理由、知りたい?」
「……!」
俺の母さんは俺が小さかった頃に殺された。真夜中に通り魔によって殺されたという話を聞いている。
「通り魔に殺されたから理由なんて――――」
「もしも彼女の死が誰かが望んだ死だったら?」
「……」
誰かが望んだ死……それはつまり……
「母さんは意図的に殺されたってことですか……?」
「その通り。」
そんなはずはない。通り魔の男は母さんを殺した後に車にはねられて死んだ。その後の死体検査で、違法な薬物を使い幻覚を見ていただろうから、母さんを狙って殺すのは不可能だったはずだって――――
「君のお母さんを殺した犯人。死体の胃の中から不思議な物が出て来たっていうのは知ってる?」
「白紙……ですよね……」
「そう。白紙よ。ただの紙。警察は薬のせいで幻覚を見ていたから誤飲したのだろうと結論付けた。でもそれは違う。」
「じゃあ一体何のために?」
「私たち魔法使いが最も簡単に相手を操る方法。それは精神操作魔法の式を施した物を相手の体内に入れることよ。」
魔法使い……?精神魔法……?一体何を言って……
「ふざけないでください。この世に魔法なんて――――」
「存在しないって?」
「そうですよ。あんなのおとぎ話とかアニメとか、そういう世界の、この世界じゃない世界の話なんですから。」
「やっぱり君はフライアさんの子供だね。何かと察しが良い。」
彼女は笑顔でそう言った。そして……
「君の器、見てみなよ。」
視線をさっき食べたラーメンの器へと移すと、そこには食べ終えたはずのラーメンが届いた時そのままの状態で置いてあった。
「は……?」
思わず口からこぼれる。
「マジック……?」
「マジック……まあ、確かにマジックね。魔法は英語でマジックとも言うし。」
俺はまじまじと自分の器に入っているラーメンを見つめた。
……何かがおかしい。
そう思って、レンゲでスープをすくい、口に運ぼうとした次の瞬間、レンゲの上のスープは消えていた。それどころか、器に入っていたラーメンまで消えていた。
「……は?」
また思わず口からこぼれる。
「これは幻影魔法だよ。君にラーメンの幻影を見せたの。」
「……本当に幻影魔法……なのか……?」
いや、そんなはずはない。この世界に魔法なんて存在しない。するはずが無い。絶対に。
「まだ信じられないみたいだね。……じゃあ最終手段。」
彼女はそう言って一通の手紙を俺に手渡した。
中身を開けるとそれは母さんからの手紙だった。特徴的な母さんの字。懐かしい。
『翔へ。これを読んでいるということは私はもうこの世にいないのでしょう。今まで黙っていたことがあるから打ち明けます。私は魔女です。魔法が使えます。異世界人です。本当の名前は【ハンス=フライア】です。私が異世界人ということは、あなたも実質異世界人と同じようなものです。私はとある組織から逃げるためにこの世界に来ました。私はきっと、完全に彼らから逃げきれた訳じゃありません。いずれ私は追いつかれるでしょう。そうなる前にあなたに打ち明けようと思ってこの手紙を書きました。この手紙は私が一番信頼できる人に託します。この手紙を手渡した人は私の一番の弟子であり友人であり家族です。少し変わっていますが、上手くやっていけると思います。それからはその人が私の代わりです。私はあなたを心の底から愛しています。だからできる限り私のせいで迷惑をかけたくなかった。でもこの手紙を読んでいるということは迷惑をかけてしまうということです。ごめんなさい。そして心の底から愛しています。親愛なるハンス=ラーストへ。』
全く何が何だか……意味が分からない……理解できない……何だよ異世界人って……
「その手紙は正真正銘、君のお母さん、フライアさんが書いた手紙よ。」
「……」
「理解が出来ないというのは当たり前の事よ。はたから見ればこんなの怪文書そのものだもの。でも、これは全て事実。そして、手紙に書いてある『とある組織』。これが君のお母さんを殺した真の犯人よ。」
「真の犯人……」
彼女は手紙を俺の手からそっと取ってテーブルに置き、真剣なまなざしで俺のことを見た。
「君には今、2つの選択肢がある。事件の真相、自分が本来いるはずだった場所。それを知るために私に付いてくるか。それとも、今まで通りの生活をするか。君はどっちを選ぶ?」
そんなの……最初から決まっている。
「あなたに付いて行きます。」
「そう言うと思った。いや、むしろ言ってくれなきゃ困るんだけどね。」
「あなたに付いて行けば……本当に全てが分かるんですか?」
「私があなたに真実を見せるわけじゃないわ。あなた自身が真実を見に行くのよ。」
「俺自身が……」
彼女はグーっと体を伸ばすと思いついたかのように「あ!」と言って話を始めた。
「そう言えば自己紹介がまだだったね。私の名前は【メディエル=ヴァルエイド】。ヴァルエイドでいいわよ。」
「ヴァルエイド……さん……」
「そうよ。これからよろしくね。ラースト。」
「ラースト?」
「それが君の本来の名前よ。始累翔はこの世界に馴染むためにフライアさんが名付けた偽名だから。」
ラースト……それが俺の本名……何だか違和感がある……
「違和感はそのうち無くなるわよ。さてそれじゃあここでお開きにしましょうか。」
ヴァルエイドさんが2回手を叩く。
「えっと……今のは?」
「まあまあ。」
そう言って個室の扉を開くと日光が差し込んできた。
ん……?日光……?今は夜じゃ?
そう思って外に出るとそこは東京なんかじゃなかった。まるでイギリスのロンドンの大通り。でも完全にロンドンかと言われればそうではない。どこか違って見える。遠くに見えるのは……城……??
「ここは……?」
「ここはグリディール王国の王都。おかえりなさい。ラースト。」
「グリディール王国……?聞いたこと無いですけど……」
「ここはもう君がいた世界とは別の異世界よ。」
「異世界……?ということは、ここが母さんの故郷……」
「フレイアさんや私の故郷でもあるし、君の故郷でもある。」
「俺の故郷……」
自分が全く知らないはずの街並みなのに、故郷と言われると違和感が凄い。
「さて、まずはこれから君の実家になる場所へ行こうか。」
「俺の実家……?」
ヴァルエイドさんはどこからともなく杖を取り出し、杖の先で円を描いた。するとそこには人が1人通れるほどの黒い穴の様な何かが現れた。
「これはワープホールよ。この先はお楽しみ。それじゃあ行くわよ。」
「ちょっと……!」
ヴァルエイドさんはワープホールをくぐりどこかへ行ってしまった。
「えぇ……?こんな得体の知れないもの良く通れるな……」
ワープホールをくぐるのを渋っていると、ワープホールからヴァルエイドさんの手が伸びてきて俺の手を掴み、ワープホールへと引きずり込まれた。
驚いた俺は目を閉じたままワープホールをくぐる。
次に目を開けた時、そこは森の中だった。
「もう着いたわよ。」
俺の目の前にいたヴァルエイドさんが横にずれ、大きな屋敷が少し遠くの方に見えた。
俺とヴァルエイドさんはその屋敷まで続く石畳の道を歩き進める。
「これがヴァルエイドさんの家……」
「正確に言えば私のじゃなくて君のだけど。」
「どういうことですか?」
「この屋敷、元はフレイアさんのものだったの。だから子である君が受け継ぐべき屋敷ってこと。私は一時的に管理を任されてただけ。これからは君のものよ。」
俺のものか……
屋敷の目の前に着いたときにはもう全貌が見えないほどに大きなこの屋敷が自分の物になるということに唖然としていると、玄関の大きな扉が開いた。
「さあ、中に入って。」
俺が中に入ると吊り下げられていたシャンデリアに明かりがともった。それに呼応して壁に掛けられた蝋燭にも火が灯った。
「すご……これも魔法ですか?」
「そうだね。」
魔法……やはり凄いな……
「それじゃあ君の部屋に案内するよ。」
俺は長い廊下を歩いた先にある部屋に案内された。
「ここが君の部屋だよ。一応、君が来た時のために色々準備をしておいたんだけど……」
「えっと……」
部屋の壁紙は青を基調とした宇宙とロケットの壁紙。シーツ、枕カバー、タオルケットまで同じデザイン。
「おっと……これは……あれだね……本当は君をもっと早くに引き取るつもりだったんだけど……ズルズルと長引いた結果がこれよ……申し訳ないわね……ちょっと待ってて。」
ヴァルエイドさんは杖を振って部屋の雰囲気をがらっと変えた。先ほどまで子供部屋だったこの部屋は落ち着いた書斎の様な部屋になった。
「おお!いいですねこれ。」
「気に入ってもらえて良かったわ。それじゃあ私は用があるから、君はお風呂に入ってもう寝なさい。」
そう言えば、こっちに来る前は深夜だったな。時差ぼけ……?っていうやつだろうか?今、ここは昼間だけど、結構眠い。
「お風呂は1階に降りてすぐの所にあるから。君が入っているうちに、脱衣所に服を用意しておくわ。お風呂で使うものは用意してあるからそれを使って。それじゃあ私は行くわ。」
ヴァルエイドさんは音も無く、俺が瞬きした瞬間に目の前から消えてしまった。
「さて……それじゃあ風呂に入るか……」
廊下を歩いている時に自分の服が乾いていたことに気が付いた。雨でずぶ濡れだったはずだ。こんな短時間で乾くはずが無い。
……きっとヴァルエイドさんの魔法だろう。
脱衣所に着いた俺は服を脱ぎ、風呂場の扉を開けた。
「すげぇ広い……」
そこは大浴場で、銭湯に来たような気分になった。
頭と体を洗い、風呂に入る。
「あぁー……」
つい声が漏れてしまうくらいには気持ちがいい。
広い風呂に1人。足をめいっぱい伸ばして入る。
最高に気持ちがいい。久々に足を伸ばして風呂に入った。
風呂から出て用意された着替えを着て自室に戻る。
部屋に入り、ベットに横になった俺は天井を見つめながら不思議な気持ちになった。
「本当は俺も……昔からこの天井を眺める生活をしていたんだろうか……?」
この屋敷は母さんのものだとヴァルエイドさんは言っていた。こんな屋敷を所有できるだけの金があったということだ。それに母さんは魔女だという。
俺は母さんの事を知っているつもりでいた。でも本当は1つも知らなかった。知っていたのは上辺だけで、母さんの事なんて分かった気になっていただけだった。
「最後に母さんと喋ったの……いつだったかな……?」
もうほとんど覚えていない。覚えているのは俺が眠れないときに頭を撫でてくれたこと。
あの手は優しかった。
……あの手を消した奴らが許せない。
どうして母さんが殺されなくちゃいけなかったのだろうか?
母さんを殺した組織……俺はいつか、その組織を突き止める。
そして――――
■□■□■□■□■□■
「ん……」
小鳥のさえずりで俺は目を覚ました。
昨日はいつの間にか寝てしまっていたらしい。
「ふわぁ……」
大きくあくびをするのと同時に俺は天井へと大きく伸びをした。
その時、両手に違和感を感じ、伸びをしたまま袖の方を見るために上を向いた。
すると何故か袖が半分ほどで折れ曲がっている。
それだけじゃない。襟は自分の首に比べて大きく、全体的に服の中に自分の体が埋まっているような形になっている。
「何だこれ……」
袖に隠れた手のまま、俺はかかっていた布団を何とかどかすと、なんとズボンもぶかぶかになっていた。
「服が大きくなった……?いや、違う……!!」
俺はベットから這い降りると周りの家具の大きさが昨日よりも大きくなっている気がした。そして壁に埋め込まれた全身鏡の前に行き、ズボンの裾を持ち上げて立ち上がった。
「おい……嘘だろ……」
鏡に映っていたのは幼少期の俺だった。
つまり――――
「俺は……若返った……のか……!」
「ヴァルエイドさん!!!」
俺は短くなった手足を一生懸命に動かしながら屋敷を走り回った。
廊下の角を曲がった時、人にぶつかり転んでしまった。
「いてて……ヴァルエイドさん……?」
「大丈夫ですか?」
俺の目の前にはヴァルエイドさんではなく、メイドさんがいた。フリルの付いたエプロンドレス。まさしくメイド服そのものだ。
「お怪我はありませんか?」
「えっと、大丈夫です。」
「それは良かった。ところで、ヴァルエイド様をお探しですか?」
「あ、そうです!」
「ヴァルエイド様のお部屋はこの廊下の手前から3番目。あの部屋ですよ。」
「ありがとうございます!」
俺は再度走り始める。
そう言えば、メイドさんなんて昨日いたっけ?いやそんなこと、今はどうでもいい!今はとにかくこの体についての説明を――――!!
俺はヴァルエイドさんの部屋のドアを勢いよく開けた。
「ヴァルエイドさん!俺の体……が……」
「え……?」
顔を赤く染めるヴァルエイドさん。彼女は下着姿のままベットの端で座りながら紅茶を飲んでいた。
「あ……えっと……!」
俺は咄嗟に顔を手で隠して、彼女に背を向けた。
「ご、ごめんなさい!えっと……熱っ!」
「大丈夫ですか!?」
ティーカップが落ち、紅茶が床に散らばる音が聞こえた俺は反射的に彼女の方を向いてしまった。
「あ……!その、違くて……!!」
彼女に紅茶がかかっている訳ではなさそうだということを知った俺はもう一度彼女に背を向けた。
「あの、その……いや、ごめんなさい……すぐ着替えるわね。ごめんなさい。」
彼女が後ろで着替えている音が聞こえる。
さっき見えたヴァルエイドさんの下着……大人な女性の下着だった……17歳には少し……いや、かなり刺激が強い。正直、落ち着くまで座っていたい。
「着替え……終わったわ。」
「もう大丈夫ですか?」
「ええ。」
俺は彼女の方を向いた。
「それでこんな朝からどうしたの?」
「あ、そうだ!いや、朝起きたら俺の体がこんなに縮んでたんですよ!」
「あぁ……それはあれだね。魔力による影響だね。」
「魔力による影響って、別に魔法なんて一回も使ったこと無いですよ。」
多分無いはずだ。ワープホールをくぐった時に魔力を受けたとか、そういう感じ?
「魔力はこの世界に満ちていてどこにでもあるのよ。この世界の人間は産まれた時から魔力による影響を受けているから何か異変を感じることは無かったんだろうけれど、君みたいに産まれてから一度も魔力による影響を受けないで育ってきた人が、急に魔力を浴びたからこうなってしまったのね。」
「でも若返りって……」
「体内魔力を増やすと長生きするという研究を昔に見たことがあるけれど、体内魔力を持たない人に魔力を浴びせて体内魔力を急増させたらどうなるかっていう実験は見たことが無い……」
ヴァルエイドさんはそう言ってベットから立ち上がると、ゆっくり俺の方に近づいて来た。
「ラースト。君は……人体実験を受けたことがあるかしら?」
「……な、無いですよ。」
俺はゆっくりと後退りをする。
「最近、私の研究が行き詰っていたのよ。たまには他の分野の研究も必要よね?」
「い、いらないんじゃないかなぁ……?」
背中が壁に当たり、これ以上後退りは出来ない。
「少しだけ……少しだけでいいから協力して欲しいわ……」
「遠慮しておきます……」
「少しだけだから……ね?」
彼女の目はまるで狂気を帯びたマッドサイエンティストだ。
彼女の手が俺の体に伸びてくる。
「ギャアああああああああああ!!!」
■□■□■□■□■□■□■□■□
「うーん……特に異常は見られないわね。良かった。」
俺は上裸で椅子に座って胸に聴診器を当てられていた。
「それにしても、本当はこのくらいの子を引き取ろうとしていたのね。5歳くらいかしら?絶対世話なんてできなかっただろうから、遅らせて正解だったわ。」
「あの……」
「何?」
「俺、この体元に戻るんですか?」
「戻るわよ。あと……10年くらいで。」
「10年!?」
「驚くことじゃないわ。若返ってしまったのだから若返った分、同じ年数を生きるだけの話よ。それに魔力は体の成熟を早めるという研究もあるから、多少なりとも早く戻れるようにするには魔法や剣術を学ぶことね。」
若返ったり長生きできたり体の成熟を早めたり……魔力って何でもありなのか?
「魔法や剣術を学ぶことは体のためだけじゃないわ。君はいずれ、君のお母さんを殺した組織と対峙する時が来る。君のお母さんは魔女の中でも優秀な魔女だった。彼女を殺した組織も彼女と同等の力がある。もしも君が組織に殺されるのを仕方がないと思えるのなら話は別だけど、理不尽に殺されることを拒否したいならそれ相応の力を得る必要があるわ。」
「でも一体どうやって……」
「私がいるじゃない。」
「ヴァルエイドさんが?」
「こう見えても私、魔女なのよ?魔女は世界で認められた魔法使いとして優秀な人を指す。そんな私が直接君に指導する。力を得られない方が不思議よ。」
「いいんですか?ヴァルエイドさんは研究もしてるんですよね?忙しいんじゃ?」
「いいのよ。研究は趣味みたいなものだから。それにフレイアさんから頼まれていたことだし。」
俺の母さんが頼んだ事……
「君はこの世界で自衛できる方法を学ばないといけない。この世界は物騒よ。変な神を崇める狂信者に殺人鬼、盗賊、山賊、海賊。基本的に何でもありよ。そしてそれに対して私刑を行う貴族。君の世界では考えられないかもしれないけど、これが普通。そんな世界を平和ボケした君が歩いて行けるはずがない。だからフレイアさんは私に頼んだの。指導をして欲しいって。」
彼女は立ち上がり、幻影を出した。何かの紋章の様だ。ローブを突き抜けている2本の剣?
「これは?」
「これは君の敵、エンペラーズ・ナイトの紋章よ。この組織が君のお母さんを殺した。」
「エンペラーズ・ナイト……一体どこの組織何ですか?」
「分からない。彼らは世界を裏から操ろうとする秘密結社の様なものよ。だから表舞台に姿は現さない。」
秘密結社……
「君に1つだけアドバイスするとしたら……深い闇にいる人間と戦うためには自分も深い闇に潜る必要があるってことよ。」
彼女は壁に掛けられていた剣を取り、僕に手渡した。
「今日から君は私の弟子よ。君が求めるだけの力を与えるわ。」
それからは厳しい修行の日々が続いた。
午前中も午後もずっと魔法と剣術。座学の時間もヴァルエイドさんが放つ魔法を避けたり防いだりしながら受けた。
そして時は経ち、俺は元の体まで成長した。
何年ほど経ったかなんて数えていない。日々を数えることはせず、木々や花を見て季節を感じるような日々を送って来たからだ。
それだけ俺は魔法と剣術に全てを費やした。
そして今日……ついに俺は目標を達成した。
「これでやっと一本……ですね……」
俺は剣をヴァルエイドさんの首筋に当たる寸前で止めて言った。
「私の負けね。」
「……ッしゃああああ!!」
俺はガッツポーズをして喜んだ。
「私が教えられることは全部教えたわ。良くここまで頑張ったわね。」
ヴァルエイドさんは俺の頭をポンポンと撫でた。
「俺の事、まだ子供だと思ってるんですか?」
「私からすればラーストはまだまだ子供よ。」
「一体いつから生きてるんですか……?」
「女性に年齢を聞くなんて、モテないわよ。」
「……!モテなくていいですよ……」
「そう。それじゃあ今日はもう終わりにしましょう。私はこの後、少し用があって王都に行くけれど、何か欲しいものはある?」
「……リンゴですかね。」
「リンゴ?」
「帰ってきたらご褒美にアップルパイ作ってください。俺、ヴァルエイドさんのアップルパイ、好きなんで。」
「……分かったわ。それじゃあ私は行ってくるから、好きなことをして待ってて。」
彼女はすぐに目の前から消えた。
いつぶりの自由時間だろうか?自由時間……特にやりたいことも無いし、とりあえず剣でも振るか。
そうして時間は流れ、気付けば夜になってしまっていた。
「もうこんな時間か……ヴァルエイドさん遅いな……またどこかで買い物か?」
前にも夜遅くに帰ってきたことがあった。その日は知り合いに会いに行くとか言って朝出て行って、大量の荷物を持って帰って来た。
洋服やら食材やら魔道具やら、とにかく目に付いたものを買ってきたらしい。
「疲れた~」とか言って、その日は熟睡してたな。
今日はそうじゃなければ良いけど。何せ彼女が買ってきた物を片付けるのが大変だからだ。
「まぁ……多分大丈夫か。」
俺は家の中に戻り、自室で魔導書を読むことにした。
どれくらい時間が経ったのだろうか?
既に日は跨いでいる。
俺は自室でモヤモヤとしながら魔導書を読み進める。
しかし内容が頭に入ってこない。
「もう無理だ。我慢できない。」
俺は部屋を飛び出し、とある部屋に向かった。
その部屋は壁一面に魔法陣が張られている部屋だ。
「えっと……通信の魔法陣は……これか。」
魔法陣に触れ、魔法を発動させると俺の耳元でジーというノイズが鳴った。
「繋がれ……」
『ジー……』
「……」
『ジー……あ……ラースト……!』
ノイズ交じりのヴァルエイドさんの声が聞こえて来た。
「ちょっと!どこで何してるんですか!」
『マズイことになったの……』
「マズイこと?」
『ナイトが……私を……!』
息切れを起こしながら彼女はそう言った。
【ナイト】
俺は長年忘れていた。
俺がこの世界で魔法と剣術を極めようとしている理由。
何故俺がここまで真剣に取り組んできたのか。
魔法と剣術が好きだから?
違う。
ヴァルエイドさんを超えるため?
違う。
本質は違う。
俺は母さんを殺したエンペラーズ・ナイトを超え、彼らの目論見を阻止するためにここまでやって来た。
忘れていた忘れていた忘れていた。
「今どこにいるんですか!!」
『ラーストは家に居なさい。』
「何で!俺は二度と大切な人を失わないために――――!!」
『私も、私のせいで大切な人を失いたくはないのよ。』
ザザッとノイズが酷くなりながら彼女との会話は続く。
「でも!それでも俺はもう二度と失いたくはない!」
『ごめんなさい。ラースト。』
彼女がそう言うと、部屋のドアが勢いよく閉まった。
俺がドアを開けようとしてもびくともしない。
魔法を使って外に出ようとしても魔力が霧散して発動できない。
「ヴァルエイドさん!!」
『私は大丈夫。絶対に帰るから。何があっても。どんなことがあっても。』
「やめてくれ……」
『私のアップルパイ、好きって言ってくれてありがとう。』
嫌な予感がした。私はきっと、最後に謝罪か感謝をするって前にヴァルエイドさんが言っていた。
「ヴァルエイドさん!!!!」
『少しの間だけのお別れよ。もう一度会いに……行くわ……』
「待って!!待ってください!!!」
少しづつ彼女の声は細くなる。俺はただ、その場に膝をつき、彼女のことを考えることだけしかできない。
『ラースト……愛しています。あなたが思っているよりずっと前から。』
ジーというノイズが走り、通信が途絶えたことを合図する。
その瞬間、部屋にかかっていた魔法は解け、部屋のドアはゆっくりと開いた。
俺は右手の人差し指に着けていた指輪を見る。
指輪にはフライアイという緑色の透明な魔法石が装飾されている。
このフライアイは双子石や結び石と呼ばれている。
1つの石を2つに割り、片割れを持った2人の内どちらかの命が亡くなった時、この石も割れる。
俺の指輪のフライアイにはひびが入っていた。
「……」
俺は馬鹿だ。
目的を忘れ、平和な日常を当たり前だと思い、大切な人を2度も失った。
失わないために身につけた知識や力は何の役にも立たなかった。役に立たせられなかった。
無力だ。
胸にこみあげる悲しみ、苦しみ、怒り……
でも何故か、先ほどまで俺の顔をぐしゃぐしゃに濡らしていた涙はもう出ない。
分からない。どうして……涙が出ないんだ……?
「あぁ……そういうことか……」
俺は勘違いしていた。
いつか俺は彼らと対峙するとヴァルエイドさんに言われていた。
いつか。
俺は向こうから来ると思っていた。
違う。
向こうからやってくるんじゃない。
俺が向かうんだ。
待っていても来ない。来るはずが無い。
「俺は為すべきことを為す必要がある。」
俺は立ち上がり歩いた。
もう後悔はしない。
2度も失った悲しみを、苦しみを、怒りを、忘れることなんてないだろう。
俺はヴァルエイドさんの部屋に向かった。
部屋を開けると色々な記憶が蘇ってきた。
紅茶を一緒に飲んだ事、俺を着せ替え人形のように扱って笑っている彼女の事、雷の日に懇願されて一緒に寝た事……
もう声は聞こえないはずなのに、どうしてか頭の中で彼女が俺を呼ぶ声が聞こえる。
無くしたものはもう戻ってこない。
戻らないんだ。
俺は彼女に『私が死んだ時に開けて』と言われていた引き出しを開けた。
中には手帳が入っていた。
書いてあったのは日記だった。
俺は日記だと気づいてから読むのをすぐにやめた。
今読んだら……心が壊れる気がしたからだ。
引き出しを閉じようとしたとき、まだ奥に何かがあるのに気が付いた。
それは紙だった。
四つ折りにされた紙を広げる。
「エンペラーズ・ナイト記録……」
その紙にはエンペラーズ・ナイトに関しての情報が書かれていた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
誤字などの指摘がございましたら、教えていただけると幸いです。