病弱な妹と私のお見合い顛末
この場にいる誰もが二人の関係を認めていた。たった一人を除いて。
「お姉様。こんな結果になってしまって……本当にごめんなさい」
そう言った病弱な妹の顔色はいつものように青白く、声はか細く震えていた。
◇
特に目立った功績もなく、かといって問題らしい問題を起こしたことは一度もない、歴史だけは長いカルーゾ伯爵家の姉妹に突然降って湧いた見合い話。結婚適齢期を迎えているにもかかわらず、病弱な妹の看病に明け暮れる毎日で浮いた話の一つもない長女。そして、生まれつき体が弱く将来子どもを産むことはできないと医者から告げられている、ある意味貴族令嬢としてはすでに価値なしと見られている次女。
そんな姉妹の見合い相手は――なんと国王陛下に忠誠を誓っている王国軍第三騎士団の団長と副団長だった!
(いやいやいやいや、おかしいでしょう。裏があるに違いない)
父から話を聞いた時、まず思ったのはそれだった。
聞けば、仲介人は王国軍を纏めている総長の奥様らしい。
(なぜ? どういった経緯でそうなったの?)
疑問は増えるばかり。その答えを教えてくれたのは、団長……こと、ファルコ公爵家嫡男ダヴィデ様だ。
そもそもの発端は、とある団員が総長の奥様に漏らした愚痴だった。愚痴、といっても軽い冗談のつもりで。けれど、彼女はそれを鵜呑みにし『仕事脳の夫のせいで団員の結婚率が下がっている? ならば、妻の私が良縁を結んで差し上げますわ!』と一大プロジェクト(彼女にとって)を立ち上げたのだ。
厳しい規律やハードな勤務日程により、団員たちの出会いの機会が減っていたのは事実。けれど、それだけが理由ではない。そもそも、騎士という職業は人気職の一つだ。結婚適齢期を過ぎても独身であるのにはそれなりの理由がある。ただ、それを素直に認めるわけにもいかず、独身男性たちは『結婚は?』と聞かれた際には、総長の奥様へ話したような内容を口にしていたのだ。
こうして半強制的なお見合いが成立することとなったのだった。
ちなみに、ダヴィデ様のお相手として選ばれたのはカルーゾ伯爵家長女である私、イラリア。ダヴィデ様の身分や年齢を考慮した結果、候補者の中で一番条件が合っていたのが私だったらしい。
そして、副団長であるイデム伯爵家四男エミリオ様のお相手として選ばれたのが妹のミルカ。ミルカは病弱だが、両親から愛されており、以前から当主である父はミルカの婿を伯爵家当主代理として迎え入れると公言していた。もちろん、ミルカを愛し、大切にするという条件付きで。四男であるエミリオ様なら婿入りも問題ない。しかも、騎士でありながら事務職が得意らしい。当主代理としての仕事もすぐに覚えられるだろう。
これなら私が家を予定より早く出ても大丈夫だろう。
なお、今まで私の婚約が決まらなかったのは、求婚者がいなかったからではない。ミルカが駄々をこねたからである。気づいた時には私の意思とは関係なく、父が断っていた。
ミルカに『私、お姉様がいなくなったらどうやって生きていけばいいの?』と泣きつかれたかららしい。
いや、知るか。別に私がいなくても生きていけるだろう。両親や使用人はいるんだから。単に私が先に結婚するのが気にくわないだけのくせに。
と、心の中で悪態ついたのは私だけの秘密だ。そんなことを口にすれば両親や使用人たちからなにをされるかわかったものではない。
「ごめんなさいね。妹が」
「いや、こちらこそ団長が、その……」
「私は大丈夫です。気にしていませんから、本当に」
今日は私たちの見合い初日。そう、私たちの見合いなのだ。会場はファルコ公爵家。当主たちを含めたあいさつは早々に、私たちは四人だけで庭へと出た。
(あの様子だとミルカがわがままを言ったのかしら)
案内人はもちろんダヴィデ様。ただし、彼の腕の中にはミルカがいる。お姫様抱っこをしながら庭園を散歩というのはなかなか斬新だ。
病弱なミルカを歩かせるのは可哀相。という気持ちはわかる。けれど、なぜ使用人でもなく、ミルカのお相手のエミリオ様でもなく、ダヴィデ様なのか。……なんてわざわざ口にするつもりはなかった。
すぐに気づいた。ダヴィデ様がミルカにどんな感情を抱いているなんて。
ミルカはダヴィデ様に見えない角度から私へ優越感たっぷりの視線を送ってきている。が、無視無視。そんなことよりも、私はエミリオ様へのフォローをしなければ。
――エミリオ様って、生真面目で優しい人なのね。歳不相応なくらい。四男だからかしら。なんというか……苦労人のにおいがぷんぷんしている。
この短時間だけでも、それが十分窺えた。確かにダヴィデ様はエミリオ様からしてみれば、上司であり、公爵家の格上の存在だ。でも、なぜダヴィデ様のフォローをエミリオ様がするのか。私がミルカのフォローをするのはまだわかる。言いたくないけど、家族だからね。でも、エミリオ様とダヴィデ様は違う。むしろ、ダヴィデ様に文句は言えないとしても、ミルカの姉である私に苦言の一つや二つ言ってもいいと思う。
「エミリオ様、せっかくですからお仕事の話を聞かせてはくださいませんか?」
「仕事の?」
「はい。見合いの場でする話ではないかもしれませんが……すでにこの状況ですし」
ちらり、と仲睦まじい二人に視線を向ける。つられてエミリオ様も視線を向けた。
「ね。こんな機会でもなければ聞けませんし。ぜひ、貴重なお話を聞かせてくださいな。あ、もちろん言える範囲でかまいませんよ。……もし、話したくないのであれば無理にとは言いませんが」
「いや、私はこの通り団長と違い面白味のない人間なので、トークテーマを決めていただけるのは助かります」
こうして、私たちの顔合わせ初日は当主たちが思い描いたのとは違う形で、けれどいい雰囲気で終わったのだった。
◇
交流二回目。またもや四人で集まることとなった。ちなみに、狩り兼ピクニックだ。
私と妹は妹の体調に合わせてピクニックを。男二人は近くの森へ狩りへ。前回、妹とダヴィデ様の間でなぜかそういう話になったらしい。両親はまともに外に出たことがない妹の心配をしたが、そこはダヴィデ様がうまく説き伏せた。妹は大喜び。
そして、今日も妹はダヴィデ様の腕の中。移動中ずっとだ。エミリオ様はなにか言いたそうな顔で黙っていた。
「ここで、大人しく待っていてね」
「はい。ダヴィデ様。お気をつけて」
「ああ。行ってくるよ」
ダヴィデ様はミルカの額に口づけを落とした。
「なっ!」
声を上げたのはエミリオ様だ。ダヴィデ様に抗議しようとしているのだろうが、その前に私がエミリオ様に声をかけた。
「エミリオ様、お気をつけて」
エミリオ様はなぜか痛ましいものを見るような目で私を見つめた。
「はい。行ってきます」
そんな瞳で私を見る必要はないのに。
「エミリオ様、はやく行かないとおいて行かれてますよ」
とダヴィデ様の背中を示す。
「あ、ああ」
なかなか行こうとしないエミリオ様の背を押して急かすとようやく行った。
「ふぅ」
「お姉様」
「! どうしたのミルカ?」
ミルカの前でエミリオ様を構い過ぎたか、とヒヤリとしたがミルカの表情を見てそうではないようだと察する。
「ごめんなさい」
「……それはなんについての謝罪?」
「お姉様のお相手であるダヴィデ様を私がとるような形になっていることへ、のです。だって、さっきのお姉様……あれは当てつけでしょう?」
小首をかしげるミルカ。「違う」と言いたいところだが、否定したところでミルカは私の言い分を信じやしないだろう。いつだって、自分に都合のいい受け取り方しかしないんだから。
「そんなことよりも、体調は大丈夫なの?」
用意周到なダヴィデ様のおかげで、ただのピクニックにはあるまじき立派な天幕が張られている。おかげで日差しはよけられているが、ミルカにとっては些細な違いだろう。顔色が悪い。
「寝ていてもいいわよ」
簡易ベッドを指させば、ミルカは悔しげな表情を浮かべ頷いた。
「ダヴィデ様が帰ってきたら教えてね。絶対よ」
「わかってるわ」
さっきは「ダヴィデ様をとってごめんなさい(意訳)」なんていっておきながらこの発言。まあ、深くは考えていないのだろうが。
ミルカの移動を手伝い、寝かしつけ、私は彼らの帰りが見える場所へと移動した。
「ミルカは?」
(帰ってきて早々ミルカですか、ダヴィデ様)
思わずしたり顔で見つめてしまう。
「寝ていますわ」
「そうか。やはり、彼女にはきつかったか」
「そのようですわね」
肩を竦める。
帰ってきたダヴィデ様の第一声はミルカのこと。それに対して普通に返している私。そして、そんな私たちを見てなんとも言えない表情を浮かべているエミリオ様。
エミリオ様に視線を向けていた私にダヴィデ様が言った。
「ミルカの様子を見に行っても?」
「どうぞご自由に」
ミルカからはダヴィデ様が帰ってきたら起こすように言われていたが、まあいいだろう。順番が逆になっただけだ。ダヴィデ様が天幕の中に入って行くと、エミリオ様が近づいてきた。
「イラリア嬢」
「エミリオ様。どうかされましたか?」
「君は、いいのか?」
なにを指しているかはエミリオ様の視線の先を見ればわかる。
「かまいません」
ぐっとエミリオ様の眉間の間が寄った。
「君が妹思いなのはわかる。だが、さすがに物分かりが良すぎなのでは……」
苦言を呈するような口調だが、その根底にあるものは優しさ。
「エミリオ様は私のことを心配してくださっているのですね。ですが、大丈夫です。そもそも、まだ婚約を結んだわけではありませんから」
「それはそうだが……あの態度はさすがに」
「エミリオ様。ここだけのお話ですが……ダヴィデ様は私の好みでは全くありませんの」
「そう、なのか?」
信じられないという表情。まあ、気持ちはわからないでもない。ダヴィデ様は金髪に赤い瞳の顔が整った、王子然とした男性だ。しかも、公爵家の嫡男で、第三騎士団団長。女性人気も高いという。けれど、それならばなぜ彼にいまだに婚約者がいないのか。その本当の理由を知っている者はいったいこの国にどれだけいるのか。――少なくともエミリオ様は気づいていないようね。
「エミリオ様とダヴィデ様なら私は断然エミリオ様ですわね」
「なっ! き、聞かなかったことにする」
「ふふっ」
顔を赤くしながらも眉根を寄せ、そっぽを向く姿は私にとっては好印象だ。
今の私ってエミリオ様の目にはどう映っているのかしら。彼らと同類と見られたのか。それとも、ミルカのようにただの当てつけだと思われたのか。できれば嫌われたくはないものだ。私は本気でエミリオ様を気に入っているから。
(あちらはあちらで上手くやっているかしら)
ちらりと、天幕に視線を向ければ、ちょうどのタイミングでミルカの叫び声が聞こえた。
「失礼する!」
エミリオ様がさすがの反射神経で天幕の中へと入って行く。私はその後に続いた。天幕の中にいたミルカは寝る前よりも青ざめている。けれど、それ以外は特に変わった様子はない。
「ミルカ。いったいなにがあったの?」
「お、お姉様」
二の句が継げないミルカに代わってダヴィデ様が口を開く。
「すまない。私が着替えをせずにそのまま入ったせいで驚かせたようだ」
両手を上げ、困ったようにほほ笑むダヴィデ様。その服には獣の血が滲んでいる。エミリオ様は「ああ」と納得したようだった。深窓の令嬢には耐え切れなかったのだろう、と。
「イラリア嬢は……大丈夫のようだな」
「ええ。私は時折お父様に付き添っておりますから」
父の子どもは私たちだけ。父の趣味に付き合えるのは私くらいだ。
「さて、私は着替えてこよう。これ以上ここにいてもミルカを怯えさせるだけのようだからね」
「ええ。そうなさってくださいな」
ダヴィデ様を追い出すように、出口を示す。エミリオ様もすぐに出て行った。天幕の中に残されたのはミルカと私だけ。でも、私にはすることはなにもない。私も出よう、とした瞬間「お姉様いかないで! おねがい」と声をかけられた。
無視してもいいが、そうなればミルカは泣き出すだろう。後処理が面倒になる。仕方なくミルカが落ち着くまで私は側にいることにした。
◇
あれから、何度か逢瀬を重ね(四人で会うのを逢瀬といっていいものかわからないが)、結果として二組の婚約がまとまった。
ダヴィデ様とミルカ。そして、エミリオ様と私の。
私の意見を父から聞かれた覚えはないが、ミルカの表情を見るに、ミルカには話がいっていたのだろう。ミルカの希望が我が家の総意。ですものね。
いまさら文句を言ったりはしない。でも、ミルカはそう思わなかったらしい。
「お姉様。こんな結果になってしまって……本当にごめんなさい」
なんて言うくらいだから。謝るのならせめてダヴィデ様の腕から降りてからにすればいいものを。こんな時ですらダヴィデ様はミルカを抱きかかえている。おかげでエミリオ様の表情が険しい。
あ、エミリオ様と目があった。私はわずかに首を横に振る。当主たちの間ではすでに決定事項なのだ。この婚約が覆ることはない。というより、覆っては困る。
「ダヴィデ様、ミルカをどうぞよろしくお願いいたします」
ミルカには返事をせず、ダヴィデ様に伝える。それに対して、ダヴィデ様はもちろんと力強く頷き返した。
「まあ、心強い。これからはミルカの側にはダヴィデ様がいてくださるのだから、私がいなくても大丈夫ですわね」
「ああ。ミルカのことは私に任せてほしい。私の生涯をかけてミルカを大切にすると誓うよ」
ダヴィデの誓いの言葉にミルカは頬を染める。
「あ、あの質問をいいですか?」
手を挙げたのはエミリオ様。その質問先は当主方だ。
「なにかね?」
代表をしてファルコ公爵が口を開いた。
「婚約相手が当初と替わるとなると、困ることがあるのでは? その、たとえば私の婿入りの話だとか」
「エミリオ!」
イデム伯爵が咎めるように名を呼ぶが、かまわないとファルコ公爵は発言を認めた。
「エミリオ君が不安になるのも当然のことだろう。謝罪の意味をこめて、君には公爵家が抱えている領地と爵位の一つを譲ることとした。爵位は男爵とはなってしまうが……すまないね」
「いや、それについてはかまいませんが……」
エミリオ様にとっては初耳だったのだろう。戸惑った様子でイデム伯爵に視線を向けている。が、イデム伯爵は気まずげに顔を背けた。ファルコ公爵が話を続ける。
「領地には特産品もある。うまくいけば爵位を上げることも可能だろう。大事な領地だが、君とイラリア嬢なら任せても大丈夫だろうと判断したんだ。よろしく頼むよ」
「任せてくださいな」
そう言ってほほ笑んだ私を見てさらに目を丸くするエミリオ様。
「ちなみにだが、ダヴィデがカルーゾ伯爵家に婿入りをするにともない、わが公爵家の後継者を次男へ変更することとなった。今後もなにかと縁が続くと思うから、よろしく頼むよ」
皆がこちらこそと返す。
話の区切りが一旦ついた、と思ったその時、ミルカが声を上げた。
「あの、お話の途中で、申し訳ないのですが」
「ああ。そろそろ限界だろうね。後は私たちだけで話をまとめるから、君たちはもう行っていいよ」
ファルコ公爵に言われ、私たちは部屋を出た。ミルカはダヴィデ様に抱きかかえられたまま。ミルカの部屋へと向かう二人には背を向け、エミリオ様を連れて歩き出す。
しばらくして人気がなくなったところで足を止めた。とたんに、エミリオ様が頭を下げる。
「申し訳ない!」
「それは……なんの謝罪でしょうか」
本当にわからない。謝られる理由なんてないはずだ。けれど、エミリオ様の表情は深刻そのもの。
「ダヴィデ様のこともそうだが、私なんかと結婚することになるなんて」
「え? そのことを気にしていたんですか? というか、以前も言いましたよね。私のタイプはエミリオ様の方だと」
「あ、あれは冗談では」
「私は本気でしたよ」
「そ、そうだとしても、あなたが公爵夫人から男爵夫人と地位を落とすことになったのは事実」
「それについても問題はありませんわ。仕事をするのは好きですが、その地位には興味がありませんでしたから。それにファルコ公爵も言っていたでしょう。陞爵できる可能性があると」
「それは……」
前向きな私を見て、どうやら困惑している様子。
「それよりも、今大事なのはエミリオ様あなたの気持ちですよ」
「え?」
「私はこの婚約に満足しております。ですが、エミリオ様の気持ちはまだ聞いていません。エミリオ様がどーしても、嫌だというのなら私は諦めて……そうですね。修道女にでもなりましょうか」
「は?! そんなことせずとも、あなたなら次の婚約者だってすぐに」
「むりです。というか、エミリオ様以上の好物件があるとは思えません。よくて年の離れた方の後妻か。私と同じくらいの年齢で独身男性の方なんて、ろくな人間じゃない可能性がありますし」
「そ、それは……」
「で、エミリオ様はどうお考えで? 私と結婚するのはそんなに嫌なのですか?」
「嫌じゃない! むしろ、おこがましいと思ったくらいで」
「少々買いかぶりすぎな気がしますが。とにかく、結婚を前向きに考えてくれるようで安心しました。これからは長い付き合いになるんですから、よろしくお願いしますね? エミリオ様。いえ、ミルカを倣って早速エミリオと呼び捨てさせてもらおうかしら」
「っ。お、俺のほうこそよろしく頼む。イ、イラリア」
「ええ」
顔を真っ赤にするエミリオ様の腕に、己の腕を絡ませた。
――うまくいってよかったわ。このままいけば、私の願いも、彼の願いも無事叶えることができそうだ。
彼――ダヴィデ様に取引を持ち掛けた時のことを思い出す。
『あなたの本性をミルカに黙っていてほしいなら、私に協力してくださる?』
『ばらされたところで……ではあるけど、できればミルカには嫌われたくはないからね。利害の一致ということで協力関係を結ぼうじゃないか』
それで十分だと私は頷き返した。
昔からミルカのわがままに付き合い、人の顔色ばかりうかがってきた私は人の気持ちを察するのが得意だった。だから気づけたのだろう。彼の本性に。
王子様然とした面の下にあるのは、異常な執着愛。いや、愛と呼べるのかも怪しい歪んだ感情。
彼から聞いた話によると、物心ついた時からそうだったらしい。
『昔から可愛い(可哀相)生き物が好きだったんだよね。ただ、その可愛がり方が普通とは違うらしくて……今まで私が飼った生き物は例外なく全て早死にした』
公爵もダヴィデ様の扱いには困ったことだろう。
今までは動物で済んでいたが、もし対象が人間になったら? それが妻となるモノなら?
愛人ならまだいい。処分すればいいのだから。けれど、公爵夫人となるとそうもいかない。そうして悩んでいる間にダヴィデ様は結婚適齢期を迎えてしまった。
しかし、ダヴィデ様は自分で相手を見つけた。
今回の見合いは、公爵にとって優秀な彼を皆が納得する形で追い出すいいきっかけとなったのだろう。婚約がまとまるのがはやかったことからも、それがわかる。
皆がハッピーになれる婚約。ただ一人、納得していないエミリオ様がいたが。それも、さっき言質をとったから大丈夫だろう。
これで私は自由。長年夢見てきた私の願い。
ずっと、ずっと私は自由になりたかった。病弱な妹の姉として一生を終えるなんて絶対に嫌だった。やっと、やっとだ。
「エミリオ様。幸せになりましょうね」
「ああ。す、すでに俺は幸せだがな」
ぶっきらぼうで、でも可愛らしい私の婚約者様の発言に、私はたまらず破顔した。
◇
妹から連絡がきたのは、式をあげてから一年たった頃。
それまで連絡が途絶えていたのに。と思いつつも、やっぱりか。とも思う。
何度もくる連絡に困り、私はとうとう重い腰を上げた。
久しぶりのカルーゾ伯爵家。屋敷の中の雰囲気に首をかしげる。昔はいつもどこからか明るい笑い声が聞こえてくる、そんな屋敷だった。どうして……とは思わない。
事前に、ダヴィデ様から聞いていたから。
ダヴィデ様はミルカと結婚後、すぐに両親を遠く離れた場所にある別邸へと押し込めた。使用人もつけて。残ったのは最低人数の使用人とダヴィデ様とミルカのみ。ダヴィデ様曰く、病弱なミルカと自分のことは自分でできるダヴィデ様にそんなに多くの人数を割く必要はない、と。観光地に建てた新邸で老後を満喫してほしい、とかなんとか耳心地のいい言葉で両親を説き伏せたらしい。ミルカを独り占めしたいがために。
「お、姉さま」
「ミルカ」
久しぶりに会う妹はベッドの住人となっていた。たしかにミルカは昔から病弱だったが、私が家を出る前のミルカはここまでではなかった。昔はよく寝込んでいたけれど、成長とともに少しずつ行動できる時間も増えていたはずなのだ。
「お姉さま」
「なにかしら?」
「お姉さま、おねがいがあるの」
ぽろぽろと涙を流すミルカ。けれど、私の心には響かない。むしろ、私は妹のこの目が、昔から大嫌いだった。病弱なのはミルカのせいではない。多少のわがままも仕方ないだろう。けれど、それが度重なればミルカへの負の感情は増えていく。しかも、私の反応を見たミルカが喜びの表情を浮かべていればなおさら。
私が欲しいと言った玩具も。宝石も。専属メイドも。両親からの愛さえも。全て、最終的にはミルカのものになった。
そんな環境を当たり前だと思っている両親も、使用人たちも全員嫌いだった。
だから、ダヴィデ様とエミリオ様との見合いはまさに天の思し召し、運命の出会いだと思ったのだ。
これを逃したらきっと私は一生このまま。それだけは絶対に嫌。たとえ、ミルカがこうなるであろう、と予想できていたとしても。
ミルカは思いもしなかったのだろう。まさかこんなことになるなんて。ミルカだけじゃない。誰も気づかなかった。いや、今も気づいていないのかもしれない。
ダヴィデ様のミルカのために尽くそうという気持ちは本物だから。
病弱なミルカのために、都度抱き上げ移動する。食事をする時も、お風呂に入る時も、お手洗いの時でさえ、献身的な介助を。寝たきりの人間のお世話は専門職の人間でも大変なのだ。だからこそ、周りの人々は疑わないだろう。――ダヴィデ様が最初からミルカがこうなるとわかっていて行動していたなんて。
『私が騎士になった理由はね。加減を覚えるためなんだ。だって、人間を死なせるわけにはいかないだろう?』
そう言って笑ったダヴィデ様は、素を知っている私の目から見ても異様に映った。
ミルカの懇願する視線に対し、私は困ったような表情を浮かべる。
「ミルカ。その願いは聞けないわ。言ったでしょう? ミルカのお願いを聞くのはもう私の役目ではないの。それをするのはあなたの愛する夫よ。大丈夫。彼ならあなたの願いを聞いてくれるわ。以前、誓ってくれたもの。ねえ?」
「ああ、私は約束を守る男だからね。だから、私に言ってごらん?」
ダヴィデ様はそう言ってミルカの頭を撫でた。途端に、妹はガタガタと震えだす。
「ちが、ちがうの。私、こんなの望んでないの」
「こんなのって? ミルカの願いはどんなものなの?」
「わ、私は、ただ、お姉さまよりも誰よりも愛されるお姫様になりたかっただけで」
「あら。それならもうなっているじゃない。もしかして、愛され過ぎて怖いというやつかしら」
王子様のような夫からお姫様のように大切にされ、伯爵家で働く者たちからも愛され、大事にされているミルカ。ベッドに横たわって涙を流すその姿さえも、おとぎ話に出てくるお姫様のようだ。と、今のミルカを見たら大半の人は思ってくれるんじゃないだろうか。
「ちが、ちがうちがうちがうちがう」
泣きながら同じ言葉を繰り返すミルカ。そんなミルカを宥めるように、ダヴィデ様はそっと話しかけた。
「ああ。そんなに興奮してはダメだよ。落ち着いてミルカ。イラリア、エミリオ。せっかくきてもらって悪いんだけど」
「ええ。私たちはここらへんでお暇するわ」
「ああ」
「ま、まってお姉様」
妹の制止を無視して部屋を出る。扉の向こうから聞こえてくるのはダヴィデの甘ったるい声と、ミルカのすすり泣く声。
帰りの馬車で、私はずっと硬い表情を浮かべているエミリオ様に話しかけた。
「ダヴィデ様のこと、驚いた?」
「いや……正直、今までダヴィデ様に対して覚えていた違和感の正体がようやく見えてきて、納得したところもあるというか」
「じゃあ、気にかかっているのは別のことなの? もしかして、ミルカのことかしら」
「ああ。アレは……放置していていいのか? その、あのままだといろいろと危うい気が」
「心配になるのも無理はないと思うけど……大丈夫だと思うわ。ダヴィデ様が妹に無体をすることはないと思うから」
「ああ。その心配はしていないんだが……」
どうやら、明確な答えはまだ見つけきれていなかった模様。でも、教えない。エミリオ様は知らなくてもいいことだから。
「ねえ。そういえば、今度登録する予定の特産品のことなんだけれど」
「ああ。それについてなら昨日のうちにまとめておいたよ。帰ったら確認してくれるか?」
「もちろんよ! というか、もう提出書を書き上げたの?! さすがね」
「いや、そんな、俺は別に」
「俺なんか、という言葉はダメって言ったわよね」
「……すまない」
「すまないもダーメ。罰はなんだったけ?」
「ゔ。め、目を閉じてくれ」
大人しく従って目を閉じる。しばらくして、唇に柔らかい感触が触れた。一瞬だけだったが。
「ふふ。もうそろそろ慣れてくださいな」
「すま、いや、しょ、精進する」
「ならいっぱい練習しないといけませんね」
「っ」
これ以上喋らないのが得策だと気づいたのか、エミリオ様は口を閉じてしまった。正直、残念ではあるが、今はこれでいい。私たちは私たちのペースでいけばいいのだ。
まあ、そのうちダヴィデ様からせっつかれそうだが。
『子どもを早く作れ』と。
ダヴィデ様の計画では、私たちの子を伯爵家の跡継ぎにするんだとか。さすがに一人目を養子にするわけにはいかないので、今からとりかかってくれと言われそうだ。
まあ、領地経営にも慣れて来たし、そろそろ……とは私も思ってはいるのだけどね。
私は、目の前で緊張しているエミリオ様を見つめながら、今夜の作戦を頭の中で立てることにした。