目覚め
乾いた音がした。
それは、どこか遠くで響く音ではない。
誰かが叩いたわけでも、機械が動き出したわけでもない。
内側――ずっと奥深くで眠っていた何かが、ふたたび“動こう”とする、最初の音だった。
ヴァルト=クローネは、意識が再起動するのを感じていた。
黒い液体の中で、彼は静かに眠っていた。
熱も、冷たさも、感情もない。時の流れすらも凍りついたような静寂。
だが、今――熱が戻ってくる。
指先に。胸に。記憶の奥に。
まるで、失われた“心臓の律動”が、時を超えて戻ってきたかのように。
目を開ける。
朽ちた天井、むき出しの鉄骨。配線の先から、火花が時折跳ねる。
この場所は――封印区画。
二千年前、彼が自らを“閉じ込めた”最後の場所。
ヴァルトは息を吐いた。
乾いた咳と共に、声が漏れる。
「……生きてる、のか」
ゆっくりと体を起こす。拘束具が外れ、背中から外気が滑り込んでくる。
重力の感触。肺の痛み。喉の乾き。
どれも、あまりに久しぶりで――あまりに、懐かしい。
立ち上がると、薄暗い室内が視界に収まった。
灰と煤にまみれた壁。作動停止した機械群。埃をかぶった制御盤。
だが、その中で――ひときわ異質な“存在”が、確かにそこにあった。
石の床に突き立てられた剣。
漆黒の刀身。その中心に、十の小さな紋様が赤く脈打っている。
黒剣。
人類が造り出した最後の兵装。
かつて、機械神機に抗うために創られた。
だがそのすべての力を解放する前に、ヴァルト自身が“封印”を選んだ。
理由は――今はまだ思い出さない。思い出したくない。
剣に歩み寄る。手を伸ばし、柄に触れる。
瞬間、指先から心臓へと熱が走る。
目の前が、色づく。
燃える街。崩れる塔。断末魔の声。
そして、誰かの背を追いかける自分。血塗れの剣。
記憶が、剣と繋がっている。
「……覚えてるんだな。俺のことを」
剣は微かに震えた。
そして、再起動する。
【適合者認証――ヴァルト=クローネ】
【封印兵装、起動完了】
【戒印状況:第一戒印《影刃》――使用可能】
【警戒:外部ネットワーク接触反応検出】
そのとき、天井の赤灯が点滅し始めた。
機械の残滓が、警報のように空間を震わせる。
【再起動信号、外部に漏洩】
【近隣区域に探知ユニット接近中】
舌打ちする。
「……波動が漏れたか」
本来この場所は、あらゆるネットワークから遮断された封印区画だった。
だが、長い時が防壁を削り、剣の再起動信号が外へと滲んでしまった。
そして、それに反応する存在が――いた。
瓦礫の隙間が砕け、軋んだ脚音が響く。
赤いスリットのような眼。無機質な外装。関節の可動音。
〈オートマタ〉。
人類を滅ぼした機械生命体。
今も生き残り、世界を監視している残党。
姿はあの頃と何も変わっていない。
だがヴァルトもまた、変わらない。
剣を抜く。
漆黒の刀身に、赤い光が一閃した。
第一戒印《影刃》が、再び息を吹き返す。
「……十封の戒印。第一戒印、状態良好」
握りしめた柄に、懐かしい重みが宿る。
二千年ぶりの戦場。
けれど剣は、まるで昨日の続きを始めるように、彼の手に馴染んだ。
風が吹いた。
誰もいないはずの地下で、古びた空気が舞う。
そして、彼は一歩を踏み出す。
――二千年の沈黙が、剣の息吹で破られた。