記録の声が、揺らぐ
フィーネの足が止まる。
観測施設の奥――かつて制御室だったであろう部屋の前で、彼女はわずかに身を強張らせた。
「……この先、確か……」
ヴァルトが振り返ると、フィーネの顔には戸惑いが浮かんでいた。
それは、恐怖ではない。記憶に触れる直前の、不確かさ。
「何かが、あった気がする。……でも、はっき思い出せない……」
ヴァルトは無言で扉に手をかけた。
錆びついた蝶番が、音を立てて開く。
中には古びた端末、破損したホログラム装置、そして棚の奥に押し込まれた記録媒体。
部屋の中央には、剥き出しの配線が絡む記録解析装置が沈黙していた。
「起動は……しないか」
彼が呟くと、フィーネがそっと歩み寄り、装置の端に手を触れた。
次の瞬間、装置が低く唸り、わずかに光を灯した。
「……動いた?」
「私……何もしてない。けど、反応した……?」
装置が吐き出したのは、ノイズ混じりの記録だった。
それは断片的な音声、画面に映るはずの映像はほとんど失われ、わずかに言葉が残されている。
――コード接続試行……失敗。感情波、過去記録と未整合……。
「“感情波”……?」
ヴァルトが目を細める。フィーネは、その言葉に微かに肩を震わせていた。
「この記録……前にも、似たものを……」
彼女は言いかけて黙った。
装置の出力が弱まり、まもなく完全に沈黙する。
記録はもう読み取れない。だが、確かに何かが刻まれていた。
「何を、感じた?」
ヴァルトの問いに、フィーネは静かに答える。
「わからない。ただ、……悲しかった気がする」
言葉を失ったのではない。言葉にならない感覚だった。
彼女の中に流れ込んだ何か――それが“誰かの想い”だったのか、ただのノイズだったのかは、まだ判別できない。
けれど、確かに“心が動いた”。
感情とは、記録できるものではない。
けれど、記録された感情に触れたことで、フィーネ自身の内側に芽生え始めているものがある。
それはまだ、名前すら持たない想いだった。
◇
観測施設の出口近く、ヴァルトは無言で空を見上げた。
遠く、風が動いた気がした。
「……誰かに、見られてる気がする」
彼が呟くと、フィーネも立ち止まり、振り返る。
「……ずっと、じゃない? 私たち、目覚めた時から」
ヴァルトは剣に触れる。
黒剣は、いつものように沈黙している。
だが、その重みだけが、確かに何かを伝えていた。
――これから先、また一つ、記録が増えるだろうと。