欠片の記憶
風が止んだ。
崩れた歩道橋の下、鉄骨が幾重にも絡み合う空間に、二人の影が沈んでいた。
黒剣が、静かに鳴った。
フィーネが足を止め、耳に手を添える。
空気の振動ではない。心の奥に、何かが触れてくる。
「また……聞こえる」
ヴァルトは頷く。
「記録に反応してる。近いな」
瓦礫を踏み越え、奥へ進む。
そこは、かつてのシェルター跡のようだった。崩落した天井。焼け焦げた壁面。
酸化した金属の臭いが、まだ微かに残っていた。
黒剣が再び脈を打つ。
今回は、明らかに“何か”を伝えようとしていた。
フィーネがその場に膝をつく。
古びた金属板に、指先を軽く触れた。
――視界が、揺れた。
光。熱。誰かの声。
耳ではなく、心に直接響いてくる。
――『……遅いよ……でも、信じてるから』
――『君が来るって、ずっと、思ってるから』
焦げた匂い。振り返る暇もない。
目の前にあった誰かの手は、もう届かない。
――『手、離さなきゃよかったな……』
――『これで良かった、なんて、まだ言えないのに……』
胸の奥に、何かが突き刺さる。
フィーネの視界がぶれる。言葉が、心に染みるように流れ込んでくる。
「苦しい……こんなの……私じゃないのに……」
涙が、自然とこぼれていた。
ヴァルトが隣に立ち、剣を抜かずに手を添える。
黒剣が、低く鳴った。
「記録の中に、声があるのか」
「うん……声だけじゃない。
あの人、たぶん……誰かを待ってた。誰かに、届いてほしかった」
フィーネの目が、揺れる。
「……でも、それが誰だったのか、私は知らない。
それなのに、泣いてる。心が勝手に……痛いって、言ってる」
その言葉に、ヴァルトは何も返さなかった。
黒剣の記録は、因果を刻む。
だが、その意味を感じ取るのは、人間――
彼女はそれを、今、体の内側から理解していた。
「ねえ……これって、私の感情なのかな?」
その問いは、誰にも答えられなかった。
だが、確かに“心”がそこにあった。
感情とは、教わるものではなく、心に芽生えるもの。
彼女の中に、それが今、ほんのわずかに灯り始めていた。
ヴァルトは、静かに黒剣を背に戻した。
その動作は、まるで――剣に語りかけるようだった。
「これが……記録の意味か」
声に、重みが宿る。
黒剣はまた、脈を打った。
その波動は、彼の掌から、フィーネの胸元へと染み込んでいくようだった。
感情が記録され、記録が感情を育てる。
それは、ただの武器ではない。
ただの少女でもない。
二人の旅は、確かに“心”を刻み始めていた。