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二度目の余命300日  作者: 海野宵人


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二度目の流行病 (1)

 思い立ったら、すぐ実行。さっそく翌日、フェリシエンヌの希望をかなえるため、マリウスは彼女を王立美術館に誘った。


 この美術館は、王都の西の外れにある。旧王朝時代に王宮だった建物が、そのまま美術館として活用されていた。王都にある美術館の中で最も規模が大きく、名の知られた美術館だ。


 初めて訪れたフェリシエンヌは、その広さに圧倒された。


「これは、とても一日では見て回りきれませんね」

「うん。全部見て回ろうと思ったら、最低でも三日はかかるらしいよ」


 丸一日、歩き続けての三日である。フェリシエンヌは目を輝かせた。


「つまり何度訪れても、そのたびに新鮮に違うものを鑑賞できるということでしょう? すばらしいわ」

「そうだね。また何度でも来よう」


 マリウスもうれしそうに同意する。


 その日はフェリシエンヌの選んだ古代美術のエリアを、ゆっくりと二時間ほどかけて鑑賞した。古代美術さえ、まだ半分も見て回れていない。


 でも、それでよいのだ。見ることそれ自体が目的ではないのだから。マリウスと楽しい時間を過ごすこと、それが何よりも大事である。フェリシエンヌの手を引いて美術館を出ながら、マリウスは彼女に微笑みかけた。


「帰る前にカフェでひと休みしていこう。サンルーム席を予約してあるんだ」

「まあ、すてき。ありがとうございます」


 美術館の正面玄関前には、すでに公爵家の馬車が迎えに来て横付けしていた。


 馬車に向かって正面玄関前の階段を降りて行きながら、フェリシエンヌは来たときには気づかなかったあることに気づいた。それは馬車の向こう側、通りの反対側の光景だった。


 そこには物乞いの親子がうずくまっていたのだ。


 やせ細り、薄汚れたボロを着た親子は寒空の下、冷たい地面にペタリと座り込んでいる。彼らの前には、空っぽのかごが置かれていた。まだ誰からも施しを受けていないらしい。


「マリウスさま……」


 フェリシエンヌはマリウスの袖を引いて、物乞いの親子に視線を向けた。彼は黙ってうなずくと、ポケットのコインケースから小銭を取り出す。そして馬車のドアを開けて待っていた御者にその小銭を握らせ、耳打ちをした。


 御者はていねいにドアを閉めた後、通りを渡って物乞いの前のかごに小銭を投げ入れる。御者はすぐさまきびすを返し、通りを渡って戻ってきた。


 その背中に向かって、物乞いの親子は深々と頭を下げている。礼を言っているらしき声も聞こえてきたが、すぐさまゴホゴホと湿った咳の音に取って代わられた。まだ幼い子どもが、親の背中を一生懸命にさすっていた。


 その光景に、フェリシエンヌは目を見開いた。それと同時に、胃のあたりが引き絞られたように痛むのを感じる。


(もう始まっているのだわ)


 彼女が「前回」感染症を疑われたのは、ちょうど咳が出始めた頃に、そっくりな症状の流行病が王都に蔓延(まんえん)していたからである。今から約二か月後のことだ。先ほど見かけた物乞いの親子の様子から察するに、この時期からすでに流行の予兆があったのではないだろうか。


 この流行病は、発症直後は風邪に似ている。しかし風邪と違い、一週間経っても治らない。そして一週間ほど経ったときに容態が急変し、あっという間に死亡してしまうことがあるのだ。容態が急変する割合は、三人にひとりとも、二人にひとりとも言われていた。おそるべき致死率である。


 一応、特効薬と呼ばれるものは存在していた。発症して一週間以内に飲めば、死亡することはなくなる。しかし王都の備蓄量は、流行病の広がりにまったく追いついていなかった。しかもそれを一部の貴族が買い占めてしまったため、大多数の手には渡らない。


 その結果、たった半年で王都市民の四分の一近くの人口が減少するという、とんでもない規模の大災厄となったのだった。


 カフェのサンルーム席で紅茶を飲みながら、フェリシエンヌは我知らずキュッと眉根を寄せていた。その顔を、マリウスが気遣わしげにのぞき込む。


「フェリ、どうしたの?」

「お願いがあります」

「何なりと」


 内容を聞きもせずに承諾するマリウスに、彼女は呆れた視線を向けた。


「マリウスさま、そういう安請け合いは感心しませんよ。わたくしが無茶なお願いをしたらどうなさるのですか」

「大丈夫。フェリの頼みなら、無茶でも聞く。でも、そもそも無茶なんて言わないだろう?」

「わかりませんよ?」


 だってフェリシエンヌは、今から無茶を言う。


「ホウコルダーの葉を、仕入れられるだけ仕入れていただきたいのです」

「うん、わかった」


 即答である。用途を尋ねもしない。


 ホウコルダーとは薬草の一種で、例の特効薬の主成分だった。わざわざ栽培するまでもなく、わりとどこにでも生えている野草。しかし収穫時期は夏の終わりなので、初春のこの時期には、前年のうちに収穫して保存用に乾燥されたものしか手に入らない。


「その葉を使ってナバール風邪の薬を作り、薬の半分を神殿に寄付してくださいませんか。薬は神殿の外で消費してもかまいませんが、必ず薬を飲むところに神官が立ち会うことを条件にしてください」


 要するに、転売厳禁ということだ。必要とする者には無償で飲ませたいが、転売は許さない。そしてナバール風邪とは、例の流行病のことである。


 マリウスはフェリシエンヌの頼み事を聞きながら、ハッと目を見開いた。


「フェリは、さっきの者がナバール風邪かもしれないと思っているんだね?」

「はい。あくまで推測にすぎませんが」


 彼女がナバール風邪を疑ったのには、理由が二つある。


 ひとつは、時期。風邪なんて季節を問わず引くときには引くものだが、やはり圧倒的に真冬が多い。少しずつ春めいてきたこの季節に、あのように激しく咳をしている姿は異様に見えた。


 もうひとつは、声。あの物乞いは、あれほど激しく咳をしていたにもかかわらず、礼を言う声はかすれていなかった。通常の咳風邪であれば、喉を痛めて声も枯れるはずだ。声が少しもかすれていないということは、病巣は喉よりももっと深い場所、つまり肺にある。


 それこそがナバール風邪の特徴だった。

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