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ソファにはさっきの真っ青とは打って変わって、真っ赤な顔のラルカリースとクレイエヴァーが並んで座っている。
「いいか、ちょっと待ってろよ! おい、手ぇ出すんじゃねぇぞ! 分かったな!」
バンッ!
荒々しい声を上げながら神官フィアトルが急ぎ部屋を出て行った為、部屋には騎士と聖女の二人きりとなった。
あの荒い口調が神官という仮面の下にある、本来の彼なのだろう。
騎士団長に対し、もはや猫を被るつもりはないようだ。
「ラルカ……すまなかった」
クレイエヴァーの突然の謝罪に、ラルカリースはまたしても戸惑う。
「えっ! あ、さ、さっきのは……び、びっくりしました……」
「違う……一年前のことだ……」
「あ……」
空気は読まないくせに、察しの良い騎士団長は気づいたのだ。
自分の命を救ってくれた彼女の身体にどんな代償があったか……。
「き、気にしないで下さい。責任取ってもらおうとかは全くありませんし……あ、婚約ってそういうことでしたか……」
「違う! 責任を取るとかではなく、俺は貴方を心から愛しているんだ!」
「⁉︎」
キョロキョロと周りを見渡し、己を指差すラルカリース。
こくりと頷くクレイエヴァー。
………………
「それとも……ラルカは誰か好きな人が……?」
「い、いません!」
「良かった……でなきゃ、俺は嫉妬で気が狂ってしまう」
「え?」
「貴方じゃなきゃ、意味がない」
「あ……」
クレイエヴァーは手を伸ばし、するりとラルカリースの灰色の髪を手に取り、そっと口付ける。
「貴方に似合う男になる為、ここまで来ました。俺の全てを貴方に捧げる!」
「え、えっと……」
騎士の言葉は止まらない。
「星降る夜空を閉じ込めたような瞳、透き通る雪の結晶のような肌、心は誰よりも清らかで、ブドウ酒の香りが俺を惑わせる……ラルカ、俺は貴方を一生お護りしたい。心から愛してるんだ……」
「えっ、あっ、うぅっ……」
「何度でも言う……言いたいんだ! 愛してるよ、ラルカ!」
「〜〜っ‼︎」
怒涛の甘い言葉の洪水で、意識が溺れそうになるラルカリース……息が出来ない……。
呼吸を忘れるほどに二人は互いをじっと見つめる。
「ラルカ……」
「クレイ様……」
バンッ!
「はいはい、ごめんよぉーーっ」
ガサツな音を立ててドアを開けた神官は、手に持っていた物をぐいっと二人の間を割くように突き出した。
………………
聖女の視線はクレイエヴァーから目の前のボトルへと移る。
「ラルカリース! ほら飲めっ!」
「は、は、はいっ!」
はっと我に帰り、助け舟が来たとばかりに酒瓶に飛びつく!
聖女は自らの小さな口に聖杯の酒瓶をぐいっと突っ込むと、グビグビと喉を鳴らして一気に飲み干した。
「ぷはぁーーっ!」
「よし! しばらく寝ろ!」
フィアトルがラルカリースをソファにごろっと横倒しにして、上からバサっとブランケットを掛けてやるのだった。
「顔が……熱いや……」
赤く火照った顔はきっと聖杯のせい……そう自分に言い聞かせるように、そっと目を閉じ、夢の中へと聖女は落ちていった。
◇◇◇◇
すうすうと小動物のような寝息を立てる聖女ラルカリースの頭を撫でながら、神官フィアトルに真剣な顔を向ける騎士クレイエヴァー。
「一体、どういうことなんだ⁉︎」
「……いや、あんたこそ、ちゃっかりしすぎてて……一体どういうことなんだ?」
ラルカリースの頭を自分の膝に乗せ、嬉々として膝枕している騎士に溜息まじりで返す。
だが神官は頭を抱えながらも、騎士団長をあんた呼ばわりするまでに進化した。
こちらもある意味ちゃっかりしている。
先程、ラルカリースが眠った頃合いで騎士は動いた。
目にも止まらぬ早業……聖女の頭を支えるクッションと己の位置を素早く入れ替えたのだ。
「……き、鍛えられた素晴らしき身体能力の大いなる無駄遣いだな」
むにゃむにゃと口を動かす彼女の寝顔を愛おしそうに見つめる騎士に対し呆れた声を放ち、フィアトルはふぅーーっと大きく溜息を吐いた。
「……魔法が忘れ去られたこの国でも、まだまだ魔力を持った人間が稀に生まれる……見たんだろ?」
「……」
騎士は神官の言葉に無言で頷く。
コトンッ、コトッ……
神官がテーブルに回復薬と魔石を置いた。
「?」
「これらはただの物体だ。このままでは何も起こらない……だが、これに聖女の……魔力を持った者の力が加わることで『祈り』は発動される。聖女はただの……魔法発動の歯車だ」
「魔法……そういえば『祈り』は魔法の名残りだって聞いたことがあるな……」
魔石の力で、ポーションの機能を引き上げ、患者自身の治癒能力を高めているのが一般的な聖女による『祈り』の効果だ。
重症患者では祈りが届かないことも多々ある。
「ラルカリースの力は……本物なんだよ。だが、他の聖女達のような『祈り』ではなく、ラルカリースの治癒魔法は、伝え聞く魔女による等価交換のそれに近い……」
「自らの身体を犠牲にするのか?」
「……そうだ」
ラルカリースは究極の自己犠牲型の聖女。
魔石を使い発動するが、その力の代償として、対価を支払う……その身に傷を引き受けるのだ。
「相当……『辛くて……怖い』んだと。当然だよな、目の前で悶え苦しんでる者の痛みを引き受けるんだから……」
「……」
「『聖杯』を飲むのは、魔力の一時的な向上と同時に『痛み止め』としての役割を果たす。ラルカリース曰く、痛覚を麻痺させるらしい……酒は薬にも毒にもなるからな」
「それで翌日、二日酔いになるってことか……」
「あぁ……俺達はそれが分かっていても、止めさせることはできなかった……ラルカリースは教会の犠牲者だ……」
そっと二人の視線は、眠る聖女に向けられた。
奇妙な聖女ラルカリースへの苦情は、東教会に山程届いていた。
それでも悪評聖女を辞めさせないというのは、教会にとって彼女が必要だという証明だ。
「もし、仮に……仮にだ、あんたとラルカリースが結婚しちまったら……あんたが聖騎士団に推薦されれば……配偶者は自動的に中央教会に移籍することになる。ラルカリースが貴族の贅沢病な内臓疾患の治療に駆り出されれば、あっという間にこの小っさい身体はボロボロに蝕まれて死んじまう!」
「フィアトル殿……」
騎士団長クレイエヴァーからの婚約申し込みを頑なに司教が許可しなかったのには理由があったのだ。
大切な聖女を皆で護る為……。
「だがな……悪評を放っておいたのが裏目に出た……規律を重んじる中央教会に目をつけられたんだよ……これ見ろよ!」
バンッ!
中央教会から届いた伝令書を神官がテーブルに叩きつけた!
「フィアトル殿……お静かに……」
「あぁ、すまん」
眠る聖女に配慮し、声量を抑えて話を続ける。
騎士が目の前の伝令書に視線を落とした。
『 伝令
遺跡の浄化を東教会に命じる。
応じなければ、聖女ラルカリースを中央教会の
監視下に置く。
中央教会 大司教 アシィー・ルナロディ』
「監視下……」
「これは脅しだ。もしかしたら、ラルカリースの能力に気づいた者がいるのかもしれない……だが、遺跡を浄化すればブドウ畑は魔力を失う。中央教会は東教会が豊かになることに危機感を覚えたんだろうが……ふざけんな! 国庫の出資金など情け程度にしか支払われない! 孤児達を食わしていく為には、金が必要なんだよ!」
フィアトルがまた声を荒げ、両手で頭を抱えた。
「ラルカ……」
愛しい名前を呟き、そっと膝の上で眠る聖女の頭を撫でた後、静かに騎士は顔を上げた。
「用が出来た……俺は中央に戻る」
「お、おい……逃げるのかよ⁉︎」
「ははっ、フィアトル殿。……誰に口聞いてんだよ?」
「⁉︎」
神官が言葉を失う。
そこには『鬼神』の異名を持つ、カルスタット王国守護騎士団長クレイエヴァー・フォールウィンが美しい顔に静かなる怒りを浮かべていたのだった。