6
「う、うぅ〜〜ん……あ、頭痛ぁい……」
目を半分だけ開け、クッションから重い頭をそぉっと持ち上げるラルカリース。
「あ、あれ? ……いない……あぅぅっ」
キョロキョロと部屋の中を見回す……と頭がぐらついたのか、聖女は情けない声を漏らした。
「……あいつなら中央に帰ったぞ」
「え?」
机で書類作業をしながら、こちらに背中を向けている神官は手を止めることなく、そう言い放った。
「……クレイ様に……私、何も伝えられてない」
「ラルカリース……お前……」
バタバタバタ、バタンッ‼︎
その時、真っ青な顔をした若い神官が、突如、部屋に駆け込んできた!
「フィ、フィアトル様ーー! 遺跡がーーっ!」
「「⁉︎」」
◇◇◇◇
ざっ!
遺跡周辺に一般市民が立ち入らないよう、騎士達は警備を強化した。
ピリピリとした緊張感が空気の波に乗り伝播する。
騎士団長が不在というバッドタイミングで、遺跡から魔物が動き出したという報告が上がったのだ。
「団長が戻るまで、魔物討伐は副団長が指揮を取ります! 遺跡への教会対応については司教様、お願いします!」
「うむ……」
予想よりも早く、事態が動いたことに流石の司教シャズも動揺を隠せない。
中央教会からの伝令にどう対処するか、結論がまだ出ていなかったのだ。
周囲に広がるブドウ畑は遺跡から魔力を吸収し、繁ることで結界の役目を担っていた。
だが、一年前、土竜の魔物が穴を掘って一部を崩したことで、結界に穴が開いたのだ。
ごくごぐごくごくごく……
「ぷっはぁぁぁぁぁーー!」
腰に手を当て、『聖杯』ラベルの貼られた酒瓶を傾け、一気飲みをする聖女。
ラルカリースにとって、聖杯は痛みも恐怖も紛らわす麻薬のようなものだ。
だが、事情を知らない騎士達は彼女に白い眼を向けた。
「……遺跡を浄化をしてしまったらこのブドウ畑はもう……それなら、やはり私が中央教会へ……」
赤い顔でぶつぶつと迷いを口にする。
どごんっ!
その時、何かが崩れる音と共に、彼女が立っていた地面が突然消えた。
「え?」
「ラルカリーーース!」
神官フィアトルが叫んだ時には、もう彼女の身体は空中を落下していた。
ひゅーーん、どさっ!
「けほけほけほけほっ!」
聖杯のお陰で身体の痛みは感じないが、土埃の舞う中に落ち、激しくむせ込んだ。
ざっ!
「ぐぉぉぉぉぉーーっ!」
「きゃぁぁぁぁぁっ! ま、またなの……⁉︎」
聖女ラルカリースの目の前に、土竜の魔物が咆哮を上げながら立っていた!
一年前のあの時とまるで同じ……。
獲物は……聖女ラルカリース!
魔力を持つ者を餌にしようと地上に現れたのだろう。
現場に他の聖女達も複数名同行してはいるが、束になってもその魔力はラルカリースの足元にも及ばない。
重症に『祈り』は届かない……それはすなわち、死を意味する。
「ぐぉぉぉぉぉぉぉーーっ!」
再びの雄叫びと共に、鋭利な爪が聖女の頭上に振り下ろされた!
「‼︎」
ひゅん、ざしゅ!
………………
「へ?」
思わずぎゅっと瞑った目をそろーーっと開ける。
聖女の瞳に、騎士の一振りで首を落とされた魔物の胴体がスローモーションのように倒れていくのが映った。
ずどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!
「ラルカーーッ‼︎」
「クレイ様⁉︎」
ぎゅぅぅぅぅぅっ!
騎士が華奢な聖女を抱き締める!
「良かった、間に合ったぁ……流石は陛下の転送……」
「ど、どうして? クレイ様、都に帰ったんじゃ……」
「国王陛下へ進言したいことがニ、三あって急遽、中央まで戻ったんだ……が、すぐ戻ってきたんだ。あぁ、可愛いな! たった少しの時間離れているのも惜しい」
「……愛の言葉を再会の挨拶のようにさらりと言うのはどうかと思うがな」
神官フィアトルが二人の真上で溜息を吐いた。
◇◇◇◇
「フィアトル殿から見せてもらった伝令書と騎士団が受け取った陛下からの勅命書と内容が少し異なったのが気になってな」
そう言って、ごそごそと懐から書類を取り出し、広げて見せる。
『一年前に遺跡から魔物が出たのは、ブドウ畑の一角が破壊されたことに起因する。よって、再度、結界を張れ……』と。
「遺跡を浄化しては、ブドウ畑で採れるのが、ただのブドウになってしまうことを陛下はご存知だったし、陛下も王妃も、魔物との共存した社会への理解がある」
王国と魔国は歪に噛み合った、表裏一体のような存在だ。
完全に消し去ることなど不可能……ならば利用し、侵害しなければいい。
この考えに否定派もいるが、表立って国王へ反旗を翻す者はいない、いやこの国ではそれが出来ないのだ。
「このブドウの苗木を植える。新たな結界の御神木として……で、根元にこれを埋める」
そう言って、クレイエヴァーは人間の頭蓋骨ぐらいの大きさの魔石を片手でひょいっと取り出した。
「な、何これ⁉︎ 凄い力!」
「……いいのか、これ? 上級魔族の力を感じる……こ、国宝級の品じゃないのか?」
「俺への結婚祝いだそうだ」
「「⁉︎」」
強い魔石による結界を遺跡に張るということは、ドラゴンが雛鳥の巣を見張るようなものだ。
そう容易くは破れない。
「あんた、中央行って一体何やらかしてきたんだよ?」
神官が呆れて笑いながら、魔石と苗木を騎士から受け取った。
ずしんっ!
「うぉ、重たっ! じゃ、ちょっくら俺も仕事してくるかな」
そう言って、気を利かせた神官はその場を離れたのだった。
「あ、あの、ク、クレイ様……」
「なんだい? 愛しの、ラルカ」
「ま、また助けて頂き、ありがとうございました!」
がばっと大きく頭を下げた!
「うっ!」
「こらこら。酔ってるのに、そんな頭振ったら危ないぞ。ポーションあるが、飲めるか?」
「は、はい」
一年前の討伐作戦、ラルカリースを庇ったクレイエヴァーは魔物の鋭い爪で背中を深く抉られ重症を負ったのだった。
「ラルカ……あの日、俺は目を開けた瞬間、貴方を見て……後悔したんだ」
「えっ⁉︎」
「貴方を泣かせてしまったことを……」
「ク、クレイ様……」
「もう二度と泣かせないとあの日の自分に違ったはずなのに……また泣かせているな」
そっと、指でポロポロと溢れる聖女の涙を拭う。
「不謹慎だが、ラルカの涙を綺麗だと思ったんだ……」
そう言って、騎士は聖女の目元にそっとキスをした。
◇◇◇◇
時は少しだけ遡るーー
だだだだだだだだっ! ばたん!
中央教会大聖堂の扉を開け、聖騎士の一人が中に駆け込んでくる!
「な、何だ? 騒がしい……」
「た、大変です! 大司教様! き、き、き、き……」
「落ち着け! なんなんじゃ⁉︎」
「『鬼神』が乗り込んで来ましたーーっ‼︎」
「な、何ーーっ⁉︎」
守護騎士団長クレイエヴァー、王国内でも指折りの騎士だ。
だが『鬼神』モードの彼を腕力で止められる人間は……多くが知る限り、たった二人だけだ。
だが、理由もなく怒り狂う訳ではないことも騎士達は知っている。
中央教会の前に彼が現れた瞬間、聖騎士団の全員が悟った。
『あ、大司教なんかやらかした……』と。
がつっ!
大司教の胸ぐらを掴み上げ、騎士は剣を喉元に突きつける。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃっ! 守護騎士団長ともあろう者がこんな真似をしてただで済むと思うなよ!」
「あ?」
「ひぃっ!」
「俺がここに来た理由……察しが付いてるんだろ?」
「な、何のことだか……」
視線を泳がせる老害の様子が騎士の神経を逆撫でし、火に油を注ぐ。
「俺の愛する者達を苦しめる者は何人たりとも生かしてはおけん!」
「ひぃぃぃぃぃぃっ!」
ばたーーんっ!
その時、再度大聖堂の扉が開き、近衛兵団がばたばたと雪崩れ込む!
その奥に、良く知る二つの気配……。
「あれは……」
ばっ!
騎士団長がその場の誰よりも早く、跪く!
気付いた者達も慌てて、彼に追随する。
かつん、かつん、かつん……
「久しぶりに暴れたな、クレイエヴァー。その辺に納めて、私に任せてくれるか?」
「あらあら……ってことは、例の想い人とは良い感じかい?」
「はっ!」
騎士団長が乗り込んでくるのが、まるで分かっていたかのようなタイミングで国王陛下と王妃が中央教会へと現れたのだった。
王妃は元、最強の伯爵令嬢だ。
一騎士に過ぎなかったクレイエヴァーに剣技を仕込んだり、共に筋トレをした間柄だ。
国王陛下は、一瞬、それに対して嫉妬したが、クレイエヴァーの一途さが自分と重なり、今ではとても気に入っている。
近衛兵団長のポストに誘われたのだが『東にいる愛する女性を護りたい』とクレイエヴァーは断ったのだ。
「大司教よ。中央教会は私に黙って伝令を変えたそうじゃないか? ……お仕置きが必要だなぁ」
陛下は大天使のような美しい顔でにこっと微笑み……次の瞬間、異常なまでの殺気が膨れ上がる!
ぶわーーっ!
大司教の地位まで到達した男、けして無能では無い。
だから見えてしまったのだ、国王陛下の後ろに広がる恐ろしい『悪魔』の存在に……。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
大聖堂には老司教の情けない声が響き渡ったのだった……。
国王陛下と王妃は以前、別作品での登場人物です。
もし良かったら、そちらも読んで頂けると幸いです。