記録に刻まれなかったもの
最奥の扉は、傷だらけだった。
崩れかけた機構を押し開けると、そこには──何もなかった。
いや、正確には「何かがあった痕跡」だけが、残されていた。
広間の中心には、砕けた玉座のような台座。
その周囲には、円を描くように散らばる無数の破片と、焼け焦げた痕。
ヴァルトは足を止めた。
黒剣が、静かに震えている。まるで、思い出せない記憶を無理に掘り返そうとするように。
「……ここ、何かおかしい」
フィーネがぽつりと呟いた。
彼女の視線は台座に向けられていた。
そこには、記録球すらない。黒剣も反応を示さない。
「この場所……記録されていない」
ヴァルトが呟く。
黒剣はすべてを記録してきたはずだ。
だが、ここに関する記録は一切ない。戦いの痕跡はあるのに、記録はない。
「封じられた……? それとも、最初から、記録されなかった?」
「どちらにしても、不自然だ」
ヴァルトは黒剣を構え、床を見下ろす。
焦げ跡はあるが、明らかに“何か”を意図的に消した跡もあった。
そのとき、フィーネの中に、ふと冷たい感覚が走った。
──誰かが、ここで“記録すること”を拒んだ。
黒剣が記録しなかったのではない。
“記録されることを拒んだ者”が、この場所にいたのだ。
「ヴァルト……」
フィーネは声を震わせる。
「ここに、誰かいた。
でも……その人は、何かを遺すことを、望まなかった。
“記録は、意味を持たない”って──そんな想いだけが、残ってた」
ヴァルトは黙ったまま、台座を見つめていた。
記録されなかったという事実。
それは、黒剣の存在を根底から揺るがす問いだ。
「……記録とは、正義じゃない。
記録されないことにも、理由がある。
……誰かがそう言ったとして、否定できるか?」
それはヴァルト自身への問いでもあった。
黒剣は事実を刻み続ける。
フィーネは想いを記録していく。
けれど──記録がすべてではないのだと、彼は初めて思った。
「この場所の記録は……」
ヴァルトは静かに剣を収めた。
「俺たちが、“これから”残せばいい」
彼の声に、黒剣がふたたび小さく震えた。
記録されなかった過去を、記録するために。
今を刻む意味を、探すために。
二人は沈黙の広間を後にした。
風が吹き抜けるたび、誰かの意志が、まだそこにあるような気がしていた。




