兆し
それは、唐突に現れた。
低く唸る駆動音。
風のない空間に、異物の足音が響く。
廃路沿いの高架下。崩れた柱の影から、黒い影が歩み出た。
機械生命体。
四足の骨格に、砕けた鋼の仮面。
その胸部には、赤いレンズのようなセンサーが脈打っていた。
ヴァルトは即座に剣に手をかけた。
だが、フィーネがその前に立っていた。
「下がれ、フィーネ」
「……動ける?」
「当然だ。だが――」
言い終える前に、オートマタが跳んだ。
動きは予測できた。しかし、その軌道は、フィーネを狙っていた。
「……っ!」
ヴァルトが駆けるよりも早く、フィーネが弾かれた。
間一髪、脇を掠める爪。それでも彼女の肩には鋭い裂傷が走った。
血が、飛んだ。
「フィーネ!」
黒剣が、震えた。
空気が一瞬、重力を失う。
ヴァルトは反射的に踏み込み、オートマタの胸部に斬撃を叩き込んだ。
第一戒印――影を裂く斬撃が、機械の中核を切断する。
金属の断末魔が、耳に残った。
残骸が崩れ落ちる中、ヴァルトはフィーネに駆け寄る。
「……なぜ、前に出た」
フィーネは肩を押さえながら、小さく首を振った。
「動けないかもしれないって、思った……のかも」
少しだけ迷ったように言葉を選ぶ。
でも本当は、自分でもよくわからなかった。
ただ、あの瞬間――
“誰かを守らなきゃ”って、体が勝手に動いていた。
黒剣が、再び鳴いた。
だがそれは戦闘の咆哮ではなく、何かに“応えようとする”音だった。
剣身の中央。封じられた第二の戒印が、脈を打つ。
ヴァルトが手を添える。
その触れた先から、微かな熱が伝わってきた。
「……応じるな。まだ、解く時ではない」
彼は静かに剣から手を離した。
黒剣の光は徐々に落ち着く。だが、戒印の奥で、何かが待機しているのを彼は感じていた。
――これは、力ではなく、意志の問いだ。
フィーネが痛みをこらえながらも、わずかに笑った。
「あなたの背中って……大きいね」
「今さら何を言う」
「こうして、誰かの背中を見てると……思い出す気がするの。
どこかで、誰かの背を追ってたような……そんな感じ」
それが誰かは、まだ思い出せない。
けれど、その“感覚”が、彼女の中に残っていた。
ヴァルトは、フィーネの傷をざっと見てから、静かに肩を貸す。
「歩けるか」
「うん……少し、休めば」
二人は再び、瓦礫の道を進み出す。
背後に残ったオートマタの残骸は、なおかすかに動いていた。
だがその残影を見ていたのは、別の眼だった。
瓦礫の影。
誰かが、剣と少女の背中を見つめていた。
その視線には、殺意も畏怖もなかった。
ただ、何かを“確かめる”ような、無音の探知。
その存在は、まだ姿を現さない。