出会いの記憶 (2)
十五歳当時、フェリシエンヌはまだ王族に目通りした経験がなかった。
一般的には十五歳と言えば、まだ社交界にお披露目する前である。社交界へのお披露目というものは、だいたい十六歳から十八歳の間におこなわれるからだ。例にもれず、彼女も十六歳になったらお披露目する予定でいた。
しかし光魔法を発現したとあらば、話が変わる。社交界へのお披露目とはまた別に、個人的に目通りすることになったのだった。
両親に付き添われ、フェリシエンヌは初めて王宮の本棟に足を踏み入れた。それまでも魔術師団のある西棟なら何度か訪れていたが、本棟は初めてである。同じ王宮内とはいえ、西棟とはだいぶ雰囲気が違った。本棟の回廊は、人通りが少なく閑静だ。
初めて目通りした王族は、フェリシエンヌの想像よりずっと気さくだった。
「よく来てくれたね。こちらが光魔法を発現したというお嬢さんかね?」
「はい、さようにございます」
国王の問いかけに父ジャン=クロードがうなずくと、国王はフェリシエンヌに向かってにこやかに自身と王妃を紹介した後、「こちらが息子のエヴラールだよ」と隣に座っている王子を振り向いて手で指し示す。
エヴラール王子は人好きのする笑みを浮かべ、愛想よく彼女に挨拶した。
「どうぞよろしく」
「お目もじがかないまして光栄に存じます」
フェリシエンヌが礼儀正しく挨拶するのを、国王夫妻はにこにこと見守る。そしておもむろに、デュシュエ伯爵ジャン=クロードに問いかけた。
「これなら婚約も問題なさそうだな。デュシュエ、どうかな?」
「ありがたくお受けいたします」
両親が神妙に頭を下げるのを見て、フェリシエンヌは目をむいた。
(婚約……? 誰と誰の?)
わけがわからないながらも、両親にならって頭を下げる。しかしどう考えても、この場にいる未婚者はエヴラール王子とフェリシエンヌだけだ。もしや、彼女が王子さまと婚約するという話なのだろうか。いや、まさか。
混乱する彼女を見て、国王は声を上げて笑った。
「おやおや。デュシュエ、話してなかったのか」
「確定したお話ではございませんでしたゆえ」
生真面目に返したジャン=クロードに、国王は眉を上げてみせる。それからフェリシエンヌに向き直り、じっと彼女の目を見て口を開いた。
「今日はあなたとエヴラールの婚約の話をするために来てもらったんだよ」
「はい」
「仲よくしてくれるとうれしい。が、もしどうしても好きになれないときは、こっそり教えてくれないかな」
国王はにこにこと、内緒話をするときのように片手を耳に当ててみせた。
態度は気さくだが、言葉が不穏である。フェリシエンヌはあまりのことに、目を見開いて固まってしまった。もしやこれは、ブラックジョークのたぐいなのだろうか。何と反応したらよいのか、見当もつかない。何も言葉にできず、ただふるふると首を横に振った。
だって、エヴラールのひととなりを判断しようにも、まだ挨拶しか交わしていない。
でもたったそれだけなのに、この王子さまはとても感じがよかった。そんな人を好きになれないなんてことがあるだろうか。よしんば万にひとつにもありえたとして、それを国王に告げ口することがどうしてできよう。
困惑するフェリシエンヌに、エヴラールは含みのない笑顔を向けた。
「嫌われないよう、最善を尽くします」
「うむ。その心がけやよし」
国王は満足そうに息子の背中を叩いた。何だかよくわからないが、これも一種のロイヤルジョークらしい。フェリシエンヌはおずおずと微笑みを浮かべた。
しかし彼女が驚いたことに、婚約の話自体は冗談ではなかった。
この日から、魔術を習いにフェリシエンヌが王宮へいくと、終わる時間に必ずエヴラールが迎えに来るようになった。そして屋敷に帰る前に、エヴラールと二人でお茶の時間を過ごす。
「今日は何を習ったの?」
「魔法の詠唱についてです」
「へえ。具体的にはどんなこと?」
「それはですね、────」
エヴラールは相づちを打ちながら、フェリシエンヌの受けた講義内容ににこにこと耳を傾けた。話し終われば、今度は彼女から質問だ。
「エヴラールさまは、今日は何をしてお過ごしになったんですか?」
「ええっと、朝は剣の鍛錬をしてから歴史と地理の勉強をしたよ。昼食後は、騎士団の訓練所を訪問してから、明後日のスピーチ用の原稿を書いてた。まだ書き上がってないんだけど、時間になったからフェリに会いに来ちゃった」
エヴラールはいたずらっぽく笑う。だがフェリシエンヌは目を丸くした。彼のスケジュールは、想像よりはるかに過密だった。
「そんなにお忙しいのに、わざわざ来てくださったんですか」
「もちろん。婚約者との交流は、義務だからね」
どこかわざとらしくキリッとした顔でエヴラールは答える。だから彼女のほうも、ついいたずら心がわいてしまった。気の毒そうな表情を作って、王子に同情の言葉をかける。
「でもそんなにお忙しいなら、どうぞお仕事やお勉強を優先なさってください。お体はひとつしかないんですから、決してご無理はなさらないで」
これにエヴラールは、情けない顔をして「うわ、やめてよう」と頭を抱えた。
「お願い、僕から癒やしの時間を取り上げないで」
「癒やしなんですか?」
「そうだよ。なのに週にたった二回だなんて少なすぎる。毎日フェリが王宮に来てくれたらいいのに」
「お仕事やお勉強をサボれるから?」
「それもある。そこは否定できない」
フェリシエンヌが笑い声を上げると、エヴラールも笑いながら少しだけ真顔になって、じっと彼女を見つめた。
「でも一番の理由は、もっとフェリに会いたいからだよ」
ストレートな言葉に、彼女の頬が赤く染まった。エヴラールはいつだって、こんなふうだった。彼女への好意を隠さない。真摯で誠実な婚約者だった。彼女のほうも、エヴラールと話すのはいつだって楽しかった。
思えば、これがフェリシエンヌの初恋だったのだ。穏やかで温かな初恋だった。二人は少しずつ関係を育んでいった。もうひとりの光魔法使いが現れ、婚約が解消されるまでは。