記録のない空白地帯
記録球を回収した後、ヴァルトとフィーネは観測施設の最奥部へと向かっていた。
封印型の記録球は、黒剣でさえ読み解けないまま、フィーネの懐に収まっている。
通路は次第に傾き、崩落の痕も増えてきた。
それでもヴァルトは剣の切先で瓦礫を退け、壁面に刻まれた古い誘導光を辿る。
「この先は……迎撃区画、だったはずだ」
「……観測と、防衛の両方?」
「そうだ。かつてこの施設は、空から迫る敵に備えていた。
だけど──その記録すら、残っていない。誰が、何のために消したのか……」
ヴァルトの言葉に、フィーネは応えなかった。
だが、その横顔は確かに不安を映している。記録が“消されていた”ことが、彼女には耐え難いようだった。
やがて二人は、扉のない大空間に出た。
広大なホール。天井には崩れた観測装置の残骸、足元には砕けたデータ端末が散乱している。
壁の一角には、見慣れない刻印があった。
「……戒印、じゃない」
「いや、似ている。でも違う。これは……命令体系に似た構造だ。記録じゃなく、“指令”だ」
ヴァルトが黒剣を向けると、わずかに反応があった。
だがそれは戒印ではなく、機械的な制御痕跡──機械生命体の中枢に近い言語構造だった。
「つまり、ここは……迎撃のための“制御中枢”だったってこと?」
「それだけじゃない。敵は、すでに“中枢そのもの”を汚染していた。
……この施設は、内側から崩れたんだ」
そのときだった。
天井の隙間から、ざらついた音が響いた。
金属を擦るような足音。――数体。
赤いセンサー光が、瓦礫の影を照らす。
機械生命体。
「……また出たね」
「この空間、奴らの巣かもしれないな」
ヴァルトは剣を握り直し、フィーネを後方に下げる。
静かに、一歩前へ。
先に動いたのは機械生命体だった。
壁を這い、天井から滑空し、ヴァルト目がけて突進する。
「来い」
一振りで一体を断ち、跳ねた残骸を避けながら、さらに二体目を払う。
だが数が多い。周囲を囲むように、残骸の陰から次々と出現する。
「っ、数が……」
その瞬間、黒剣が再び光った。
第三戒印――ではない。戒印は反応せず、代わりに、フィーネが懐の記録球を抱いたまま、立ち尽くしていた。
記録球が揺れている。
フィーネの内側で、何かが──共鳴していた。
「……誰かが、ここで……守ろうと、した。全部を、全部を……壊される前に」
機械の刃がヴァルトに迫る。
そのとき、彼は一閃、剣を地に叩きつけた。
「第三戒印、記憶連結――開封」
周囲の残骸、その一部に宿っていた記録が解放された。
砕けたパネル、折れた装甲、焼き付いたデータ層。
黒剣がそれらの“過去”を視る。かつてここで誰かが戦い、そして記録を閉ざした断末魔。
その記憶を追体験するように、ヴァルトの動きが変わる。
見えない死角を読み取り、敵の動きを予測し、そして断つ。
「この剣は……死んだ者の“意志”すら、繋ぐことができる」
やがて最後の一体が、爆ぜるように崩れ落ちる。
静寂が戻った室内に、フィーネの声がぽつりと落ちる。
「……たぶん、この施設には、今でも誰かの“想い”が残ってる。
私がそれを、ちゃんと受け取れるかはわからないけど……でも、知りたい」
その横顔に、わずかだが確かな熱が灯っていた。
ただ記録するのではなく、心に刻む者として。