沈黙の記録庫
扉は開いていた。
それは朽ちた金属の扉だった。
かつては人の出入りを守っていたはずの重厚な防壁――いまは錆びて軋み、風に揺れていた。
ヴァルトは一歩、足を踏み入れる。
足元に転がるのは砕けたガラス片と、風化した案内板の残骸。
かつて、ここが誰かの働く場所であり、知の中枢だった証。
だが今は、ただの“記録されなかった空洞”にすぎない。
「空気が……重い」
フィーネの声が、小さく響いた。
建物の奥は深く、天井の一部は崩れ落ち、壁面の表示板には意味を成さない記号だけが残っていた。
照明など、とうに機能していない。
わずかな自然光と、フィーネが手にする携行灯が、崩れかけた通路を照らしている。
壁に描かれた絵。
剥がれかけたポスター。
転がる椅子と、何かを伝えようとして折れたままの案内標識。
それらすべてが語らない。
語る者がいない。
語れる者が、もういない。
「……ここにも、誰かがいたんだよね」
フィーネがつぶやいた。
光に照らされたその目は、ただの観察者のものではなかった。
「ここにいた誰かが何を残し、何を守ろうとしたのか……記録庫なのに、ほとんど残ってない」
「だからこそ、“ここ”を封鎖する必要があったのかもな」
「封鎖?」
「ああ。……意図的に、“記録”されないように仕組まれた気配がある」
ヴァルトの黒剣が、わずかにうなった。
――重なる、反応。
“戒印”の気配。かすかに、それが響いている。
この場所の奥深く。
まだ見ぬ何かが、そこにある。
ふたりは進む。
無言のまま、剣の導きと、感じるままに。
途中、崩れかけたデータ端末があった。
フィーネがそっと触れる。だが起動はしない。
情報は、そこにあるはずなのに、指先は何も掴めない。
ヴァルトが静かに黒剣を抜く。
その瞬間、空気が変わった。
――ギギギギ……。
奥から聞こえる、金属の擦れる音。
それは、機械生命体のものではない。
いや、正確には――“記録されていない型”だ。
フィーネが目を見張る。
「……さっきまで、反応はなかった」
「記録されていないものは、ここには多すぎる。
――気をつけろ。これは、過去じゃなく、“忘れさせられた記憶”だ」
かつて記録庫だった場所が、何のために失われたのか。
それを確かめるために、黒剣の戒印はまた一つ、目を覚まそうとしていた。