記録の音
砂を踏む音だけが、空に溶けていく。
ヴァルトとフィーネは、かつて都市と呼ばれた廃墟の外縁を歩いていた。
崩れかけた高架。断ち切られた通信塔。風でめくれる案内標識。
どこもかしこも、過去を切り離されたような沈黙に包まれていた。
ヴァルトの黒剣が、わずかに震える。
それは“記録に反応した時”にのみ起こる、微細な共鳴だった。
「……このあたり、かつて激戦地だったか」
記録がある。だが、はっきりと“見える”わけではない。
黒剣は記録する。だが、それを勝手に語ることはない。
沈黙の剣。
だからこそ、ヴァルトは“語らせる”のではなく、“感じ取る”必要があった。
フィーネは立ち止まった。
古びた防護壁の前で、足元の土を指でそっとなぞる。
「……ここ、痛い記憶がある」
彼女はそう言った。
感情を映すかのように、黒剣の脈が一度だけ跳ねた。
ヴァルトは視線を向ける。
そこには、何の痕跡もない。ただの荒地。瓦礫と錆びた構造物。
「どういうことだ?」
「わからない。でも……胸の奥が、冷たくなる。
何かがここで終わったような、そんな感じ」
フィーネの指先が、小さな金属片を拾い上げた。
歪んだタグのようなそれには、文字のような模様がかすかに残っていた。
次の瞬間――
黒剣が、鳴いた。
ヴァルトが背負う剣が、低く、沈んだ音を響かせた。
それは斬撃でも呼吸でもなく、“記録が開かれる”ときの反応だった。
「……開封か?」
だが、戒印の解放ではない。
黒剣が反応したのは、地に残された情報――
記録の断片だった。
ヴァルトが剣に触れる。
視界が、揺れた。
赤い空。焦げた匂い。誰かの叫び。断末魔。怒号。
記録は、言葉ではない。
“残されたもの”に刻まれた、感情の残響――それが、黒剣を通して彼に届いた。
「……!」
思わず目を伏せる。
だが、耳は離れなかった。心が勝手に“聞こうとしていた”。
「こんな……ものまで、記録しているのか。お前は」
黒剣は応えない。ただ、脈動だけが残る。
フィーネが、隣で静かに座り込んでいた。
瞳は閉じていた。けれど、頬に一筋の涙が流れていた。
「……どうして、泣いてるんだろう。わたし……」
その声は、震えていた。
「知らない人の痛みなのに、胸が……すごく、重くて」
ヴァルトは黙っていた。
だが、確かにそこに“何か”があった。
感情に似た、記憶の波。
フィーネの中で、微かに揺れていた。
風が吹いた。
涙を乾かすように、優しく。
「……行くぞ。こんなところに長く留まるな」
「うん」
フィーネは立ち上がる。
その横顔には、まだ涙の痕が残っていた。
だが、その歩幅は、ほんの少しだけ力強くなっていた。
二人の記録は、今も刻まれている。