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出会いの記憶 (3)

 婚約が解消された後も、エヴラールとすぐに関係が切れたわけではなかった。彼は相変わらず、魔術の講義が終わった頃に迎えに来る。


 ただしその後のお茶の時間は、以前と違って二人ではなく三人だった。コレットもそこに加わったからだ。エヴラールは如才なく、二人の少女に均等に話題を振った。


 コレットは賑やかでおしゃべりな少女で、ともすると話題を独り占めしがちだった。しかしそんなときでも、彼はフェリシエンヌへの気遣いを忘れない。うまく合間を縫って、必ずフェリシエンヌも会話に加われるよう声をかけた。


 だが、やがて彼女は謎の咳が続くようになり、王宮での療養生活が始まる。魔術の講義に出ることもなくなった。そうなってもエヴラールは、欠かさず週に二、三回はフェリシエンヌの見舞いに訪れたものだ。


 しかしそれも、エヴラール王子とコレットの婚約が発表されるまでのこと。


 誠実なエヴラールは、新しい婚約者に対しても誠実だった。その日を境に、ふっつりと見舞いは途絶えた。彼が彼女のもとを訪れるのは、用事のあるときだけ。寂しかったが、仕方がない。


 一方で、マリウスは足繁く彼女のもとに通い続けた。最後までずっと。最後の半年ほど、両親を除けば、たびたび彼女に会いにくるのはマリウスだけだった。


 そうして彼は、挨拶代わりに求婚する。


「ねえ、そろそろ婚約する気にならない?」

「お気持ちは大変うれしく思いますが……。またの機会によろしくお願いします」

「だんだん断り方が雑になってきたね⁉」


 求婚に応えることはなかったけれども、退屈な療養生活の中、マリウスの訪れがほとんど唯一の楽しみになっていた。彼と一緒にいるときには、たくさん笑っていられた。


 少しずつ病状が悪化して、あまり食事が進まなくなってからも、マリウスと一緒に食べる軽食はおいしかった。体力の落ちている彼女に合わせて、柔らかく消化のよいものや、体の温まるものを彼が選んで持ち込んでくれていたのもあっただろう。だが、それだけではない。ただ彼と一緒にいるというだけで、おいしく感じられたものだ。


 遠くない終わりを予感させる、つらく寂しい日々に彩りを添えてくれたのは、マリウスだった。最期のときにそばにいてくれたのも、彼だった。


 おかげでフェリシエンヌは今回のエヴラールとの婚約解消のときにも、取り乱すことがなかったのだ。彼女の中では、とっくに終わっていたことだから。別に、エヴラールのことが嫌いになったわけではない。


 でも今の彼女の中では、エヴラールよりもマリウスのほうがずっと大きな存在となっていた。



 * * *



 そんな「前回」のことを思い返していたせいで、フェリシエンヌはフォンテーヌ公爵パトリスの言葉を聞き落としていた。名前を呼ばれた瞬間、ハッと目の前の会話に引き戻された。


「────フェリシエンヌ嬢、どうかね?」


 ピンチである。肝心の質問内容がわからない。きれいにすっぽりと聞き落としている。うかつに答えることもできず、彼女は冷や汗の出る思いがした。まったく失礼なことだが、ここは正直に「うわの空でした」と白状して聞き返すべきか。


 観念して謝罪を口にしようとしたとき、マリウスが口を挟んだ。


「父上、無茶を言うからフェリが困ってますよ」

「どこが無茶なんだ」

「いくら何でも迎えに来るのが朝の八時だなんて、早すぎますって」


 迎え? フェリシエンヌは目をまたたかせた。パトリスは「そんなに早いか?」と首をひねっている。マリウスは父に呆れた目を向けてから、彼女に向き直った。


「明日、フェリを迎えに来るのは九時でどうかな?」


 何だかとても既視感のあるやり取りだ。フェリシエンヌは思わず「ふふっ」と吹き出してしまった。笑いながら、返事をする。


「我が家の朝食は、いつもは八時からなのです。ですから、できれば九時にしてくださるとありがたく思います」


 マリウスは「ほら」と得意顔をパトリスに向ける。そうして横目でフェリシエンヌを見て、パチリとウインクしてみせた。その意味がわかると、彼女の胸の内がぽかぽかと温かくなった。


(マリウスさまは、助け船を出してくださったのね)


 マリウスには、そういうところがある。歳の近いエヴラールと同じくらいに気安い顔を見せたかと思うと、こんなふうにさりげなく彼女を窮地から救ってくれる安心感があった。


「閣下は何時に朝食を召し上がってらっしゃるのですか?」

「わたしは六時半だね」

「ずいぶんとお早くていらっしゃいますのね」


 フェリシエンヌが目を丸くすると、パトリスは「若い頃からの習慣だねえ」と笑った。


「軍の宿舎では、朝は六時半に食堂が開くんだよ。早く行かないとうまいものから品切れになるから、早く起きて食事する習慣がついてしまった」


 一般兵用の食堂では、朝食はビュッフェスタイルなのだそうだ。食欲旺盛な若い兵士たちのこと、肉料理や卵料理は大盛りにするので早くなくなりがちである。のこのこと遅い時間に顔を出すと、パンと牛乳くらいにしかありつけないこともある、というわけなのだった。


 なるほど、とフェリシエンヌは思った。ならば、郷に入っては郷に従うべきだろう。


「行儀見習いに伺ったら、わたくしも早起きをしなくてはなりませんね」


 決死の覚悟での意思表明だったのに、マリウスは「そんな必要ないよ」と笑った。


「僕だって父には付き合ってないんだ。フェリはフェリの時間で食べればいいよ」

「マリウスさまは、何時に召し上がってらっしゃるの?」

「僕はだいたい七時半くらいだね」


 マリウスの朝食時間がデュシュエ伯爵家の習慣と近いことに、彼女はホッとした。マリウスになら、さほどの苦もなく合わせられそうだ。


 その後、話題は無難な世間話に終始して、デュシュエ伯爵家とフォンテーヌ公爵家の顔合わせは無事に終了したのだった。

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