二度目の求婚
王家とデュシュエ伯爵家の面談は、あっさり終わった。
デュシュエ伯爵家の側からは、異議を唱えることがなければ、理由を問いただそうとすることもなかったからだ。実際の胸の内はどうであれ、表面的には粛然と婚約解消を受け入れた。
だがやはり、母にとっては受け入れがたい話だったようだ。「青の間」を辞したとたん、血の気の引いた顔で声を震わせ、娘に問いかけた。
「フェリ、どういうことなの? いったい何があったの?」
「サビーヌ」
父はため息をつきながら妻をたしなめようとするが、サビーヌはとまらない。
「まともな理由も説明なしに婚約解消だなんて。こんな話が知れ渡ったら、社交界でどんな目で見られることか」
「サビーヌ、やめないか」
父の声には苛立ちが込められていたが、サビーヌはまだ続けた。
「本当の理由は何なのかって、きっと詮索されるに決まっているわ。そんなこと、わたくしが知りたいわよ。ああ、どうしましょう。本当にもう、どうしたらいいの」
「サビーヌ! いい加減にしなさい」
父は大きな声ではないものの、低くうなるようにして妻を叱責した。これにはさすがのサビーヌも、ハッとした顔で気まずそうに口を閉じた。
フェリシエンヌは父の隣を歩きながら、静かに母に向かって頭を下げた。
「解消の理由は存じ上げません。不肖の娘で申し訳ありませんでした」
すっかり悲劇的な考えに囚われてしまっていたらしい母は、娘のこの言葉に我に返ったようだ。「あなたが不肖の娘なわけがないでしょう」と、絞り出すような声で言った。けれども娘と目を合わせることはなく、沈んだ表情でじっと手を見つめている。
デュシュエ伯爵は再びため息をもらし、先ほどとは一転して穏やかな声で娘に語りかけた。
「フェリ、婚約解消のことは気にしなくてよい」
父の言葉を意外に思い、フェリシエンヌは父へと振り向いて目をまたたかせた。娘の表情に、デュシュエ伯爵はほろ苦い笑みを浮かべる。
「さきほどエヴラール王子殿下もおっしゃっただろう。お前には何も非がないんだよ」
「はい」
エヴラールは彼女の「自分が至らないから」という言葉を否定しただけであり、非がないと明言したわけではない。しかし娘の気持ちを軽くしようとする父の気遣いはうれしかった。だからフェリシエンヌは素直にうなずいた。
父とこんなやり取りをした記憶は、彼女にはない。
前回の婚約解消時には、母に向かって言い訳しようとして、口論のようになってしまっていたからだ。呆れたデュシュエ伯爵にとめられるまでサビーヌは涙ぐみながら娘を問い詰め、娘は必死に弁解を続けた。そしてとめられた後は、気まずい沈黙が続いたものだ。
そんなことを思い返していると、フェリシエンヌは背後から名を呼ばれた。
「フェリ」
振り向けば、後ろから足早に追いかけてくるのはマリウスだった。
「マリウスさま、ごきげんよう」
フェリシエンヌが挨拶する横で、両親も足をとめてマリウスに向かってお辞儀をした。
マリウスは王弟であるフォンテーヌ公爵の長男であり、王宮魔術師でもある。そのマリウスに親しげに声をかけられたことで、母はあわてて表情を取りつくろった。顔色は戻っていないものの、よそ行きの微笑みを貼り付けていた。
マリウスはデュシュエ伯爵に向かって尋ねた。
「フェリシエンヌ嬢を少しだけお借りしたい。かまいませんか」
「もちろんです。では我々は、あちらの庭園を散策してまいりましょう。終わりましたらお声かけください」
「ありがとう」
父は母の手をとり、テラスにつながる扉を抜けて、中庭へ出て行った。この季節、外はまだ肌寒い。しかし開いた扉の隙間からは、黄色いスイセンが咲き乱れているのが見えた。
彼女はマリウスがこれから何と言おうとしているのか知っている。そして彼女の答えも、もう決まっていた。
マリウスはフェリシエンヌと二人きりになると、少しの間、視線をさまよわせた。彼女は黙って彼の言葉を待つ。マリウスはややうつむいて、上目がちに彼女のほうを探るように見ながら、ゆっくりと口を開いた。
「エヴラールとの婚約が解消されたと聞いたんだ」
「はい」
彼女が落ち着いた声で肯定すると、マリウスは顔を上げて不思議そうに目をパチクリさせた。彼女の冷静さが、意外だったのかもしれない。婚約解消という人生の一大事にも、少しも動じていない。二度目だからだ。だがもちろん、マリウスにそんなことがわかるはずもない。
次の瞬間には我に返り、彼は一番大事な要件を単刀直入に告げた。
「すぐにこんなことを言われても困るだろうけど、僕との婚約を考えてみてくれないかな」
「はい」
にっこりと彼女が答える間も、マリウスは早口に「もちろん答えは、ゆっくり考えてからでかまわない────」と続けていたが、不意に言葉を途切らせてきょとんとした。
「え」
「え?」
小首をかしげる彼女の両肩に手をかけ、マリウスは彼女の目をじっとのぞき込んで尋ね返す。
「本当に?」
「はい」
彼のあまりの喜びように、彼女はくすっと笑う。最初からこうすればよかった。本当に「前回」の彼女は愚かだった。
「前回」マリウスに同じ言葉で求婚されたとき、彼女は断ってしまったのだ。エヴラールとの婚約解消が一時的なものかもしれないと信じていたから。ただ単に予備としてキープされていただけだったのに。
マリウスはその後も根気よく、繰り返し求婚してくれた。その都度、彼女は断ってしまった。まったくもって愚かとしか言いようがない。
ただし、求婚を受ける前に確認しておきたいことがあった。フェリシエンヌは彼に真剣な目を向ける。
「マリウスさま、ひとつだけ伺いたいことがあります」
「もちろん。どんなこと?」
マリウスは彼女の変化に気づき、表情を引き締めた。
「もし、わたくしの命があと一年なかったとしても、同じことを言ってくださいますか?」
「え……? フェリ、どこか具合が悪いの?」
急に顔色を失ったマリウスに、フェリシエンヌは微笑んで静かに「いいえ」と首を横に振る。
「仮定のお話です、マリウスさま」
「本当に?」
「はい。もしもそうだったとしたら、先ほどのように申し込んでくださいました?」
「もちろんだとも」
「後悔なさいませんか?」
「しない。もしそうなら、なおのこと婚約してほしい。少しでも一緒に居たいんだ」
きっぱりと答えたマリウスに、彼女はうれしそうに顔をほころばせてうなずいた。彼は「前回」と同じ言葉をくれる。ならば、彼女もそれに応えるだけだ。
「では、喜んでお受けいたします」
彼はフェリシエンヌを見つめたまま、じわじわと頬を紅潮させる。
「ああ、夢みたいだ……!」
マリウスは興奮が冷めやらぬ面持ちで「お父上たちを呼びに行こう」と、彼女の手を取った。
デュシュエ伯爵夫妻は、中庭に出てすぐの花壇の前にいた。低い声で何やら話していたが、マリウスが「お待たせしました」と声をかけると即座に会話を切り上げて振り向いた。
「フェリシエンヌ嬢をお返しします」
「おや。もうよろしいのですか?」
「はい。明日、父と一緒に伺います」
「え?」
突然すぎる訪問予告に、デュシュエ伯爵はぽかんとする。何がどうなっているのか、わけがわからないといったふうだ。だがマリウスの視線はフェリシエンヌに向いていて、それに気づいた様子はない。「フェリ、また明日」と満面の笑顔で手を振り、身を翻して去って行った。ものすごい早足で。
マリウスの態度には、父だけでなく母までもがあっけに取られていた。
「フェリ、いったい何のお話だったの?」
「婚約の申し込みがあったので、お受けしました」
母の質問にフェリシエンヌがさらりと返すと、サビーヌは一瞬ぽかんと言葉を失った。青ざめていた母の顔に、血の気が戻る。そしてじわじわと喜びが染み渡るように笑顔になり、「まあ!」と華やいだ声を出した。そのありさまに、ふとフェリシエンヌは思った。
(もしかして、今またわたくしは『自慢の娘』に戻ったのかしら)
つい先ほどまではあんなにしおれていたくせに、手のひらを返したかのようだ。母の態度に、彼女は何とも言えない気持ちになった。
うれしそうなサビーヌを見て苦笑をこらえていると、父と目が合ってしまった。デュシュエ伯爵は妻に見えない角度で呆れた表情を作り、肩をすくめてみせる。父が自分と同じ気持ちでいるとわかって、フェリシエンヌは何だかおかしくなった。
楽しそうにくすくすと笑い出した娘に、デュシュエ伯爵は安堵の笑みを浮かべた。